第79話 師匠 7 〜ミリーの試練①〜
「はぁ・・・はぁ・・・ッ」
喉が熱い。胸も痛い。
震える脚は今にももつれて転びそう。でも止まるわけにはいかない。
止まってしまえば殺される!
背後からは地面を踏み締める大きな足音。
振り返らなくても、それがすぐ後ろにいるのがわかる。
「逃げなきゃ、逃げなきゃ・・・早く逃げなきゃ」
走れ、走れ!でないと殺される!
いま自分がどこにいるのかも、どっちに進んでいるかもわからない。
考える余裕すらなく、ただ脚を動かす。
草や枝に当たって体は傷だらけ。でも、そんなものは気にしていられない。
背後から大きな槌で薙ぎ払われた草木の破片が頭上を舞う。
それらは一寸先の自分の未来だ。
視界が霞む。目に涙が溜まるが、拭う時間すらもったいない。
走れ、走れ!
焦る気持ちに脚が付いて来られず転んでしまうが、それでも四つん這いになって前へと進む。
「助けて・・・助けて、師匠・・・」
思わず溢れた私の声は、けれど小さく掠れていて誰の耳にも届かなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「えーいッ!」
私のマジカル⭐︎パンチでコボルトは宙を舞い、ゴロゴロと転がって、そして動かなくなった。
いまのが師匠が連れて来た最後のコボルトでした。
陽は西に傾き、空は鮮やかな茜色になっています。
朝から戦い始めていたので、流石に疲労は溜まっていますが、敵を倒すたびに息が上がることはもうありません。
コボルトを数十匹、ひょっとしたら百匹を超えているかもしれない数を相手にしたことで、始めた頃と比べ、力と体力、それに魔力操作の技術がグンッと向上したのがはっきりと実感できます。
『私は、強くなっている』そう言い切れる程の自信が今はあります。
これがレベルアップということなら、もしかして今なら・・・
「今日だけで結構レベル上がったんじゃないか?上出来、上出来」
私が考え込んでいると、後始末を終えた師匠が手を叩きながら戻って来ました。
コボルトの死体があった所には、黒く焦げた地面と小さな魔石が散らばっているだけです。
「ふふっ。私もそんな気がしてました」
師匠からもそう言って貰えてとても嬉しい気持ちです。
「それじゃ、この辺で終わりにしようか」と師匠は歩き出したので、私も返事をして横に並びます。
それからひとつ気になっていたことを尋ねてみました。
「ところで師匠、魔石は持ち帰らないのですか?」
冒険者の大事な収入源をそのままにしている理由を知りたかったのです。
「え、魔石って?」
師匠の疑問に、私は足を止めてそれらを指さします。
「え、あの石ころ?」
コクリと私は頷きます。
「え?・・・でも店で見たやつはもっとツヤツヤしてたと思うんだけど」
「大抵は加工されて使われますので・・・」
「・・・歯とか骨でもないから、なんか尿道結石的なもんだと思ってた」
どうやら、師匠は魔石をご存じなかったようです。
燃やしても残るような結石があるだなんて、モンスターは前世で相当悪いことをしたに違いありません。
悔い改めること間違いなしです。
ところで師匠は「嘘みた〜い」と驚いていますが、「そんな、まさか!?」と驚いているのは私の方です。
初等部の子供でも知っている常識を、冒険者の師匠が知らないのですから!
私はなるべく言葉を選び、師匠が不愉快にならないよう努力して説明しました。
私の周りには(特に貴族社会では)些細なことを指摘されると侮辱されたと怒る人たちばかりですから。
ですが、うまく説明できたとは思えません。動揺していたというのもありますが、単純過ぎて選ぶ言葉がそもそもなかったというのが理由です。
「これは、バナナ」と教えるのと同様、他に付け加える言葉がありませんでした。
「へぇ、これが魔石か〜。
あ、じゃレイナさんが持ってた気持ち悪いのも魔石だったのかも」
私の努力が功を奏したのか、それともだたの杞憂だったのか・・・
師匠は気分を害した風もなく、興味深そうに魔石を眺めています。
私はその様子にホッとして、ちらばった魔石を回収していきました。
「これってどれくらいの値段で引き取って貰えるの?」
「そうですねぇ、コボルトの魔石は小さいですから、おそらく1つにつき銅貨2、3枚といったところでしょうか」
集めた魔石をハンカチで包んで師匠に渡しながら答えます。
「なるほどね〜。
てか、こんなに倒してたの!?コボルト絶滅したかも!」
師匠は冗談めかして言っていますが、魔石を集めながら私も改めてその数に驚いていました。
それはもはや学生の課外演習どころではなく、騎士団が行う軍事規模、或いはコボルトの大暴走の阻止に匹敵する成果で、叙勲されても不思議ではない程の常識外れの数でした。
だから一層私は期待してしまうのです。
ここまで出来るようになったのだから、きっと魔法も・・・と。
「師匠、あの・・・そろそろ試してみてもいいですか?」
「ん?あぁ、そうだな。うん、やってみて」
私は頷き、鞄から蝋燭を取り出して地面に立てます。
ティアちゃんも様子を見にやって来て、3人で蝋燭を囲んでいます。
そして、私は蝋燭に手を翳して集中しました。
出来るはずです。魔力の操作も上達してるし、心なしか魔力量も増えた気もしています。
師匠を信じて、自分を信じてここまで成長できたのですから!
(やれる、やれる・・・)と心の中で呟き、私はゆっくりと呪文を唱えます。
「【ライト】!」
詠唱と共に魔力が魔法という現象へと変化すべく私の中から流れ出す。
手から溢れた魔力が光に変わり、その一条の光は・・・何を照らすこともなく、儚く消えた。
* * *
また・・・
まただ。まただ。まただ!
いつも、いつも!何度やっても、また同じ結果だ!
なにをやっても、いつも、いつも同じ結果だ!
今回は、今回こそはって思ったのに・・・。
魔力の操作だってすごく上手にできるようになったのに、それでもまた同じ結果だ。
どうしてよ・・・
悔しくて悔しくて、地面についていた両手を強く握った。
爪に土が食い込むのも構わず握りしめる。
どうして、どうして、どうしてよ!
私の心の中は、悔しさ、虚しさ、恥ずかしさ、申し訳なさ、その他のいろいろな感情が渦巻き、歯を食いしばっていないと全部吐き出してしまいそうで、顔も上げられません。
「やっぱり、ダメだったか〜」
ぐちゃぐちゃな気持ちだった私に、師匠の口からそんな言葉が出てくるのを聞きました。
「え?」
私は耳を疑いました。“やっぱり”?
「“やっぱり”って、どういうことですか?」
私には魔法が使えないってことですか?
本当は最初から出来ないって・・・
なにをやっても無駄だって思っていたということですか?
「ん?あ、いやいや、違う違う。
えっと、違わなくはないんだけど、そうじゃないから」
師匠の慌てた態度は、なんの説得力もなく、不信感すら募らせます。
何が違うって言うんですか?
何ではっきり言ってくれないんですか?
私の心は、黒い感情の濁流で満たされていました。
師匠は私の気持ちを分かってくれていると思っていたのに・・・。
私も信じてたのに・・・。
「師匠の嘘つきッ!!」
目から大粒の涙がボロボロと溢れてきます。
「まほぅづかぇるっていっだのにぃ。しじょーの嘘つきぃ!!」
もう気持ちを抑えることができず、私は蝋燭を師匠に投げつけ、逃げ出しました。
誰の顔も見たくないし、誰の声も聞きたくない。
誰も彼も口にするのは不可能という言葉だけ。
そんな言葉は聞きたくないし、そんなことは私が1番わかってる。
だけど諦められないから・・・
だからって諦めたくなかったから・・・
* * *
息が苦しくなるまで走り、ようやく私は足を緩めた。
大きな木の根元まで歩いて行き、背中を預けてずるずると座り込みます。
そのまま暫く顔を腕の中に沈めていると、徐々に気持ちも落ち着いてきました・・・
少しだけ顔を上げて辺りを窺い、ふと頭に浮かんだことは「私はいつもこういう場所で泣いてるな」ということでした。
「戻らないと・・・」
つい感情的になり過ぎて逃げてきてしまいましたが、ちゃんと師匠と話さないといけませんよね。
そう思って立ち上がろうとした時、ガサリッと葉が動く音がしました。
師匠だろうか?と顔をそちらに向けると、そこにいたのは武器を持った巨躯のモンスター。
『コボルトロード』
コボルトの群れを支配する、C級指定モンスター。
その姿はコボルトとはかけ離れており、頭はより凶暴な狼の形で、身体は分厚い肉で覆われた2メートルを超える体躯をしています。
そんなモンスターが、ほとんど丸太のような槌を軽々と手に持ち現れたのです。
私の身体は一瞬のうちに恐怖で固まりました。
自分を簡単に殺し得る格上の生物。
しかしそれにも増して、コボルトロードの躰に纏わり付く黒い靄のようなものが本能的な拒絶感を呼び起こすのです。
見ただけで肌に虫が這うような嫌悪感。
あんなもの聞いたこともありません!恐怖のあまり幻視してしまっていることを疑いましたが、強烈な圧迫感がそれがただの想像のものではないことを突き付けます。
目の前をゆっくりと横切ろうとする、どこか狂気じみている魔物に、私はただそのまま通り過ぎてくれるよう願うことしかできません。
ガタガタ震えだした身体を必死に抱きしめ、呼吸の音すら五月蝿い気がして息もほとんど止めています。
ですが願いは聞き届けられず、コボルトロードは私に気づき足を止めてしまったのです。
そして、こちらに向きを変えると、槌を持った腕を振り上げ迫って来ました。
もう私の恐怖は限界を超え、飛び上がって後へ逃げると、その直後に振り下ろされた槌が、先ほどまで背中を預けていた大きな木の幹の半分くらいを有り得ない力で刳り飛ばしていました。
そこからは無我夢中で逃げました。
幸いコボルトロードはそれほど俊敏ではなく、尚且つ、木や枝が邪魔をしてくれ、なんとか生き延びることができ、今は荒い呼吸が音を立ててしまわないよう両手で口を押えながら岩陰に身を潜めているところです。
コボルトロードは執拗に私を狙い、諦める様子はありません。
あのコボルトロードは何か異常です。具体的に言葉には出来ませんが、どこか壊れているように感じるのです。
岩陰から恐る恐る頭を出して様子を窺うと、コボルトロードは顔を地面に近づけ鼻をひくつかせていました。
臭いを追って来ている以上、ここも直に見つかるでしょう。
私は頭を引っ込めると鞄を探り、通信の呪符を取り出しましたが・・・
それを使うことなく鞄に戻しました。
いま声を出せばすぐに見つかり、助けを呼ぶ前に殺されてしまいます。
なんとか時間を稼いで、師匠と連絡を取れればいいのですが・・・
けれど、ここまで死に物狂いで走っても逃げきれず、疲労も限界に近づいている以上このまま無策で逃げ回っているだけではやがて追い付かれてしまうでしょう。
自分の身体が簡単に引き裂かれてしまう光景が容易に想像できてしまい、どうしようもなく体が震え、涙が溢れてきますが、死にたくなければ・・・
「や、やるしかないんですね・・・」
私は出発した時に師匠が言っていたことを思い出していました。
あの言葉はこういう時のためだったのです。
私は大きく息を吸い、ゆっくり吐き出して決意を固めます。
師匠に酷いことを言って逃げてしまいましたが、あんなのが本心なわけありません。
戻って、ちゃんと謝らないと!
だから、やらなくちゃ…
めそめそしている場合ではありません。
私は涙とついでに鼻水もごしごしと拭います。
“こちらから打って出ます!”
敵にダメージを与えて距離を稼ぐのです。
私は再び鞄を探り、今度は手鏡を取り出します。
それをコボルトロードが映る角度に調整して地面にそっと置きました。
それからコボルトロードがこちらに向かってくるのを鏡で確認すると、私は集中します。
全力のマジカル⭐︎パンチを打つのです!
近づいてくる足音が大きくなるにつれ、私の心臓が早鐘のように打ち、胸が苦しくなります。
(大丈夫・・・怖いのは、ほんのちょっとの一瞬です)
心が挫けてしまわないよう、何度も『大丈夫』と繰り返します。
そしてコボルトロードが鏡に映り切らないくらいの位置にまで近づきました。
体中の魔力を集めに集め、重たく感じるほどのオーラがブルブルと震えが止まらない右手に纏っていきます。
(1、2、3で行きます!)
1・・・、2・・・
心の中でカウントダウンを始め、『3』と同時に私が行った行動は、勇気を振り絞った渾身の攻撃・・・ではなく
立ち上がることもできず、だた祈るように手を組んで震えていることでした。
その行為が全く意味のないことだと知りながらも動けず、知るが故にボロボロと再び涙が溢れてきてしまいます。
それでも尚、声だけは押し殺せていたのは、コボルトロードが自分に興味をなくしどこかへ行ってくれるという糸よりも細い奇跡を期待していたからなのかもしれません。
ですがそれは、地面に置いていた手鏡がパタンと倒れる音とともに砕けます。
目を背けたい現実に、間違いなく存在する絶望へと無理やり首を回すと・・・
そこにはコボルトロードが獲物を喰い千切ろうと牙を剥き、
そして飛び掛かってきた、まさにその瞬間・・・
紅蓮の爆発がコボルトロードを襲い、私はその爆風で吹き飛ばされたのでした。
※投稿後も頻繁に書き直しています




