第46話 ティアの買い物 1
日が昇りしばらく経ち、人々が家から出て街が賑わい出していた頃、俺はいつものようにベッドの中にいた。
しかしこの時になって俺の安眠を妨げる者がいた。
そいつは俺のお腹に飛び乗ると、フワフワした柔らかいものを俺の顔にギュウギュウ押し当て俺を起こそうとする。
これは朝の目覚まし時計のようなものだ。
ティアがお腹をすかせた頃に俺を起こすのだ。
大抵はすぐに起きてあげるのだが、今日はなんだかもっと寝ていたい気分だった。
だから俺は目をぎゅっと瞑り、けっして起きまいと抵抗していた。
俺がなかなか起きないので、ティアは顔に押し当てているものをさらにギュウギュウと押し付ける。
ギュウギュウと強く押し付けられたところで俺は違和感を覚えた。
なんかいつもと違う…。
それは鼻と喉を震わせ、目に涙を滲ませた。
そしてなんだろう?この胸の奥から込み上げてくる感覚は…。
「…って臭いわ〜〜!!」
俺は顔面に押し付けられているものを引き剥がし、えずきながら飛び起きた。
オゥェェ!
くっさ!え、なにこれ?くっさ!!
俺は窓に駆け寄り、急いで開けると、身を乗り出して新鮮な空気を取り入れた。
何度も深呼吸して外の空気を吸い込み、身体中の空気が新鮮なものへと入れ替わるまで俺は窓にもたれかかりぐったりしていた。
そうしてショッキングな朝の目覚めのせいで激しくなった胸のドキドキが収まると、俺は改めてその原因のものを見た。
それは白いふわふわボディーに長い耳とつぶらな瞳を持つティアの相棒…コレットだ。
俺はコレットを拾い上げ、ゆっくりと鼻の先に持ち上げて息を吸い込む…。やっぱ、くっせ〜〜!
なんだ、この腐った足でカビた汚物を踏んづけたような匂いは!?メッチャ、くっせ〜〜!
俺はコレットを出来るだけ遠ざけて持ち、鼻をつまみながらティアに言い渡す。
「ティア、今日、これ洗うように!」
俺は朝食を済ませると、持ち物の確認のために鞄をひっくり返していた。
明日の出発のための最終確認だ。
「じゃ、ティアはこれからコレットを洗うように!
必要な物は下で貸してもらえると思うから、肉ダルマに教えてもらえ。
もしお金が要るんだったら、これ使っていいからな」
そう言って俺は小銀貨を手渡した。
ティアは「…わかった」と言ってコレットと一緒に部屋を出て行った。
それを見送ると、俺は持ち物の確認を始めた。
◇◆◇◆◇
ティアが階段を下りると、肉ダルマことマリベルが手際良く動いて用事をしていた。
朝食の時間が終わると、その片付けや部屋の掃除などで忙しいようだ。
しかしティアは、そんなのお構いなしにマリベルを呼び止める。
「あら、ティアちゃんどうしたのん♡」
マリベルは手を止めて優しく微笑んだ。
その持ち上がった口角と少し開いた口が、オークと見間違えるほど悍ましいなものだとしても、それは間違いなく微笑んでいるのだ。
気の弱い者なら泡を吹いて倒れるところだが、ティアはニコニコしながらぬいぐるみを持ち上げて要件を伝える。
「…コレット、おふろ」
それだけで全てを察したようで、マリベルは「ちょっと待っててねん♪」と言って、お尻をプリプリさせながら奥へと歩いていった。
しばらくして戻ってきたマリベルは、ティアがすっぽり入るくらいの大きな桶を持って困った顔をしていた。
「ゴメンねん、ティアちゃん☆
ちょうど石鹸を切らしちゃってたのよん♡
午後になったら買ってくるから、それまで待っててくれるかしらん?」
そう言ったマリベルにティアは少し考えた素振りを見せてから首を横に振った。
「…持ってくる」
「あら、持ってたのねん♡
じゃ、これは外に置いておくわん♪」
そう言ってマリベルは裏口の方から出て行った。
それを見届けたティアは、コレットを抱えたまま逆の方へ歩いて行き、表の玄関口の扉を押し開けた。
宿から1人で出たティアは、いつもギルドに行く道をとおって大通りへと出た。
そのまま通い慣れた、街の中心部へ向かう道をニコニコして進んでいくと
「よぉ、嬢ちゃん!兄ちゃんはどうした?」
道沿いの串肉の屋台で、店の男に声をかけられた。
ティアは男に首を振ることで返事した。
「いねぇーのかぁ。まぁいい。
嬢ちゃん、これは新作のタレを使って焼いた肉だ!
2本やるから持って帰って食ってくれ」
そう言って男はできたばかりの肉をティアに手渡した。
「これはなかなかの自信作だ!
☆5級の旨さだから、あとで感想を聞かせてくれや」
男は「偽装屋台の汚名挽回だ」などとぶつぶつ言って戻っていった。
ティアは肉を手にしてまた歩き出す。
しばらく歩くと、パン屋の側で黒い犬を連れたお爺さんに呼び掛けられた。
「おや、ティアちゃん。兄ちゃんはおらんのか?」
ティアは男に首を振ることで返事した。
「そうか、そうか。ほれ、今日は飴をやろう」
そう言って男は丸い飴玉がいくつも入った袋を取り出し、ティアに手渡した。
「…ありがとう!」
ティアはお礼を言って袋を受け取り、その中から飴をひとつ摘んで口に放り込む。
ニコニコした顔がさらに色付いたような笑顔になった。
男はそれを見ながら「構わん、構わん」と言ってティアの頭をポンポンと撫でた。
それからティアは、少し考えた素振りを見せてから、お礼とばかりに持っていた串肉を1本差し出した。
「おや、くれるのかい?ありがとな〜」
男はティアから受け取った肉を一口食べると
「…そう言えば、ジョンの朝ごはんがまだだったわい」
そう言って肉を犬に食べさせた。
犬が肉を食べ終わると、ティアはニコニコして2本目の串肉も男に差し出した。
男は顔をヒクつかせながらも串肉を受け取ると
「…わ、わ〜い、儂、ちょーハッピー!」
と言って、涙を浮かべてガツガツと肉にかぶりつく。
ティアは男が肉を食べるのを見届けると、犬の頭をポンポンと撫で、それから男にも手を振って再び歩き出す。
ティアがトコトコ歩き、コレットがチョコチョコと付いて行く。
そしてギルドを目前にしたところで、ティアに寄り添うように歩み寄ってきた者がいた。
「ティアちゃん、おはよう…。偶然ね…。
と、ところでセイさんはいないの?」
ティアが声のする方に顔を向けると、周りを気にしながら歩くレイナがいた。
ティアはレイナに首を振ることで返事した。
「そう…」
レイナがホッとしたような、寂しいような顔をしたのに気付いたティアが心配そうにレイナを見ると
「なんでもないわ…」と言って、手をパタパタ振った。
「あれ、ティアちゃん、糸屑ついてるよ…」
レイナはティアの袖に付いていた黒い毛を摘んで取ってあげた。
先程、犬を撫でた時に付いたものだ。
レイナは摘んだ黒い毛をまじまじと観察すると
「テ、ティアちゃん。私ちょっと急用ができちゃったから、またね…」
そう言うと、レイナは摘んだ毛を大事そうに持って何処かに行ってしまった。
突然現れて、突然去っていったレイナを不思議に思っているうちに、ティアはギルドに到着していた。
ギルドには武器を持った逞しい冒険者が出入りし、普通の人にとって、ましてや子供からすると近寄りがたい雰囲気があるのだが、そんなものはどこ吹く風で、ティアもまたニコニコしてその扉の奥へと入っていった。




