第57話 保育園 1
草刈りの仕事を1件終えて、俺とティアは目的の建物の前までやって来ていた。
しかし、俺たちはそれ以上進む勇気を持つことができず、お互いの手を強く握り合い、寄り添うことしかできなかった。
俺たちが目指したその建物の中からは、魔物の繁殖期のような奇声が轟き、己の母を求めて泣き叫ぶ幼子の慟哭が鳴り止まず、自身の半身ともいうべき玩具を奪われ身を引き裂くような悲しみの絶叫が上がる・・・
混沌が支配し、無秩序が許されたその地獄の場所を、人々は畏怖の念を込めてこう呼んだーー『保育園』と。
そして俺たちが立ち尽くしていると、伏魔殿から閻魔が顔を覗かせ、優しそうに手をこまねくのだーー
「ルイーゼさん、おはようございます」
「いらっしゃい。今日は宜しくお願いしますね」
俺たちを出迎えてくれたのは閻魔こと園長先生のルイーゼさんだ。
「その子がこの前言ってた子ですか?」
「はい。ティアっていいます」
そう言って俺はティアを前に押し出す。
「ティアちゃん、おはよう!ルイーゼ先生って呼んでね」
ルイーゼさんは目の高さが合うように屈んでティアに話しかけた。
「・・・うん」
「ティアちゃんが何才か先生に教えてくれませんか?」
「・・・うん」
そう言ってティアは4本の指を上げた。
「4才ですか。教えてくれてありがとう!」
ルイーゼさんは優しそうに微笑んでティアを誉めてくれた。
ルイーゼさんごめんなさい・・・その子まだ4ヶ月なんです!
「それではセイさん、体験入園の手続きをしましょうか」
俺がティアを保育園に連れてきたのはこのためだった。
ティアは今まで同世代の子・・・というか、同じくらい小さい子と接する機会がなかったので、この保育園で新しい経験をさせてみようというのが俺の狙いだ。
それとこれは周りでギャーギャー騒いでいるガキ共を見て気づいたのだが、ティアはあまり自分からはしゃべらない。
必要なことはちゃんと言うし、質問したらきちんと答えるので何とも思わなかったのだが、周りを見る限りこれは普通なのだろうかと疑問に思った。
というのも、俺が思う普通の基準は俺自身な訳で・・・例えば、俺もあまり喋る方ではないので、ティアと2人で森にいる時なんかは1日のうち「おはよう」と「おやすみ」以外話さないことは結構普通だ。苦にならないし、気にもならないレベルのことだ。
しかし!これは本当に普通なのだろうか?
もしかすると、俺はティアにとんでもない枷を背負わせようとしているのではないだろうか?
そう…それは今も俺の心と体を蝕む不治の呪いーーコミュ症。
これだけは・・・これだけは、なんとしても防がなければならない!
今はまだいいが、ティアが大きくなって「この一ヶ月で会話したのはコレットだけです」なんて言ってる姿は想像もしたくない!
ティアには何としても、一般的な“普通”というものを学んで貰いたいと思ったのだ!
切実な問題を突きつけられ、焦りだした俺の書類のサインは、とても力が籠もったものとなった…
手続きを終えた俺たちは、ルイーゼさんに連れられてティアがこれから参加する4才児ばかりが集められた部屋へと向かった。
部屋が近づくにつれてなんだか俺の方が緊張してきた!
あぁ、不安だ・・・
ティアはちゃんと挨拶できるだろうか?
みんなと仲良くできるだろうか?
今日はコレットもいないし、俺が席を外したとき寂しがったりしないだろうか?
なにより心配なのは、ティアをいじめたりする糞ガキはいないだろうか?
その時俺が傍にいればいいのだが、そうじゃなかったらと思うと顔が強ばる。
もし酷いことをするような奴がいれば、そいつは消し炭になるかもしれない…他でもないティア本人の手によって。
だってティアは既に初級魔法を使えるし、まだ低レベルの筈なのにMP量と魔力値が同レベルのプレイヤーと比べて異様に高いのだ。
ゴブリンと同程度の糞ガキなんて、簡単に経験値になるだろう。
俺はそんな経験を積ませるためにここに連れて来たわけではないというのに・・・
俺がいろいろ心配しているうちに、とうとう部屋の前まで辿り着いてしまった。
部屋の中からは、経験ち・・・子供たちの無邪気な声が響き俺は覚悟を決める。
そしてルイーゼさんが開いてくれた扉を通って中へと入った。
「みなさ~ん、新しいお友だちのティアちゃんです。仲良くしましょうね!」
「「はーーい!!」」
元気よく返事する10人前後の子供達を前に、ルイーゼさんに紹介されたティアは驚いたような顔でキョトンとしている。
ティアは繋いだ手をキュッと握り、「どうしたらいいの?」と問いた気な目で俺を見るが、ルイーゼさんに「しばらく後ろで様子を見ましょう」と耳元で囁かれたので、俺はティアの手を離し、くすぐったかった耳を掻きながら移動することにした。
この保育園は『子供を預かる』という目的以外にも、子供と子供を持つ親とが『ふれあう場を作る』という目的もある。
そのため、部屋の後ろにはソファーが並べられており、奥さん達が子供の様子を見ながら育児などの話に花を咲かせられるようになっているのだ。
俺がティアから離れると、ティアはさっそく子供達に囲まれたようで、「お姫様みた~い」「かわいい~」などと言われている声が聞こえた。
なんだかうまく溶け込めそうだなと、ちょっと安心しながら部屋の後ろまで移動し、奥さま方に頭を下げながらソファーに腰を下ろしかけたところで・・・突如子供達の方からどよめきが起こった!
俺も含め、奥さん方も驚いて子供達に目を向けると、その子供達の輪の中心には、何故か・・・本当に何故か分からないが、顎を突き出し寄り目をして“アイ~ン”をしているティアがいた・・・
さっきまで“お姫様”だった少女が、今は頭に「バ」の付く“お殿様”に豹変していた!
何やってんの、あの子!?
何故そこで“アイ~ン”をチョイスした!?
これはダメだ!
これは所謂『クラスが変わった最初の自己紹介で、親しみやすさをアピールする為にウケを狙ったけどスベってしまい、逆に孤立してしまう』パターンのやつだ!!
おしまいだ・・・なにもかも・・・。
もはや転校するしか、あの子を救う方法が見つからない。
せめて!せめて、“ティアちゃん、ペッ!”くらいに止めてくれていたら道はあったのに!!
俺はコミュ症まっしぐらのティアを幻視し、頭を抱えた。
あぁ、聞こえる・・・嘲笑の中で泣いているティアの心の声が。
聞こえる・・・みんながティアを嗤っている声が・・・
ん?・・・笑ってる?
俺は違和感を覚え、そーっと顔を上げた。
すると、そこには俺の思っていたものとはまったく別の空間が広がっていた・・・
どよめきだったものは笑い声に変わり、驚きだったものは笑顔に変わる。
一部の男の子は腹を抱えて大爆笑し、死にそうな顔になっている。
ティアを中心にみんなが集まり笑い合う。そんな暖かい空気に包まれていたのだ!
こ、これは・・・『領域』!?
人を惹き付け、場を支配する特殊な力!
歴史に残る偉人や一部の部長、そして真のリア充にしか発動することができないと言われる奇跡の能力!
俺が20年近く懸けても成し得なかった偉業を、こいつはものの数分で成し遂げやがった!!
・・・完敗だ。
もう俺が心配することなんて何もない・・・いや、しちゃいけないんだ。
俺はそっと後ろの扉から部屋をでると、そのまま振り返らずに草を毟りに外へでた・・・




