10話 住の話
夕方、仕事から帰るときスーパーに寄ったら少女と鉢合わせた。
「荷物、持ってくれてありがとうございます」
適当に相槌をしながらアパートに着けば、少女が合鍵を使って玄関を開けた。
キッチンに適当に荷物を置けば、少女がいつの間にかエプロンを身に着けていた。
すでに手も洗い終わっているらしく、すぐに調理を始めた。
そういや、なんでうちに包丁があるんだ?
料理なんかしたこともない。
食器もなければ箸すらなかったはずだ。しいと言うならやかんがあったか?という程度。
しかし途中からポットを使っていたから、やかんの中で水が腐っていたんじゃないかと思う。
棚にしまわれてるやかんは俺のか?それ以外は?
「…………あ、あの、どうかしましたか?先程からずっとこっちを見てるようですが」
背中越しに俺の視線を感じていたらしい。
気まずそうにそう問われ、俺は「なんでもない」と言ってキッチンを出た。
まぁ、いちいち気にする必要もないか。
雪よりも雨が降るようになり、そろそろ寒さも終えるかと思ったころ突然の吹雪がやってきた。
もう終わったと思っていた冬が再来し、どこの新聞もそれにもちきりになっている。
「っさみぃ!」
仕事が終わってから慌ただしく家に帰ると不思議と電気がついていなかった。
日は暮れ、最近はあの少女が先に帰れば部屋は温まっていることが多いのにもかかわらず、今日は妙に部屋の中が冷たい。
…………人の気配も、感じない。
違和感を感じながら靴を脱ぎ、暗い廊下を進めば何か滑っとしたものに足を取られた。
「うぉわっ……!」
すっころんで尻を痛めながら、何に足を取られたんだと手さぐりに見渡すが、いかんせん暗い部屋では何も見えない。
仕方なしにまた足を滑らせないように立ち上がり、電気のスイッチのところまで歩く。
パチンとスイッチを押せば、チカチカと古い音を立てながら電気が点いた。……がすぐに消えた。
「なんだぁ?ついに切れたか?」
そろそろ替え時だとは思っていたが、残念ながら替えはまだ用意していない。
今から買いに行くにしても面倒だ。
不便に思いながらも身近のライトを手にどうにか明かりを求める。
ようやく足元が照らされ、思っていた以上に部屋の中が真っ暗だったことに気が付いた。
ふと、先程の滑りを思い出し振り返る。てんてんと、廊下から自身の足元まで続く汚れがすぐに視界に入り、違和感を感じた。すぐに足の裏を覗き込めば、それはぐっしょり湿っていた。
「…………?…………?!」
黒い靴下のもあって色が判別しづらかったが、それが赤黒い何かなのに気が付いた。
視覚から情報を得たからか、今度は錆臭いにおいをかぎ取る。
違和感が、次第に大きく確信に近づいていく。
ゆっくりと、自分の足跡をたどるように俺は廊下に戻る。
玄関からまっすぐ歩いてきたはずの廊下は、俺の足跡が鮮明に残っている。
自分がどこで転んだのかを意識しながら、少しずつライトを先へと向ける。
そして、そこに血だまりがあったことに、俺は衝撃で頭が真っ白になった。
「…………っ!」
慌ててその先に走りこめば、影に人間が倒れているのがすぐにわかった。
わざわざ確かめるまでもない。あの少女だ。
急ぎ抱き起したが、意識がないようだった。
強盗でも入ったか。それとも空き巣と出くわしたか。
あるいはストーカーにでも襲われたか。
うら若い少女など、一人で歩いていればただ無防備な餌である。
特に自身がかつてつるんでいた仲間内の遊びの中に、そういった類のものは多くある。
真っ白になったはずの頭が、訳が分からないほど暴走しているように感じる。
真っ黒なはずの視界が滲み、真っ赤に染まる錯覚を起こす。
そんなはずない。まさかかつての仲間がいまさら訪ねてくるなどありえない。
一度も連絡を取ってはいないが、奴らだって俺に執着すような性格でもなかった。
今までは何ともなかった。いまさらそんなことが起こるはずなどない。
どうにか思考を停止しようとしたが、常に最悪を生きてきた俺は俺を信用できない。
思いつくすべてを考え、可能性が高いものを探す。
カギは閉まっていた。電気は消えていた。部屋の空気は冷たい。少女は息がある。外から帰ってきたばかりの格好だ。
上着を脱いでいない。エプロンをつけている。一度帰宅し、そこからまた急いで外に出た可能性がある。
電気は点かない。切れていた。外傷はない。血がどこから垂れているのかわからない。頭か?
これ以上動かしていいものなのか。医者、救急車を呼ぶべきか。
手元の明かりを一度消して、省略キーで救急に電話をかける。
こんな時になんて伝えるのが正解かわからない。
住所と名前を聞かれ、関係はと問われて、ついに速まっていた血流が止まる。何も言えなくなる。
関係?他人だ。
そう言ったらどうなる?来なくなるのではないか?下手をすれば警察を呼ばれる。
俺とコイツが関わるにあたる契約書は、全部この少女をここに連れてきた親族に書かせた。
最低限の書類にサインとハンコを要求されたが、それだけやったらさっさと出てった。
…………俺は、コイツの名前も知らない。
どうしたらいいか、わからなくなった。混乱と困惑だった。
電話を切って、救急車と警察が来ないことを確認して俺は少女を横抱きにして外に出た。
外は吹雪だ。
医者は空いてるか?病院は開いているか?
小さなところで対応してもらえるか?大きなところに行った方がいいのか?
寒い。
これ以上冷やさない方がいい。暖かい場所に移動しなくては。
肌にあたりつけてくる雪が痛い。
まずい、まずいまずい。はやく雪の届かない場所に。小さくても医者のいるところに行かなくては。
いっぱいいっぱいになった思考が、かえって真っ白に感じる。何も考えられていないように感じる。
結局行きついたのは、ついこの前来た外科病院だった。




