第十一話 築山殿の探求 / 家康の忍従
「母上……? 先刻、小早らしき船が我等の船団に付け、これらの書状を母上にお渡しするよう頼まれましたが……如何なさいますか」
「あら、信康。二通あるけれど、どちらも私宛てかしら……いや一通は見覚えがあるわね、これは日ノ本に置いてきた忍びからの定時連絡ね」
そう、言いながら二通の手紙を息子の信康から受け取る。
まずは定時連絡を確認する。……あー、本能寺の変は起きたのね。自分が逃げることを優先していたからあまり気に留めなかったけれども、ここまで歴史改変していても起こるのはちょっと意外。
書翰自体にも、その信長・信忠親子の死は事務報告レベルでしか書かれていない。まあ確かに私達にはあまり影響が無いし。
「……というか、よく伝令は我等の居場所が分かりましたね。
我等はおろかアイヌの者らの勢力圏すらも離れているのでしょう?」
「確かに、アイヌはおろか案内をさせているイテリメン族もここまで東方には行かないと言ってはいたけれど……。
けれど、安全を兼ねて陸伝いで船を動かしているし、武装と荷のおかげで大した船速も出ていませんから。そして何より、これだけの規模の船団、地元民に聞きまわればすぐに分かるでしょうよ」
私がそう言えば、釈然とはしない表情を見せつつも、納得した素振りを見せ返事をする。
その息子の姿を尻目に、書翰に目を戻すと信長の遺品として、信康の妻である徳姫がアイヌにて鉄砲で狙撃した熊の毛皮を信雄と信孝が共に欲しがり、遺品分配で一悶着あったとのこと。何してんだ……。
そして、もう一つの手紙は――家康からであった。
半ばふざけ半分で徳川家に送ったイテリメン族から取り寄せたオンネカムイの謝礼がまず書かれていた。
美味なる珍味であったとのこと。……彼ら視点では未知の動物をよく食ったな、竹千代よ。
とはいえ、高々オットセイ程度で手紙を送る程、家康は暇人ではない。真意はおそらく伊賀越えの謝礼なんだろうな。まあ、それを分かって私もオットセイを送り付けるときに、一つ無茶振りをお願いしていたんだけれども。
すると、旗頭を抱えた人物が入ってくる。……これは孫六くんのところ伝令兵かな。若干見覚えがある。
「奥方様! 前駆船からの報告です。
この先の沿岸に集落を発見したとのことでございます! 何やら住民は華麗な彫刻の施された巨大な柱を囲んで祀り上げている様子とのことで、孫六様は何らかの儀式ないしは祭りと考えているようです」
装飾のある巨大な柱……? もしかして、トーテムポール!?
あれって確かアメリカ先住民の文化だったよね。こんな北方でも見られるものだったっけ。
でも……、こんなに面白そうなもの放っておけない。
「先駆船は上陸準備をしなさい! 彼等を我々の陣営に引き入れるわ。
私も孫六くんと共に参ります。彼の船まで案内なさい」
「ははっ!」
新たな謎の部族との邂逅を前にテンションが上がるのを隠せない私は、次の一言を捨て台詞のように吐き、信康の下を去り急いで準備へ向かう。
「あっ、信康! こっちの家康からの手紙には信康に関係する話もあるから見ておきなさい――」
「母上!? ……行ってしまわれた。
というか、父上からの書状であったのか。
どれ……オンネカムイが美味……よう食べましたな父上、いやこれは関係ないか。
ええと……某の名が書かれているのは、と。
『約定通り関口次郎三郎信康を秋田城介に任ずる件は承知した』……。
……はっ? 某が秋田城介……?」
◇ ◇ ◇ ◇
「殿、よろしいでしょうか」
本多弥八郎正信が、儂の自室へ入る前に声をかける。
「何用か。羽柴殿が、近衛様の猶子となり関白宣下を受けた後、何か羽柴家に動きがあったか?」
本能寺での前右府様と岐阜中将様が討ち果たされ二年余りが過ぎた。
甲信で発生した大規模な一揆に起因する徳川・北条・上杉の争いは、我等に優位な形で和睦へと転じた。
その後織田家では有力重臣らの争いとなるが、羽柴家は同じく柴田修理亮勝家を破り三法師君を擁立して織田家中を掌握。名実ともに天下人への道程を歩み始めた。
儂は、三介信雄様らと包囲網を組み対抗したものの天正十二年間の小牧や長久手を代表する戦役において、羽柴内府秀吉殿……いや、今は関白殿下とお呼びするべきだが、ともかくその羽柴家との戦いは於義伊を人質として差し出す形で講和へと至った。
その後羽柴家は紀伊・四国・北陸を平定し、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。故に我等徳川も、影響力のある今のうちに臣従をするか、あるいはもう一戦をするか和戦両様の構えで羽柴家とは緊張状態の最中にある。
「いえ、その儀ではなく。
――築山殿より書状とご進物が届いておりまする」
「……瀬名殿か。
して、内容は如何に?」
「二箇ございます。
まずは、築山殿と秋田城介様率いる軍勢が、アラスカ? なる地に住むトリンギットという部族を傘下に収めたとのことで、その戦勝の礼式の一環として我等徳川家に進物を贈呈するとのことです。
物品は手紙とともに届けられておりました」
……アラスカ? トリンギット?
稀に送られる瀬名殿の書状には元々分からぬことのが多かったが、最早何が書かれているのかすらまともに読み取れなくなってきている。
蝦夷の民までは儂もまだ辛うじて分かったが、アラスカなどという場所は耳にしたことすらない。弥八郎にそれを告げると、
「でしょうな。書状にも『地名が無いと面倒故、私が勝手に命名した』と書かれていました故」
と返される。瀬名殿は遂に辺土とはいえ所領を命名するまでに至ったというわけか。
「まあ良い。
それで進物とやらは、何であったか?」
以前頂いたオンネカムイは滋養に良いと瀬名殿からの書状には書かれていたので、薬食いということで振る舞った。未知の獣の肉故に不評であった。
……儂は、味噌に付けて喰らわば美味、と思ったのだが。
「それが、ここで御見せ出来る代物ではないので……。
二の丸表門前にご足労願えますか」
もしや、新たな獣か? と思い浮足立ちそうになる歩みを弥八郎に看破されぬように押さえつけ表門へと向かう。
すると、そこには確かに一目で見て分かる進物があった。
「柱か? これは……」
「ええ、柱ですね」
その後、弥八郎に説明を求めると瀬名殿はどうやら傘下に収めた部族が儀礼用に使っている祭具を特別に拵えたとのこと。これが大きすぎて屋敷に入らない、と。
「儂が思うに、邪魔なだけでは?」
「……ですが、築山殿の手の者がここまで持ってきておりますし、何より縁起物らしいので解体するのは、躊躇われますな……」
正直、蔵に置くにしてもこのような長い柱を収める想定などしていない。新たに蔵を立てる必要がある。面倒だ。しかもこのような華美な装飾は儂の趣味でもない。
……いや、煌びやかで縁起物で、一応舶来品。であれば。
「そういえば羽柴殿は珍しき物には目が無かったよな」
「成程、素晴らしき考えかと、殿。
関白宣下への祝いの品として献上するということですな。
そして家中の意見を纏める時を稼ぐ、と」
「……うむ。
して、瀬名殿の書状には他に何が書かれていた?」
弥八郎は二箇あると言っていた。この柱の進物の他にも我等を悩ませることが書かれているのだろう。
「それがですな……。
築山殿の所領も広くなり、手数が足らなくなっているので寄騎が欲しいとのことでございまする」
「破竹の勢いで所領を広げておる瀬名殿には確かに必要やもしれぬな。
何処ぞの日ノ本の民ですらない部族めに要職を与えるくらいなら、我が家中から何名か遣わせる必要はあるかもしれぬ。
して、瀬名殿も希望を書いているだろう。誰が欲しいと言っておる?」
少々歯切れの悪い弥八郎の様子は気になるが、もっと得体の知れない要求をしてくるとみていただけに、安堵しておる部分もある。
大方、井伊万千代直政だろうとあたりを付けていたが、しかしその予想は大きく外れることとなる。
「……石川与七郎数正殿と。
書状には確かにそう書かれておりまする」