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第73話 侍女とお嬢様の運命①


本日の仕事をすべて終わらせ、最後の確認で(あるじ)の扉を静かに叩きます。


部屋からは明かりが漏れているのに、暫く待っても返事がありません。


私は何も言わずにそっと扉を開け、中の様子を伺います。




部屋の中はそれほど広くはなく、家具は備え付けのベッドに机、本棚、ドレッサーが置かれているのみ、部屋自体はかなりシンプルな方です。


にも関わらず部屋の構造以上に窮屈に感じてしまうのは、本棚には収まりきらず、床にまで積み上げられた本の山のせいでしょう。


表紙には魔法関係をはじめ、魔物、神話、植物、歴史など様々なジャンルのタイトルが記されています。


その中の数冊が今、机の上に開かれたまま置かれています。




私は音を立てないように部屋の中に入ると、開かれた本の中で小さな寝息をたてる主の肩を優しく揺すります。




「お嬢様、お体に(さわ)りますのでベッドでお休みください」




なんとか瞼を持ち上げてくれましたが、まだぼんやりとしているご様子。


私は主が転ばないよう手を引いてベッドまで移動させます。




「ありがとう、カーヤ。ぉやすみなさぃ」




「おやすみなさいませ、お嬢様」




主は言葉を最後まで聞き終わる前に眠ってしまいました。


私は明かりを消して部屋を出ると、もう一度「おやすみなさい」と言って静かに扉を閉めました。




「たしかにカーヤの報告通り、相当お疲れのようですね」




最近のお嬢様はいつもこんな感じなのだそうです。


ある冒険者に師事を頼んで以来、ヘトヘトになるまで体を動かし、限界まで魔力の操作をさせられているらしく、心身ともに疲れ切って、帰ってくるなりそのまま眠ってしまうことも珍しくないと聞きました。




カーヤがなかなか本邸に戻ろうとしない理由がわかりました。


あの人はお嬢様に甘いですから。




カーヤは今、報告のために王都の本邸に戻っています。


ですからその間だけではありますが、お嬢様のお世話役の1人である私が交代でラーズナルに来ております。




引き継ぎの際には、「あの冒険者には気をつけろ」と口が酸っぱくなるほど言っていましたが、実際に見てみると確かに奇妙な人物です。


一見いっけん気が弱そうでオドオドしている普通の(へんな)青年ですが、たまにおかしな、どこか人間離れしたような動きをしています。


おそらく彼の身体能力は低ランクの冒険者のものではないでしょう。


能力と言動の不一致が違和感に繋がっているのかもしれません。


とは言っても、これは一度見ただけの私の所見に過ぎませんし、何事もなければ私には関係のないことです。




私が配慮しなければならないことはお嬢様のことです。


今回もこれまでと同じ結果になった時、お嬢様が自棄(やけ)になってしまうことを防がなければなりません。


旦那様がお嬢様を自由にさせているのは、無理に抑えつけるよりも、時間をかけて穏便に事実を受け入れさせた方がよいとのお考えなのですから。




お嬢様は彼に大きな期待をしているようですが、やはり事実は変わらないでしょう。


これまでもそうであったし、最高峰の専門家たちが一致して出した答えも『不可能』なのですから。


それが真実だから事実なのです。




お嬢様は、いつまで続けられるのでしょうか・・・




続けることに意味などないのです




それは、最初から決まっているのですから




「やっぱり、私は嫌な女ね・・・」




窓から外を眺めると、今夜は薄い三日月でした。


この月が向かう先は、いったいどちらの月でしょう?


消えてなくなる新月か、丸く輝く満月か・・・




「滑稽ね。どちらにしても、私は月が嫌いだもの」








* * * * * * * * * * *






私は昔から何も変わっていない


当然だ。私は昔から何者でもなかったのですから




私の名前はアン。


面白みのないシンプルな名前です。普通は発音しない文字などを付けて意味を持たせるのですが・・・


きっと考えるのが面倒だったのでしょう。


だから私は何も付いていない、ただのアンです。




私は、カーマイン子爵に仕える使用人の両親の間に生まれました。


しかし物心ついた時には両親はいなくなっており、カーマイン家で使用人見習いとして住み込みで働かせてもらっておりました。




私には両親の記憶はありませんが、聞く限りではあまり立派な人ではなさそうです。


母親は仕事ができない男垂らしで、旦那様にまで色目を使う人だったようで、私が生まれてすぐにいなくなったそうです。


父親の方も女に手が早い人で、母親が出て行ってしばらくした後、他の女と消えたそうです。


両親を知る使用人たちからは「散々迷惑をかけていなくなった人の子供のお前を面倒見てくれているんだから、子爵様には感謝して一生懸命働きなさい」と言われて育ちました。




お屋敷しか知らない私は、言われるがままに一生懸命働きました。


その結果、屋敷の仕事はすっかりできるようになり、そこそこ優秀な子供と評価されていましたが、私にとっては何の価値もありません。


毎日起きて寝るまでやっているのだから、できるのは当たり前のことです。


それしか知らず、それしかできないことを評価されても、意味があるとは思えません。


パンしか知らない者に、周りが「それは貴重だ。絶品だ(またはその正反対)」と評価したとしても、その者がパンを食べることに変わりはないし意味がない。


パンしか知らない者が、それ以外を欲しがることもないように、私は与えられた仕事をこなし、与えられた物を消費し、それ以外は求めず、それに疑問を持つこともなく生きていました。




役割を果たしていれば困ることはない生活。


不安も不満もないお屋敷に囲われた世界は、(楽園とまでは言わないが)ある種、理想ともいえる場所でした。




けれどそんな世界は永遠には続きません。


何もないまま、何も知らないままでい続けることはできないからです。


それは自然なことで、歓迎されるべきだと言いますが、私にとっては赤くて甘い林檎(どく)でした。






それまで学ぶ機会がなかった私に多くのことを教えてくれたのは、若くて綺麗な女の子ー子爵家のご長女、フィオリナ・カーマイン様でした。




フィオリナ様は、美しく聡明で、武芸の才にも秀でており、そのうえ魔力の保有量は抜きん出ていらっしゃるという、まさに才能の塊のようなお方です。


お嬢様をご覧になった誰もが“完璧”と称し、幼い頃から『カーマインの至宝』と謳われ、将来を非常に期待されているお嬢様です。




そんな非の打ち所のないかたですが、私たちにとっては、いつも明るく、身内贔屓で、特に妹のミリエル様には甘すぎる、愛すべきお嬢様でした。




身内には気さくで楽しいお嬢様は、使用人にも親しみを持って接してくださり、特に歳が同じ私とはご友人とお話しするように接してくださいました。




お嬢様とのお話は、その日の出来事から次のお茶会のこと、ご学友のことや流行のファッションのことなど様々で、時には難しいお勉強のお話しもされるのですが、新しいゲームでもするかのように教えてくださり、私は仕事の空いた時間に頭の中でパズルをするように考え、またそれをお嬢様にお話ししたりするのです。




それらはお嬢様にとって日常の世間話くらいの事だったでしょうが、私にとっては知らない世界のお話しばかりで、まるで本の中で大冒険をした主人公が物語を語ってくれているようで、いつもドキドキしながら聞いたものです。






それからもお嬢様は、ご成長と共にその才能をますます開花されていきました。


王都の中等部にご入学されてからは、以前にも増して大変忙しい日々をお過ごしで、私がお嬢様とお話しできる機会はなくなりました。


最後にゆっくりお話しできたのは、卒業パーティーの後だったでしょう。


その時“友情の証”と言って頂いた青いサークルのペンダントは、人目に付かないようにして大切に身に着けていました。




最初はそれを見る度うれしい気分になったのですが、次第にそうではなくなりました。


眩しく照らしてくれていた太陽が、地平線に沈んで行くのを眺めている時と同じような寂しい気持ちになるのです。


心に穴が空いたような状態でしたが、私にも忙しい日常の日々がありましたので、いつものように与えられた仕事をこなし、与えられた物を消費しておりました。




ですが、以前のようには戻れませんでした。


もう何も知らない私ではなかったからです。


そんな私は仕事でミスが多くなりました。手を抜いているわけではないのですが、何故か失敗してしまうのです。




度々注意されてしまうようになっていたある日、私のペンダントが執事の目に()まりました。


すると執事はスルリと近寄ると、私の首を抑えて壁に叩きつけて言いました




「いつかはやると思っていました」




私は(かす)れた声で必死に否定しましたが、ペンダントは取り上げられ、あまり使われない倉庫に入れられました。


* * *


お嬢様が扉を開けてくださったのは、3日後のことでした。


* * *


そこは真っ暗でした。

それまで見ていた世界が明る過ぎたせいでしょう、自分の輪郭すらわからないほど真っ暗でした。

自分と暗闇との境界がなくなり、黒に溶けていく自分を抱き抱えながら過ごす3日という時間は、

事実を受け入れるのに十分な長さでした。


太陽は沈んだのです。


あのキラキラした世界に自分も行けたら、どんなに素敵だろうと夢を見ました。


沈み行く太陽を追いかけて追いかけて・・・


そして気づくのです。


私の足には鎖が繋がれていたことに。






もし、私に父親がいれば、ペンダントを取り上げられることはなかったのでしょうか?


もし、私に母親がいれば、閉じ込められたりしなかったのでしょうか?


もし、私が貴族として生まれていれば、惨みじめな思いをしなかったのでしょうか?


もし、私が私ではなかったら、夢を追いかけることを許されたのでしょうか?




人生は選択の結果だと言いますが、その選択肢は生まれた時には決まっているのです。


つまるところ、人生は始まった時点で終わっているのです。


違いがあるとすれば、それは繋がれた鎖の長さです。




その短さを知った私にできることは“諦める”ことだけでした。


叶わない世界を想うことをやめ、不安も不満もない世界に帰るために


私は目を閉じ、耳を塞ぎ、口を閉じたのでした。





人が人生を振り返って目にするものは、その道のりではなく、繋がっている鎖なのです。


その時になって気づくでしょう

その鎖の名前が『運命』だということに・・・



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