第六幕 ソクラテス
さて、そんな茶番劇が終わり、プラトンが紅組の陣地部屋に退場していった。代わりに現れたソクラテスがプラトンのいた席に座る。
「やっと出てきましたわね、ソクラテス」
牌を並べながら言うプロタゴラス。
「ふっ。プラトンの敵は討たせてもらうわプロタゴラス」
牌をかき回しながら言うソクラテス。
私は実況を再開する。
「紅組はプラトンが敗退。三人目はソクラテスです。また、プラトンを飛ばしたプロタゴラスには飛び賞二万点が貰えます」
「ソクラテスとデカルトですか……。真理追及コンビですね」
淡々と解説するアリストテレス。そういえば古代クラスのソクラテスはプラトンとともにアリストテレスとも中が良かった筈だ。
「ソクラテスはどんな麻雀を見せてくれるんでしょうね、アリス」
「ちょっと心配なのは……いえ、何でもありません。」
「心配? ソクラテスなら心配ないでしょう。彼女に勝てる生徒がどれほどいるか」
「殴りあいならその通りなんですけどね」
ソクラテスは、その強さでもって学園に名を轟かせている。論客として、そして武闘派として。その華奢な腕のどこにそんな力があるのか、拳の一撃で論破した論敵を吹っ飛ばす光景は爽快ですらある。
ガラガラと洗牌を続けながら、卓上ではソクラテスがアナクサゴラス先生と話していた。
「先生、私の前で回転は使えると思わないことですね」
というか、誰の前でもあんなものが二度通用すると思わないで欲しいが。
「そうね……あなたは私の弟子。あなたにも私の授けた回転の力が宿っているものね」
「そんな恥ずかしいもの授かった覚えはないんですが」
そういえば先生は悪びれた様子はなかった。彼女も教師の端くれ、普段は不正を働くような人ではない。ないのだが、こと回転にかけては善悪を超越してしまうらしい。おそらく、さっきの大胆すぎるイカサマも、本当に回転の凄さを見せつけたとしか思っていないのだろう。
「ソクラテスちゃん……。ご、ごめんなさい」
デカルトが牌を積みながら小さな声で言った。
「何を謝るの? デカルト」
「プ、プラトンちゃんのこと……」
「あなたのせいなの?」
ソクラテスはデカルトの顔を視線で射る。デカルトはひるみながらもしっかりと顔を向け、首を横に振った。
「違うけど……でも私が見てなかったから……」
「見ていたとしても」
ソクラテスの言葉は、途切れ目がはっきりしている。語尾に息が漏れないのだ。
「あなたはきっと見たものを疑ったんでしょ?」
「あ…………」
デカルトはうつむく。だがソクラテスはふっと笑った。
「責めてる訳じゃないわ。主観でさえ安易に受け入れないあなたのスタイルは嫌いじゃない」
「……」
ソクラテスはプロタゴラスを見る。
「あなたじゃ相性が悪い相手ね。ここは私にまかせて」
力強く言った。
「う、うん……」
「ちょっとソクラテス、それはいいけどさっさと山作ってくださいます?」
プロタゴラスの言葉通り、他の三人が既に山を積み終わっているというのになぜかソクラテスは一人洗牌を続けていた。
顔をあげるソクラテス。そして……言った。
「山って何?」
*
「えーと……どういうことでしょうアリス」
「……やはり、心配した通りでした。ソクラテス、麻雀のルール知りませんね」
私は思わずアリスの顔を見る。
「え……本当ですか? ルールも? え、麻雀の本質とかそういう話じゃなくてですか?」
アリスが首を横に振った。
「いえ、本当に知らないんです。たぶん麻雀やったことないんですよあの人」
「じゃ、じゃあ……なんで出場してるんですか?」
「私に聞かれても……」
「そ、そういえば開会前に、麻雀って何? てやたら聞かれた気が……また例の問答だと思っていました。まさか本当に知らないなんて……」
アリスが額に手をやった。
「あの人、真理を求めるあまり、通り一遍のことはわかっていても質問をぶつけてきますからね。本当に何にも知らない場合と区別がつかないんですよ」
私は溜息をついた。卓上を見ると、ソクラテスはデカルトに教えてもらいながら山を作っていた。
「まったく……なにがまかせて、よ。ルール知らないんじゃ相手にならないじゃない。交代したら? ソクラテス」
プロタゴラスが対面に座ったソクラテスを呆れたように見て、しっしっと手をひらひらさせた。
「プロタ、私は役を知らないだけよ。麻雀の基本はわかってる。さっきモニタごしに見てたしね。牌を一個取ってきては一個捨てればいいんでしょ」
「役を知らないんじゃ何もできないでしょうが……。あ」
プロタゴラスの目がキラリと光った。
「そうか、いいこと思いついちゃったわ。ふっふっふ……」
「なによプロタ気持ち悪いわね」
だがそのプロタゴラスの笑みには悪魔のような策略が隠されていた。
「ソクラテス、無知の知が仇になるわよ」
*
「ツモ。一盃口……と、ドラが二個です。えっと……満貫です」
デカルトが上がった時だった。ソクラテスが聞く。
「一盃口って何?」
デカルトが自分の牌を指しながら解説する。
「えっと……ほら、同じマークで、数字が三三四四五五と二つずつ連続してますよね。こういうのを一盃口って言うんです」
「ドラってのは?」
「ドラは……ゲーム毎にボーナス牌を一つ決めておくんです。ほら、山の端っこのところに一つ、裏返しておいた牌があるじゃないですか、三索ですよね。あれがドラ表示牌で、一つ次の牌がドラになります。三索の次で四索が今回のドラなんです」
そう言ってから自分の牌を指さし、二つありますよね? と微笑むデカルト。ソクラテスはなるほどね、と言った。
「満貫っていうのは?」
「点数を表します。子だと八千点、親だと一万二千点です。私は子ですから八千点、ツモ上がりですから皆さんから貰います。えっと、ソクラテスちゃんとプロタゴラスちゃんからは二千点、アナクサゴラス先生は親だから四千点です」
「なるほど……。足して八千点ということか」
デカルトの講義にソクラテスはふんふんと頷いていた。
だがそこでプロタゴラスが口を挟んだ。
「ちょっとデカルト。ソクラテスが知らないからって嘘を言うのはよくないわね」
「えっ……?」
「一盃口? そんな役無いじゃない。それに、ドラなんてルールも私知らないわ。あんたのは単なるツモ上がり、点数は千百点よ」
え、一盃口という役は無い? ……私は混乱する。私は麻雀を知らないため、デカルトの言葉を鵜呑みにしていた。
「え……。な、何言ってるのプロタゴラスちゃん。わ、私嘘なんて言ってないよ! 一盃口を知らないんなんて嘘だよ!」
「あら……困ったわね。無い役をあるだなんて言い張られたらたまらないわ」
「プ、プロタゴラスちゃんこそ何言ってるのかわからない!」
デカルトが焦っているのがわかる。どういうことだろう。作り話をするような子ではないが……。私はアリスの方を向いた。
「アリス……。一盃口というのは存在する役なんですか? ドラというのも」
「ええ。私の知る麻雀では一般的です」
そう言って、アリスは頷いた。デカルトがそれを聞いて、ほっとしたような顔をした。
だが、プロタゴラスは引き下がらなかった。
「あのね、博学アリスが知っているからってそれが一般的だなんて言われたらたまらないわ。それなら言わせてもらうけど、デカルト、紅孔雀という役を知ってる?」
デカルトを見ると、ポカンとしている。
「べ、べにくじゃく? し、知らないけど……」
「では大七星は? ゴールデンゲートブリッジは? 東北新幹線は?」
矢継ぎ早に言うプロタゴラス。
「そ、そんな役、し、知らないよぅ……」
そのデカルトの言葉に、プロタゴラスはにんまりと笑った。そしてアリスを見る。
「アリスはご存じよね?」
アリスは渋々、といった感じで頷いた。
「公式な試合等では採用されませんが、ローカル役としては有名です。いずれも役満、大七星はダブル役満ですね」
「あ、あるんだ……そんな役」
アリスの言葉に、デカルトは驚いていたようだ。プロタゴラスが言った役は出鱈目でもないらしい。
「ほらね。私は知っている。でもデカルトは知らない。先生やソクラテスも知らないでしょう? 四人のうち一人しか知らないのですから、それらはこのゲームでは役として認めて頂かなくても結構ですわ」
でも、とプロタゴラスは続ける。
「同じ理由であなたの一盃口も認められませんわ。ドラも」
「だ、だって……一盃口もドラもローカルルールじゃないよ!」
デカルトがなおも抗弁するが、プロタゴラスは首を横に振った。
「ローカルかローカルでないかなんて、誰に決められるのかしら? 人は自分の知っているものを世界の常識だと錯覚しがちなもの。ドラだって本家本元の中国の麻雀には無かったものよ。アメリカに伝わってからアメリカ人が導入したのよ」
「そ、そうなんだ……知らなかった」
「ドラってドラゴンの略だもの」
得意そうに言うプロタゴラス。だがソクラテスがつっこんだ。
「あんた、ドラは知らないとか言ってなかったっけ」
「うっ」
せき込むプロタゴラス。
「い、今お、思い出したのよ! じゃ、じゃあいいわ、ドラだけは認めてあげる。でも一盃口はダメよ。この場で、二人以上が知ってること! それがルールとして認める条件よ。私は知らない。先生ももちろん一盃口なんて役、知らないですわよね?」
プロタゴラスに言われ、アナクサゴラス先生はびっくりしたような顔をした後、慌てた様子で頷いた。
「え、ええ知らないわ。先生、一盃口なんて役初めて聞いた」
アナクサゴラス先生がノリと勢いで教師としての道を踏み外す人だということがよくわかった。
「う……嘘です先生!」
デカルトの悲鳴。プロタゴラスは勝ち誇った笑みを見せた。
「決まりね。ソクラテスは当然知らないもの。あなた一人しか知らない役なんて認める訳にはいかないわ」
「だってあるもの! 一盃口はみんな知ってる役で……」
「私や先生やソクラテスにとっての麻雀にはそんな役は無いのよ。デカルトにとっての麻雀にはあるのよね? それはそれでいいと思うわ。でも、この場では認められないわ」
「そ、そんな……ソ、ソクラテスちゃん! 一盃口……知ってるよね!?」
デカルトがソクラテスを見るが、プロタゴラスが遮った。
「あらダメですわデカルト。ソクラテスが麻雀の素人であることは既に明らかですもの、彼女が知っていると言ってもそれは嘘と考えるのが妥当。聞き入れることはできませんわ」
ソクラテスは言い返さなかった。ただ黙って考えている。デカルトは肩を落とした。納得いかない表情ではあるものの、引き下がるしかない。
私にもようやくわかってきた。プロタゴラス、知ってる役を知らないと言い先生にも同調させることで、紅組の上がる役を潰してしまう作戦だ。ソクラテスが麻雀を知らないことを利用したのだ。なんて抜け目ない奴。
その後は予想通りの展開になった。
「三色同順? そんな役知りませんわ」
「混一色? どこのローカルルールですの?」
「プ、プロタゴラスちゃん卑怯だよ!」
デカルトの上がる役はすべて、多数決により無効とされ。せっかく上がったデカルトの点数は低く抑えられたり「役なし」で反則つまりチョンボとして扱われた。チョンボの場合、罰符という点数を払わされる。
さすがに誰の目にも、プロタゴラスがいちゃもんをつけているだけだというのはわかる。しかしソクラテスが麻雀を知らないためにプロタゴラスの主張を覆せない。徐々に白組がリードを広げていく。
「ふふふふふふ……。無様ね、ソクラテス。一つ教えておいてあげるわ。無知の知なんて笑わせるわ。知らなければそうして上がることもできないし、味方に加勢することもできない。知らないってことはね、力が無いってことなの。恥ずべきことなのよ」
プロタゴラスは、ビッとソクラテスを指さした。
「自分が何も知らないことを知っている? だから偉い? 愚かすぎて悲しくなるわね、ソクラテス。無知は罪。無知は恥。無知は無力であり、その先にあるものは……敗北よ」
タンッと音を立ててプロタゴラスが牌を切った。「西」だ。
ソクラテスは、それをしげしげと見ていた。
「どうしたのソクラテス? あんたのツモ順よ」
「プロタ……。一つ、誤解してるみたいね」
「……何よ」
「私は知らないことが偉いことだなんて考えたことは一度もないわ」
「そぉ? 知らないことを認めるのが謙虚だ、偉いんだってのがあんたの考えじゃないの?」
「全然違うわ。謙虚? なぜ知らないことを認めることが謙虚なの? 知ってるから偉い、知らないことを認めるから偉い……。どちらも間違いだわ。知らないことは別に恥ずべきことでも悪いことでもない。知らないということは、ただ知らないということにすぎない」
ソクラテスは、ふいに牌を一つ、倒した。絵の描かれてる側の面を天に向ける。
「この牌は何?」
「ちょっと、まだあんたツモってない……」
言いかけたプロタゴラスをソクラテスは言葉を重ねて黙らせる。
「この牌は何?」
「……」
ソクラテスが切った牌は……真っ白で何も描かれていなかった。白である。何も書かれていないが、これは字牌に分類されるらしい。
「白でしょ」
プロタゴラスが仕方なく言う。ソクラテスは頷いた。そして、自分の手牌の中からもう一牌、倒す。同じく、真っ白な牌だった。
「じゃあ白とは何?」
「何って言われても……」
「白とはつまり、何も書かれていない牌。この牌には決定的に他の牌と異なるところがある」
そう言って、ソクラテスは牌をもう一つ、倒した。
「これは何?」
「と、東よ」
プロタゴラスが汗をかいていた。牌を倒し始めたということは……ソクラテスが上がっているということ? でも、ソクラテスは役を知らない筈では……。
「そう。東という字が書かれている」
正確には書かれていると言っても、表面を削ってあるのだ。文字を彫ってそこに黒い墨を塗ってある。
ソクラテスは更に牌を倒した。今度は「南」だった。
「こっちは?」
「南よ!」
プロタゴラスが苛立ったように答える。
「そう。書かれている文字が異なるだけ」
「だ、だから何なのよ?」
「わからない? 白の牌に東の文字を彫れば、東の牌に。南の字を彫れば、南の牌に。でもこの東の牌を削って南の字にすることはできない。なぜなら既に彫られているから」
「何が言いたいのよ」
「知らないということを知るとは、つまり自分がこの白であることを知るということ」
「……は?」
「そこに何かが彫り込まれているというのは幻想。勘違いにすぎないわ。人は未だ白。そこに何を刻みつけるも自由」
「だ、だから何よ! あんたが「白」の牌だというのはわかったわ? で、何ができるの? 何も知らないあんたは何ができるわけ?」
「プロタゴラス……。デカルトがさっきから上がった役、本当は在るのね?」
「あらソクラテス、変なことを言うのね。在る? 無い? そんなの、人それぞれでしょ。デカルトにとっては在る。私にとっては無い。それはそれぞれ正しくて、どちらが間違いだなんて言えるものじゃないわ。万事は……そういうもの。あなたもあなたで、あなたにとっての麻雀があるのでしょう? でもそれに私が従う義理はないのよ」
「プロタゴラス……従ってもらうわよ」
ソクラテスがその手に力を込めたのがわかる。……まずい。私は思わず制止する。
「ソクラテス! 腕力はダメです」
ソクラテスの右手が光っている。ばかな、本当に口で負けたからって腕力にものを言わせるなんて。
ソクラテスのあの右手は、特別な力を持つ。それは殴られた者に「無知を悟らせる」ということらしい。殴られた者は皆、何かに気付かされたと口にする。だがそれはそれとして、当たり前に打撃力を伴っているので殴られると痛いということを忘れてはいけない。
プロタゴラスはしかし平然としていた。
「殴れば当然退場……でよろしいですわよね?」
アリスが頷いた。
「ええ。大会ルールです。ゲーム中に相手に暴力を振るうようなことがあれば、無条件に紅組の負けとします」
「安心してアリス。……私は牌に言うことを聞かせるだけよ」
そう言って、ソクラテスは、まだ倒していない手牌を一つ掴む。
「東」
牌の表面をなぞりながらその文字を読み上げる。そしてそれを卓に置く。
「これも東」
もう一つ、東。これで東が三つになった。
「今度は南」
「何よ……まさかあんた……上がってるとでも?」
「今度も南よ。あと北と西が三つずつあればいいのよね?」
ソクラテスがにやりと笑う。
「あればって……? あ、あるの? 本当に?」
ソクラテスが再び手牌を一つ取る。表面を撫で、その文字をなぞりながら読み上げる。
「北。……これも北。……そしてもう一つ北。あとは西か」
またたく間に、白、白、東東東南南南北北北。そしてそこにさらに西が加えられた。
「まさか……」
「そして最後も西……。これで、いいのよね」
「……! ソ、ソクラテスさんすごい!」
デカルトが口に手を当てて叫ぶ。ソクラテスは十三枚をそこに用意すると、プロタゴラスの今捨てた牌を指さした。
「ほい、プロタのそれ」
その指す先には、さっきプロタゴラスが捨てたばかりの……「西」。
「確か……ロンって言えばいいのよね」
ソクラテスがにこやかに言った。
「嘘っ! で、でででも、ダメよソクラテス、大四喜なんて役私は知らない、そんな役は無効よ!」
プロタゴラスが金切り声をあげる。
「まだ役の名前言ってないじゃない」
ソクラテスが静かに微笑んでいる。
「え、そ、そうだったかしら!? とにかく私はそんな役知らないんだから。無効よ」
執拗に言い張るプロタゴラスに、だがソクラテスはちっちっと指を振って舌を鳴らした。
「プロタゴラス。ダメよ。人それぞれという訳にはいかないわ。だってこれは、さっきあなたが上がった役だもの」
「……!!」
プロタゴラスが顔をしかめた。確かにプロタゴラスが、先ほど先生の卓回しによってプラトンから奪い取って上がった役、大四喜である。
「……そ、そんな……」
「プロタゴラス」
ソクラテスは今倒したばかりの牌をいくつか掴むと、それを長い指で握りしめ、立ち上がって言った。
「同じ世界に生きているの。同じ卓についているのよ。人の数だけ真理がある? そんなこと言って逃げていられると思わないことね!」
ガ……ッ ガリガリガリッ!
「えっ……えぇえええ!?」
「ちょっ……ソクラテス!?」
私とアリスは思わず声をあげてしまった。ソクラテスはその右手で握りしめた牌をあろうことか、握り砕いたのだ。パラパラと卓上にその砕けた牌の欠片を巻き落とす。
「くっ……また負けですわ!」
プロタゴラスは両の拳を天につきあげた。先ほど子のダブル役満で得た点数を親のダブル役満で失い、ハコになったのである。
*
「ていうかソクラテス、牌壊さないで欲しいんですが……。どうするんですかこれ」
私が言うと、隣でアリスが言った。
「一応、東洋クラスの孫子が持ってるのを貸してくれました。もう壊さないでくださいよ」
「ソクラテスちゃん!」
「あなた、手は大丈夫?」
カーテンを開けてさっき非業の死を遂げた筈のプラトンと、パスカル先生がやってきた。
「平気よ平気」
ソクラテスはプラトンとハイタッチしていた。
「プラトン、敵は討ったわよ」
「ソクラテスちゃんルール知らなかったのに無茶だよぅ……。でもスゴいよね、覚えながらであんなスゴい役作って」
「ビギナーズラックって奴ね」
その時、卓上の牌を眺めていたパスカル先生がソクラテスを呼んだ。
「ソクラテス」
「何ですか」
「これ、あなたが上がった最後の役に使った、白ですが……」
「はい、白です。どうかしましたか?」
先生が怖い顔をしている。そして言った。
「ちょっとだけ高さが違うと思いません?」
「……は?」
私はパスカル先生から牌を受け取って、それをよく見てみた。そして青ざめる。
表面が……おかしい。
「……あの、ソクラテス」
「ん、なに? バークリー」
「これ、まさか……表面を削ったりしました?」
ソクラテスは舌を出した。
「流石先生だなー。ばれたか」
普通の牌と横に並べてみるとすぐわかる。高さが低いのだ。
「ど、どうやったんです!? いつの間に? そんな道具持ってた様子はなかったですが」
「指で」
「えぇぇぇぇ」
「指で削りとったんですか? ど、どんな指してるんですかソクラテス」
馬鹿力にも程がある。
「なんでそんなことを……」
「確認しときたいんだけど、これバレたらやっぱ反則負けになる?」
そう問うソクラテス。
「えっとですね……イカサマについては規定があります」
アリスが言った。
「ゲーム中、点数を払うまでに指摘されなかったイカサマは、不問とする」
これは哲学少女たちの華麗なるイカサマ技を見られるならその方がいいやということで決められたルールだそうである。
「よっし」
ソクラテスが指を鳴らした。
「じゃあ種明かしをするとね、実は十四牌の中で持ってたのは、東と南が一つだけ。あとは、その場で作ったの」
「……は? 作った?」
「作り方は簡単。まず十四牌の表面を指で削り落として白にします。そしたらそこに爪を使って好きな文字を彫っていきます。この時、ある程度以上の速度で爪を擦らせて熱をこめておけば……ほら、焦げて彫り後が真っ黒になるでしょう?」
そう言いながらソクラテスは目の前で真っ白な白の表面に爪で字を書いていった。擦りあわせた爪の先端が触れた牌の表面は、そこだけ黒い点になる。それを滑らせ、黒い点を線に。さらに爪が牌に食い込んで、黒い溝が文字を作っていった。見る見る間にそこに「知」という文字が刻まれた。
「…………新しい牌を作らないでくださいよ」
私は呆れたようにそう言うのがやっとだった。
何たる力技。何たる強引。
「となると、今この中には東や西が多くなっちゃってるってことですか?」
「うん。だから証拠隠滅のために彫った牌のほうは砕いておいたんだけど……。やー、流石にごまかせなかったか」
頭をポリポリとかく人間掘削機械。
「こらソクラテス……!」
ふと見ると、パスカル先生が怒った顔をしている。
「いくら友人の敵討ちとは言え、こういうことをするものではありません。次のゲームに出ることは禁じます。交代しなさい。……今回はアナクサゴラスがやらかした後でもあるので罰は与えませんが、こんな腕力に物を言わせたやり方では真理にたどり着ける日は遠のくばかりだと知っておきなさい」
ソクラテスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ちぇ。はぁい」
こうして、プロタゴラスを葬ったソクラテスも、戦場を後にしたのであった。