1話 始の話
ある時、互いに恋し合う男女から一人の赤子が生まれた。
赤子を抱えるのは、未だ幼さの残る少女のような顔つきをした女性だった。
女性は、慈愛の眼差しでその赤子を見つめている。
見るものが見れば、まるで聖母のようだと評するだろう。
そんな女性を、正面から冷たい視線で見据える男がいた。
赤子の存在を、認める気が一切無いことが男の態度から溢れ出ている。
「どうしたの?あなたもこの子を抱きしめてあげて」
「……冗談だろっ」
男の視線に気が付いた女性が声をかけるも、それを男は吐き捨てた。
愛し合う男との間で生まれた赤子に女性は満足気だが、男の方は堪ったものではないとでも言うように、女性の抱える赤子を鋭い目つきで射抜いた。
「なんなんだ、そのガキはっ」
「あなたと私の子よ。ほら、髪の色もあなたと私の色を混ぜたようだわ」
「そんなガキっ、俺は知らない!」
まるで怯えたように声を上げる男に、女性は哀れむような視線を向けた。
半年ぶりに顔を合わせた恋人は、以前までは信じられないほど自身に対して拒絶を示している。
自身の抱える赤子を、恐れている。己の血が、半分も繋がっているにもかかわらず。
「正真正銘、この子はあなたと私の子よ。避妊だって絶対はないって知ってるでしょう?」
「っうるさい!そんなことを言ってるんじゃない!……っだいたい、まだ未成年だろ!俺も、君もっ!」
互いに子供であることは変わらない。女性は未だ学生であるし、男は中卒のフリーターだった。
赤子どころか、大人二人で生活していくのでさえ、現実的ではない。
「…………それでも、私はこの子を育てるわ」
「なんでだよっ!そんな生まれて間もないガキっ、さっさと捨てちまえよ!……んで生んだんだよっ。俺に黙って、勝手に……」
「…………反対されるって、わかってたから」
わかってたなら、なおさらどうして。
男の叫びが、声とならずとも女性に伝わった。
女性は赤子を抱えたまま、その腕を一切揺らすことはない。
すやすやと寝息を立てる腕の中の子は、男の荒い声にぐずることもなく眠っている。将来は有望だろう。
「……捨てろよ」
しかし、そんな赤子を目にしても男は意見を変えなかった。
半年間、何かと理由をつけられ会うことの叶わなかった恋人と、念願の再会が叶う最高の日だと確信していたのに。
待ち合わせ場所で何時間も待って現れたのが、自身が思い描いていた以前までの姿とは変わってしまった恋人と、知らない赤子。
ただでさえ視覚情報だけで混乱気味だった彼は、彼女が口にした事実を受け入れられなかった。
「そんなガキ、捨てろよ。いらないだろ。殺せよっ!!」
「殺さないし、捨てないし。いらなくなんてないわ。あなたと私の大事な子供だもの!」
女性の方も、もう聞くに堪えないと言わんばかりに声を大きくした。
珍しく強い反抗の意思を見せる女性に、流石の男も圧倒されついに押し黙る。
「絶対にっ。この子は私が育てるわ!他の誰にも譲らないっ。渡さない!たとえあなたに反対されても」
こんなにも、彼女が自分の意見を聞いてくれなかったことが未だかつてあったか?
女性の揺るがない意思に、男は気圧された。
自分がこうだと思う、こう感じると伝えれば「そうね。その通りだと思うわ」「あなたは正しいわ」「あなたの言う通りよ」と頷いてくれていた女性が。
自分の意見にいつも寄り添ってくれていた彼女が。
自信の持てない自分を何度も肯定してくれた恋人が。
「…………ゃぁ、……れる」
半年ぶりに会った恋人は、まるで、知らない女みたいだった。強くて、自分を曲げようとしない。
これまで自分が苦手で、嫌悪してきた人間に見えた。
「……じゃあ、別れるっ!」
「…………っ」
そうすると、今度は怖くなった。
知らない女が、知らない赤子を抱える姿が。
かつて求めてやまなかった女が、バケモノに見えて。
自分を汚そうとしているように思えた。
「………………わかったわ」
カタンと。
小さな音だけを残して、女は目の前から消えた。
気が付いた時には、空から降りつけてくる雨に一人打たれていた。
もう、何も考える気になれなかった。
お付き合いくださりありがとうございます。
計13話完結予定です。
番外編なども特に考えておりません。
偶に裏でブツブツ呟くくらいです。多分。
少しでも面白い、続きに期待を感じて下されば、ご気軽に評価コメントしていただけると嬉しいです。