第十七話 秀忠の伸暢
太閤・豊臣秀吉の死は豊臣政権の歪みを析出させる結果となる。
武断派と文治派の争い。諸大名同士の主導権争い。大老同士の権力争い。
幼き当主・豊臣朝臣藤吉郎秀頼の下で熾烈な権勢の奪い合いが起こり、その不協和音は各地で現れ始めていたのである。
その最中の慶長五年三月三十日。
大老家である上杉家が不穏な動きを見せつつある中、徳川内府家康の嫡男・徳川前黄門秀忠は、思慮に耽っていた。
先日、避戦派であった上杉家中の藤田・粟田らが追放された。父上はこの時点で、上杉との一戦を覚悟しているように思える。このまま戦とならば我が徳川が主導権を握ることは確定的。万が一上杉が方針転換を行い、我等に臣従すれば戦わずして傘下に組み込めるのでこれも良し。一挙両得の策である。
そして、このように父上が精力的に活動しているのを目の当たりにすると、思い出すのは亡き太閤殿下の御言葉である。
殿下の死後に、世は乱れ某の父上が動く事態になれば豊臣の天下は詰みである、という言葉。
結局父上は、太閤殿下に忠義を誓っていても豊臣家を主家と心底から認めていたわけではなかったと相成るわけで。
しかし、それを理解していようとも太閤殿下は我等徳川を随分と買って下さっていたように思える。五大老の中でも特に父上に黄門秀頼様の成人までの政事を託すと言葉を遺したこと。
また某の前妻である小姫の病没した暫し後に、今の妻であるお江を太閤殿下直々に仲を取り持っていただいた。
お江は太閤殿下の主君であった織田様の妹君にあたるお市の方の娘である。即ち小姫もお江も織田家の者であり、これは殿下がかつて聚楽第にて話していた、某の異母兄である関口秋田城介殿に徳姫が嫁いでいるのに対抗していると考えれば亡き殿下の御考えはむしろ一環しておる。
そして黄門秀頼様の母は淀の方であり、織田の血統を確実に継いでいる。だからこそ、黄門秀頼様も秋田城介殿の子息に殿下の御考えに沿えば引けを取らないようにしている面は流石とも言えよう。
とはいえ、物心ついた頃には既に豊臣の天下であった某には、織田の血統が政権の正統性を果たしてどれだけ保障するのかが分らぬ。明智日向守の弑逆から十八年、最早織田の天下の為に立ち上がる者は居らぬだろう。
太閤殿下、小姫のこと、そして兄上のことを思い返していたら、ふと今の情勢にも関係のあらぬことを一つ思い至る。
亡き関白殿下が高野山にて自害した後に、聚楽第は徹底的に破壊されたが、小姫との婚儀の場にて太閤殿下に見せて頂いたあの――兄上の母君である築山殿から頂いた――大きな柱は、聚楽第と共に失われたのか。
ふと、小姓から父上が屋敷に戻ってきたことが伝えられる。
出迎えに参ると、父上は開口一番こう放った。
「秀忠か。……全く伴天連の宣教師共め法螺を吹きおって。
彼等を大坂まで連れてきてよかったわ」
「彼等とは、豊後に座礁した南蛮船の乗組員でしたよね、父上。
確か宣教師らは、海賊の類だから即刻処刑すべきと言っておりましたが……」
「全く油断も隙も無いわ!
南蛮船……リーフデ号の乗組員は、皆ネーデルランドやイングランドと呼ばれる新教国の民だそうだ。
どちらも同じ切支丹だが、新教と日ノ本に来ておる宣教師らでは教えが違うらしいぞ」
忌々しく父上が恨み言を述べているのは、考えるまでもなく三河の一向争乱を想起したからであろう。某の生まれる前のこと故、詳しくは知らなんだが、父上はその苦い経験から宗が異なることで相争うのを好まない。
それが宣教師らが己にとって異なる教え、敵国の民であるということを理由にして処罰を注進してきたことが気に入らなかったとみえる。
「それで、彼等乗組員はどう処分なさる算段で?」
「そうさな。儂は皆江戸に連れて行きたいと思っている。特に航海長のウィリアム・アダムス殿や、その配下のヤン・ヨーステン殿は宣教師らが教えぬ、南蛮の国割について詳しく、是非とも我が徳川の傘下に引き入れたい」
父上がその気であれば構わないが、太閤殿下の出した禁教令は形骸化しているとはいえ、政敵に付け込まれる恐れがある。しばらくは形式的にでも牢を繋ぐ必要はあるだろう。とはいえ幸い日ノ本は上杉の一件で揺れておる。折を見て解放することは叶うはずだ。
「すると、父上はゆくゆく新教の遠つ国と商いをなさるのですか」
「うむ。アダムス殿の言に従えば、新教は伴天連の宣教師のように布教を至上としてはいないらしい。布教許可を与えずとも公に商いをすることも可能となる。
……だが、問題もあるのだ」
「築山殿の一件でしょうか」
ほぼ当て推量で放ってみたが、父上は肯定した。
というのも、築山殿からの書翰を拝見したが、どうもヌエバ・エスパーニャというイスパニアに臣従する勢力と連携して、新たな湊を造成しているとのこと。
そして父上の本来の心中は、宣教師らの催促を疎ましく思ってはいたが、イスパニアとの商いに傾いていたはずだ。それは、彼らの有する金属精錬技術を欲し、私掠船や倭寇といった交易路の障害をイスパニアと協調して取り除こうと考えていたからである。だが今は新教国との商いに積極的に素振りを見せている。
「……イスパニアとの伝手は瀬名殿に一任すべきか。流石に基督教の布教許可を日ノ本全域に与えられぬ」
「で、父上はイングランド? ネーデルランド? と言いましたかな、どちらの国に重きを置いて商いを行うので?」
「決めあぐねてはいるが、我等にその選択の余地はあるまい。
だが、座礁したリーフデ号はネーデルランドの所属よ。此度の仕儀を利用するのならば、必然相手は決まってこような……?」
ウィリアム・アダムス、ヤン・ヨーステンの両名は、冷却期間を置いた後に徳川家によって召し上げられて外交顧問としての位置に収まる。
これまでのカトリック修道士を通じたイスパニアとの親善路線を徳川家は決して崩しはしなかったものの、イスパニアとの交易路は築山殿経由で既に確保されていたこともあり相対的に重要度が低下していた。
ここに、ジャワへの進出が成功し東アジア交易の強化へ舵を切ったネーデルランドが徳川家と結び付くのは自然な流れであったと言えよう。
――この時より、永らく続く徳川家とネーデルランドの蜜月の時節は始まったのである。




