第51話 動き出す悪意①
「なぜ・・・、まだ見つけられんのだ?」
機能的に整えられた一室の中、書類の山が積み上げられている重厚な机に両肘をつき、手で眼を隠しながら中肉中背の男は静かに問いかけた。
問いかけられた2人の人物のうちの1人、直立不動の姿勢で冷や汗をダラダラ流している鎧の男は上ずりそうになる声を必死に抑えながら報告を始める。
「はっ!目下兵の大半及び、イルヘミアとアーリアの上級冒険を使い全力で捜索しており、勇者と思われる人物の特定とその足取りを・・・ヒィィ」
バコン!!
鎧の男が準備して読み上げられていた報告は、机が叩き割られたかと思うほどの音をたてて振り下ろされた握りこぶしによって中断させられた。
はらりはらりと舞い散る書類が落ちきると、そこにはまるで誰もいないかのように室内は静まり返る。
窓から差し込む光に照らされてキラキラと漂う埃の様子を視界に入れた鎧の男は、自分も光に溶けて飛んで行きたいなどと考えながら、呼吸すら忘れて目の前の男の様子を窺う。
「なぜ・・・、まだ見つけられんのかと聞いておるのだ」
永遠とも思われる重い沈黙の空気を破ったのは、先と変わらない静かな言葉だった。
兵士でもない男から放たれる凄まじいプレッシャーに戦きながら、鎧の男は覚悟を決める。
未だ勇者をみつられない理由は説明できるが、それを認めることは自分達が無能であることを報告するような恥である。
しかし、静かに怒れる人物の前には、その矜持は今やなんの価値もないものだと諦めるほかなかった。
これなら以前のように怒鳴り散らしてくれた方が、精神衛生上いくぶんもマシだと感じながら質問に答える。
「は、はっ!不甲斐ないことでありますが、勇者を自称する者が多数現れまして、その対応に時間を取られており・・・」
「何故だ?黒髪の青年など多くはないであろう?」
「はっ!当初はそのような報告でしたが、今は正確な情報が掴めなくなっておりまして・・・」
「それはどういうことだ!?
・・・いや、クソ!バカ貴族どもか!?」
「はっ!自身の私兵をねじ込む為に情報操作がされていると思われます」
「世界の危機だというのに、どいつもこいつも私腹を肥やすことしか考えないのか!」
奥歯をギリギリと噛み締めながら、イルヘミアの領主という肩書きを持つ男は頭を抱える。
「多少時間がかかってもよい。信頼できる少数で情報を洗い直せ」
「ははっ!」
鎧の男は「次こそは」と気合いの入った声で返事をすると、そのまま急ぎ足で部屋から出ていった。
領主がそれを見送ると、今度は室内にいるもう一人の人物に対して話しかける。
「して、王の返事は?」
「はい。王の方でも調査し、こちらに人員を派遣してくださるはずでしたが、急遽教会からも問題が生じたため、一時派遣を中止することが決定されました」
すらりとした壮年の男がたんたんと答える。
「教会で何か起こったのか?」
「どうやら聖女が降臨されたとの情報が入ったそうです」
「何!?それは本当なのか?」
「教会の上層部も動いているようなので、信憑性は高いと思われます」
「そうか。しかしそうなると、勇者の捜索が難航している現状から考えると、噂が広がる前にと王に献言したのは失敗であったかもしれんな」
領主は小さく溜め息をつきながら立ち上がり、窓辺へと歩くとそこに手をつき外を眺める。
屋敷から見下ろした町では、大きな口を開けて笑う女性や、客を呼び込もうと声をあげる青年の姿が目に映る。
世界の危機だというのに、なんとも暢気な光景だと思いながらも、領主は口の端をわずかに持ち上げる。
それから今度は目線を上げると、ここにはいない己の敵を睨むように遠くの空を見つめた。
◇◆◇◆
チクリとした違和感を覚え首筋を擦りながら、デボラ・ダフリー男爵は執事の男に問いかける。
「こちらの勇者はうまく推薦できたのか?」
「はい、問題ございません」
「それは重畳」
弛んだ顎を撫でながら計画が動き始めたことにニタリと嗤う。
「それで、クリスティナが見たという男の方はどうなった?」
「はい。お嬢様が見たと言うそれらしき男は見つけておりますが、勇者である確証は取れておりませんので、周囲に手の者を潜ませている次第です」
「なるほど、なかなか尻尾は見せんのか。
まぁ、よい。他の者が横やりをいれてくる前に、とりあえず探りを入れて懐柔しておけ。
多少の金をぶら下げれば食い付くだろう」
「かしこまりました。しかし彼らはどうやら町を出て東へと向かっているという情報が入っているのですが、いかがいたしましょう?」
「何?王都へ行くのか?」
「詳しくはわかりませんが、亜人族の国へ向かっているようです。
場合によっては、こちらの懐柔に応じない可能性もあるかと思われますが」
「ふむ、亜人どもの国か。そうなると手が出せなくなるか・・・」
機嫌の良かったデボラの眉がわずかに下がる。
そのまま少しのあいだ思案すると、再び嫌らしい笑みに戻って部下に命じる。
「その時は仕方がない・・・殺せ」
◇◆◇◆
アーリアの町を出た俺は、いま世界の悪意を感じ立ち尽くしていた。
「ティア、知ってるか?」
呆然とする俺の傍らで、蟻の行列を眺めていたティアが声に反応して顔を上げる。
「“道”っていうのはな、人が歩いた後に出来るものなんだ…」
俺は夕日をバックに、どこか遠くを見るような眼差しで呟いた。
ちょっと哲学っぽい俺の話は難しかったのか、ティアはチラチラと蟻の行列へと視線を向ける。
俺の話と蟻の行列、ティアの中では興味の度合いが拮抗しているのを見て取ると、俺はやや焦りながら更に言葉を続ける。
「何が言いたいのかっていうと、俺たちの冒険はこんな紙に描かれた世界なんかには収まりきらなかったっていうことさ」
俺は不敵に笑うと、広げていた地図を丁寧に畳んでアイテムボックスの中に放り込む。
ティアは口を半開きにして、ほへ~といった感じの顔で俺を見ていた。
その様子に満足した俺は、勝ち誇った態度で蟻の行列を見下ろした。
すると俺の足元でウロウロしている一匹の蟻に目が止まる。
なんとなく「邪魔なんだよ!」と言われている気がした絶賛迷子中の俺は、心の中で謝りながらそっと足をずらして道を譲った。




