二人目の村……お姉さま
「俺?俺かぁー。ここに残る理由なんてのに良い理由なんてないんだけどな。さっき、酔っ払って階段からおちて植物状態になっているらしい、って言ったよね?最初は帰ろうと思ったけどさー……。そんな状態の自分を見ちまってからは、別に待ってる人もいやしないし次の生を生きるのもたるいなーってここに居座ってるだけ。」
「植物状態の自分を・・・見た・・・?」
「うん。あれ、その反応だと見てない感じ?」
「ええ、全く。」
ふうむ、と綱嶋は考えはじめた。こちらにはすっかりさっぱりわからない。見るって?幽体離脱みたいなものだろうか。
綱嶋は悩み終わったようで、ばっと顔をあげた。にかっと笑い、
「じゃあ君、身体きっと無事だよ。」
「えっ?」
「だって望み薄なのをみんな見せられてるからね。とすればビジョンを見なかった君はラッキーなことに、そこまでの事態には至っていない……そう考えるべきなんじゃないかな?確証は持てないけどね。」
「はぁ・・・…。つまり、今のところ綱嶋さんの結論からすれば、手遅れな場合は幽体離脱のような状態で現状を見せられ、その上で選択を迫られる……って認識でいいんですか?」
「そそ。幽体離脱とはまたちょっと違うだろうけどだいたいそんな感じと思っていいと俺は思うよ。」
優紀はほっと息をついた。そっか、私、まだ望みあるんだ。帰ってもいいという望みが。
「まあ、まだあと四人いるしせっかくだから話聞いていくのもありかもね。なにせそうそうない状況なんだし。」
それはそうとしてちょっとハグくらいしていかない?という声を無視し、綱嶋宅を退去した。
たしかに、こんな状況になるのもそうはないだろう。他の四軒に立ち寄って、話を聞いていくのも悪くないかもしれない。一旦ロボのもとへ戻り、四軒もまわって少し話を聞いていきたい、と話すとあからさまに鼻面にしわを寄せられた。
「ユウキ、帰りたいんじゃなかったのか?」
「うん?もちろん帰りたいよ。けどこんなことめったにあるわけじゃないし、ちょっと話を聞いていきたいなーって思って・・・・・・だめかな?」
「駄目ということは無いだろう。ただ・・・・・・」
「ただ?」
今まできっぱりはっきりした表現をしてきたロボにしてはやけに歯切れが悪い。どうしたんだろうか・・・・・・と考えていると、「まあユウキの自由だ。行ってくるといい。」といって送り出されてしまった。
「ロボ、なんなんだろ・・・・・・?」
待ってるのに飽きたのかな。男の人ってそういうとこあるもんね。などと考えながら二軒目を目指す。綱嶋の家の斜め奥、広めに場所をとっている家だ。
「すみませーん!どなたかいらっしゃいますか!」
声をかけると、すぐに「はいはーい」と軽やかな声が帰ってくる。このトーンからすると、二軒目は女性のようだ。
「どなた?」
入口をめくって顔を覗かせたのは、とんでもない美女だった。流れるような長い黒髪に、露出多めの衣服。ぷっくりとした唇と整った顔立ちに、女の優紀でも目のやり場に困ってしまう。
「あら、はしたない格好でごめんなさいね。一枚羽織って来るわ、ちょっと待ってて。」
「は、はい!」
よかった。肌は隠してくれるようだ。そわそわして待っていると、少しして招き入れてくれた。
「お待たせしてごめんなさいね。それで、見ない顔ね?誰?」
「あっ、は、はい!篠崎優紀と申しますっ少しお話を伺いたくて参りました!」
「あら、じゃあ新入りちゃんなわけね。ようこそ、私たちの桃源郷へ!」
また可愛い子が来てくれたわね~、ん~好み!などと言われながら頬擦りされる。ちょっと待て、新入りってなんだ新入りって。
「あのっすみません、私は帰らなきゃいけなくて!でも皆さんがどういう理由で残られてるのかなーってお話を伺いたいだけなんですけど・・・・・・!」
「あら。え、残らないの?なんで?」
「え、なんで、って。」
「ここなら労働なんかしなくていいし迫害もない。目に映るものは全て美しくて肉体が死ぬまでは遊んで楽しく自分らしく暮らしていられる。それでも貴女は帰るの?どうして?」
「あ、あの……?」
なにか脅迫めいた感じを受ける。目を合わせるのが怖い。どうしても気後れしてしまい、たじろぐ。
「う、だって、家族がいますから・・・・・・。」
「家族がいるから?家族がなんの理由になるの。」
「か、家族がいて待っていてくれるのは立派な理由じゃないですか!」
「違うの。貴女が、向こうに帰りたい、その理由を聞いてるの。帰らなきゃいけない理由じゃないわ。」
「え、そんな・・・・・・。」
家族がいて、会いたくて帰りたい。それだけでは何がいけないんだろうか。そもそも「生きたい」「生きていたい」ということにそんなに理由が必要?
じわりと視界が緩んだ。なんなんだ、この人は。好き勝手言いたいこと言って。感情が吹き上がって来るのを感じた。やばい。そう思ったその時だった。
「どうも、奏さん。お邪魔して良いですか~!」
綱嶋が入口をくぐって乱入してきたのは。
○
「あーあー、やっぱり。奏さんに虐められてるや、可哀相に。」
そう言って綱嶋さんは奏さんと呼んだ女性と優紀の間にどっかりと座り込んだ。奏さんはじろりとにらむが平然としている。
「何、やっぱりって。あ、もしかして外から盗み聞きしてたの⁉最低!」
「いやぁだって心配だったんですもん、奏さんスパルタだから。」
「だからってレディの会話を盗み聞きしていいことになるの。」
「そこはまぁ、プライバシーに関して問題はありますから謝りますよ。すみません。」
ぺこりと綱嶋さんは頭を下げた。
・・・・・・一体どういうことなんだろう。帰る意味とか。スパルタだとか。さっぱりわからない。誰か説明して。
「あぁ、優紀ちゃん。ちゃんと説明させるから、ほら、落ち着いて。」
ほらこれで涙拭きなよ、とハンカチを貸してくれた。なんだ、綱嶋さん、すごいいい人だ。さっきのセクハラ発言が嘘みたいだ。
「で、姉さん。ちゃあんと始めから、全部、説明しないと。」
「えぇー・・・・・・始めから?しなきゃだめ?」
「じゃないと優紀ちゃん、無駄に怖い思いしただけになっちゃうよ。」
勘違いされたままで良いの、と問い掛ける視線は優しげだ。勘違い・・・・・・ということは、この奏さんという人は怖い人では無いのだろうか。狂気じみた感じを受けたのだけど、それは勘違いだったということなんだろうか。
少しして、奏さんが折れた。ガシガシと頭をかいて、吹っ切るように「あーもう!」と一声あげる。
「わかった、わかった。説明するわよ。優紀ちゃん・・・・・・だっけ?」
「は、はい!」
「引かずにしっかり受け止めて聞いてくれなきゃ嫌よ。」
そうして語られた奏さんの過去は一種の狂気じみた問いを納得させるのに十分なものだった。
〇
奏、優紀、綱嶋と円になって向かい合う。重々しい空気が流れる中、奏が口を開く。
「私ね。もともとは男だったの。体はね。」
「体は……。つまり、トランスジェンダー、ってことですか?」
「そう。よく知ってるわね。」
奏は切なげに微笑む。
「なんだ、トランスジェンダーって?」
「綱嶋ぃ、こんだけ付き合いあるのにあんたってば……。」
「ト、トランスジェンダーというのは、簡単に言ってしまえば生まれ持ったからだと自分の認識している性が異なる状態を指す言葉です。」ですよね?と奏に目をやる。
「そう。よく知ってるわね。……もしかして、もう一般的に知られるようになってるの?」
「ええ、ここ数年の話になりますが……最近は生まれ持った性の多様性というものについての話し合いは盛んに行われてまして、認知度は上がっていると思います。」
「そうなのかあ。もし貴女のような子とここじゃなくて向こうで会えてたら……もしくは生まれるのがもう少し遅ければ何か違ったかもなー……。」
「どういう意味です?」
「貴女わりと容赦なくずばずば聞いてくるわね。……ただの、私の周りには理解ある人間がいなかったって話よ。」
「私、ここに来たのは一年前なんだけど、実を言うとその理由ってのは首括ったからなのよね。」
「えっ……。」
「きみ、相変わらず突然ぶっこむなあ。」
だって何の準備も無しに突然こんな話しろって言われた私の身にもなってよ、と綱嶋に怒る奏を見て、優紀は信じられない思いだった。こんな姉御肌で明るい人が?……しかしほんの少し前の狂気じみた瞳を思い出し身震いする。
「そ、それってなんで……ですか……。」
「……異質なものは迫害を受ける。私は周りに受け入れてもらえなかった。男であることを強要され、親兄弟からも、学校や職場でもいつも後ろ指刺されていつ何をされるかわかったもんじゃないって恐怖に怯えて暮らしてた。私は私として受け入れてはもらえなかった……。」
「ご家族も、理解してくれなかったんですか……?」
「うん。家族なんて血が繋がってるだけの赤の他人よ。そんな異質なものと血が繋がってると思うと嫌だったんでしょうね。白々しい目で見られるわ、のけ者にされるわ、お前はおかしいんだって真正面から言われたこともある。……だから、家族の絆なんてもの、私は信じない。」
だからあの時、「家族がいるから」帰りたいといった自分に帰りたい理由じゃなくて帰らなきゃいけない理由はあるのかと聞いたのか、と今更ながらに気づく。
「自分を偽って生きる事もできた。でも、そんなことをして仮面被って生きる意味ってある?私は私という人格を持って生まれてはいけなかったの?私は私でいたかった。でも周りは皆そんな私を拒絶した。皆、皆自分らしく着飾って楽しそうにして生きてるっていうのに、そういうやつらに否定され続けたのよ!
……だから私は、こんな息苦しい世界も私ももう切り離そうと思って、括った。……そうしたら、目が覚めてここにいた。ここは皆自分の楽園を作ってるのよね。だから、ここには迫害がない。自分のところだけで満足しているから。後ろ指をさされることもない。他人に興味もないから。そしてここに来たことによって私は私の体を持てた。私にとって、ここはまさしく桃源郷。向こうの体が死ぬまでだからいつまで続くかわからない。もって数年かも、あと数分かもしれない。それでも桃源郷に転生したのと同じことよ。」
だから、私は決して帰らない。ここにいる理由はあるけど、向こうへ帰る理由もわざわざ自分から次の生へ行く理由もない。そう言い切った奏は、凛々しい顔をしていた。
……優紀はしばらく声が出なかった。自分の中を渦巻いているこの感情をどう表現したらいいのかわからない。ただただ胸が苦しかった。
「……でも、いきなり帰らなきゃいけない理由を言え、っていうのも無茶を言ったわね。ごめんね。」
言葉も出ない優紀に、奏は優しく声をかけ頭を撫でてくれた。その手はひどく華奢で、改めて見ると奏は美人な顔つきとあまりにも女性的な体つきをしていた。つい涙がぼろぼろと零れ落ちる。「あらあら、よく泣く子ね」といって涙をぬぐってくれるので更に溢れ出る。どうやって整理をつければ収まるのか、その術を優紀は知らなかった。なぜこの人がそんなに苦しまなきゃいけなかった。なぜ誰も手を差し出さなかった。なぜ。なぜ。……「なぜ」という一単語が頭の中をぐるぐると動き回っていて、なにも考えがまとまらない。
「……奏さん。」
「なあに?」
「……私、なんか悔しいです。」
「あらそう。それはよかった。」
「………良かった?」
「そりゃあ、これだけのイイ女が昔話させられてたっていうのに何も響いてなかったらこの家から蹴り出すところだったから。」
「……もう。そりゃ酷いですよ。」
「当然の権利だと思うけど?」
そういって二人でふふふと笑いあう。
「それで、私がもともと言いたかったこと、わかった?」
「……はい、そういった世界に帰って、またこちらに来たくなるような覚悟ではいけません。帰りたいというのであれば硬い意志でもって、帰らなきゃいけない理由を探しておけ、ってことですよね。」
「正解。後悔するような真似はしちゃだめよ。」
良い子ね、とまた頭を撫でられる。今までの話を聞くと、奏は本当にたくましい人間だ。芯のすっと通った人間。それがこんなところに来るような、そんな世界に私たちはいた。そして私はそこへ帰りたいと願っている。……ここへ転生している場合じゃない、帰らなきゃと焦るこの気持ちは、いったい何に突き動かされているのだろう。それを明らかにするまでは、まだ帰れない。