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撃たれて死ぬか、踊り疲れて死ぬか、好きな方を選べ

幻想のバレンタインあるいは超機動バレンタイン幻想

 死刑執行予定の正午になっても看守が牢屋に現れないので、ベリチリベコフは喜びを炸裂させた。

「死刑は中止になったんだ! 私たちは助かったぞ! やはり神の力は偉大だ! 私の神に間違いなしだ!」

 それからベリチリベコフは牢屋の鉄格子の扉の前で不思議な踊りを始めた。俺にも一緒に舞うように命じる。人が何をしようとそいつの勝手だが、俺まで肩を並べて踊る意味が分からなかったので理由を訊いてみた。

「なあ、どうして俺も踊らにゃならんのよ? そんな楽しそうにダンスをする気分じゃないんだけど」

 ひょうきんなダンスをしながらベリチリベコフは恐ろしい表情で俺を睨んだ。

「死刑中止の件で神の世話になったのだから急いで感謝を捧げないと怒りを買って報復されるし、それから早く牢獄を出してくれることも頼まないといけない。お前も早くやれ」

 死刑が中止になったとベリチリベコフは思い込んでいるけれど、そうとは限らない。物事が時間通りに進まない国なので、ただ単に死刑の開始が遅れているだけかもしれないのだ。それでも、死刑が無くなったという幻想にすがりたい気持ちは分かる。俺もベリチリベコフと一緒に処刑される予定だったのだ。このまま死刑が中止になるに越したことはなかったし、ここから出られるのなら神に踊りを捧げるのだってやぶさかでない。俺はベリチリベコフと並んで踊り始めた。ダンスは好きじゃないが、そんなことは言っていられない。下手でもやるさ、死にたくないもの。

「もっと上手く踊れないのか? やる気も何も感じられないぞ! この罰当たりめ、そんなんじゃ、神の怒りが爆発するぞ!」

 ベリチリベコフは俺を罵った。俺のせいで永遠に牢獄から出られないとまで言いやがる。まったく意味が分からない。それに、物凄く腹が立った。それでも俺は一生懸命にベリチリベコフの真似をして踊った。

「このウスノロ! もっと高く足を上げろ! 腰を前後左右にグラインドさせるんだ、もっと早く、激しくっ! 飛べっ、舞い上がれぃ! 頭のてっぺんからオーラを出せ、出さないか、出さないかぁぁぁ!」

 オーラなんか一度も出したことがないし、出し方も分からないが、頑張って出そうとしてみた。藁にもすがりたい思いなのだ。すがりつく相手が邪神であってもかまわない! 俺を救ってくれるのなら、悪魔に魂を売ったっていいんだ! 誰でもいい、俺を助けてくれ……お願いだ。

 海外旅行の様子を動画配信して生計を立てていた俺は広告収入の激減を補うため、ちょっと危ない仕事に手を出した。違法な薬物の運び屋になったのだ。動画配信より金になったので、もっと大々的にやってみようと思っていたら、この国で逮捕された。運の悪いことに、ここは麻薬に関係する犯罪者はことごとく死刑にする国だった。反省してます、もうしません! と涙ながらに謝罪したが問答無用に死刑判決が下される。そして俺は、この監獄に送り込まれた。そこで出会ったのが邪神崇拝の罪で検挙されたベリチリベコフだった。

 ベリチリベコフは元々ゲーム実況のライブ配信をやっていたそうだが地球の正当なる支配者の呼び声を聞いて自分の真の使命に覚醒したとのことだ。真実を広めようと、自分が聞いた神の声を音声合成ソフトで再現して配信したところ、それを聞いた視聴者の中に自殺者が続出した。あるいは、自殺はしないが他殺する者が大勢出て社会問題となり、放置できなくなった警察に拘束されたのだった。

 その罪名が殺人教唆でないのは再現された音声で「自殺しろ」とも「殺せ」とも言わず、ただ延々と意味不明の呟きが続いているからで、邪神崇拝の罪はベリチリベコフが「コズミックパワーを信じ、地球の真の支配者に服従せよ」と裁判で喚き散らしたので適応されたようだ。この精神状態だと無罪が妥当という気がしなくもない。同房になって最初は、こっちまでおかしくなりそうだった。ずっと神の声の再現を聞かされる身にもなってほしい。別室にしてくれ、と看守に頼んだが「そんなこと言うな。お前らは二人一緒に死ぬんだから、あの世でも仲良くしろよ」と縁起でもないことを言われるだけだった。

 とにかく俺は死にたくない。だから今、奇跡を信じてベリチリベコフを一緒に変な踊りを頑張っている。

「そうだ、その調子だ、ハァッ! フゥ! 私に合わせて、お前も発声しろォ、ワオ! フウゥ、ホゥ!」

 隣の変人に合わせ奇声を上げ続けていたら、鉄格子の向こうを看守の一団がこちらに向かって走って来るのが見えた。ベリチリベコフが歓声を上げる。

「助けが来たぞ、私は助かった! これも神のおかげだ、御礼に隣の阿呆を生贄に捧げます」

「誰が阿呆で誰が生贄になるんだよボケ」

「うるせえ黙れ! 死刑囚どもが、黙りやがれってんだ!」

 看守長が警棒で鉄格子をガンガン叩いて怒鳴る。俺は黙った。隣の阿呆は黙らない。

「早くここから出せ。今すぐ私を出せば、神に口添えしてやらないでもない。残虐な死は当然としても、少しぐらいは手加減をしてやってくださいませんか? そうお願いしてやる。さもないと、生まれてきたことを後悔するほど痛めつけてから殺してもらうぞ」

 檻の中から脅迫する死刑囚に向かって看守長が言った。

「あのな、死刑が中止になったわけじゃないんだ。法務大臣からの死刑執行命令が届いていないだけだから、一時延期しているだけ。ここからは出せないのよ。でも、すぐに死刑執行命令は来る。あ、来た来た」

 一人の看守が駆け足でやってきた。敬礼をして、気をつけ! の姿勢を取る。

「ご報告申し上げます。正体不明の敵の攻撃で全壊した首相官邸の瓦礫の中から、法務大臣は他の全閣僚共々遺体で発見されたそうです。亡くなった法務大臣の代理として法務省事務次官より通達です。死刑囚処刑後、看守は全員武装して敵襲に備えよ。緊急事態であるので、もしも囚人に暴動の兆候が認められた場合、全員を射殺せよ」

 看守たちの顔に緊張が走った。何だか分からないけれど、異常事態が起きているようだ。正体不明の敵が首都の首相官邸を完全に破壊した。首相も他の閣僚も死んだらしい。この牢獄にも危険が迫っているようだ。

 だが一番大事な情報は、死刑囚が処刑されることだ。俺は悲鳴を上げた。

「嫌だー、嫌だー、死にたくないよう!」

 看守たちは鉄格子の扉を開けて中に入ってきた。俺は必死に暴れたが取り押さえられた。ボカボカ殴られ、檻の外へ連れ出される。意外なことにベリチリベコフは大人しく手錠を嵌められた。もっと大暴れしたって不思議じゃない状況なのに。このままだと銃殺されるのに!

 その理由をベリチリベコフは外の刑場へ引きずり出された直後に語った。

「神の怒りが、遂に発動したようだな。官邸だけじゃなく、もうじき首都は壊滅よ。それだけじゃあない。神の軍隊は、ここも襲う。そうなったら、くくく、お前らは全員、死ぬ。しかし私は助かる。私は、お前らの死体の真ん中で朝まで踊り狂うよ。神に感謝しなければならないからな。お前らの脳味噌やハラワタを体全体にこすりつけ、オールナイトダンスだよ、ああ大変だ。どれほどの体力を使うか、わからない。だから今は大人しくして、休養させてもらうよ」

 夜の宴会に備えて体力を温存していると述べたベリチリベコフの背後から看守長が拳銃を発砲した。白煙と血煙が同時に立ち昇る。後頭部を撃たれたベリチリベコフが前のめりに倒れた。刑場の茶色い土が流れ出る血を吸って黒く染まる。

「戯言は聞き飽きた。あの世で好きなだけ言え」

 そう言ってから看守長が俺に尋ねる。

「選ばせてやるよ。ここで後ろから撃たれて死ぬか? それとも柱に縛られても目隠しを拒否し、銃殺隊を睨みつけながら男らしく撃たれて死ぬか……好きな方を選べ」

 俺は今まで好き勝手に生きてきた。人生の分岐点に立ったら楽な方を選ぶ、それが俺の生き方だった。そして俺は、格好をつけたがる性格でもある。キメたがるんだよ、ちょっと恥ずかしいけどな! 後で考えると恥ずかしくて死にそうになるけどもよぉ、やっちまうんだ。まあ、恥ずかしくて死ぬことはなかったな。そして今は、もうどこにも逃げられない死の瀬戸際だ。楽な方を選んだところで、たかが知れている。格好をつけたところで、誰も「すてき!」なんて思いはしない。それは単なる自己満足だ。だが、ちょっと憧れる部分があるんだ。男らしく死ぬってやつに。

「柱に後ろ手を縛られ、目隠しの白布は首を振って拒否し、銃殺隊に向かって、こう言う――お前たち、よく狙って撃てよ、俺の心臓を穴だらけにしてみやがれ。そんな感じの最期で決めたい」

 そんな俺のオーダーを看守長は引き受けてくれた。俺は両脇を兵士に挟まれたが、何の抵抗もせずに柱へ向かった。柱の前で振り返る。銃殺隊に向かって、己の胸を右親指で指差し、ニヤリと笑う。銃殺隊の面々がどんな表情をしているかは、逆光で見えなかった。呆れられたり、笑われている可能性が高いから、見えなくて幸いだった。俺は背中の後ろで素直に両手首を合わせ両横の兵士に「こんな感じに手を出せばいいのかな? 処刑されるのは初めてなんで、勝手がわからないんだ」と言った。

 二人の兵士は返事をしなかった。俺は「どうした?」と訊いた。左右にいる兵士のどちらかが「あれは何だ?」と呟いた。俺は言っている意味がわからなかった。「あれって何なんだよ?」と訊くと、兵士の一人――今となっては右の兵士か左の兵士か思い出せない――が空の一点を指差した。俺は何が何だかわからず、兵士が指差す空の向こうを眺めた。黒い点が見える……と思ったら、その黒点は急速に大きくなった。こちらに迫って来る。俺は呟いた。

「何だ、ありゃ」

 向こうにいる銃殺隊の連中も迫る異常物体に気付いたようだ。横一列の隊列が崩れる。銃殺隊のリーダーである看守長が注意したけれど、兵士たちの動揺は収まらない。その間にも黒い飛行物体は牢獄に接近し、今や姿形が明らかになった。それはトランプのハートのエースに似ていた。色は真っ黒だ。赤く見えるところもあったかな。でも、まあ、黒だったな。

「撃て!」

 銃殺隊の指揮官を兼任する看守長は空飛ぶハートのエースを狙って発砲を命じた。無数の弾丸が黒塊に吸い込まれた。特に何も起こらない……と思ったら、黒い塊は一気に拡大した。牢獄から刑場の俺たちまで何もかもが暗黒に包まれる。

「さあ、デスゲームのバトルが始まりました! 暗黒空間内で、神の軍団の航空兵器であるハートのエースと人類の一団が戦います。私は神々向けのゲーム実況者として転生したベリチリベコフです。さあて、まずはハートのエースのターンですが……おおっと、全体攻撃ですね。しかも二回、二回連続の全体攻撃です! これは大ダメージですね。銃殺隊のメンバーは、ほぼ一掃されました。残っているのは数名ですが……ああ、パニックが発生しました。せっかくの反撃チャンスも、これは攻撃ならず! 士気チェックで、パニックを抑えなければ何の行動も取れませんね。おっ、生き残っていた看守長は士気チェックに成功しました。あっ、若い日本人死刑囚も士気チェック成功です。これは意外ですね。しかーし! ハートのエースが再びの全体攻撃だぁ! ああ、これでまた、人類サイドに大打撃! ほぼ死んだ! ほとんど全滅っ! 生存者は……看守長、生きています。しかぁし、瀕死の重傷! これではせっかく士気チェックに成功したのに何の意味もなーし! そして、おやおや、またも意外中の意外な事態が発生だーっ! 日本人の若い死刑囚が生きている、しかもノーダメージ。なんということだ、ああ、なんということなのでしょう! 神の軍団のエース、ハートのエースの物理攻撃は、日本人の若い死刑囚に無効なのでしょうか? いえ、そんなはずはありません。ハートのエースが発射する黒い弾丸は、どんなに硬い装甲も撃ち抜きます。お、ハートのエースは二回目の攻撃で、全体攻撃を選択しませんね。戦闘可能な相手は日本人の若い死刑囚だけですから、そこに攻撃を集中させるつもりなのでしょう。ハートのエースが弾丸を撃ち出した。命中したア! 違った、避けた、あの日本人、避けやがった! 凄まじい回避能力、凄い逃げ足だぁ! そして地面に落ちていた小銃を拾った。構える、撃つ! しかし外れた。ハートのエース、ノーダメージ! ハートのエース、ただ一人の敵に向かって集中攻撃! おお、またも日本人死刑囚が回避。これは想定外。第三ターンまでに決着がつかないとは予想外の展開ですね。日本人、銃を撃つ。今度はフルオートで撃った。たくさん弾が出たぞ。あ、ハートのエースに命中した。信じられなーい! ハートのエースにダメージ、遂にダメージ! いやあ、驚きですわ。ハートのエースのパーフェクトゲーム、完全試合を予想していたんですけど。まさかハートのエースにダメージが出るとは。しかし、しかしですよ、ハートのエースの損害は軽微、戦闘に支障はありません。ただ、ここで戦闘スタイルを変えますね。黒い弾丸を撃つ射撃戦から接近戦用の仕様に形態を変化さっせまーす。ハートの形をした本体から無数の触手が出て来ました。この鞭のような触手で生き残った日本人を攻撃するつもりなのでしょう。おお、日本人の若者は、相手の隙を見逃しませんね。敵が攻撃してこないとみるや、またも自動小銃をフルオートで撃ちまくる! いや、弾切れ、弾切れです! 空になった弾倉を交換していなかったという痛恨のミス! 怒って小銃を投げ捨てたが、良くない態度です。自分のミスを人のせいにしたり、物に当たるのは良くないですから、良い子は絶対に真似しないでね。さあ、形態を変化させたハートのエースが攻撃を仕掛ける。無数の触手を伸ばし、日本人の若造を捕らえようとするが、敵は捕まらない。すばしっこい奴です。だが、こちらも攻撃の機会をつかめませんね。落ちている他の自動小銃を拾いたいんですけど、触手から逃げ回るので精一杯、拾えません。こうなると、勝負はハートのエースが有利ですね。いくら逃げ回っていても、相手を攻撃できないのなら勝ち目がない。いつかは捕捉され、仕留められる……う、んん! なんだ? 失礼、ハートのエースの攻撃中ですが、ハートのエースの攻撃中だったのですが、日本人青年が反撃したぁ? そうです、やはりそうです! 早くて一瞬わかりませんでしたが、触手攻撃の間に前に出て、カウンターパンチを食らわしたようです。カウンター攻撃がズバリと決まり、ハートのエースは後退。青年が追撃する。右ストレート、左ストレート、右フック、そして右回し蹴りぃ! 素手で、素手ゴロで神の送りし兵器をぶん殴っているぞ! 何なんだ、何なんだ、こいつは! 単なる馬鹿じゃないのか? 序盤に登場する雑魚モブじゃないのかよ! よし、それではここで解析システムを作動させます。これで、この若者のデータをチェックします……な、なにぃ! レベルは解析不能、何もかもスキャンできないので諸元データも不明、弱点もわからない! 何者なのでしょう……こいつは! し、しかしぃ! 倒してから調べれば良いのです。我ら神の軍団は必ず勝つのですから! やっ、やぁっと、やっと触手一本が男の腕を捕まえました。これでは逃げられない! そして、ここで電撃か? 電撃攻撃で大ダメージかぁ! ハートのエースは触手から電撃で攻撃ができます。これをやられたら、銃殺による死刑を免れた死刑囚も電気椅子で死刑、死刑、死刑も同然! 死は確実だッ! ひ、光った、光ったぞ! 電撃です! これで日本人も終わりだぁ! あ、あれ、あれれ……ハートのエースに大ダメージ、これは痛恨の一撃ぃ? どうしたことか、どうしたんだぁ! ああ、わかりました。あの日本人は、ハートのエースが電撃をする前に、ハートのエースに電撃攻撃を仕掛けたのです。これは一体、どういうことなのでしょうか……これは一体……あ、失礼しました。神の軍団の総司令部の解析チームから緊急電が入りました。それによりますと、我々が戦ってる相手には、敵の能力を分析し、それを瞬時にコピーして自らのものとする能力があるようです。この能力によって、敵はハートのエースの電撃攻撃をマスターし、その力ですぐさまハートのエースに電撃攻撃を繰り出した模様です。え、ええと、解析チームからの分析結果に基づいた神の軍団の統合参謀本部からの勝利予想が発表されましたので、ご報告致します。この実況をご視聴になっている皆様は、到底信じられないことと思いますが、ハートのエースの勝率ゼロと予想されております。そして今、撤退命令が出ました。総司令部からハートのエースに対して、撤退命令です。ああ、このような事態を、誰が予想したでしょう? しかし結果は厳粛に受け止めなければなりません。残念ながら撤退はやむを得ないでしょう。我ら神の軍団は人類に負けることなど許されません。恥を忍んで逃げるべきです。次のリベンジの機会を待ちましょう……いや、待ってください。ハートのエース、動きません。敵の触手をつかまれたまま、動けません。ハートのエースは自分で触手を切断できます。それから煙幕で姿を隠し、一気に飛び去るのです。それができないほど弱っているのでしょうか? 詳細な情報を知りたいですね。むう、総司令部の解析チームからの公式発表がありませんので、自前の解析班に調査させたのですが……これは一体、何なのでしょう? ええと、皆様にご覧いただくことができますでしょうか? あ、できる? できそう! はい、わかりました。ゲーム実況のディレクターからオーケーの許可が出ましたので、ハートのエースの内部にある心象風景をお見せ致します」

[冬空の下、あたしは全力疾走する。だって、急がないと彼、帰っちゃうから。放課後の教室を飛び出して、廊下をダッシュ、階段を三段飛ばしで駆け下り、下足室へ向かう。下駄箱に入れておくべきだったか、とちょっと後悔。でも、やっぱりあたし、直接手渡ししたかった。この想いを、真正面からぶつけたかった。そうでもしないと、きっと一生、後悔するだろうから。まだ十年ちょっとしか生きていないのに、一生後悔なんてオーバーな言い方かもしれない。だけど、だけど、この気持ちは本物。だけどあなたは、私の本当の気持ちを、わかってくれないかもしれない。いつもケンカしてばっかりだから、からかわれていると思うかも。でもね、それでもね、こんなあたしだけど、あなたにこの想いを絶対に伝えたいの。来年も、再来年も二月十四日は来るけれど、今日という二月十四日は、今日だけ。今日で終わる。今日という日が終わる前に、あなたに逢いたいの。逢って、お話をしたいの。そして、このチョコレートを渡したい。受け取ってくれるかな、あたしのチョコ。受け取って、あたしの恋心を! いた、彼がいた! 校門の前にいる! 急ごう! 急ぐんだ! 早く……え、ちょっと待って、あのコ誰? 誰なの? 他の学校の制服を着ている女の子が、彼を呼び止めている。手に何か持っている? やだ、そんなのやだ! 受け取らないで、お願い、受け取らないで! あたしは走る、走る、走る……泣き出しそうになりながら、彼に向かって走り続ける。光よりも速く、彼の元へ。そして]

「ああ、放送こっちね! 失礼致しました。お見苦しいところをお見せしたことをお詫びします。神の軍団の総司令部の解析チームから公式発表が出ました。ハートのエースは士気チェックに失敗し継戦能力を喪失、さらに撤退命令を受諾し実行する判断力も失われたそうです。完敗です。ハートのエースを爆破するよう統合参謀本部から総司令部に勧告が出されましたが、総司令部が爆破装置を起動させようとしても反応しないとのことです。爆破装置は敵の男によって解除されたものと思われます。これも失態ですね。判断が遅れました。あの日本人は、我ら神の軍団のデータを入手しました。ハートのエースに関連した情報だけでなく、神の軍団そのものの正体に迫る事実を知りえたことは、今後の懸案になるかもしれません。あの若者が何者なのか、私共はこれから調査していく方針です。ああ、ハートのエースの崩壊が始まりました。我らの勇士の最期です。それでは、ここで放送を終了させていただきます。ご視聴どうもありがとうございました。チャンネル登録よろしくお願いします」

 ハートのエースとかいう黒い想念の塊が埃となって空に散っていく様子を、俺は無言で眺めた。人類を滅ぼうとする恐ろしい相手だが、その心の中に誰からもチョコを貰えず苦悩したまま死んだ男子たちの無念を読み取ってしまった今となっては、憎みきれない。俺の中に秘められていた真の力を覚醒させてくれた強敵(ライバル)よ、せめて、俺が見せてやったバレンタインデーの幻想を抱いて散ってくれ。

 それから俺は看守長の亡骸を見下ろした。俺を男らしく死なせてやろうと看守長が言ってくれなかったら、俺はただの屑として死んでいただろう。せめてもの感謝のしるしとして、あんたの家族に、あんたの認識票を届けるよ。

 俺は看守長の首に掛かったネックレスから認識票を引きちぎった。ハートのエースから得られた情報によると、この国の軍隊も政府も崩壊したようだ。神の軍団は他国にも侵略を開始している。やがて世界は神と人類の戦いで火に包まれるだろう。その戦いの中で、こんな俺に何ができるのか、さっぱりわからない。それでも戦い続けようと思う。ここで死んだ連中の分も戦うつもりだ。ベリチリベコフの分も……いや、あいつの分まで戦わなくていいや。その代わり、あいつの分も踊り続けるさ。

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