第九話 信長の野望
「――で、あるか。……徳は息災でやっているようだな」
「然様かと。徳様の仕留めた熊の毛皮も右衛門殿の下に送られるかと。大殿の討伐軍の本陣に送り付けるよう、お伝えしておきますね」
気の利いたことを言うお乱。
あの身なりばかり偉くなった猿に乗せられて、遠征軍を出すと約定したが故に今更面倒などとは言えまいが、風前の灯火である毛利めが我等に臣従するのも最早時間の問題。
正直儂の出る幕もないと気乗りはせぬものではあったが、徳のおかげで楽しみ事が1つ増えた。あの雪斎の妖狐めも粋なことをするものよ。
「しかし、徳が火縄の名手になるとは思わなんだ。
流石儂の子よ」
「大殿は尾張にて誰よりも早く鉄砲の有効性に気が付いた先見の明がございます故、当然かと」
その当時は生まれても居なかったお乱が調子の良いことを言う。
さりとて、尾張にて鉄砲を誰よりも早く取り寄せた訳でもないだろう。儂自身が鉄砲の所在を知った折は法華の僧からであるし、そも砲術すら尾張の中島に住む橋本伊賀守一巴より学んだ。
だが、それを今更取り立てて指摘するのも野暮であろう。お乱も半分冗句で言っておるだけであろうしな。
「然れど、徳の話を聞き及んだ今、儂も久方ぶりに火縄を使いたく思う。
どれ、お乱。用意できぬか?」
「……最早、大殿が直々に扱うことは難しいかと。お立場もあります故」
儂も無理を申し付けていることは分かっているが、何分、際ばかりが極まるばかりで心中としてはむしろ安からぬことばかり増えてきておる。
火縄一つ満足に撃てぬ身になるとは。所領が増えれば増える程に、我が手中に収まることは減る一方。
「お乱よ。儂は別に火縄で戦働きをしたいと言っておるわけではない。
何か、手立てが無いのか聞いておる」
「……一つ妙案が。
近日中に行う予定であった近衛様との茶会を野点にでもして、その余興に鉄砲の試し撃ちを致しますか」
「……少々苦しいが、近衛殿なら意図を汲み取ってくれるやもしれぬな。
よし、差配いたせ」
「はっ。近衛様にはお伝えいたしますが鉄砲の件、曲者などに漏れぬよう秘中としてすすめさせていただきます」
で、あるか。
しかし、曲者か。この畿内なぞ我が織田の勢力圏だ。最早鼠一匹敵が入り込む余地など無いわ。松永・荒木・別所なぞの梟雄は最早この畿内に居らぬ。
それに今更儂のことなど討ったところで、実権は既に城介――織田岐阜中将信忠――に移っておる。最早、儂亡くともこの織田は揺るがん。
だが、万が一。稀有にも桶狭間のごとき天命が我が敵に舞い降りたとしたら。
……くくくっ。面白い。
その折には、徳の子女らが我らの血脈を遺すであろうよ。
思へばこの世は常の住み家にあらず。
晋の石崇、庾亮としてさにあらず。
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
――果たして、妖狐と比ぶれば……?