聖ロベリアの物語
この話は短編「失恋ループから抜け出したいっ!」の続編になります。
その朝、グランフォード公爵家は喜びに満ち溢れていた。
公爵の跡継ぎであるナサニエル・グランフォード(通称ネイサン)とローズマリー夫妻に、第一子となる女の子が誕生したからだ。
ネイサンの喜びようたるや凄いもので、領地の民全てに記念の菓子を作って配ると言い出す程だった。(この約束は、後ほどしっかりと果たされた)
なぜなら、彼が愛してやまない妻ローズマリーに、この赤子はたいそうよく似ていたから。
「このふわふわの赤毛と言ったら。まるで花冠のようですわ」
「それにこの瞳。若奥様とおんなじ、若草色ですわね」
メイドたちが口々に褒め讃えるのを、ローズマリーは嬉しく誇らしい気持ちで聞いていた。
(もちろん、赤ちゃんというものはすべて尊く美しいわ……。でも、自分の赤ちゃんとなるとこれはもう、別格ね。こんなに素晴らしい子はどこを探してもいないと思えるくらい……!)
ネイサンは、そっと屈み込んでローズマリーの頬にキスをすると、
「無事に産んでくれてありがとう。あまりにも君にそっくりで、僕はもう夢中になっているよ」
ローズマリーは微笑んだ。
「そうね、私によく似ているわね。でも、このスッと通った鼻筋は、パパにそっくりだと思うわ」
すると、ネイサンに小さい頃から仕えてきたメイド長のスーザンが嬉しそうに言った。
「そうでございますよ、坊っちゃま。この鼻の形はまさに坊っちゃまです。お二人のいいところを合わせ持って、きっと素晴らしいお嬢様にお育ちになりますよ」
ネイサンの父グランフォード公爵は髭をたくわえたいかつい顔の持ち主であったが、この時ばかりは目尻も垂れ下がり誰憚ることなく甘い顔を見せていた。
「ネイサンよ、もう名前は決めたのか? ん? 私が名付けてやろうかのう?」
とんでもない事を言い始めた夫を、ビシッと叱り付けたのは公爵夫人だ。
「あなたったら! 何を勝手なこと仰るの。今時は、子供の名前は両親が自ら付けるものなのよ。ネイサン達に任せなさい」
叱られてシュンとなっている公爵を尻目に、
「ねぇ〜ベイビーちゃん。あなたも若いパパとママに名前をつけてもらいたいでちゅよね〜」
とんでもなく甘い猫撫で声で話しかけ始めた。
「父上、母上。今日のところはもうお部屋にお引き取り下さい。大仕事を終えて、ローズマリーも疲れ果てておりますから」
両親の暴走ぶりに恥ずかしくなったネイサンがお開きを宣言し、みな、自室へと戻って行った。
親子三人になった寝室で、赤子はスヤスヤと眠り続けている。
「今のうちに、寝ておいた方がいいんじゃないのかい?」
ネイサンが優しく妻に問いかける。
「ええそうね、その方がいいのはわかっているんだけど。なんだか興奮して寝られそうにないのよ」
聖ロベリア学園在学中に恋を実らせた二人は、十八歳になって初めてのデビュタントにて、正式に婚約を発表した。
そして次の年の春に結婚し、一年後に赤子が誕生したのだ。
弱冠二十歳の若い母親は、出産を終えた後でもまだ体力を残しており、興奮も増すばかりで眠れそうになかった。
「ねぇネイサン、この子もいつかは聖ロベリアに通うのよね。そうして、素敵な相手を見つけるのかしら。あなたのような」
妻の嬉しい言葉に、ネイサンは満ち足りて微笑んだ。
「そうだね。そうなって欲しいね」
「そうだわ。この子にも、聖ロベリアの言い伝えを教えておかなくちゃね。ママは、中庭のロベリア様に恋を叶えてもらったのよって」
ローズマリーは赤子の顔を見ながら話していたので、その時のネイサンの表情は見えなかった。
もし見えていたら、驚いて目を見開いているネイサンを問い詰めたことだろう。なぜそんなにびっくりしているのかと。
(そうだ……! しまった、ローズに本当のロベリア像の話をしていなかった! ロベリア像が叶えたのは、ローズの願いではなく私の願いだったってことも)
ローズマリーは怒るだろうか?
いやしかし、これは我が公爵家に伝わる大事な話だ。既に公爵家の一員たるローズマリーには絶対に話しておかなくてはならない。
ネイサンは覚悟を決めた。そしてローズマリーをベッドに入れて羽根布団でくるんでやり、かたわらの椅子に座って語り始めた。
「眠れないのなら昔話をしてあげよう。これは聖ロベリアの始まりの物語なんだ」
☆☆☆☆☆☆☆☆
昔、世界がまだ混沌としていた頃。
この辺り一帯を支配している国があった。国王は極悪非道で、民は苦しい生活を余儀なくされていた。
その国のとある貧しい村に、美しい娘がいた。名をロベリアという。ロベリアは村の青年と恋仲であった。将来を約束し合った二人だが、ある日村を通りかかった王にロベリアは見染められ、連れ去られてしまう。
それを知った青年は嘆き悲しみ、ロベリアを連れ戻すことを誓う。全財産を売り剣を買い、一人王城へ向かった。
一方ロベリアは王城で王に結婚を迫られていた。しかし青年を愛するロベリアはこれを拒み、怒った王に殺されてしまった。
青年は王城に辿り着き、凄まじい執念で兵士の集団を突破し、王に迫った。
「遅かったな。あの女なら今しがたこの剣で胸を貫いてやったわ」
血に濡れた剣を振り上げてそう言い放つ王に、青年の怒りの刃が血しぶきを上げた。
王を殺した青年はロベリアの元へ向かった。ロベリアはまだ息があった。
「あなた、生まれ変わったら今度こそ一緒に……」
そう言ってこと切れた。青年はロベリアを抱いて嘆き悲しんだ。
王の非道さに嫌気がさしていた兵士達は、王を殺した青年を新たな王に祭り上げた。
青年は民のために立ち、王となって良き政治を行った。だが生涯妻を娶ることはなく、ロベリアの姿をうつした像を作りそれを大事にした。
青年の死後、弟が国を継ぎ、ロベリア像も受け継いで守っていった。いつしかロベリア像は恋人の想いを叶える像として崇められ、その奇跡が語られていった。
時は流れ、その国も今は無い。
現在、青年の血筋を汲むグランフォード公爵家はこの像を家宝とし、ロベリアと青年が住んでいた村と思われる場所に聖ロベリア学園を建てた。そしてここの温室にロベリア像を祀り、いつも花を欠かさないようにしている。
聖ロベリア像の力は本物であり、今まで数々の恋愛の奇跡を起こしてきたとグランフォード家の書物には書かれている。
これからも、グランフォード家はこの像を大切に守っていくことだろう。
☆☆☆☆☆☆☆
「ーーと、いうわけなんだ」
ローズマリーは感心して聞いていた。
「そんな悲しい話があったのね。恋が叶わなかったロベリア様が、今こうして私達の恋を叶えて下さる……素敵だわ。私も、お願いして良かった」
「でね、ローズ。君がお願いしていた中庭の像なんだけど。あれはレプリカで、本物じゃないんだ」
「えっ! そうなの? 本物はどこにいらっしゃるの?」
「僕達がお茶を飲んでいたあの温室さ。あそこは、僕しか入れないようになっていただろう? そこに大事に祀ってあるんだ」
「あら? じゃあ、私の願いは叶ってないってこと? それなのに時間をループしたのは何故なのかしら?」
「それはね、僕が本物に願ったからなんだ。君の願いが叶いますようにって」
「そうだったの……」
ローズマリーはしみじみと言った。
「私、自分の願いが叶ったと思ってたから、みんなに宣伝しちゃった。でも、お願いしても恋が叶わなかったって言ってる人もいたわ、確かに」
そう言ってペロリと舌を出した。
「本物の存在が知られたら、みんなが殺到してしまうからね。下手したら盗まれてしまうかもしれない。だからこれは、我がグランフォードだけの秘密なんだ」
「そうね。この子にもいつか、この秘密を教えてあげましょう。叶えたい恋が生まれた時に」
二人はよく眠っている我が子を見つめて微笑み合った。