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第十話 徳川家の窮地

「……茶屋よ。もう一度申してみよ」


 天正十年六月二日。

 徳川家一行は河内国飯盛山で立ち往生していた。


「――っ織田前右府様が宿す本能寺が炎上し前右府様が行方知れずに!

 二条城でも戦闘があり、岐阜中将信忠様の否応いなせもまた知れずで御座いまする」


 顔面を蒼白とさせながら、三河守家康に第一報を知らせたこの男は、徳川家の呉服御用たる茶屋四郎次郎。

 その商人に、矢継ぎ早に怒号の如き詰問が響き渡る。


 真っ先に声を挙げるは、本多平八郎忠勝。


「――誰ぞが敵であるか!」


「前右府様の生死不明の一報を聞き、京より飛び出して参った手前、虚実入り混じっており何とも。名立たる織田家の重臣の方々、毛利に武田残党、更には一向門徒・高野山に切支丹、挙句に公家衆やら鞆の御方々など、噂を話せば限がありませぬな。


 ……ただ、水色桔梗の旗印を見た、という話も」


 水色桔梗という茶屋の呟きに真っ先に反応したのは、石川与七郎数正であった。


「……明智日向守は、毛利征伐の為一万余の兵を集めていたはずだ。

 その兵は、如何に?」


「さて、私には何とも」


 明智、という明確な織田重臣の名を聞き、議論が活発となる。

 牧野半右衛門康成が丹波亀山から京までの距離を問いただせば、大久保治右衛門忠佐が京での軍勢の数を訊ねる。


 そして、刻限は刻一刻と過ぎてゆく。


「……埒が明きませぬな。兎も角、敵勢が明智にしろ、そうでないにしろ。

 この場を離れねばならぬのではなかろうか。ご高名なる徳川家中の方々が揃いも揃って敵地で、のうのうと議論に費やしますか」


「――穴山殿。そのような物言いは」


 武田家の御一門衆に属し武田本家とも婚姻関係を結んでいた穴山梅雪斎不白が、口を挟み、それを酒井小平次忠次が嗜める。


「失礼。失言でござった。某も前右府様の討死で気が動転していた故。

 ……ですが、どうするので?」


 その一言を皮切りに、徳川家中の面々は梅雪斎不白への反感を内心に込めながら、一行の行動指針を最終決定する権限のある――三河守家康へと視線を集めるのである。


 そして、配下武将のその眼差しに気付いてか、ずっと無言であった家康は口を開くのである。


「――前右府様。……のう、茶屋。

 あの御仁の最期は聞いておるか?」


「……確たることは本能寺が炎上した、としか。

 しかし、大した供廻りも付けておられなかったと聞き及んでおります。


 ――それと偽報やも知れませぬが、前右府様の手勢から種子島の音がしたという噂も御座います。案外、種子島で大立ち回りしていたり知れませぬが」


 そんな希望的観測に近い茶屋四郎次郎の話を聞き、三河守家康は穏やかな笑みを浮かべて、こう告げる。



「……皆の衆よ。儂の腹は決まったぞ」


 その一言に、一同いきり立つように声を挙げる。

 そして、その家臣らの意を汲み取るように、家康はこう放つのであった。


「――実は京に在る知恩院は、我が松平と所縁のある寺なんだがな。


 そこで、だ。

 儂は、その知恩院に赴き……そこで前右府様と運命を供にしようと思う」



 瞬間、三河守家康は一行から離れ一目散に京へと連なる街道へと走り出した。


「……はっ!? 殿がご乱心召されたぞ! 者共、殿を止めよ!!」


「喧しいわ! 儂の命運はここで尽きたのだっ! 止めるでないぞ! 儂は腹を切る! 絶対に切ってやるわっ!」


 井伊万千代直政や、永井伝八郎直勝らによって取り押さえられながらも、激しく抵抗し、頑なに自らの意志を変える素振りを見せない三河守家康。


 その一部始終の眺めていた、穴山梅雪斎不白はその騒然とした場を眼前にして周囲の者に悟られぬように嘆息する。

 それに気が付いていながら、敢えて三河守家康に向き合う男――本多弥八郎正信がそこに居た。


「――殿。まずは我等が皆、三河に帰るべく方策を探しましょう」


 内心弥八郎正信のことを快く思っていない徳川家中の者も、この時ばかりは彼の言に心底同意していた。


「三河に帰る、か? ……この状況でか?

 我等は敵中に孤立しているのだぞ。つまらぬ野盗や農民ずれに襲われて命を落とすくらいなら、死に場所くらい選ばせてくれなんだ」


 しかし、弥八郎正信はこの程度では諦めない。


「このような逆境なぞ、我が徳川家は既に幾度も経験しているではないですか。……それを乗り越えられたのも――殿のお力があってこそのこと」


「はっ! 一向争乱も武田の策謀を防いだのも、全て瀬名殿が居たからこそのことよ!


 ……あ、ああっ。そうだ。瀬名殿。

 瀬名殿が三河には居るではないか。それであれば、助かったな。よし! 後は瀬名殿の救援が来る迄待つのみよ」


 流石に、この三河守家康の言には耐えられなかったようで、石川与七郎数正が口を挟む。


「……殿。築山殿は、三年前・・・のあの日に……我が徳川家より追放したでは、ありませぬか」


 その正気を取り戻してほしい一心で紡がれた与七郎数正の言葉は、三河守家康には届かなかった。しかし、彼の一部の言葉(・・・・・)は三河守家康に拾われる。


「――三年前。

 そうだ。三年前。


 あの時。瀬名殿は、儂を殺すには三年早いと言っていた。

 瀬名殿は……前右府様の顛末すらも、読んでいたのではないのか……」


 その一言に一同は静まり返る。

 そして静まり返った中で、不意に呟いた万千代直政の一言は異様に響いた。


「……そういえば、瀬名姫は水軍を指揮しておりましたな。

 もし瀬名姫がご健在であれば、我等共々堺で拾い上げられて助かっていたのでは?」


「万千代。口が過ぎるぞ」


 榊原小平太康政が万千代の言葉を遮る。が、徳川家の草からも逃げられる船を保有していたとなれば、堺から三河なぞ往復も容易であると皆考えてしまう。




「――いや、築山殿は確かに我等の為に手を打っていた。

 殿。某に一案ありますぞ」


 こう声を挙げたのは、築山殿追放(・・)事件には、築山殿の手回しで関われなかった――服部半蔵正成、その人であった。


 あの時、半蔵正成は、前右府信長の次男である織田三介信意の軍備増強のために、三介信意の侵攻先となる、とある国を調査していたのである。



 ――そう。そこは伊賀であった。

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