2.突然の訪問者(後編)
♪~♪♪~♪
電子音の奏でるクラシックの一節がお風呂の準備が出来たことを伝える。
「オズワルド君、お風呂出来たよ。あと着替えそれね。」
着替えは子供用の服がないので父親のものを用意した。雫の父親が小学生並みに背が小さいことを雫は初めて感謝した。
「もうお風呂出来たんですか?」
「出来たよ?」
「こんなに早く出来るものなんですか?」
「なんで?」
「だって雫さん、薪とか火とか使って無いじゃないですか?」
「ガスと電気でやってるからすぐ沸くよ?オズワルド君のところは火で沸かしてたの?」
「はい。薪に火をつけて沸かしてました。」
自分が生活していた時をふと思い出す。お風呂当番の魔女達が薪を用意したり火をつけたりして慌ただしく動いていた。それに比べると雫はちょっとお風呂場で何かやっただけ。後はそれでほったらかしだった。確かに自分の所のお風呂は大浴場だった。大きさに比例して準備する時間もそれだけかかるのも事実だ。もし風呂が仮に一人用だったとしたら火の調整や湯加減を見たりとかで同じように忙しく動かなきゃならないはずだろう。なのに、お風呂場に行ったと思ったらすぐに戻ってきて、台所で夕食の準備をし始めた。そして気づいたらお風呂が出来上がっていた。それが不思議でたまらない。
(火を使ったりしないでお風呂を沸かしたのか?すごい技術だな。)
すごいと言えば今まで彼が飲んでいた麦茶もそうだった。氷が入っていないのに、台所の大きな箱から出されたそれは冷たい氷水で作ったのと同じくらい冷たかったのだ。つまりこれはあの大きな箱自体が冷たさを出しているということになる。冷凍保存用のとても大きな倉庫は自分の所にもあったけど、あれは大昔に崩れた氷の洞窟を再利用したものだと魔女達から聞いたことがある。いずれにせよ、こんなコンパクトな保存庫は見たこと無い。
(僕は、とんでもないところへ来てしまったのかなぁ?いや、もしかしたら…)
「さ、着替え持って。お風呂場こっち」
雫に声をかけられたので考えるのを一旦止めて洗面所へとついていく。洗面所の隣に風呂場があり、扉越しに湯気が充満しているのが分かる。
「脱いだのはここに入れといてね。アカすりはこれ使って。」
雫が開けたばかりの黄色いアカすりを手渡す。
「これで体を洗うんですか?」
「うん。アカすりは使った事無い?」
「僕の所ではイーリィっていう植物を乾燥させたものを使ってたので…」
「イーリィ?」
お風呂で使う植物を乾燥させたもの?ヘチマのことかな?と思ったが今現在手元にはこれしかないし確認する方法も無いので、
「とにかく、コレをこうやって丸めて石鹸つければ、たぶん一緒だと思うから」
とオズワルドを強引に納得させ、雫は台所に戻っていった。
ちなみにイーリィとはヘチマの事である。雫の予想は実は当たってたのだ。
服を脱いでお風呂場に入り、浴槽の蓋を開ける。温かな澄んだ湯が彼を待っていた。そっと手を入れてみると丁度良い温かさということが肌を通して伝わってくる。
(さて、石鹸てどれだろう?)
風呂用の小さなイスに座り、石鹸を探してみるが辺りを見回しても、四角くて白いものはどこにもない。代わりに彼の目に入ったのは「シャンプー」「コンディショナー」「ボディソープ」と人の手で書かれた透明な容器。中にはそれぞれライトグリーン、水色、白色の液体が入っている。
(しゃんぷー?こんでぃしょなー?)
聞いたことの無い単語が書かれている。何が何なのかは分からないけど、石鹸の一種だろうと思った。とりあえず彼は「コンディショナー」と書かれている白色の液体の入っている容器に手を伸ばす。
トントントン…
包丁でネギを切りながら雫は考えていた。
(魔法…か…)
先程自分が見た、夢に出てきそうな出来事を思い出していた。玄関に現れた青白い魔方陣、そこから現れたオズワルドと名乗る少年、大きな傷を手をかざすだけで治す不思議な光。自分は魔法を初めて見た。信じられない出来事だった。
雫は逆に考えてみた。自分はそれらを全て「信じられない出来事」と思った。何故かと言えば『魔法』という存在がゲームやマンガとかにしか登場しない架空のものとされているからだ。でも彼はそれを当たり前のように使った。彼は魔法は空気のようにどこにでもあるものと認識しているのだろう。そうなると、彼の「世界」では『魔法』が架空ではなく身近なものとして普通にある、ということになる。
世界。そう、世界だ。マンガとかでよく見る「異世界から~」とかいう設定のものとよく似ている。というかそのものだ。つまり彼は、
「異世界から来た?」
思わず呟いていた。あり得ない事だけど、今までの事をまとめると信じざるを得なかった。自分のマンガやアニメの知識がこんな形で役に立つとは、と思った時、ふと気づいた。
(あの子の世界にシャンプーとかってあるのかなぁ?)
何だか嫌な予感がする。雫はガスの火を止めて様子を見に行ってみた。
「オズワルド君、湯加減はどう?」
「あ、雫さん?この石鹸泡立たないですよ?」
「泡立たない?」
「ええ。この「こんでぃしょなー」って書いてあるのを使ったんですけど…」
やっぱりだ。彼の世界にはシャンプーとかが無いんだ。ということは……
雫は試しにドア越しに別の質問をしてみる。
「オズワルド君、シャワーってどれか分かる?」
「しゃわー?しゃわーって何ですか?」
確定だ。彼は、ここではない違う世界から来たんだ。今時シャワーとかが分からない子なんているわけ無い。
「えっと、この透明なクリスタルみたいなののことかな…?」
透明なクリスタル?透明なクリスタルって何だ?ドア越しに雫は考える。そんな宝石みたいなのなんてウチのお風呂場には無いよ?確かにシャワーの蛇口のハンドルは透明だけど…………………
「!!!」
気づいた時には遅かった。
「待って、オズワルド君、ストッ―」
バシャァアアア
「うわっ!?冷たいっ!!」
「オズワルド君!?」
思わず雫はドアを開けた。冷たいシャワーでずぶ濡れになり、「無防備」な姿のオズワルドと目が合う。しかし、雫の視線は自然と彼の顔を離れ下方向へいってしまった。
「ごめん、オズワルド君、見ちゃった!」
「わーーっ!?」
お互い顔を赤くして雫は両手で顔を覆い、オズワルドは近くの風呂桶で隠した。
「と、とりあえず、さ、お風呂の中のモノ、教えておくね、知らないみたいだし…」
「あぅ…」
「シャワー、止めれる?さっきと逆にひねればいいから…」
で、雫はオズワルドにお風呂場のアレコレを教えるのだった……。
(///∇///)
数分後。
「おー、キレイになったねぇ。」
ちょっとブカブカのパジャマを着たオズワルドが居間に入ってきた。
「はい、ありがとうございました。いいお湯でした。」
オズワルドは丁寧に頭を下げる。
「さ、ゴハンできてるよ。冷めないうちに食べて?」
「何から何まで、すみません。」
「いいのいいの。気にしないで。」
食卓に案内され、オズワルドは敷いてある座布団に座った。
(座布団があるってことは、やっぱりここは東の国なんだな。でも、この料理はなんだろう?)
オズワルドの前にあるのは茶碗によそられたばかりの温かい白いご飯にお椀に入った豆腐と油揚げのホカホカ味噌汁、程よい焦げ目のついたサバの塩焼きに小鉢に入ったツナサラダ。彼が一番気になったのはそしてテーブルの中央にある大皿に入った赤っぽい色の豆腐の入った料理。
「この赤いのは何ですか?」
「これ?麻婆豆腐だよ。」
「まーぼーどーふ?」
「うん。ちょっと辛いけど美味しいよ。ご飯にかけて食べてみて?」
豆腐は昔食べたことがあるけど、辛い味付けの豆腐は初めてだった。麻婆豆腐に添えつけてある木製の小さなお玉で白いご飯にかけてから自分の手元のスプーンでよそって、ゆっくりと口の中にいれてみる。
「おいしい!」
「ホント!?」
「はい、とってもおいしいです!」
程よい辛味と挽き肉の旨味と刻まれたネギが絶妙にマッチし、自然と食欲がそそられる素晴らしい味付け!…なんてグルメレポーターが言いそうな感想はさすがに言わなかったが、「おいしい!」の一言だけで雫は十分だった。
雫はオズワルドにおかわりを勧め、オズワルドも多少戸惑いながらも結局勧められるがまま食べた。
「はー、お腹いっぱいになったー。」
「やっぱり男の子は良く食べるね。」
「うぇ、控えた方が良かったですか?」
「全然。おいしく食べてくれたんだもん。私の方がお礼を言いたいよ。」
雫は笑顔をオズワルドに向ける。たまらずオズワルドは俯いてしまう。
「どうしたの?」
「いや、なんで、ここまでしてくれるのかなって…」
「なんでって、それは…」
雫は一拍置いて答えた。
「オズワルド君が、可愛いから?」
ボンッ!!
一瞬でオズワルドの顔は真っ赤になる。紙でも近づけたら火がついてしまいそうな位に。
「やめて下さいよ!か、可愛いなんて……」
「いやいやホントに心から想ってるし」
「想わなくて良いですよぅ…」
「まぁ、可愛いっていうのもあるんだけど、」
「ほかに何かあるんですか?」
顔を赤くして雫に尋ねる。見ると雫は真剣そうな顔をしている。
「オズワルド君、ここに来たときボロボロだったでしょ?たぶん何か大変なことに巻き込まれたんだよね?」
「あ……」
オズワルドはドキッとする。
「何があったのか教えてほしいの。「オズワルド君の世界」で何があったのか。どうして「私の世界」に来なければならなかったのか。」
オズワルドは下を向いて考えた。話すべきか黙るべきか。だが、オズワルドはある疑問を見つけた。
「雫さん、僕の世界と雫さんの世界ってどういう事ですか?」
オズワルドはそこが引っ掛かった。そして雫は思った。彼はまだ、自分が『違う世界に転移』したことに気づいていない、と。
「オズワルド君。」
「何ですか?」
「あれが何か分かる?」
雫が指を指した先にあるのはちょっと大きな薄型テレビ。今の時代それが分からない人なんて赤ちゃんとか位だろう。でも、
「さぁ…変わったオブジェだな、とは思いましたけど。」
「これはね、テレビっていうの。」
「てれび?」
手元のリモコンで雫は電源を入れた。
『さて、ゴールデンウィークの天気ですが……』
「うわっ、人が出た!?」
ピ
『残念!正解はマル!カモノハシは毒を持っているんです!』
「あれ?違う人が出た!?」
ピ
『この後は大食い選手権!!女王の連覇なるか!それともダークホースが…』
「えっ!?えっ!?」
初めてテレビを見たオズワルドは驚いていた。今時、テレビを見て驚く子なんていない。
「…オズワルド君の周りにはテレビってあった?」
「無いですよ、こんなの…」
「私は、魔法なんて見たこと無かったよ。」
「魔法を見たこと無いんですか?」
「うん。今日の夕方までね。」
雫は続ける。
「オズワルド君、日本て知ってる?」
「知らないです。」
「この国の名前。それが日本。」
「初めて聞きます。」
「オズワルド君は、出身はどこ?」
「………アレクロス大陸北西の双子島ですけど…」
「私はそれ、聞いたこと無いよ?」
「えっ!?」
オズワルドは驚いた。
「雫さんは、僕の事、本当に知らないんですか?」
「知らないよ?」
「僕が、その、1億ゴールドの賞金首だっていうことも?」
「うん……えっ!?」
いちおくごーるどのしょうきんくび?
「賞金首ってなにそれ!?悪いヤツにはめられたの!?」
「!」
オズワルドがピタリと止まった。
「雫さんは、僕を信じてくれますか?というか、僕は、雫さんを信じてもいいですか?」
「どうして?」
「雫さん、ごめんなさい。僕、今まで雫さんを少し疑ってたんです。」
オズワルドは謝った。
「さっきの夕食の時もそうでした。もしかしたら麻婆豆腐とかに毒とか入ってるんじゃないかって。だから密かに味覚を集中してたんですけど、そういう類いのものは入って無かった…」
雫は黙って聞いていた。
「そして今も、僕が賞金首っていう事は本当に知らないみたいだったし、何より『悪いヤツにはめられたのか』って聞いてくれた……それが、すこし嬉しかったんです…」
オズワルドは続ける。
「僕の事を本気で気に掛けているのに、僕はずっと疑ったままだった。だから、これから信じたいんです。雫さんのことを。」
オズワルドは再び頭を下げた。
「雫さん、本当にごめんなさい!」
少しだけ、静寂が流れる。
「オズワルド君、顔をあげて。」
雫は優しく語りかけた。
「私は、オズワルド君を疑ったりなんてしないよ。それにまだお互い見ず知らずじゃない。だから話して、何があったのか。」
「雫さん…」
「私は信じるよ。オズワルド君も私の事を信じて。」
雫は笑顔を見せた。
「はい、ありがとうございます。僕、雫さんを信じます。」
「良かった…」
雫はホッとした。信じてもらえなかったらどうしようと思っていたのだ。
「雫さん、さっき言ってた「雫さんの世界」と「僕の世界」って、たぶん僕達の住む世界は違う、つまりは「僕は異世界から来た」って事ですよね?」
「分かるの?」
「昔読んだ魔導書にそんな記述があったので実は薄々勘づいてたんです。世界はひとつではなくこことは違う世界が複数あるって。その時は迷信かな、と思ってたんですが…さっきのテレビとか、雫さんが魔法を知らないとかでようやく……」
「私も本とかで読んだ知識。といってもまさか現実に起こるとは思ってなかったけどね。」
二人は思わず笑い合う。
「じゃあ僕の事を話しますね。そうだな、まずは僕の家門、「マインゴーシュ家」について話しましょうか。魔族・マインゴーシュ家の始まりについて。」
「魔族!?」
雫は驚いた。
「魔族って、それって…」
「はい、僕、人間じゃなくて魔族なんです。といっても人間の血も混ざってますが……」