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第二十話 大坂の陣 / 築山の臣


 カリフォルニアで最大の港である、瀬名。

 この都市は同大陸のヌエバ・エスパーニャ副王領の港町であるベラクルスやアカプルコにも勝るとも劣らぬ活気を魅せる。


 そんな街の外れに、小高い山とも丘ともつかぬ微高地がある。

 ――それが『築山』。


 その築山の上には、小ぢんまりとした白い家が建っている。其処こそが、『築山殿』が楽隠居する地である。

 そしてこの日は、その『築山』の小さな家に見合わず、数名の来客が訪れていた。


「――お待たせ。ありがとね、熊蔵。半十郎。

 みんな、待たせたようで申し訳ないわ」


「いえ、構いませぬが。そちらの付き人は?」


 そう訊ねたのは石川数正殿が嫡男・石川玄蕃頭康長。


「ああ……玄蕃頭殿には紹介していなかったわね。

 この二人は亡き半左衛門の忘れ形見よ」


「伊奈熊蔵忠政で御座ります。で、こちらの若いのが弟の伊奈半十郎忠治です」


「道理で面影があると思いましたなんだ」


 熊蔵も半十郎も普段は信康付の奉行であるが、時折私の下を訪ねてやってくる。半左衛門の遺命だ、そうで。


 そして、目の前の玄蕃頭殿の父上である石川与七郎数正も亡くなってしまった。


「嫌ね。……この歳まで生きると、どうも感慨深くなってしまうわ。

 だから、少しだけ吐き出させて頂戴」


昔語り(トゥイタク)――というわけですな」


「そうよ、ニシラケアイヌ。

 貴方は船で降り立った我等に真っ先に水先案内を申し出たわね。最早貴方の故郷(アィヌモシㇼ)から程遠い場所に来てしまったけれど、それでも私に付いてきて満足であったかしら?」



 ◇  ◇  ◇  ◇


『――日ノ本衆の最後の晴れ舞台ぞ! ニシラケアイヌ様に引き立てられた我等アイヌ衆に出来ることは、この船を最良の状態に仕上げることよ。出来るか、皆の衆!?』


『我等の父祖を見知らぬ世界に届け、船という道具を与えてくれたのは彼等。

 であれば、そんな彼等の子孫を此度は届ける番よ!』



 ◇  ◇  ◇  ◇


「――ええ、お方様。後進も育っております。良き夢を見させて頂きました。

 それもこれも、我等アイヌの者に水軍の技を隠し立てせずに教えて頂いた興津殿の尽力あってこそ」


 ニシラケアイヌは一息付くと慣れた手つきで持参した飲料を口にする。

 それは白樺の樹液(タッニ・ワッカ)にハーブのような野草で風味付けした彼の故郷の味であった。


 そして一息付くニシラケアイヌに話を振られた興津内記忠能は、口を開く。


「いえ我等興津水軍のみに秘匿していては何かの拍子で失伝してしまいかねませぬ。むしろそうした技を広めて頂いたアイヌ衆の皆々方、そして石川玄蕃頭殿を始めとする沿岸領主や部族の方々のご尽力あってこその賜物ですから」



 ◇  ◇  ◇  ◇


『――石川肥後守殿。本当に宜しいので?』


『何、各地の部族の蔵には日ノ本での戦が終わり次第埋め合わせをする契りを交わしております故、蔵に新しき物を入れたい者共はこぞって施しに参るでしょうよ。むしろ断る方が反感を買いますぞ、興津内記忠行殿……いえ、北方海域船団長殿?』


『……忝い。だが、儂など父の内記忠能と比べればまだまだ青二才よ。

 よし、野郎ども!! こちらの石川家当主の弟君である肥後守康勝様より、貴様らの飯と酒の用意をしていただいた! 明日の航海に支障の出ぬように英気を養え!!』



 ◇  ◇  ◇  ◇

 

 ――そう語る、興津内記と玄蕃頭殿の顔は穏やかだ。

 この両名は存外歳が近く、駿河の出身である興津内記と今川人質時代を過ごした父、数正殿から駿河の話を伺っていることから波長が合うらしい。


 ふと、静寂が訪れたがそれを破る男が一人居た。信康のかつての傅役であった榊原孫十郎清政の嫡男・勘十郎清定である。


「水軍と言えば。我が榊原家の命運を変えたのも御方様の船であった、と父上より伺ったことが御座いました」


「孫十郎殿は、私達の三河脱出の直前で口約束で連れてくることを決めたからねえ。確か、北方まで行くことを伝えたのは――伊豆諸島の神津島だったかしら?」



 ◇  ◇  ◇  ◇


『興津内記殿。少々宜しいか』


『……おお、榊原秋巌殿か。ごゆるりと、と言いたいところだがこの島を立つのは明日であるが故、あまり長くは話せぬ。引継ぎもあるしな。して何用か?』


『あいや、長居はせぬ。只……この島の名を聞きたくてな』


『神集島……いや、御方様は神津島と言っていたか。島ではあるが、ここも立派な伊豆国よ。このまま北に行けば徳川家の治める関八州よ』


『……そうか。ここが、そうなのだな』


『何だ、秋巌殿。よもや生まれてこの方会ったことも無い徳川に仕えようとでも思ったのか』


『いや。……ただ。この北の関八州。

 ――その上野国の館林を治める我らが榊原家の従兄弟がもう会いに行ける距離に居るというのが、不可思議でたまらぬのよ、内記殿』


『……成程な。だが、今日は休め。明日からもう寄港はせず、次に陸に降り立った時はいくさ場ぞ』



 ◇  ◇  ◇  ◇


「――ええ、父・榊原清政は耳に残る程に、我等息子らに事あるごとに、その時の話をしていましたから」


「それは済まないことをしたわね」


 そう言うと、周囲の者らは一斉に笑い出す。特に年配の者のがより高らかに笑う。


「何も、そこまで笑わなくても良いじゃない」


「失礼、ここに居る諸将は多かれ少なかれ奥方様に迷惑やら無茶振りをされておりますからな!」


 そんな興津内記の声に、また笑いの渦に包まれる。


「……だが、奥方様に最も寵愛され酷使された臣が誰かと問われれば、皆の衆心は一つよ。のう、孫次郎殿?」


 そして声を掛けられたこの集まりの中では若年の孫次郎明成が興津内記の軽口に答える。


「そうですね。――私の父、加藤左馬助嘉明であると息子ながら思います」



 ◇  ◇  ◇  ◇


 ――慶長二十年五月七日、明朝。


 徳川家の補給拠点の一つであった堺の街を豊臣勢によって焼き討ちされてしまうが樫井の戦いで勝利を収めた徳川勢・浅野但馬守長晟(ながあきら)は、珍妙な報を耳にした。


『何、洋の上に所属不明の南蛮船らしき船が居る、だと。旗印は分からぬか?』


『はっ。丸に二つ引両で御座りまするが……』


『足利氏の縁戚か。山名か、細川か、最上か、あるいは吉良や今川では無かろうな? ふむ、候補が多すぎて敵か味方か分からぬ』


『注進! 所属不明の大船が岸に近づき、小早を出し上陸を試みる模様で御座ります!』


『敵やも知れぬ、囲むぞ』


『あいや、相手方の先駆隊が此方の軍勢を見つけたようで御座ります。少数で此方に向かってきますな』


『――者共、奇襲の警戒をせい。……儂が声を掛ける。


 先方の部隊よ、徳川の臣であるならば止まれ。これ以上近付けば此方から矢を射かけるぞ。貴殿も武士であるならば名を名乗れ!!』



『――某、築山殿並びに関口秋田城介信康が臣、加藤左馬助嘉明である!

 我等関口勢、大御所様への御縁と、徳川家への助力のため。

 遠国・カリフォルニアより、船で参った!!』



 ◇  ◇  ◇  ◇


 ――加藤孫次郎明成の物言いに『築山』の白き家では諸将の笑いが絶えない。築山殿が怒りを顕わにしても、誰も本気と取らずに茶化すばかりであった。


「何よ! 加藤家に西岸寺を任せたときには北条美濃守殿を補佐に付けたじゃない!」


「数年経ったら『別の家臣に貸し出すから』と寄騎から外したではないですか」


「最初から期間限定の寄騎と孫六くんとは盟を結んでいたわよ。

 それに西岸寺なら中核の拠点だから譜代の孫六君以外に適役が居なかったの。所領も広く、有力な部族も多いじゃない」


「その部族の一部は穴山殿の武田騎馬隊の隷下に置かれていて、飛び地が多いではないですか。それだけの要衝を任せてくれるのは恩賞やもしれませぬが、他の者から見たら難治の地を渡しているようにも見えましたぞ」


 築山殿が何を言い出しても、誰かしらから即座に反論を喰らう始末。

 更に一しきり築山殿に対して君臣の分け隔ての無き言い合いが為された後に、一言、築山殿は呟いた。


「――でも、先に名前の挙がった亡き二将。

 北条美濃守氏規と穴山梅雪斎不白、彼等は比較的後から我が家中に取り込んだけれども。正直あの二人が、ここまで馴染むとは思わなかったのよね」


「誠に――その通りで御座いましたな」



 ◇  ◇  ◇  ◇


『お主と轡を並べて戦をすることは幾度と夢想したが、よもや、その場が日ノ本になるとは思わなかったな、のう? 北条美濃守氏盛』


『……穴山勝千代信治』


『どうした口少なだな? まさか、大いくさを前にして臆病風に吹かれたか?』


『……思えば日ノ本では、やれ豊臣だ、やれ徳川だと争っているのだろう?』


『それは当然だろう。……まあ、大勢は徳川で確定だろうがね。今更気にすることでもあるまい、何を考えておるのだ美濃守』


『いや。斯様な世の日ノ本で、武田一門である貴様と北条一門である某が轡を並べ戦うというのは、日ノ本の者らからすればお笑い事なのだろう、と』


『美濃守。何言ってるんだ?』


『ああ、そうだよな、血迷い事だ、忘れてくれ』


『我等が奥方様である築山殿は今川縁者だぞ。武田・北条どころか、甲相駿三国同盟であるわけよ』


『甲相駿三国同盟……くくっ、我等は六十年遅れか。最早痛快よ!』


『――おや、美濃守。アレを見てみろ』


『敵勢……、しかも赤備えだな。もしや真田の軍勢か?』


『うむ。これも奇縁というもの。真田の赤備えに本家本元の武田騎馬隊を見せつける好機。かつての武田同士で戦う珍妙さ。気に入った! 美濃守よ、此処は手出し無用で頼むぞ』


『断る。我が北条は豊臣に恨みは無いが、真田には恨みはあるのでね』


『……小田原の借りをここで返すか、貴様個人に恨みは無かろうて。まあそれを言い出したら、某も真田にどうこうと言うのも可笑しな話か。

 では、甲相駿三国同盟の力を真田に見せつけようぞ! チョチェニョの族長殿は左翼の指揮を、右翼はムウェクマの族長殿にお頼み申す』


『……この軍容を見て日ノ本の者は誰も武田軍とは思うまいが、今更か』



 ◇  ◇  ◇  ◇


「――瀬名様らしくもない。貴方は我等を今まで牽引してきたのです。

 だからこそ、これ程の臣下が貴方一人に付いてきたのですよ」


 亡き二将に想いを馳せ、悄然とした空気が蔓延した室内の雰囲気を一変させるかのように彼女は語る。


「徳姫。貴方にも謝らなければなりませぬ。私が安土に返していれば、貴方の父上に……」


「瀬名様、いえ……義母上。謝らないで下さいませ。

 私はこの選択をしたことを後悔しておりません。それに父は、私の選択を褒めはしても怒りはせぬでしょうし。

 今、この場には次世代を担う者も居るのです。どうか、義母上は偉大な先任者として彼等の先達となって下さいますよう」


 そう言いながら、部屋の警護をする二人の人物を指差す。

 警護……と言いながら、此方の話を聞いているのが丸わかりな彼等は、井伊万千代直政が息、井伊万千代直勝と井伊弁之介直孝であった。


「ええ、そうね。……これからのことも手は一つ打っておりますし、信康なら何とかしてくれるでしょう。

 うん。そろそろ私も少し話したくなってきたわ。じゃあ折角だし……万千代と弁之助、何か聞きたいことはあるかしら?」


「あの、御方様。貴方は――」

「えっと、では。某からは――」



 ◇  ◇  ◇  ◇


『敵勢の毛利豊前守吉政の陣、未だに抜けませぬ!』


『何をやっている! 兵は此方のが多いのだぞ!』


 徳川方・先鋒、本多内記忠朝討死。

 二番手、小笠原信濃守忠脩討死、小笠原上野介秀政生死不明。榊原遠江守康勝隊、仙石兵部大輔忠政隊、諏訪出雲守忠澄隊が壊乱。

 三番手、酒井宮内大輔家次隊、松平甲斐守忠良隊敗走。


 大御所・徳川家康の構える本陣までががら空きになった瞬間であった。


『松平越前守様の陣が突破された模様です!』


『越前守様の陣を抜いた軍勢は真田! 真田左衛門佐の軍で御座りまする!』


『浅野但馬守長晟殿! 真田の攻勢に呼応し寝返り!』


『南方の洋の上に、所属不明の南蛮船が出現! 浅野但馬守殿の軍勢と接敵した模様!』


『真田左衛門佐の軍と所属不明の軍勢が争っております!』


 戦場の報告には虚実紛れるとはいえ、ここまで混乱するか。

 三河衆無き戦には慣れたつもりであったが、よもやここまで耐えられないとはな。


『真田左衛門佐が軍勢を切り分けました! 奴らの軍の進路は此方――我が本陣で御座いまする!』


『っ! まさか本陣まで迫るか……。誰ぞ、馬を出せ! 我等は本陣を捨て、撤退す――』



『注進!』


『何ぞ! 急ぎ撤退する故、報告は早うせい!!』


『左翼より未知の軍勢が近づいておりまする!』


 何と――伏兵か! この期に及んで豊臣はまだ兵を潜ませる余裕があったのか!?

 否、未知と言ったな。まだ豊臣方と決まった訳ではあるまい!


『――旗印は!? 旗印を言え!!』


『……ま、丸に二つ引両……』


 旧将軍の足利の縁戚か。吉良か? 今川か? あいや、候補が多すぎて分からぬ! この刻限無きときに敵味方の判別が出来ぬとは。


『他の、他の旗印は見なかったのか!』


『――大御所様、丸に二つ引両の軍勢が此方に向かってきております!』


 ……最早、これまでか。

 かくなる上は、豊臣方に捕らえられ講和の人質に貶められるくらいならば、此処で切腹するまで……。


『――上野箕輪で置いてきた殿への忠義。……今一度だけ取りに戻りに参りました』

『……父上。老けましたな、これから先は太平の世である故、養生するのです』



『……万千代、か? ……おお、万千代ではないか!

 ……そして、信康。……よくぞ。よくぞ、来てくれた!!』



 ――慶長二十年五月八日。大坂城は落城し、豊臣家は滅亡したのであった。


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