第二十一話 信康の鎮守
――決して、楽な戦ではなかった。
母上である築山殿は、先の戦が日ノ本最後の戦であるとおっしゃった。事実、後にも先にも豊臣家が徳川家に対して、勝機のある戦という意味では、最後の分水嶺であったのだろう。
そして我等はこの戦の勝敗に直接的には何の意味も無い。
ただ、名を挙げるという我欲と、日ノ本最後の戦を見たいという物見遊山の気質、己の享楽に、僅かばかりの腐れ縁が重なった結果だ。おそらくそれは某――関口秋田城介信康以外の将兵共々一致する想いであろう。
誰しもが徳川家の勝利、それも圧倒的な勝利を予期していたからこそ、付き従った者も居たことだろう。
成程、結果だけ見れば徳川家の勝利だ。大坂の城は既に焼け、齢七つの豊臣の血筋を継ぐ息女を除けば、断絶。その息女も征夷大将軍・徳川秀忠の娘である千姫の養女となり豊臣家は滅びた。
だが豊臣勢の一部が、徳川家の三段構えの陣を切り崩し、剰え父上の本陣の目前にまで強襲を仕掛けられるなどという極めて危うい戦であった。
その意味では某自身も、某が率いた軍勢も、もっと言えば母上の勢力そのものが、功を挙げたことで徳川家中で語り継がれる存在になったのは事実であろう。だが、未だ耄碌したとも思えぬ老練な父上が、十五万余の軍勢を率いて尚、ここまで追い詰められるものか。戦は読めぬものだと常々思ってはいたが、よもや此処までとは……。
我等は徳川の臣ではないとは言え戦況に関わる軍功を挙げたということで、通例の論功行賞の場とは別に、特例として褒賞が出されることとなった。だが即座に取り行われる訳もなく、一月ほどは大坂の地で滞留することとなる。
その間に比較的我等の勢力圏に近い、アイヌの民の地から臨時船が出されて、一部の兵は帰ったが、残った者らは束の間の日ノ本見物に勤しむのであった。
「城介様。大御所様と上様がお待ちで御座います」
「あい分かった。すぐに参る」
……さて。表向きは我等への褒賞の事前の交渉、あるいは数十年ぶりに再会した家族水入らずの団欒の場として用意された、父上と異母弟となる征夷大将軍・秀忠殿との面会。
だが実際のところ、今までずっと棚上げにされていた徳川家と我が家中の線の引き直し。此れしかあるまいて。
此度の戦にて、徳川を脅かす可能性のある日ノ本内部の敵は最早居なくなった。侮れぬ外様の大名家はあれど、それらを束ね率いる格を有する家を失ったのだ。
その最中に都合の良いことに、徳川家にとってもう一つの悩みの種である勢力の実務者が来たのだ。まあ、某なのですが。
そのようなことを考えつつ、父上と弟の待つ広間の襖を開ければ、開口一番父上はこう仰せになった。
「――儂はの、この日の本を、武家の世を本気で懸想しておる。この秀忠とであれば、まことの愛を築き上げられると思っておるのよ。
……故に、城介殿。貴殿には申し訳ないとは思っているのだが、この場をもって我が臣下に加わって頂かねばならぬ」
何を仰っているのだろうか、この狸の父上は。
まさか言葉を飾らずとも直截的に嗾けてくるとは、これは想定外だが、この言葉は……
「まさか某が、母上――築山殿の浜松での一件を存じていないとでも?
その御言葉は、まさに母上と離縁するときに放ったものを少々言い替えたものではないですか」
そして、弟・秀忠に向き直り、兄弟初めての会話を交える。
「お初にお目にかかります、徳川大樹様。某は大樹様が生まれてまもなく三河を離れましたので、貴殿が赤子の頃にも会えておりませぬ。初対面で御座いますな」
「誠に。だが秋田城介殿、父上に対してはそのように砕けているのに、某には少々堅いですな。貴方は私の兄なのです。それに、此処には我等親子しか居りませぬ。
弟である私には、もう少々粗雑に接して頂けると助かるのですが」
弟であるとはいえ、初対面。しかも歳は二十は離れており、兄弟というよりむしろ親子と言っても良い程に差はある。とはいえ、弟も既に壮年であるが。
「あい分かった、某の負けよ大樹殿。父上と同じように接するが故、それで堪忍してもらえぬだろうか」
「ええ、それでよろしゅうございます。
……して、城介殿は誠に我等の臣に為らぬと仰せか。それは我等徳川と雌雄を決するということでしょうか」
「いや。某には其処迄の気概が御座らぬよ。
ただ、日々を平穏無事に今までと変わらず過ごすことが我が最上の望み」
そこまで一区切りで紡げば、父上は儘ならぬといった面持ちでこう答える。
「――であれば。親藩の筆頭格を与える。軍役も質も求めぬ。
独自に外つ国との折衷特権も与えよう。何、全てが今まで通りよ。ただ形式的に、我が一藩に収まれば、今までと変わらぬ権限を与えることはこの家康と愚息が保障致そう。
だから、どうか。徳川の親族衆という立場に戻ってくれぬか?」
「――父上も大樹殿も。我等……いえ我が母、築山殿に配慮し、此方の意志を汲んで頂いていることは重々承知しております。
父上の申し出を受けたとして。今は宜しいでしょう。母上も健在だ、此方が舵取りを誤ることはない。父上と大樹殿が目を光らせている内は日ノ本も安泰でしょう。
ですが、その先はどうなるでしょうか。某も大樹殿も死に絶えたとき、果たして我等の領を一藩としていれば必ずやその独占的な権限を削ろうとするものが現れるでしょう。それも徳川家への忠義が故に。
その時、もし日ノ本に有力な水軍が居らず。幕府の舵を担う者が戦力を見誤ったら。我等の末裔は主家を滅ぼし日ノ本に君臨せざるを得ない。それが嫌なのですよ」
感情面を説得材料に用いたが、あまりにも徳川家の幕府が目指す方向性と、我等の家中の進む道は相反する。
基督教への対応もそうだし、日ノ本の民でない様々な部族の者を登用する家風も。国外勢力をも内に取り込み勢力均衡によって治めていくやり方は、藩に落とし込まれたとき、果たして本当に同じようにやっていけるのか、という疑問がある。
「……では、秋田城介殿――兄上の対案をご教示お願い申したい。
貴殿は、この天下と貴殿の所領を如何に治めるか?」
否とばかり唱えていれば、そういう振られ方をするだろう。
だが、某は――否、某に伝言を託した築山殿は――全てはこの質問を見据えていたのである。
そしてそれは伝える某すらも震えながら口に出す。
「――唯一つ。某に『鎮守府将軍』を任じて下され。それで全て、解決致します」
瞬刻とも永劫ともつかぬ長き、短き沈黙が場を支配する。
それを破ったのは、父上であった。
「……っ。信康っ! 貴様、『鎮守府将軍』が何を指し示すのか本当に分かっておるのか!」
「東夷を鎮め治め、夷狄から我が国の平穏を守る、政軍司る役職。
今まさに我等がやっていることでは?」
とはいえ、そのように役職が機能していたのは平安の時代。如何に古には正しく運用されていたとしても、形骸化していることを復するのには変わりない。
そして、この怒り様。父上は気付きましたな。
「そうではない! 違うぞ、信康!
『鎮守府将軍』と『征夷大将軍』。その両職が並立したのは、南北朝の折のみではないか!
貴様――日ノ本を割る算段か」
「ええ、仰る通りで御座います」
「貴様、誠に儂の子か! そのような妄言を放つのであれば、築山殿の戯言に惑わされず貴様諸共、斬っておけば良かったわ! のう、長松。今からでも遅くない。近習を呼び、こ奴を斬るしかなるまいて!」
怒りに血が上り、急に立ち上がったかと思うとよろめく父上。それを寸での所で支え、再び座らせた弟は、父上から話を振られてこう述べる。
「……日ノ本を割るという話は、誠なのでしょうか。返答次第では此処で刀の錆になることも覚悟してもらいたい」
「父上、大樹殿。良く考えて下され。
……我等の治めている領地は、古来より続く日ノ本の領ではないでしょう」
つまり。先例を逆手に取るのだ。
南北朝の頃には国が割れ、『鎮守府将軍』と『征夷大将軍』がそれぞれ北朝と南朝とで別個に任命された。此れの逆。
――『鎮守府将軍』と『征夷大将軍』が並立しているのだから、日ノ本は割れている。
としたときに徳川家と我等双方に与えられる恩恵は、今迄日ノ本の古法を根拠にしても我等の領の線引きが定まっていなかったものを、『日ノ本内部の別政権』と定義付けることが出来る。
そして、これは江戸幕府の役職ではなく朝廷の官職の権限である。幕府に新たな親藩を打ち立て特権を与えるという他藩から反感に遭いかねないやり方ではない。あくまで、朝廷の職の解釈の枠組みの中であり、新たに職を設けることもない。しかも辛うじてではあるが先例もある。
果てには、父上と大樹殿の望みである我等を日ノ本の枠組みに加えること、そして我等の願いである今まで通りに領地を切り盛りする、双方の願いが同時に叶えられている。
「……いや、待って下さい。某の有する『征夷大将軍』は武家の棟梁として源氏、足利と受け継がれた職、『鎮守府将軍』では言い方が宜しくないですが、格が違うのでは?」
「確かに、『鎮守府将軍』では大樹殿言う通りですが。
南北朝の名将・北畠顕家は、公卿の名門として従二位で任官した際に『鎮守府大将軍』を呼称されました。三位以上で任官されれば、この職は名分だけなら征夷大将軍と同格なのですよ」
「……儂の将軍宣下の際に、城介の位階を従三位に上げておったな。まさか、儂も知らずのうちに片棒を担っていたとは」
そして、父上は気が付いた。
「――此れは、築山殿の策であるな。城介、貴様では其処迄仕組むのは無理であろう」
「やはりお気付きになられますか。母上から気が付いたら教えてやってくれ、とのことで伝言を頂いております。『一世一代の渾身の策』だ、そうで」
実は伝言を承っただけで、その意味までは某も知らされていない。
一世一代。そのような言い回しを母上がするということは、これが尋常ではない策であることを示しているが、果たして今言ったことが全てなのだろうか。
この部分は弟も気になったようで、父上に尋ねる。
「父上。築山殿の真意は一体……」
すると、父上は何かに気が付き、声を挙げた。
「あ、ああ……そういうこと、なの……か? いや、瀬名殿のやる事だから意図していても可笑しくない。
良いか、秀忠、信康。
平安の世のことであるが、『鎮守府将軍』の職は『秋田城介』を任官した武官が経ることの多い官職であったのだ。そうだ思い出した。
のう、信康。貴殿が秋田城介を任命されたのは何時であったかな?」
そこまで、言われて某も母上の神算鬼謀にはじめて気が付いた。
「……任命されたのは父上が『伊賀越え』の後に御座りまするな。
そこから逆算すれば、母上が父上に書状をしたためたのは、『本能寺』の前であることは間違いないかと」
「えっ――それでは、築山殿は……」
「うむ。
あの御仁。本能寺と二条にて、織田父子が亡くなることを読み。
儂が、その混乱から生還することをも読み。
その後、亡き太閤殿下が、三介信雄殿と三七信孝殿に岐阜中将信忠殿の官位である『秋田城介』を渡すことを嫌い、殿下が信康への任官話に飛びつくことも読み。
徳川家が『征夷大将軍』となり、『鎮守府大将軍』と同格になることすらも読んでいたことになる」
「……それは、即ち。
三十年以上前。織田家が全盛を極めていた時代に、母上は……徳川家の天下を確信していたのですか」




