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第五話 築山殿の信康

 ……さて。一応私の身の安全は保障された。


 とりあえず咄嗟に出てきた北条美濃守氏規の名で、何とか場を切り抜けることができたのは思いがけない幸運である。

 亀については、史実の家康の対応を踏襲しているはずなので、拒絶される可能性は低いと思っていた。だが、問題は松平岡崎三郎信康。いや現時点では徳川姓ではあるか。


 名実ともに私の子である。今川御由緒衆である関口の姫である私の。

 そして三河国人衆の中には、今川の影響力を嫌う者も多いのは知っている。上級家臣レベルまで行けば、それが少数派であるのは理解しているが、戦場では足軽大将として戦働きをする層からの突き上げは私も制御できかねた。


 個々人としては優秀なのだ、彼らも。ただ、歴史に名を残す程でもなければ、抜擢されて取り立てられるわけでもない、本当に唯の一般人として生きていく上でエリートとされる層。

 武将であれば、徳川家としての利と周辺諸国の情勢を説くことで私に理解を示してくれる。だが、彼らは良くも悪くも近視眼的で欲望に率直だ。


 であるからこそ、おらが国の三河の血の流れる姫から生まれた子を無条件に後継ぎに望むのである。そこに私や信康に対して、どう対応すべきかという確固たる意見はない。


 そんな連中無視すればいいと言えば簡単なのだが、戦にて存外戦局を決めかねないのは彼ら足軽大将なのだ。いくら武将が有能であれど、その命を愚直に聞き兵達と寄り添い実行してきた彼らを失うと、武将の命令が届く範囲は驚くほど狭まるだろう。


 ――何より。徳川という家そのものが。

 そうした彼ら『三河衆』の献身によって、精強な兵と評されるまでの地位を獲得したのだから。ここに徳川家康の苦悩と忍従が垣間見えるのである。



 松平信康自刃事件への謎は多い。

 最終的には、織田信長の命によるものかもしれない。けれども、今現地に流れる声は、そのような織田家と徳川家の関係だけに留まらないものを示唆している気がしてならない。


 ……それでも、彼は、信康は私の息子であるからね。

 自らが歴史の運命という枷から外れようとする中で、息子を見捨て自分だけ生き長らえるのは早計だ。


 それに一筋の光が、実はある。

 私や信康が武田と内通しているとして、酒井左衛門尉忠次が安土へ召喚されているのは史実通りではあるが、一方で信康は今も岡崎で政務を行っている。


 ……確か、史実では既に信康は蟄居処分となっており、この時期――八月二十九日時点なら遠江堀江城へ軟禁されていたはず。

 そして九月に入れば二俣城――信康が切腹を命ぜられる城へと移される流れだったはずだが、既にそこが史実と乖離している、というわけだ。


 つまりこれは、家康の信康に対する切迫度合いが史実ほど高まってはいないという証左となる。



「儂自身は、岡崎三郎に含む物など無いのだが……。

 ただ国人らからの突き上げが酷くてな。……何ぞ妙案は無いか瀬名殿」


 ここで私に振るか、狸め。


「……要は信康が徳川の家督を継がないことを内外に示し、長松様が後継者であると周知させればいいのよね。

 簡単じゃない。私とともに北条へ連れてくれば解決よ」


 体裁さえうまく整えてしまえば、徳川・北条同盟の誼を強めるために人質として派遣し北条に恩を売ったと外政的なメリットがあり、そして家中の不和の種を摘み取ることのできる一石二鳥の策である。


 しかし、これには本多弥八郎正信が異を唱えた。


「然れども、それは棚上げにしか過ぎませぬな。そも、長松様と岡崎三郎様は御歳が離れすぎております故、長松様の家督相続まで待てぬ輩は出ることでしょう。


 ……誅してしまった方が、後腐れないのでは?」


 直後、家康が怒気を込めた声で本多弥八郎正信を叱る。そして即座に「はっ。差し出がましい真似を平らにご容赦を」と謝罪の言葉を口にする。

 こういう汚れ役を担うところが、正信が徳川家中で嫌われる由縁なのだろうな、と思い至る。だが、おそらく家康が立場上口にできない言葉を汲み取り口に出したということなんだろうね。


 これを情ではなく徳川家の損得で翻さねばならない訳か。


「殺すのは悪手ですよ、弥八郎殿。

 すぐお隣に、子殺しをした結果その負の遺産を別の子が払っている国があるじゃないですか」


「――武田か」


 そう。本来武田家の家督を継ぐのは諏訪四郎勝頼ではなく、その兄の武田太郎義信だったはずであった。ご丁寧にこの殺された義信は『親今川』であり、今川家の弱体化に伴い、対今川の外交方針を親善から敵対に切り替えた父の徳栄軒信玄によって切腹を命ぜられたのだ。


 その後の武田の躍進は知っての通りであるが、だが信玄亡き後の武田家が相応に苦労しているのは端からも明らかで。

 今まさに駿河奪還を掲げ兵を挙げ武田家に攻め入っている徳川家にはこの名分は利くであろう。


 その私の反論に一度黙するが、榊原小平太康政が言葉を紡ぐ。


「だが、織田の右府様は実弟を斬って家中の不和を鎮めたではないか。我らもそれに倣うべきでは」


「まあ、それには異論は無いですが、織田勘十郎信勝は右府様に対して挙兵していたじゃないですか。そりゃあ、そこまで行ったら斬るしかないですって。

 未然に不和を防ぐために斬るとおっしゃるだけなら結構ですが、そうすると徳川家が子殺しの悪名を被ることはお忘れなく」



 まあ実力行使されると一番困るのは私なので、実際にはほぼ言葉だけの虚勢ではある。



 私と家臣の意見双方を黙って聞き、長考していたがその伏していた目を開け、重々しく呟く。


「双方の意見、あい分かった。

 儂とて、好き好んで岡崎三郎のことを殺したいわけではない。だが、北条へ連れて行くのみでは少々弱いな。

 もっと国人共に明確に家督を継がせないことを示せれば良いのだが」



 その言葉を聞き、一案が浮かんだ。


「……であれば、右府様の先例を真似いたしますか」


「聞こう」


「先の勘十郎信勝の子の七兵衛信澄殿のことですよ。

 謀反を起こした者の子を津田姓を与えて許したように、岡崎三郎にも、というか何なら於義伊殿にも徳川ではなく別家を与えればいいのでは?」


「ほう、だが松平に復するのでは意味は無いぞ。かといって、あまりに不相応な家名を与える訳にもいかぬ」



「いやあ、丁度良いところに都合の良い没落した名家の家名が転がっているものですね。

 徳川でも松平でもなく、確実に徳川家を相続出来ぬ家名ながら、刑部大輔に補され今では形骸化した室町幕府御家人の地位を有していたにも関わらず、今では碌に所領もなく、親族もろとも没落している……何より信康の血縁で相続可能な家があるのですよ。


 ……そう。我が生家――関口家の当主の座。

 北条家への質として、関口信康。お誂え向きではなくて?」


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