第三話 築山殿の家臣
「……遅いですね」
評定が終わり、侍女によって別室へ通された私。一応、この場では護衛の臣とともに待機して構わないとのことだったので、二人だけ呼び出した。
一向に待たせるばかりの家康に堪えかねて声を発したのが若武者の岸孫六茂勝。三河一向一揆の際に西岸寺に逃げ込んだ岸三之丞教明を匿った際に、着いてきた三之丞の子だ。
一向一揆の終息後も、学問所と化した西岸寺に通い詰めていた子供として目をかけていた。その時は確か六歳だったっけ。今では一六歳となり立派な若武者として成長した。
同世代の子供と比較しても落ち着きがあり、何でも吸収するから、とりあえず小姓に抜擢させて色々させてみたら、何と興津水軍に放り込んで水軍修練をさせた際に、水軍船頭としての才覚があると、彼らが水軍衆に取り込もうと欲しがったくらいであった。当然、私の子飼にしたかったので丁重に恫喝したが。
事ここに至り、名のある戦国後期武将である可能性を思い至ったが、岸姓で徳川で活躍した人なんて知らないな、と思い考えても一向に出てこないので、放置していた。
そんな最中何となく彼の人物について推定がついたのは、秀吉の播磨攻め。福島市松正則、加藤虎之助清正らしき人物の初陣が確認でき、脇坂・平野・糟屋といった名前が散見され、挙句加藤権兵衛光泰が出てきたのにも関わらず、同世代のもう一人の加藤である『加藤嘉明』の名が一向に秀吉家臣から出てこない点であった。
……確かに嘉明であれば、水軍においても才覚を発揮するわな。
それに気が付いた私は、折を見て、この若武者に何とか加藤姓を名乗らせようと画策している。そして加藤清正を地味な方の加藤にしてやる。
「……半左衛門。例の女中からの連絡は」
厠に立つという名目で城内に探りを入れていた半左衛門――伊奈半左衛門忠次が戻ってきたので、密命の成否を尋ねる。
彼も、三河一向一揆の際の拾い物だ。そのときは十三歳で今の孫六よりも若かったが、今では二十九歳と立派な壮年の将へと成長した。……まあ腕っぷしでは孫六に頼ることのが多く、やや細身ではあるのだけれども。
「……三河守殿の所在が掴めました。
平岩殿、石川殿、本多殿、榊原殿、井伊殿……まあ早い話が重臣らですな。彼らと御前さまへの対応策を練っている最中ですね」
「本多は何れの本多か」
「弥八郎殿です」
よりによって正信か。だが、集めた面子は何れも榊原康政を除けば私と関わりがあるということは、家康には一応対話の意志があるということだろうか。
……いや、史実の家康は築山殿暗殺に野中三五郎重政を使ったな。彼は元は瀬名家臣であったはずだ。であれば確実に仕留めるために、私と面識のある者で固めてきたとも考えられるか。
「……しかし、浜松に手の者を忍ばせているとは思いませんでした。
一体どういった手を使ったので?」
孫六くんが私にそう問いかけてくる。
「万が三河守殿のお手付きになり、室に上がる際に私の息のかかったものを何名か付けさせていただきました」
万――於万の方は元々は私の女中であったが、あの狸親父が手を出して勝手に孕ませた関係で側室へと上がった女性である。その万が生んだ子が於義伊、後の結城秀康である。
ただ双子腹であったので、家康が於義伊こと結城秀康に会ったのは私の息子の徳川岡崎三郎信康による取り成しがあったからこそで、あの狸め、三歳になるまで認知すらしてなかったとのこと。
「於義伊様は御年五歳……。御前様は五年も昔から、今日のための手を打っていたというわけですか……」
孫六くんが畏怖の目を私に向ける。まあ殺されるルートだと思っていたから浜松の動きを探る手は欲しかったから、万の輿入れを利用しただけなんだけど。
「……ってか、万も普通に浜松で囲っているってことは、お愛の方との真実の愛に目覚めたってやっぱり方便じゃない」
「御前さま。……井伊殿の小姓がやって参りました。
どうやら準備ができたので別室へ通されるとのことです」
「半左衛門、ありがとう。じゃあ、行ってくるわね。後は手筈通りお願いね二人とも」
短い返答を聞くとともに、万千代の小姓について別室とやらに向かう。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか……。