01.
カフカの『変身』は、ミステリではない。
でも、文芸かと言われると、そうでもないと杵屋依杏は思っている。
傷痕のような気がしていた。具体的にはハッキリしない。
*
体目的とは、よく言ったもので。
男性は、女性も、記号ではないし、奈良和空羽馬も記号ではない。
肉体がある。生身の人間だ。
実際、汚れないでいられることなど、あるのか。
新聞記事は随分黄ばんでしまった。切り抜き。
古美術建物研究会で紹介した記事を、貼り付けているノート。
特に依杏の気になった記事が、一番黄ばみが激しい。
日当たりの問題か。
依杏の通う入屋学院高等学校には、棟がいくつかある。
体育館へ向かうことの出来る、渡り廊下が貫いているのは二棟。
そのうちの二棟目に、図書館へ続く階段がある。
だが、今は図書館が問題なのではなくて、図書館へ続く階段下のトイレ脇、その十五畳ほどのスペース。それが依杏の脚の向く場所である。
各部活が適当に押し込められているような、『部活専用スペース』と称される場所。
いくつかある部活のうち、『古美術建物研究会』は、ボードと本棚に仕切られ、窓際に陣取っている。
日当たりはとても良い。夏はカンカン、冬はまあ、それなりに。
窓から見える景色も楽しい。
その分、保管している本棚の本は、傷むのが早い。
中高一貫の入屋では、生徒内序列というのは派手か地味かの二極化状態だ。
校則があっても守らない生徒は『派手』の部類。だが大抵は『派手』でも、校則の範囲内で馴らしている場合が多い。
校則をはみ出る『派手』はごく一部。
しかし彼氏の存在というのは、序列の有無を関係なくしてしまう、いわばステータスだった。
校則をはみ出る『派手』かつ、何故か恋愛経験に長ける杝寧唯。
空羽馬と別れた依杏は、何か物足りない上に、どちらかというと地味。
黄ばんだ新聞記事の写真。
荒野に佇むビル。まさに古美術建物研究会にはうってつけの写真と言える。
遺跡や歴史ある建物マニア向けに、いろんな風変りな品物を取り揃えている雑貨店では、所謂『遺跡や歴史ある建物本』、世界各地の写真を収めた写真集なんかが売っているので、それに魅せられる女子たちが集まるのが、古美術建物研究会入部動機のテンプレだ。
依杏は、テンプレではなく『なんとなく』で入部した。
荒野と言っても実際には荒野ではない。
開発途中か、あるいは放棄されて剥き出しになった赤土が延々続く土地。
美野川という金持ちが所有する土地らしい。
写真のビルは大きく撓み、鉄骨が剥き出しになっている。
中央から折れ曲がったビルが、もう一つのビルへ寄りかかるようになっている。災害後のような。そのもう一つのビルの屋上に、二人の人影。
人影は、依杏たちの間で話題になっていた。
崩壊寸前のビルの屋上。彼らはどうなったのだろう?
ということで研究会は、野次馬会になった。
入屋では何かの鬱屈とした感情、思春期ゆえのフラストレーションか、それを『死』に繋げてみて面白がるのが横行していた。
依杏自身はそこまででもないが、影響を受けてしまうことにはなるのだろう。
寧唯は「死んだんじゃない?」と言った。他の部員も同調する。
ビルと言えば爆破。
ハリウッド映画の見過ぎか、屋上の二人はビルを爆破するために送り込まれた突破要員だ! なんていう部員もいた。
言い方は悪いけれど、特攻隊だ、という意見も。
いずれにしてもこのビル、二つのビルは今、もうない。
依杏が思ったのは、「写真を撮る前に誰か、なんとか、二人に手を貸せなかったのか」ということ。
屋上から降りる。それが第一。
寧唯は古美術建物研究会ではないが、依杏が部員だからか、彼女も部員のように部室に入り浸っている。
中学三年生の時は黒髪だったが、高校生になった途端、髪にものすごく拘り始めた。
カラーリングも髪型もころころ変わる。バイトもしている。
新聞記事の写真の二人を巡って議論が展開した時は、内側の髪の毛が緑色の『インナーカラー』だった。
依杏は髪を染めていない。
染めなくても別に困らない。ただ、外側が黒で内側が緑という寧唯の髪の毛を見ると、「かっこいいな」なんて思うのだった。
*
そんな寧唯のインナーカラーが、退色して外側が黒、内側がグレーになった頃。昨年十一月。
古美術建物研究会が野次馬会に変貌したきっかけの新聞記事が出て、少し経った、あたり。と、依杏は記憶している。
スマホ片手にバタバタと寧唯は依杏の席へやって来て、画面を依杏の顔へ押し付けた。
「ちょ、ちょっとなに……!?」
「まただって。#慈満寺__じみつじ__#。人が、人がね!」
怯えるような、それでいて好奇心に満ち溢れているような、光を取り入れて茶色く色づいた瞳を依杏に向ける寧唯。
まただ。そう、死にネタ。
入屋に巣食った何か。
寧唯はもちろん、それに侵されているわけではないだろう。
ただ、慈満寺とやらに興味があるのは間違いなかったし、人が死んでしまったことへの興味という、悪意のない興味を持っているのも間違いはなかった。