第74話 侍女とお嬢様の運命②
私の名前はアン。
面白みのないシンプルな名前です。普通は発音しない文字などを付けて意味を持たせるのですが・・・
きっと考えるのが面倒だったのでしょう。
だから私は何も付いていない、ただのアンです。
ミリエル様が初等部の学校に通う7才になった時、私はお嬢様の世話役の1人に任命されました。
15歳の成人になってようやく正式な侍女になったばかりの私に白羽の矢が立ったのは、比較的年齢が近いことが理由でしょう。
その頃には、ミリエル様の魔導師としての適性は低いという結果が出ておりましたが、発達が遅れているだけの可能性もあったため、経過観察ということになっていました。
一部では、ミリエル様は不貞の子ではないかと囁かれていましたが、子爵夫妻をよく知る人は“由緒正しいカーマインの血族で適性がないはずがない”と、皆はまだいくらか楽観視していたのです。
しかしそれから1年が経ってもミリエル様に変化が見られませんでした。
旦那様は方々に手を回し、大慌てで詳しく調べていった結果、ミリエル様は『魔力不全』だということが判明しました。
これは魔法を使う魔力自体は体内にあるのですが、それを発現できないという珍しい症状だそうです。
その事実に、立場以上にお子様を大変愛されている旦那様と奥様のお部屋の明かりは、しばらくの間消えることはありませんでした。
貴族にとって魔法は1つの重要なステータスです。
魔法の行使が得て不得手の問題ではなく、その能力がない者の血は受け入れられないのです。
そのため、ミリエル様が『魔力不全』と分かって以来、頻繁にあった交流などのお誘いはほとんどなくなりました。
その代わり、物好きな金持ちや、貴族との関係が欲しい商人などからの婚姻の申込みがくるようになり、旦那様は激怒しておられました。
まだ幼いミリエル様に、適正がないことを受け止めさせるだけではなく、“適性のないカーマインの子”として受けるであろう様々な影響を考慮し、極力目立たない方が良いだろうということで、ミリエル様の学校への送迎が車ではなくなり、私の仕事に加わりました。
片道30分の道のりは若い者の仕事ですし、やはりここでも年齢の近い方がミリエル様の精神面で何かと良いだろうというのが理由です。
そういった経緯で任された訳ですが、私とミリエル様の間に連絡事項以外の会話はありません。
私は自分の仕事以外には無関心でいましたので、皆が騒いでいることも、その中でいつも通りでいるミリエル様のことも冷めた目で眺めていました。
そうしてミリエル様を取り巻く環境は慌しく変化していきました。
それはミリエル様もご同様でしたが、その変化はとてもゆっくりで、またミリエル様自身も自然に振る舞っていらしたので、心配する皆の目には普段通りに映っていたことでしょう。
ですから、変わらない私だけがミリエル様の世界を正しく見ていたのでしょう。
その中でも、学校の送迎をしている私だけに気づけることもありました。
まず、授業が終わる時間になっても、すぐにお帰りにならなくなりました。
送迎を始めた最初の頃は、終業後はすぐにご友人らとご帰宅されていたのですが、お一人で学校から出て来られることが多くなり、そのうえ何冊も本をお持ち帰られるようになりました。
車で送迎している際にもそのようなことはなかったと確認しましたので、ミリエル様の変化のひとつでしょう。
お預かりする際に見えた本も、ミリエル様がお持ちになっている本も、どちらも神話・宗教関係のものでした。
目に入った本の中身は、文字ばかりで子供には少し難しいような内容です。
ですが、(お嬢様は運動に関しては並以下ではありますが)勉学面ではフィオリナ様と同じかそれ以上に優秀だと聞いておりますので、この本の内容は理解してしまえるのでしょう。
屋敷内では、ラーズナルへご留学されているフィオリナ様から毎日届いていたお手紙が3日に1度へと減り、少し寂しがられておりますが、魔力不全と診断されてから、子爵様夫妻がもっともご心配されていたミリエル様のご様子には大きな問題も見られず学年を上がられることができ、ご安心されておりました。
また、お嬢様の将来については、いちから見直されることになりましたが、当面は現状維持となりました。
これについては、子爵様のご長男、ミリエル様の弟のフランツ様が、早めの検査を行い、その結果、魔法適性が無事あったことが大きな要因です。
このことにミリエル様もお喜びになっていましたが、その頃からお部屋に持ち込まれた本と過ごす時間がいっそう増えていきました。
もともと勤勉でしたから、お屋敷では特に問題視されることはなく、心配されるような変化はないように思われておりましたが、学校の方では少し様子が違いました。
それは、登校時にミリエル様がご挨拶しても、あからさまに無視をする子がちらほらと見られるようになっていたのです。
そして下校時間はまた少し遅くなり、常にお一人でお戻りになるようになりました。
お預かりする本も趣が変わり、人や魔物の資料や図鑑などになりました。
季節は巡り、ミリエル様は初等部の最終学年に上がりました。
その頃には登校時に誰かとご挨拶することもなくなり、終始俯き気味で歩かれるようになりました。
終業後は以前とは反対に、すぐに出て来られるようになったため、下校時間は早くなりました。
持ち帰る本は、休み時間のうちに借りられているのか、しっかりお持ちです。
お戻りの際に、不自然に足元が汚れていたり濡れていたりすることもありましたが、怪我などはされておりませんので、私は黙ってお荷物をお預かりします。
ミリエル様が借りられてくる本は、再び神話・宗教関係のものになりましたが、以前とは異なり異端や悪魔の類が書かれているものになっておりました。
どうやら他の方々がミリエル様を白い目で見ていたのはこれのせいでもあったのでしょう。
私が本のタイトルを見たのに気づいたミリエル様は、後ろめたそうな表情を向けて来られましたが、それには特に取り合わず帰路に就きます。
お嬢様が何を考えておられて、何と言って欲しいかは分かっています。
しかし私から言えることはひとつです。
“貴方は持って生まれなかった”
だたそれだけのことなのです。
ある日、ミリエル様が学校から帰宅されてすぐのこと、屋敷に学校の校長と担任教師がやってきました。
先に連絡があったのか、旦那様は屋敷にいらっしゃり、挨拶もそこそこに奥様と共にお部屋に入り校長らとお話しされました。
お話しが終わり客人をお見送りすると、旦那様と奥様がしばらくお二人でご相談され後、ミリエル様が呼ばれ、3人でお話しされました。
今回校長らがご訪問されたのは、学校でのミリエル様の言動が悪魔崇拝者なのではと問題になっているからだそうです。
その真偽を確認された後、これがもし悪い方に転がれば、子爵家が悪魔信仰とされかねないので注意しに来てくださったそうです。
彼等の訪問がもたらした内容に、屋敷内は少なからず浮き足立っておりました。
これがただの噂であっても、もし悪魔信仰の異端者と認定されてしまえば、もうこの国で顔を上げて生きていくことができなくなってしまうからです。
しばらくして騒ぎは収まりましたが、今度はお部屋に戻ったと思われていたミリエル様がどこにもいらっしゃらないことがわかり、また騒がしくなりました。
手の空いている使用人が手分けして屋敷中を探しましたが見つからないので、範囲を広げて捜す者と、もう一度屋敷内を捜す者とに分かれることになりました。
もう間もなく陽が沈もうとかという時間だったので、皆の顔には焦りが見えておりました。
私は、あまり遅くなるのもいけないと思い、空に黒い雲がかかり始めた屋敷の外へ、傘を2本持って出て行きました。
向かった先は通学路の傍にある緑が多い公園です。
そこはミリエル様がよく寄り道をされて、ご休憩したり、本を読まれたりする場所でした。
私が屋敷を出て少ししてからポツリポツリと降りはじめていた雨は、公園にたどり着いた頃には本降りに変わっていました。
公園内に入りそれほど歩かないうちに、ミリエル様を見つけることができました。
いつものお気に入りの場所にいらしたので、遠目からでもわかったのです。
お嬢様は何をするでもなく立って雨に打たれておられました。
私の場所からでは、それ以上ミリエル様のご様子はわかりませんし、声も届きません。
もしかしたら泣いていたのかもしれません。
ですが私は声をかけることもなくその場で待ちました。
ミリエル様が何を想い、どのような結論を出されるのか・・・
それを邪魔をすることは私にはできません。
辺りは私たち以外に人の気配はなく、聞こえるのは大粒の雨がはじけていく音だけでした。
・・・雨は嫌いです。
ザーザーと五月蝿いはずなのに、とても静かな気にさせるところが私と似ていますから。
やがてミリエル様がこちらへ歩いて来られました。
私は既にびしょ濡れのミリエル様に開いた傘を差し出して尋ねました。
「お嬢様、まだ続けられるおつもりですか?」
ミリエル様はご自身の“魔力不全”に抗っておられます。
これまで、心配をかけないように振る舞ってこられましたが、それが露見してしまったのです。
「・・・」
ミリエル様は、これからも抗っていかれるのでしょうか?
それともー
「お嬢様は悪くありません。
それが運命だったのです」
私に言えたのはそれだけです。
ミリエル様は持たずに生まれてきてしまったのです。
ですから、その鎖を引き摺って生きていくしかないのです。
「・・・」
「・・・」
「それは、貴方もですか?」
「誰もがそうなのです」
ミリエル様は、か細い声で聞かれた後、また黙ってしまいました。
ミリエル様は賢い方です。
私が言わなくとも分かっていらっしゃるでしょう。
空は雨雲に覆われ、その向こうにある太陽も完全に沈んでしまったでしょう。
夜の帳が下り、世界は黒一色に染まっています。
「大丈夫。私はちゃんと受け入れているわ」
しばらくして沈黙を破ったのはミリエル様でした。
「だから、もう少しだけ見ていてちょうだい?」
そう言って、弱々しくお笑いになりました。
私は頭を下げ、ミリエル様の一歩後ろに控えました。
そしていつものように黙ってお屋敷へと歩き出します。
ミリエル様の後ろ姿は、いつも通り静かなはずなのに、大声で泣いているようで、とても見ていられませんでした・・・
見上げた空は、まだまだ雨が上がる様子はありません。




