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第十二話 築山殿の西岸寺

「良く来たわね。石川殿。

 ここまでの船旅はさぞ長かったことでしょう。お疲れ様です」


「いえ、築山殿もご壮健なようで。

 殿から伺いましたが、人手が足りぬということで、我等石川一党馳せ参じましたが……」


 天正十六年。

 山々は緑々としたアカスギが力強く茂り、鴨やがんといった水鳥らが活発に活動する夏真っ盛り。からっと乾燥して日差しが心地よい気候のとある日に、石川与七郎数正が一族郎党を引き連れて我等の拠点へとやってきた。


「私の方から頼み込んでいてこう言うのもなんですけれども、徳川家の宿老である貴方がよく此方に来たわね。……それについては、深くは聞かないわ」


 ……家康の人質からずっと付き従っていた重臣。それが何故出奔することになったのかは私には分からない。でも豊臣……あっ今はまだ氏は改めてないか、まあ秀吉の下へ渡るくらいなら私のところに来ないかな、という軽い気持ちで送った手紙であったが、まさか本当に此方に来るとは思わなかった。


 まあ、来たということはやっぱり今の徳川家には何か許容できかねるものがあるということなのだろう。


 そのような詮無きことを考えていたら石川数正が口を開く。


「格別なるご配慮に感謝を。

 ……して、この拠点の造りには見覚えがありまするが、もしや」


「検地を行ったら、どうやら東には延々と大地が連なっている土地のようでして。

 然らば今我等の居る土地は、その大地の西岸となるため拠点には『西岸寺』と名付けさせていただきました」


 検地、と言うか測量を行った結果、この西岸寺・・・を立てた場所はカリフォルニア北部に位置すると思われる。つまりアメリカ大陸西海岸。だから西岸・・寺。


「……矢張り。道理で三河築山の西岸寺を打ち覚える心地な訳ですね」


「あの地に住んでいたのは、確か……十七年でしたか。

 流石に寺の構造程度なら覚えますよ」


 私が三河時代に遠ざけられ監視のため留め置かれた場所の名を、新天地に刻んでいる。……尤も、学問所に改造したり交易拠点化したりと己が望むままに手を加えていたりしたが。


「そういえば、今は三河の西岸寺・・・の様子はどうなっているのでしょうか?」


 三河岡崎衆の元筆頭である石川殿であれば、その程度のこと造作もないであろう。案の定軽やかに口が開かれる。


「瀬名殿が集めた蔵書は、そのまま西岸寺内の書庫に留め置かれておりますよ。

 しかし人離れ、しずかになりました。

 ……とはいえ、それは瀬名殿の興津水軍が消えたことで人の往来が減ったからでもありますがね」


 聞けば、建物や設備などは私が居た頃とほぼ変わらずに据え置いている模様。……良かった、うん。

 しかし、交易拠点としての機能は失われたようである。まあ、諸国から人や物資を集める足となる水軍は私に頼り切りだったからなあ。そりゃあ、私がこうして逃亡すれば元通りになるわけで。


「――まあ、積もる話もあるけれど、これからは私と信康の家臣となることで良いのでしょうか?」


「はっ。瀬名殿と関口秋田城介殿の臣として、身命を惜しまず奮闘する所存です」


 今までは配偶者の家臣だった石川殿が、今日からは直臣となる。

 となれば、口調は少し緩めた方がいいかもしれないかな。


「良し。

 であれば……、んんっ?

 ねえ、石川殿? 後ろに控える彼、私見たことが無いのだけれど石川殿の家臣にあのような風貌の方が居たかしら。新しく雇ったの?」


 石川殿の家臣団を全て把握しているわけではないのだけれども、流石に嫡男である石川玄蕃頭康長よりも上座に座っている見覚えの無い者となると、気にせざるを得ない。


「そうですね。紹介が遅くなりました。

 彼の者は……」


「直答を許すわ。貴殿の口から直接名を聞かせなさい」


 石川殿が紹介しようとするのを留めて、その見知らぬ男に質問を投げかける。


「忝き。

 某は、穴山梅雪斎不白と申しまする」


 ……穴山梅雪信君。武田姓を免許される御一門衆であり、武田徳栄軒信玄の次女である見性院を妻として迎え入れているかつての甲斐武田家の重臣。

 家康の伊賀越えのときに別行動を取りそのまま横死していると思っていたが、よもや生きていようとは。


「梅雪殿、貴方は後で話があるから残りなさい。

 ……先に石川殿の用件を済ませるわ」


「はっ」


 殊勝に低頭する梅雪であるが、こいつ武田本家を寝返る形で徳川家に恭順しているのだよな。後で処遇を考えますか。


「それで、石川殿。

 現在我等は日ノ本からの譜代の徳川家臣や三河関係者を中心にしていますが、ニシケラアイヌ率いるアイヌ武装商人衆、シメナシュンクル・クルムセといった従属アイヌ国人衆の他に、各地域の恭順勢力とトリンギットなどの戌亥人イヌイットがおります」


戌亥人いぬいど、でしょうか?」


「そう、戌亥人イヌイット

 この本拠・西岸寺から見て、戌亥に住む民なのでそう呼んでいる」


 ――イヌイット、ならぬ戌亥人。

 カリフォルニア北部から見ればアラスカは北西の方角に位置する。北西は八卦では乾、すなわち十二方位で戌亥と呼称されることからもじって名付けた。


「成程、それで戌亥と……」


 この理論武装で何とか、イヌイット呼びをゴリ押した。


「然様。このように日ノ本からの譜代の臣が少ないのが我等の弱みなのだ。

 そこで石川殿には、この戌亥人とこの本拠の中継拠点を任せたい。

 戌亥人と我等の橋渡しは勿論、ゆくゆくは興津水軍やアイヌ水軍衆の艦船の修理を任せたい。


 ……まあ北方の島故、米は取れませんけれど。代わりに所領には多少色を付けるわ」


 石川殿に与えようとしている島は、バンクーバー島。

 カナダとアメリカの国境に位置するアメリカ大陸西海岸の要衝。


 クヮクヮキワク族というネイティブアメリカンが最大勢力で島の北部の太平洋岸に居を構えている。このクヮクヮキワク族は、定住する上に長子相続。だから異民族初統治の石川殿にとっても、まだ遊牧民などの非定住民よりも卸しやすい相手……だと思う。


「承知いたしました。島を統治するのは、拙者も初めてですがやってみましょう。

 ですが、瀬名殿。一点だけお伺いしたい儀が。色を付けてくれるとのことですが、米が取れぬ島で我等一党が暮らせるだけの目算はあるのですか?」


「ああ、石川殿。島国と聞いて少し勘違いしているわね。

 あなたの所領となる島は、関八州に匹敵する広さを有しているわ」


「はっ……、はあ!?」



 ――この時のことを石川与七郎数正は、「瀬名殿を頼って落ち延びたつもりが、直轄領だけであれば殿すらも遥かに上回る大封を頂いていた」と日記に記している。

 この後、数正は特に決まっていなかった島名を築山殿に許可を取り『石川島』と名付ける。

 『石川島』は交易中継拠点として、また船大工が集まる造船業地域として発展する。その造船技術は時代を経ると他産業にも転用され、一大工業地域として名声を挙げ、後世ではこの工業地域やその内部の各事業者組合を『石川島重工業』と呼称するようになった。



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