1.突然の訪問者(前編)
―間もなく下校時刻になります。校内の生徒は速やかに帰りましょう。明日も元気に登校しましょう、さようなら―
「明日からゴールデンウィークだってのに明日も元気に登校しましょうじゃねえだろうに。」
「校内放送に何ツッコんでるのよ。」
オレンジ色の夕日が周りを染め上げ、もう間もなく一日が終わるという事を夕日を浴びる全てのものに伝えているような雰囲気の中、二人の少女が図書館から出てくる。ひとりは髪の長い綺麗な黒髪の少女。もうひとりはショートヘアーの茶髪の少女。
「でも、ゴールデンウィーク前に課題が終わったのは良かったぜ。家じゃあ勉強出来ないし。」
「アンタいつも勉強しないじゃない。授業中もたまに寝てるし。」
「したくても出来ないって言った方が正しいな。アタシにとっちゃ学校は寝る場所だ。そんで家に帰ればチビ達が『姉ちゃん遊んで姉ちゃん遊んで』ってうるさいし。ていうかアタシも勉強したくないし。」
「楓、よくこの学校受かったわね。一応偏差値結構高いんだよ?」
「運も実力の内ってヤツだよ。」
「何よそれぇ。」
茶髪の少女がケタケタ笑う。黒髪の少女、有栖川 雫は隣にいる茶髪の親友、神鳥谷 楓の気楽な笑い声をもう何年聞いたんだろうと思いながら呆れるように笑った。小学校からの付き合いでずっと同じクラス。今年の春に国立明愛学園高学部に入学したばかりの一年生だ。
ゴールデンウィークを心置きなく過ごそうという楓の発案で、一般人も利用できる校内の図書館で休日中の課題を終わらせたのだ。ただ、発案者のやる気が続いたのは開始15分位でその後はというと、
「楓?」
「も、もうだめだ…」
「へ?」
「大量の文字と数字の山にアタシは眠りそうだ……アタシは、ここまでだ…そうだ、ジセイの句とやらを……」
「まだ15分しか経ってないよ?」
「すまないが…残りの課題…頼んだぜ…」
「辞世の句で私に丸投げすんな!?というか楓サボりたいだけでしょ!?こら起きろ!!」
「うあ~~」
という感じで普段それなりに勉強してる雫がいつもあんまり勉強しない楓にあれこれ教えながら課題を何とか終わらせたのだ。
「きょうもチビ達のお菓子とか買ってくからさ、商店街に寄ってもいいか?」
「いいよ。私も買うものあるから。」
「いつも思うけど、ひとり暮らしって大変じゃないか?」
「そうでもないよ。中2からやってる事だし。」
「アタシは一人で生きろって突然言われたら絶対無理だな。」
「なんで?」
「一緒に遊んでるチビ達とお別れしろって言われるようなもんだぜ?アタシは多少騒がしい方が丁度いいよ。」
「そういうもん?」
「そういうもんさ。そういや、ゴールデンウィークの予定って何かあんのか?アタシはチビ達のお守りだろうけど」
「まぁ、ゲームとかかな?」
「またゲームかよ。まったく、アイドルとかモデルになれる顔と体してんのにインドア派なのは勿体ないぜ」
「べ、別にいいじゃない。好きなんだから。」
雫は今ひとりで生活しているが、別に両親とは死別した訳ではない。父親がとある会社の重役で海外に出ているのだ。母親はそんな父親の元部下で、恋人時代から現在まで未だにお互い愛しまくっているという一人娘の雫が恥ずかしくなる位のラブラブカップルなのだ。
父の海外転勤が決まった時には「お父さんは生活スキルがあんまりダメだから心配」と言っていたが「お父さんとは一秒足りとも離れたくない!!」というのが本音で一緒に海外へ行ってしまった。とはいえそれ以前から父親の出張や単身赴任はそこそこあったので、雫の母親もいつかこうなる日が来ることを見越していたのだろう。雫は家事全般を小学生の頃から母親に仕込まれていた。だから馴れっこなのだ。
一方の楓は大家族の長女で上から数えて3番目。警察官の長男とエンジニアの次男、小学5年の双子の妹と小学1年の弟、幼稚園生の弟と妹、合計8人のきょうだい達に挟まれて生活している。自分の部屋なんか持った事もないしお風呂は妹達と入ったりしている。それでも元々世話好きな性格もあって本人は至って満足に生きている。因みに彼女の口調が男っぽいのは小さい頃から年の離れた兄たちと長い間一緒に遊びまくったせいだそうな。
買い物を終えた二人は再び帰路に着く。
「今日はホントにありがとな。助かったよ。」
「大袈裟ねぇ。勉強位いつでも教えるから、少しは自分でもやんなよ。」
「ま、善処しとくぜ。いつも言ってるけどお前の方こそひとり暮らしなんだ、何かありゃ電話でもメールでも伝書鳩でもいいからすぐに連絡しろよ?3分で駆けつけてやるからな?」
「ありがと。楓の方もね。」
「おう!」
で、二人は別れた。
(きょうだいかぁ…いいなぁ…)
楓と友人になってからいつも思う。たくさんのきょうだいに囲まれて賑やかなんだろうなぁ、と。小学生の時に「アタシまたお姉ちゃんになるんだー」と嬉しそうに話す楓がとても羨ましかった。楓の家に遊びに行ったとき、産まれたばかりの赤ちゃんを抱かせてもらった事もある。自分も弟や妹が欲しいなぁとよく思った。七夕の短冊に書いたこともある。でもその願いは叶うことなくここまできた。しょうがないんだ、一人っ子は私だけじゃないんだからといつしか諦めた。
歩く雫の視線の先に自分の家が見えてきた。と同時に雫は考えを家事の方へと切り替える。さて、帰ったら洗濯物取り込まなきゃ。それからご飯の支度とサボ美(家で育てているサボテン)に水あげて、それからお風呂沸かして、ああ、やることたくさんあるなぁ、馴れてるけどやっぱり一人って大変だ。
家の門をくぐり、ポストをチェックして玄関の鍵を開ける。ひとり暮らしならどんな人でもやっているであろうこの行動、どの国に住む人間でもやることだろうし変に意識しなくても出来ることだ。そして誰もいない静かな部屋が待っている。そういうものだ。ましてや、何かが起きるはずもない。雫もそう思っていた。玄関のドアを開ける直前までは。
上がり框に、よくマンガやアニメとかで見る青白い魔方陣が広がっていた。
誰もいない部屋にただいま、と言おうとしたが「ただい…」までしか出なかった。
(これは、なに?幻かなにか?)
目をこすってみたが自分の視界に映る光景は何も変わっていない。ほっぺたを少しつねってみたが少し痛いだけ。青白い魔方陣は確かに存在する本物らしい。自分の家に帰ってきたのに家に上がれないなんて初めてだ。玄関の端にカバンを置き、雫は恐る恐る魔方陣に近づいた時だった。魔方陣は一際強く輝き、青白い光の円柱が聳え立った。
「うわっ!?」
光から逃れるように反射的に顔を覆い、光から顔を背ける。やがて青白い光は少しずつ弱くなる。雫も光の弱くなった魔方陣へと目を向けた。魔方陣の中央に誰かがいる。小さな影。うずくまるように横たわり、眠っているような感じの黒髪の少年だ。上は片袖の無いYシャツで下は黒い子供用スーツのようなズボン。そしてあちこちが破れていて汚れたりしている。雫が少年の姿をしっかり確認した時には青白い光も魔方陣も消えて無くなっていた。
「う……」
少年は意識を取り戻したのか、ゆっくりと目を開けた。
「あれ…ここは…?」
呟きながら少年はゆっくりと体を起こした。そして、
「あ……」
汚れた顔で、雫と初めて顔を会わせた。
「え……?え……?」
雫は内心パニックだった。
(今の魔方陣っぽいのは何!?ていうか男の子が現れたんだけど!?)
玄関開けたら2分でゴハン!…何か昔のCMで見たことあるようなフレーズが何故か雫の脳内に流れた。玄関開けたら男の子!?そんなのある訳ないしあり得ない。でもそのあり得ない現場に遭遇し雫の頭は完全に混乱していた。
だがその混乱はすぐに収まった。少年の左腕の大きな傷を見つけたからだ。
「ちょっと!!それ大丈夫!?」
雫は少年に駆け寄ると、汚れるのも構わず少年の腕を手に取った。
「ひどい…何があったの?」
雫が少年に話しかけると、少年は顔を赤くして口をパクパクしながらも、
「あ、あの、大丈夫です!」
雫の手を振り払い、
「すぐに治しますから!!」
と、空いた右手の掌を左腕の傷にかざした。すぐに治すって何をするんだろう?と思った雫の目の前で不思議な現象が起こった。
少年の右手の掌から淡い光が漏れている。手から何か光を出しているらしい。すると光に照らされた左腕の傷が少しずつ少しずつ小さくなっていくのだ。もしかしたら縫合しないとダメそうな大きな傷が小さな傷になり、やがて赤い線になる。その赤い線も薄いピンク色の線に変わっていき、そして消えた。自分の腕から傷が無くなったのを確認した少年は、
「すいません、ご心配をお掛けしました。」
と、丁寧に謝った。だが、雫は固まっていた。
「あの、どうかされましたか?」
「傷が……無くなってる……」
「これくらいなら少し時間をかければ簡単に治せます。治癒魔法なら、一通り出来ますので…」
「魔法?」
「ええ。魔法ですけど。」
当たり前のように少年は答える。魔法?魔法ってゲームとかでしか出てこない架空のものだよ?現実には無いものだよ?でもこの少年は自然に使った。当たり前のように。
「………キミは、何者なの?魔法って……?」
恐る恐る雫は尋ねた。
「あ、自己紹介がまだでしたね。」
少年は姿勢を正すと、
「僕はマインゴーシュ家当主、オズワルド・マインゴーシュといいます。」
マインゴーシュ家当主?
「それにしても驚きました。バセスの言ってた古い知り合いが人間の女性だったなんて。あ、もしかして知り合いの方の娘さんですか?」
?
バセスって誰?
この子は私を誰かと勘違いしているのか?
「バセスって人、私、知らないよ?たぶん私のお父さんとお母さんも。あと、マインゴーシュ家当主ってどういう事?」
「えっ!?」
今度はオズワルドと名乗る少年が固まった。
「本当に知らないんですか?」
「うん、全部初めて聞いたよ。」
(おかしいな?バセスが何かを失敗するなんていままで無かったのに…)
「僕の事も知らないんですか?」
「なんで?はじめましてだと思うけど?」
(僕が賞金首だっていうことも知らないのか?大陸中に広まってるはずだから知らない人なんて……)
オズワルドは雫と目を合わせる。彼の脳が綺麗な女の人だなと認識した瞬間、顔を赤らめて視線を逸らした。
「どうしたの?顔に何かついてた?」
「いや、そんなことは…」
どうやら嘘はついてないようだ。でも…
どうしよう。何て話そう。言葉が出てこない。綺麗な女性を目の前にして彼の思考は固まる。だが、突破口は思いもよらぬ所から生み出された。
ぐ~~~っ
「あ」
「あ」
彼のお腹から、大きな音が鳴ったのだ。たまらず雫は笑いだした。
「わ、笑わないで下さいよぅ」
「いやいや、小さい体に似合わない大きな音だな、って」
「うぅ…」
オズワルドは顔を赤くして俯いてしまう。その様子が雫にとっては何とも可愛らしかった。
「とりあえずさ、その、お風呂入る?」
「お風呂?」
「うん。汚れてるみたいだしさ。その間にゴハンの用意もしとくね。」
「食事まで…いいんですか?その………」
「?」
「あ、あなたの世話になっちゃって」
「あなたじゃないよ」
「え?」
「雫。有栖川 雫。それが私の名前。」
「雫…さん?」
「そ。さ、お風呂の準備するからとりあえず上がって。麦茶か何か飲む?」
「あ、それじゃいただきます。」
こうしてオズワルドは居間へと入って行った。
(麦茶があるってことはここは東の果ての国なのかな?魔法を知らなかったって事は魔法の無い辺境の地みたいだな。そんなの聞いたこともないけど)
ぐ~~っ
「フフフフっ」
「笑わないでくださいってばぁ…」
「ゴメンゴメン」
自分の腹の虫がまた盛大に鳴った。オズワルドは顔を赤くし、雫は謝りながら笑った。
(こんなにお腹が空いてるってことは相当長い距離を転移したみたいだな。それにしてもここは何て国なんだろう?)