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第十三話 秀忠の縁組


 天正十八年一月二十一日。

 関白殿下でありかつ大相国殿下でもある羽柴秀吉が豊臣朝臣(あそん)の本邸として建てた京・内野にある聚楽第じゅらくていは華やかな活気に包まれていた。


 しかし、それも尤もなり。

 僅か六日前に元服したばかりの十一歳の少年――徳川長松秀忠と秀吉の養女である小姫の婚儀が執り行われているのである。


 まずは、徳川長松秀忠。

 徳川亜相家康の三男であるが、名実ともに徳川家の次期後継者に内定している。

 そも長男・関口秋田城介信康は官位こそ織田政権の後継者であった故・織田岐阜中将信忠の旧職を継いでいるが、その実日ノ本にすら居らず徳川家を継ぐことは叶わない。

 では次男・羽柴三河守秀康はどうか。彼は姓を見れば明瞭であるが、関白殿下の下に養子に出されている。これは、天正十二年間の東海道の戦役において和睦の証として亜相家康が出した人質という側面もある。


 それ故、長松秀忠に後継者の座が回ってきた。

 そして秀吉より一字偏諱を受けて、忠を名乗ることとなった。


 他方、その長松秀忠の相手である小姫は、織田内府信雄の子であり、よわいにしてわずか六つ。なお生母は内府信雄の正室である千代御前であり彼女は伊勢国司北畠家の系譜となる。

 だが、小姫はあくまでも太閤殿下の養女。即ちこの婚姻は羽柴家と徳川家の結束を強めるためのものである。


 そのような場であるため目出度き席であれど、いや、そうであるが故に関白殿下と亜相家康は座して話し込んでいた。

 そして表向きは新郎新婦家族の団欒の場という欺瞞を押し通すがために、この宴の主役たる長松秀忠は渦中に巻き込まれていたのである。




「いや、儂も果報者よな。亡き大殿が最も頼りとしていた亜相殿の息子と儂の養女がこうして縁組を結ぶことになるとは、冥府にて大殿に自慢することが増えたわ!」


「殿下、それは些か気が早すぎまして。このような道半ばで織田様にお会いするのは却って怒られてしまいますぞ」


「はっはっ、然り然り。大樹を登らざりて何が猿か! などと叱責されかねませぬ」


 長松は、ちらりと横目で隣の席に目を向けると、白無垢に身をやつした小姫が、その衣裳に負けず劣らず顔を病的なまでに白くしていた。

 殿下の養女であるが故に、織田内府の手の者や北畠の者などはこの場にほとんど居らず、殿下の側近衆と我等徳川家中が殆ど座を占めておる。その上、殿下と父上の饗応を目の当たりにしては緊張も無理あるまい。

 某とて、見知った者も多かれど流石に殿下を前にしては手も足も震える。


 そのような詮無きことを考えていると、殿下が某に声を掛けて下さる。


「……のう、お長よ。

 此度の仕儀如何に考える?」


 某と小姫の婚儀をどう思うか。

 何も考えぬのであれば、目出度きことと答えれば良い。だが、そのような凡百の答えを殿下は求めてはおらぬであろう。

 では、羽柴家と徳川家の連帯を強くするとでも言えば……。いや、違う。


「北条征伐への示威目的……でしょうか。

 惣無事令に違反する者共は、もはや関八州・奥州に残すのみ。

 奴らに対して公儀の軍勢が一枚岩であることを改めて周知するための婚姻である……と推察いたしますが」


「……ほう、これは驚いた! 他の大名家の子息らと比べても一段格別の才が、このお長にはある、この秀吉がそれを保証致そう! いや、そなたのような子が、義理とはいえ儂の息子となるのだから」


「はっ、有難きお言葉。されどこ奴は徳川を継ぐ者。

 殿下の御慧眼に叶ったことは無上の喜びであれど、進物のように容易くお渡しするわけにはいきますまい」


 父上が即座に、でも失礼に当たらないように言葉を重ねる。父は殿下が某のことを引き抜こうとしていると感じたか。

 その父上の僅かな動揺を見抜いたのか、殿下もひとしきり笑いあげながら、


「言葉の綾よ、亜相殿。要らぬ心配をかけて済まなんだ。

 亜相殿に負けず劣らず、心底で公儀が如何に大事か分かっている男の物言いだった故に、儂も少々呆気に取られてしまったわ」


 と謝罪の言と同時に、更に某のことを称賛する言葉を続ける。


「――だが、時に亜相殿。

 物は頼みなのじゃが、お長を一度儂に貸してくれぬか?

 何、目と鼻の先の須浜に見せたいものがあるだけよ」


 殿下を外を指差すと、その先には聚楽第内に構えられた白砂や玉砂利が敷き詰められた美しき浜辺のような池泉庭ちせんていが広がっている。


 瞬刻、父上の顔を伺うと、已むを得まいという諦観の表情を浮かべていた。

 ……行かざるを得ないか。某一人で殿下の篭絡があれば躱さねばなるまいが。


「殿下に頼まれ、どうして断ることができましょうか。

 この秀忠。義父殿に付き従いましょうぞ」



 そして喧噪な屋敷内を殿下とともに二人でひっそりと出て、殿下の後に付いていく。護衛らしき気配は感じるが、我等の会話を漏らすこともあるまいと捨て置く。


 殿下は目的の地まで着くまで、一言も口を開かなかった。先ほどの饒舌さとは打って変わって不気味なほどにしずかである。

 不意に殿下が足を止め、顔を見上げ小さく呟く。


「……これよ」


「此れは……、柱でしょうか?」


「然様。小牧での戦の後に、亜相殿が和睦の証として儂に寄越したものよ」


 些か信じられぬ。このような煌びやかで豪奢な実用に欠ける大柱を父上が有していたとは。


「ははっ。亜相殿の趣味ではないという顔をしておるな。

 それもそうじゃ。これは、築山殿が亜相殿にお渡ししたものらしい。離縁した古妻からの贈呈品を儂の下へ献上するとは存外亜相殿も狸よ」


 ……築山殿。

 某は彼の御仁を人伝にしか聞いたことが無い。それも、某が生まれたその年に彼の御方は徳川家を出奔した故だ。


「……お長。

 先ほど此度の縁組は、北条征伐の示威と申したな。その考えは誠に其方の存念か?」


「はっ。……そのようにお聞きになるということは、殿下の御心は異にするということで?」


「そうさな。そも北条なぞ亜相殿の助けがなくとも降ろすことは容易ぞ。豊臣の世は北条や陸奥の田舎侍風情では最早揺るがん」


 それは、まあ確かにそうだ。

 もし仮に我が徳川が殿下の出兵要請を拒否したとして、それで北条征伐が取り止めになるというわけでもあるまい。殿下の軍勢のみで、北条勢と相手取ることは容易だ。


「また巷に噂で流れている我が家と徳川家との連帯という美辞も意味は無い。

 そも、亜相殿は儂が健在である内は、豊臣の世の存続に尽くすじゃろうて。

 儂の死後なぞは、別に亜相殿が動かまいと世は乱れるに違いない。お主の父上が動くのであれば其処・・であろうが、そも亜相殿に動かれるまで事態が悪化した時点で詰み、というわけよ」


 殿下は随分と父上のことを買っているのだな。そして、殿下の読みは息子である某をもってしても頷くところが多い。


「……では、何故殿下は某の縁組を斡旋したのですか」


「その理由がこの柱よ」


「……これが、でございますか?」


 改めて見直してもただの柱だ。これに某の婚姻がどう関係するやら。


「最初届けられた折には、小姓衆や他国の若君などに自慢をした。誰もが初めて見たと言うので気を良くした儂は、町人衆や公家衆にも見せた。彼等も総じて知らぬと申す。この時は皆が儂に気を遣って知らぬと答えておるのだと考えていた。

 千利休宗易や小西和泉守隆佐などに聞いても同じ反応が返ってきた。

 唐土の商人や、伴天連の宣教師に尋ねても有益な情報は入ってこなかった。


 ……たかが柱一本であるが。此れは儂の天下の与り知らぬ所で生まれたものよ。日ノ本で如何に権勢を振るおうとも手に入らない逸品だと知ったときの儂の気持ちが分かるかの、お長?」


「……いえ」


 屋敷内に居たときのように饒舌に話す殿下だが、その言葉の節々には余裕が全く見られない。話好きの好々爺の面も、施政者としての威厳も隠れ、ただその表情にありありと見えるのは、畏怖であった。


「お長」


「はっ」


「お主に『織田の娘』を嫁がせたのは、偏に築山殿の抱える秋田城介殿に引けを取らせぬためよ。

 其方の公儀への忠義を見込んで一つ密命を与える。

 ……徳川家の家督は確実に其方が継げよ。必要であれば豊臣から天下を簒奪さんだつしても構わん。

 だが、決して築山殿並びに秋田城介殿に日ノ本の天下を握らせてはならぬ」


「……何故そこまで用心するので?」



「彼等は我等の理で動いておらぬ。下手に日ノ本で力を与えてみよ。

 ――武家の世が終わるぞ」

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[一言] 武家の世だけで済むのだろうか。
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