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第一話 築山殿の離縁

「儂はの、お愛を本気で懸想しておる。其の方とであれば、まことの愛を築き上げられると思っておるのよ。

 ……故に、築山殿。貴殿には申し訳ないとは思っているのだが、この場をもって離縁して頂きたい」



 何言ってんだ、この狸親父。お前、今年で三十六歳じゃねえか。いい歳したおっさんがまことの愛とか何とか青臭いことほざいてんじゃないわ。



 ――天正七年八月二十九日。遠江国曳馬の浜松城。その大広間にて、錚々たる徳川の臣らの前に先の口上を高らかに宣言したのは、この城の主で後の征夷大将軍である、徳川三河守家康その人であった。


 かつて家康を苦しめた、甲斐の武田大膳大夫晴信こと徳栄軒信玄は既に六年前にこの世を去り、その跡を継いだ諏訪四郎勝頼の攻勢も長篠において完全に頓挫させた。


 また戦国の世にその名を轟かせた関東管領、上杉不識庵謙信も既に堕ち、越後は泥沼の後継者争いが佳境となっている。

 武田家と和議を結んだ上杉喜平次景勝と、故・北条左京太夫氏康の息子である上杉三郎景虎。この両者の争いは甲相同盟を結んだ武田・北条家の友好に亀裂を走らせ、武田と相対する徳川家にとっては僥倖に巡り合ったと言うべき幸運である。

 事実、水面下ではこの北条家と同盟を結ぶ交渉が続けられている。


 更に、同盟国と言えば忘れてはならないのは既に畿内の過半を手中に収め、官位も右府まで上り詰めた織田家だ。

 昨年は播磨や摂津で離反が相次いだが、それも織田政権中枢に動揺を与えるものでは既に無かった。盤石の体制で最近では長らく抵抗を続けていた丹波・丹後の平定も完了したとの報告も上がっていた。

 更には伊勢では軍備を集めているという情報が入っており、伊賀を攻めるのではないかという噂もある。この報が入った段階で家康は伊賀国の調査を服部半蔵正成に命じた。


 徳川家を取り囲む環境は、かつてない程に好転している。事実武田が不当に占領している駿河国の防衛の基幹を担う田中城の攻略は続けられており、今まで守勢一辺倒であった徳川家がついに駿河の地へ足を踏み入れることとなった。


 宿敵・武田家は往時の勢いを確実に失い、関東の雄である北条家とは同盟間近。そして後ろに控える織田家が全くの陰りを見せず天下一統へ邁進しているとなれば、後世で『忍従の人』として知られる家康ですらも、この時ばかりは心安くあったとしても、それは当然のことであろう。


 そしてこういうときに慶事というのは重なるもので、本年の四月には、家康に三男・長松が誕生する。


 そして、その長松の母親が土岐一族の支流でありかつては三河守護代も務めた由緒ある国人、三河西郷氏の出の『お愛の方』となる。


 ……まあ、そのお愛の方も今年二十七歳の一児の母なのですが。



 一方で、離縁を告げられた築山殿と呼ばれる女性。まあ、私なのですけれども。

 突然、夫から婚姻を無効にする旨を伝えられて、動揺して……いなかった。


(まあ史実では、いきなり家臣がやってきて自害を迫られるわけだから、こうして浜松の居城まで呼ばれたということは事態は大分好転しているわね……)


 離縁を言い出されることを避けることは適わなかったものの、即座に命を奪われる……という展開にはならないだろうという楽観が私を包み込んでいた。


 こうして場を設けられたということは、徳川家、というより三河にて私の影響力がある程度存在することを認めたうえで、穏便に済ませたい意図すらも感じるわけですが。……よしよし、ここまでは全て想定通りに事が進んでいる。


 評定が開始した段階では正室として参加していたため、隣に座る家康からの問いかけに私は、一言答える。


「……かしこまりました。では私は引継ぎと荷物の整理がありますので、岡崎の西岸寺に戻りますわ」


 西岸寺。岡崎城城外の三河本多氏の菩提寺である。徳川家臣に『本多』は数多く存在するが、徳川四天王に数えられ、家康に信任されている本多平八郎忠勝の家系である。つまり、端的に言ってしまえば監視、ないしは軟禁する意図があったのは間違いない。

 そして、その西岸寺がある場所が『築山』。そんな軟禁場所を個人の呼び名とするのであるから個人的には悪趣味極まりないとも思うのだが、桶狭間以降、石川与七郎数正が人質交換で今川から私と子供二人を救い出して以降、二十年余りは表向きはそんな扱いだったので今では特に感慨も無い。


 唯一つ。思うことがあるとすれば。


(しかし、あの引っ込み思案の竹千代が大大名となるとはねえ……。

 いや、史実で征夷大将軍となる徳川家康なのだから当たり前なんだけれども、幼少期の実像と東照大権現様がどうしても結びつかないわ)


 元夫というか、どちらかと言えば腐れ縁の幼馴染といった感覚の強い竹千代・・・が、今でも徳川家康なんだと実感することが薄いし、終ぞや恋愛感情など抱くことなく私も今世で既にアラフォーに入りつつある事実を再認識する。


(……さて、離縁が決まったのであれば長居は無用。処断を命じられる前に、とっとと逃亡しなければ)



 そう考え即座に中座しようとするも、その言葉は他ならぬ、家康によって阻まれた。


「……あいや、瀬名殿・・・

 真実の愛に目覚めたとはいえ、瀬名殿にはこれまで夫婦めおととして、迷惑をかけたにも関わらずこのような仕儀。……せめて詫びの言葉の一つを述べなければ、この家康も収まりが付きませぬ。


 評定の後に然るべき場を用意しているので、岡崎に戻られるのは一旦待たれよ……無理強いはせぬが」



 ……さて、これはどうだ。

 私のような終わった女に情けをかけることで、自家の者は見捨てないという彼なりの家臣掌握のパフォーマンスと見るべきか。

 あるいは評定の後の場にて、直接切腹を命じてくるのだろうか。


 でも、まあ人払いがされて家康と対面で話すことの出来る最後の機会。……色々と仕掛けは施したから、今中座すれば追っ手を差し向けられても己の命を守ることはできるとは思う。

 ――しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ず。


 多少のリスクを許容しても、後顧の憂いを摘む必要性はあるのかもしれない。相手は……あの『徳川家康』なのだし。

 いやはやこの場においては、史実の知識など在って無きものに等しい。『築山殿』としての歴史は完全に捻じ曲がっているから何の参考にもならない。その冷酷なまでの事実は私にむしろ高揚感を湧き立て闘争意欲を掻き立てる。


 ……ふふふ、竹千代くん?

 信長と相対し、今川を喰らい、信玄と勝頼と死闘を尽くした未だ発展途上のその才覚を、もう一度私に見せていただきましょうか。


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