表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

i・e・ru

作者: 暉香


 ターラ・ララ、ララララ、ターラ・ララー…。

ペールギュントの「朝」が、執務室のスピーカーから流れ出した。眠たい頭にすうっと染みてくる。朝が来たぞと思える調べだ。やがて、「朝」は遠慮がちにフェイドアウトしていく。始業の合図なのだから、長々とかけられないのは仕方がない。


 「おはようございます。愛原市広報広聴課でございます」

ペールギュントが消えると同時に、電話が鳴った。朝一番の電話に出るのは、職場で一番若い日野竜也の役目だ。

 「また、例の子かしら。よく飽きもせずに…」

 半ば呆れ顔で、中堅どころの高島豊美が呟いた。いや、呟いたというには声が大き過ぎる。電話応対している日野に、あるいは、受話器の向こうの「例の子」に聞こえてもいいというつもりで発している感じだ。口元の受話器をこんもり手のひらで覆いながら、日野は少ない相づちで電話の声に集中していた。

 

 広報広聴課は、名称は多少違えど市役所ならどの自治体にもある部署で、広報誌・ホームページ等による市政情報の発信や、市民からの質問・意見の受付などを担当している。日野がいるのは広聴係だから、後者の仕事だ。


 電話に出てから3分と経たないうちに、日野は受話器を置いた。いつものパターンである。

「高島さん、声が大きいです。相手に聞こえますよ。ご推察のとおり、湖都さんでしたけど…」日野は苦笑した。

 何度目かの電話で、彼女は自分のことを「湖都」と名乗った。それが本名かどうかは分からないし、それを突き止める必要もない。市政に関する問合せや意見なら、場合によっては後で回答する必要があるから、名前と住所、電話番号を確認するルールになっている。だが、湖都は市政に関することで電話をかけてこない。


 いつものパターン。そう、彼女からの電話は、パターンが決まっている。ルーティンと言ってもいい。

 まず、必ず木曜にかかってくる。なぜ木曜なのか。毎回応対する日野にも、その理由は分からない。

木曜は、広聴係にとって一番電話の少ない曜日だ。統計的に一番多いのは月曜である。本来、市政に関する問合せや意見を受け付けるのが広聴係の仕事だが、月曜は特に、個人的な悩みや愚痴に近い電話も多い。

 勤め人や学生にとっては、週明けがつらいのだろう。日曜夜に「サザエさん」が始まると憂鬱が襲ってくるというのは、もはや言い古された伝説である。命を絶つ人が多いのも週の始まりだという。湖都が選ぶ木曜に、何か意味があるのだろうか。

 また、彼女の電話は朝一番と決まっている。市役所の始業時刻は8時30分。声色からして、十代半ばであることに間違いはないと日野は悟っている。ならば、中学生か高校生のはず。8時30分は、学校の授業が始まる時刻でもある。恐らく家からかけているのだろう。彼女が登校できていない状況にあることは窺えた。

 もうひとつの特徴は、電話が毎回3分以内で終わること。

 「ウルトラマンじゃあるまいし。胸のタイマーがピコピコ光るのかねぇ」

幼少の頃、リアルタイムで特撮ドラマに熱中していた係長がほくそ笑むが、平成生まれの日野に、その喩えはピンとこない。

 ただ、地球で戦えるリミットが3分間というウルトラマンの設定は、確かに湖都の様子にも似ている。開口一番の「おはようございます」ははっきり聞こえるが、1分、2分と時間が経つにつれて、彼女の声は、はぁ、はぁという荒い息遣いに代わり、やがてペールギュントのように、フェイドアウトしていくのだ。


 締めくくりの言葉もないまま、ツーツー音が電話の終わったことを告げる。日野が受ける湖都からの電話は、毎回その繰り返しなのである。

 

 すぅ~、すぅ~。

 湖都はスマホを食卓に置き、意識的にゆっくり鼻呼吸をした。袋で口を覆い、血中のガスバランスを中和する方法がよく知られているが、かえってパニック症状を招くこともあるから、今は推奨されていない。“ゆっくり呼吸”を5分ほど続ければ息苦しさから解放されることを、彼女はもう会得していた。


 -また、電話しちゃった。-

 やがて落ち着いた湖都は、カーテンを開けた。東の出窓から、猫よけ用に置いたペットボトルに反射した光線が差し込んできた。何となくつけたテレビは、政治家のスキャンダルを好き放題に論評する情報番組しかやっていない。すぐに消した。


 -どうして、かけちゃうんだろ…。-

 湖都は、これまで5回は数える市役所への、いや、日野への電話を振り返った。最初にかけたのは、今年の春だ。木々がすっかり葉桜になっていたから、4月末だったと思う。


 湖都は、祖母と同居していた。言葉を覚えたての頃から、「ばあば」と呼んでまとわりついていた。居酒屋を営み、夜中まで帰ってこない両親を持つ彼女にとって、ばあばは育ての親に近い存在だった。小学校の参観日も運動会も、中学校の保護者面談も、すべてばあばが来てくれた。弁当は、湖都が起床する前に作っておいてくれた。

 

 4月16日(木)午前7時。

 いつもの朝なら、食卓に弁当が置かれているはずだった。湖都が寝室を出て階段を降りかけると、決まって炊きたてのご飯と味噌汁の香りが漂ってくる。

 なのに今朝は、ご飯の香りも味噌汁の香りも、食卓の弁当も、ない。

 いつもの朝なら、湖都がダイニングルームに姿を見せるや否や、ばあばが「おはようさん」と迎えてくれた。

 -おはようさん-

 “よう”にアクセントがあるその言い方は、京都に程近い地方都市出身のばあばの体に染みついていて、そんな風に言われると、柔らかい気持ちになった。

 その「おはようさん」も今朝は、ない。しんという音さえ聞こえてきそうなダイニングルームの静寂が、湖都を迎えた。


 何だか胸騒ぎがする。ダイニングルームの奥にある、ばあばの部屋。襖の隙間から、ひと筋の灯りが漏れている。

 小さく息を吐きながら、湖都は襖に手をかけた。LEDの常夜灯が、すうっとダイニングルームに広がった。

 「ばあば!」

 掛け布団をむしるように右手で握りしめたばあばが、海老のような姿勢で横たわっていた。

 湖都は彼女に駆け寄り、玉の汗に濡れた頬に触れた。生温かい感じがした。

 「ばあば!ばあば!どうしたの?」

 湖都は、彼女の体を激しく揺さぶった。「うー」と呻くような声が、喉の奥からかすかに漏れた。

 -生きてる。-

 湖都が頼りない安堵を抱いた時、父と母が2階から駆け下りてきた。深夜床に就いたが、ただならぬ娘の叫び声に飛び起きたのだろう。

 それからのことは、何が何だかよく覚えていない。

 やがて、父が呼んだ救急車が到着し、3人はばあばに寄り添い、病院へと向かった。

 

 市民病院に運ばれたばあばは、意識が戻ることなく、1時間後に息を引き取った。急性心筋梗塞だった。

 湖都は、家族だけが残された病室で、ばあばの頬をもう一度触ってみた。冷やっとする。生のこんにゃくみたいだ。

 -人間って、こんなにもあっけなく死んじゃうの?-

 昨日まで、あんなに元気だったのに。しゃべったり、笑ったり、一緒にテレビを見たり…。晩ご飯のオムライスも、育ち盛りの湖都と同じサイズのを、ぺろっと平らげた。

 信じられない、なんて言葉が陳腐に思えるくらい、信じられない。涙も出てこない。

 -ばあば、本当に逝っちゃったの?-

 

 通夜と告別式は自宅で、家族と近しい親族だけで営まれた。

 告別式の朝、湖都はばあばの部屋に入り、彼女の横に跪いた。

 「おはよう」

 棺の扉を片方開け、ばあばに声をかけてみる。ドライアイスのせいか、顔が少し汗をかいているように見えた。

 いつもの「おはようさん」が聞きたくて、でも、それが叶わないことが分かるくらいにはもう、湖都は現実に身を置いていた。


 告別式は、葬儀屋の流れるような進行で、何のトラブルもなく終わった。出棺前、ばあばの好きなバームクーヘンを傍らに入れてあげた。

 火葬場で最後のお別れをして1時間半後、ばあばは、熱風を残した闇から、小さな骨の欠片たちになって戻ってきた。湖都は、両親と一緒に長い箸を使い、お骨を骨壺に納めていった。箸で持ち上げるたびに、カサッ、カサッと乾いた音がした。

 

 葬儀は週末に終えたので、湖都は月曜から学校に行けるはずだった。でも、体がベッドの底に沈みそうで、起き上がることができない。月曜も、火曜も、水曜も…。父と母は娘の様子が心配だったが、居酒屋を長く閉めておくわけにはいかない。水曜から営業を再開した。


 4月23日(木)午前7時。

 ばあばが逝ってから、1週間が経った。昨夜から働き出した両親は、疲れ切ってまだ寝息を立てている。

 湖都は、徐にカーテンを開けた。久しぶりに見る朝日だ。ハンガーに掛けられた制服を見遣り、枕元のスウェットスーツに着替えた。立ち上がると、頭からつま先へ一気に血が流れていく感じがして、少しふらつきながら階段を降りていった。

 食卓には、メロンパン1個とバナナが1本、置かれている。母が買っておいてくれたのだろう。

奥の襖を開けると、線香の匂いが鼻の粘膜を刺激する。灯りをつけぬまま、湖都は、骨壺の横で微笑む遺影のばあばを見つめた。

 「おはよう、ばあば…」

 声に出そうとしたが、とっさに喉元で飲み込んだ。

 恐らく、数年前に行った家族旅行の写真だ。サーモンピンクのスカーフをした、少し若くてよそゆきのばあばだった。


 湖都は、冷蔵庫から牛乳を出して食卓に着いた。ばあばと二人で食べる朝食も、別に会話が弾むわけではなかったが、かじったメロンパンが唾液を持って行きながら食道へ落ちていく音がして、泪が滲んだ。


 学校の始業時間が近づいてくる。やっぱり今日も、行けそうにない。

 湖都は、食卓に置かれた市役所の広報誌を手に取り、パラパラとページをめくってみた。大型ゴミの回収日や生涯学習講座のお知らせ…お世辞にも、10代女子の興味を惹くような内容ではない。

 閉じようとした瞬間、湖都は最後のページに目を留めた。

 

 ~市長への手紙、募集中!市政に関するご意見を受け付けています。お電話でも結構です。あなたの声を聴かせてください。~

 若さを売りにして最近当選した市長にそっくりのイラストが、右手を上げて微笑んでいる。イラストの横には「担当:広報広聴課」とあり、市役所専用郵便番号のほか、直通電話と受付時間(8:30~17:15)が添えられていた。


 湖都は、キラキラにデコレートしたスマホのディスプレイに指を滑らせた。その瞬間、表示が8:29から8:30に切り替わった。導かれるように、ダイヤルキーをタップした。


 「おはようございます。愛原市広報広聴課でございます」

 「・・・・・・」

 「もしもし。もしもし」

 「お…おはようございます…」

 「おはようございます。広報広聴課 日野でございます」

 -日野さんっていうんだ。優しい声…。-

 平凡な感想を抱いた後、湖都は訳もなく電話をかけてしまったことにはたと気づき、言葉を探した。

 「あの…。えっと…」

 「お問合せでございますか?私が承ります」

 「いえ、あの。お…はよう…ございます」

 「あ、はい。おはようございます…。何かお困りごとでしょうか。具体的にお話しいただければ、担当の部署にお回ししますので。あのぅ…」

 「ハァ、ハァ…フゥ…」

 「もしもし、大丈夫ですか?もしもし?」


 “ツー、ツー、ツー。”

 日野の耳元で、無機質な音が残った。広聴係の日々で、訳の分からない電話は珍しいことではないが、電話の向こうで過呼吸を起こしたらしいことは、あまりない現象だった。

 「どうしたの?いたずら電話?」

 日野の斜め前に座る高島豊美が、尋ねてきた。

 「いや、そうじゃなさそうなんですけど…。中学生かなあ。女の子で、苦しい息づかいになって切れちゃいました。大丈夫かなあ」

 「いじめとかじゃないといいのにねぇ。さあ、木曜は電話も少なそうだし、市民アンケートの集計、やりかけてくれる?」

 「あ、はい。もうすぐ入力様式、完成します」

 日野は、パソコンに向かった。テンキーを接続しながら、さっきの女の子の電話に気持ちの一片を寄せた。


 その日以降、木曜が来るたびに、女の子は電話をかけてくるようになった。やがて、日野に名前を打ち明け、「日野さん」「湖都さん」と呼び合い、少しは会話ができるようになったが、「おはようございます」の掛け合いがメインの、短い電話がしばらく続いた。

 

 6月19日(金)。

 冷房がまだ入らない時期の朝一番の執務室は、もやっと蒸した空気が漂っている。今日は梅雨の晴れ間になりそうだ。日野は窓を全開し、慰め程度の風を頬に当てた。

 -最近、電話してこないな。-

 湖都からの電話が、ここ何週間か途絶えている。相変わらず奇妙な電話だったが、半ば木曜朝のルーティンになっていたものが突然なくなると、不安になってしまう。もしや、体調が悪化したのだろうか。あるいは、不登校の末に自ら命を…。日野は、電話越しに得てきた数少ない彼女の情報から、勝手な想像を膨らませた。

 -どうか、生きててほしい。生きてはいてほしい。-

 時計が、8時25分を指した。

 日野は、窓とともにさっきの気持ちを閉じて、執務机に向かった。

 

 5月23日(土)。

 -授業、どれぐらい進んだかな。-

 湖都が学校を休み出してから、1ヶ月が経った。高校受験のことを考えると、少し焦ってくる。行かなくちゃという気持ちはあるのに、なぜ行けないのだろう。ばあばの死がきっかけになったことは分かっている。でも、自分の中ではもう、彼女の死を受け入れていた。ばあばは戻ってこない。分かっている。

 父も母も、不登校については触れてこない。問いただしたり、無理やり学校に連れて行ったりしないことが、親なりの娘への気遣いなのだろうと、湖都は慮った。それが、余計につらかった。


 昼から雨が降ったり止んだりで、まだ5時にもならないのに辺りは暗い。湖都が一日中過ごしているダイニングルームは、じめっとした空気に包まれていた。


 -ピンポーン。-

 インターホンが鳴った。

 モニターを覗くと、グレイヘアの見知らぬ女性が立っている。父と母は、既に店の仕込みに出かけてしまった。自分が出るしかない。

 「はい。どちら様でしょうか」

 「恐れ入ります。私、NPO法人ハーティ・ウィルの守山と申します」

 「はあ。えっと…。今、誰もいなくて、よく分からないんですけど…」

 「湖都さんで、いらっしゃいますか?」

 「えっ?あ、はい。えっと…」

 「おばあさまの…浜江さんのご用で参りました。お渡ししたいものがございます」

 久しぶりに聞いたばあばの名前と、見知らぬ女性。そして、なぜかこの守山という人は、私の名前も知っている。不安の入り交じった好奇心のままに、湖都は玄関の鍵を開けた。

 

 女性は玄関口に傘を立てかけ、団体の規則だからと家には上がらず、玄関の上がり框に腰をかけて、話し始めた。

 「私どもハーティ・ウィルは、自分が死んだ後に家族や親しい友人に伝えたいメッセージをお預かりして、お亡くなりになってからお届けするサービスを行っている団体なんです。浜江さんは生前、私どもの事務所へお越しになり、あなたへの手紙を預けていらっしゃいました」

 「祖母が私に手紙を?あの、それで守山さんは、なぜ、祖母が亡くなったことをご存じなんですか?」

 「その辺は、この道のプロですから。地方紙のおくやみ欄とか、いろいろと調べる方法はあるので…」

 ばあばは、そんなNPOのことを一度も湖都に話したことがなかった。そして、毎日家の用事に明け暮れていたばあばが、ハーティ・ウィルなどという、横文字の聞き慣れない団体の活動を知り、利用しようと思い、行動を起こしていたことが、とても意外だった。

 「湖都さん。おばあさまは、自分が亡くなって1ヶ月ほどしたら、手紙を孫に届けてほしいとおっしゃって。本日は、そのお手紙を持って参りました」

 女性は、キルティングのかばんから白い封筒を取り出し、湖都に手渡した。封筒の表には「湖都ちゃんへ」とあって、ひと目でばあばの字だと分かった。

 湖都が開封しようか迷っているうちに、女性はまたもや団体の規則なのでと告げ、受領確認書へのサインを求めた。

 湖都が筆圧の弱いサインを走らせると、女性は書類をかばんに仕舞い、それ以上何も語らず、黙礼して出ていった。

 

 湖都ちゃんへ

 この手紙があなたに届いたということは、私はもう、この世にいないのですね。死んだばあばから手紙が届いて、さぞかし驚いたことでしょう。

 先日、ハーティ・ウィルという団体のチラシをもらい、活動の説明を受けました。遺言書という堅苦しいものではないけれど、大切な人にメッセージを贈れると知り、このサービスを利用することにしたんです。

 実は、中学生のあなたにこそ、この手紙を読んでもらいたくて、NPOに託しました。だから、あなたが高校生になってもまだ私が生きていたら、この手紙は私に返してもらうという条件でお願いしました。これを書いている今、湖都ちゃんは中学1年生。もし、あなたに手紙が届いたのなら、私は人並みほど長生きできなかったということですね。それも寿命。仕方がありません。

 私が旅立って、1ヶ月くらい経ったのでしょうか。今のところ、特に悪いところはないから、あまり長患いせずに逝ったのだと思います。

 湖都ちゃんは、小さい頃からおばあちゃんっ子でしたね。お父さんもお母さんも、家を空けがちで不憫だったから、ばあばも、あなたを甘やかし過ぎたのかもしれない。ちょっと反省しています。

 小さい頃から、あまりお友達を連れてくることもなくて、ばあばと二人で家にいることが多かったね。それから、大切にしていたインコが逃げていなくなってから、ペットを飼うことには賛成しなくなったよね。

 気持ちが優しくて、ばあばには特に優しくて、淋しがり屋のあなた。私が死んだら、どうなってしまうのだろうと、今から心配しています。

 あなたが生まれる前にじいじは他界したから、今回、家族を失うのは初めてだったよね。どんな気持ちになりましたか?きっと、ショックを受けたことでしょう。

 でもね、湖都ちゃん。人は必ず、命を終えます。時には順番が違うこともあるけど、普通は私のような年寄りから死んでいきます。あなたは今回、人が死んで、お別れの儀式をして、小さな骨になってしまうことを、目の当たりにしたと思います。湖都ちゃん、あなたは大人になる前に、とても大事な経験をしたんだよ。

 私を失って、しばらくは悲しんでくれていい。それは嬉しい。でも、ひとしきり泣いたら、涙を拭きなさい。そして、前を向いて歩きなさい。

 ばあばに毎日、「おはよう」って明るく言ってくれたように、お友達にも先生にも、それから、高校生になって新しく知り合った人たちにも、自分から声をかけてほしい。

 この手紙が、ばあばを失った悲しみに区切りをつけるきっかけになれば嬉しいです。ばあばは、それを望んでいます。

 あなたのこれから歩く道が、あなたを成長させるくらいに適度な坂道であることを願っています。

頑張れ!湖都。

 

 上がり框に体育座りした湖都は、手紙を丁寧に折りたたみ、封筒に仕舞った。宛名の文字が、濡れた指で少し滲んだ。手紙の途中から涙が溢れ、止まらなくなっていた。ばあばは「涙を拭きなさい」と書いてくれたけど、考えてみたら、彼女の死以来、思いきり泣くことを忘れていた。

 こんなに涙が出たら、体中の水分がなくなってしまうのではないかと思うぐらい、声を上げて泣いた。

 -ばあば、ありがとね。-

 湖都はすくっと立ち上がり、ダイニングルームに戻って食卓に手紙を置いた。そして、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、一気に飲み干した。

 

 6月22日(月)。

 週明けの一日は、いやに長い。市役所の広報広聴課では、夕方になっても、問合せや苦情電話に、係員3名がフル稼働で対応していた。


 ターン・ララーン。ラ・ラ・ラー…。

 壁時計が17時15分を指すと、スピーカーから、終業を知らせるメロディが流れてきた。ドヴォルザークの「家路」である。日本では、「遠き山に日は落ちて」という歌詞が付けられ、有名だ。

 メロディが終盤にさしかかったとき、一本の電話が鳴った。

 「あ、もうチャイムが鳴ったから、出なくていいよ。今日は終了~」

 高島が浮腫んだ足をさすりながら、日野に言った。だが、その言葉を聞き終える前に、日野は受話器を取っていた。

 「はい、愛原市広報広聴課でございます」

 「・・・・・・・・・・」

 「もしもし。広報広聴課ですが…」

 「日野さん…。お久しぶりです」

 それは、湖都の声だった。約1ヶ月ぶりの電話だ。そして、木曜でもなく、朝でもない、月曜夕方の電話だった。

 たどたどしい口調ではあったが、湖都はそれまでのことを一つひとつ、日野に打ち明け始めた。

 ばあばの死、学校に行けなくなったこと、そして、彼女が生前NPOに託していた手紙のこと。

 「そうだったんですか。そうだったんですね…」

 日野は、初めて会話というものを湖都と交わしていた。そこに、息絶え絶えの少女はいなかった。

 「私、日野さんに救われていたと思います。訳もなく市役所に電話して、日野さんが出てくれて、毎回根気よく、“おはようございます”って言ってくれて…。朝の挨拶って、当たり前かもしれないけど、祖母が亡くなってから、朝起きても“おはよう”を言える人がいなくなって…。日野さんの“おはようございます”を聞くと、なぜか心の傷が癒える気がしました。なかなか学校には行けなかったけど、それでも救われました」

 日野は、何だか照れくさかった。そして、とめどなく話してくれるのが、嬉しかった。

 「祖母からの手紙を読んで、気が付きました。生きていたら、大切な人を失うこともある。だけど、また新しい人に出会って、“おはよう”って言える。それって、幸せなことなんだなあって。みんな、そうやって生きていくんだなあって。そう思えたら、次の週から、制服着て、学校へまた行けるようになりました。変ですかねえ、私」

 「そんなことないですよ。すごいです。良かったです!おばあさん、素敵な人だったんですね」

 「はい!とっても。日野さん、今日は午後から、高校のオープンスクールに参加してきたんです。この冬、受験なんですけどね、地元の子があまりトライしない高校に行ってみようかなあと思って…。ちょっと家から遠いんですけど。新しい環境で、新しい仲間を作ってみたいなあって…。あっ、ごめんなさい。もうお仕事、とっくに終わってる時間ですよね」

 その後も、しばらく湖都はこれからのことを話し、最後にもう一度、日野への感謝を述べて、電話を切った。


 時計は既に、17時40分を回っていた。

 日野は、こんな残業なら毎日でもいいと思った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ