第五幕 プロタゴラス
「な……何を待つの? プロタちゃん」
同じ白組のメンバーが大変な惨事を引き起こしたというのに、妙に落ち着いているプロタゴラスにプラトンが応じる。
「先生を責めるのを待って欲しいと言ったのよ。濡れ衣ではないかしら?」
「プ、プロタちゃんこれはダメだよ! 言い逃れできないよ!」
まさかプロタゴラスが加勢に出るとは思わなかったのだろう、プラトンが慌てた。
「興奮しないのよ、プラトン。いいこと? 二人に聞くけれど、牌が入れ替わってるという証拠はあるの?」
「だ、だってさっきまで私が見てた牌と違うもん!」
だがプロタゴラスはせせら笑った。
「プラトン、あなたがさっきまで見てた牌なんてあなた以外にはわからないのよ? 入れ替わってると言い張ってるだけかもしれないわ?」
不敵に笑うプロタゴラス。手の甲を口に当てる高飛車な仕草。
「だ、だって! ほら、山の位置だって捨て牌だって変わってるし!」
プラトンの主張に首を横に振るプロタゴラス。
「それもプラトンの認識でしかないのよ? 私の認識では違うもの。山は変わっていないわ。見方は人それぞれだわ」
言われて言葉を詰まらせたプラトンは、デカルトの方を見た。
「デ、デカルトちゃんも山の位置変わってると思うよね?」
コクコクとうなずくデカルト。しかしプロタゴラスはすかさず先生に言う。
「先生は山が動いたとお思いに?」
「う、ううん、う、動いてないわ」
プロタゴラスはほほ笑んだ。
「ほぉら。これで二対二よ。山が動いたとも考えられるし、山が動いてないとも考えられる。真実はわからないけれど、一つに決める必要なんて無いわ。見方が変われば見えるものも違うもの」
「だ、だって!」
「何か証拠が?」
「な、無いよそんなの……。で、でも……。紛れもない事実だもん! デ、デカルトちゃんだってそう思うよね?」
プラトンの問いに、デカルトは頷いて続けた。
「物的証拠は、な、無いかもですけど、でもプラトンの言うとおり、記憶と一致しません」
しかしプロタゴラスは笑みを絶やさない。語調を荒げることもなく続けた。
「プラトンとデカルトの認識では牌が入れ替わっているのよね。でも私と先生の認識では牌が入れ替わってなんかいないのよ。つまりそれぞれの立場で、それぞれの見方があるということ。それだけでしょう? どちらが正しいかなんて、考えても仕方がないことよ」
「でもそれじゃゲームにならないよ!」
そうね、とプロタゴラスは言った。そして薄く笑う。
「それじゃあ、仮に牌が入れ替わってると仮定しましょうか? ……そうだとして、それは誰の仕業なのかしら?」
「……え……?」
プロタゴラスの問いの意味を理解できないといった様子のプラトン。
「まさか先生しか考えられないなんて言わないわよね? そういった思考停止はあんたの心酔するソクラテスの嫌うところよ?」
顔を真赤にして起こるプラトン。
「ソ、ソクラテスちゃんは今関係ないじゃない! 声をあげたのは先生なんだから、先生が犯人でしょ」
「甘いわね。先生は声をあげただけかもしれないわ? 窓の外に本当に何かが見えてね。真犯人はそれをチャンスと見て隙をついたとも考えられる。プラトン、あなた見たのかしら? 先生が卓を回そうとするところ。窓はあなたの背中側よ? 百八十度背後を振り向いていたあなたは、この場の誰よりも卓上の異変に気づけない位置にいたのではなくて?」
プロタゴラスがプラトンを追い詰めていく。
「う……。で、でも」
「ああ、もちろんあの時プラトンの背後にいたバークリーとアリスも条件は同じね。目撃者ではありえないのよ」
私とアリスのほうをチラリと見るプロタゴラス。確かに彼女の言うとおり、私もアリスもプラトン同様背後を振り返っていた。あの一瞬、卓を完全に視界から消している。
そうなると、最後の頼みの綱は……。
「デ、デカルトちゃん!」
プラトンが隣のデカルトの手を握った。
「わ、私……その……」
デカルトの額にみるみる汗が浮かんでいく。
「見たよね? 先生が卓を回したところ!」
必死につめよるプラトン。だがデカルトは小刻みに首を横に振った。
「ごめんなさい……。私、窓のほうを見てしまっていて」
「……そ、そう……」
気落ちする様子のプラトン。
「残念ですわね。それならゲーム続行ですわ」
プロタゴラスがそう言い山に手を伸ばす。
「待って! 疑いは晴れた訳じゃないもん! このゲームはむ、無効だよ! 流そうよ!」
プラトンは諦めていない。だがプロタゴラスは人差し指をメトロノームのように振って微笑んだ。
「ダメですわよプラトン。その手には乗りませんわ。ねえあなた、もしかして良い牌が来てないのではなくて? だからそうやって、文句付けてゲームをリセットしようとしてるのではないのかしら?」
「ち、違うよ……」
「卓が回されたという明らかな証拠が示されない限りゲームは続行しなくてはならないわ。不利になるたびにそうやっていちゃもん付けてゲームを流されたらそれこそゲームにならないもの」
……プラトンはすがるような目でこちらを見た。
私は思わずアリスを見る。アリスは二秒ほど黙った後、申し訳なさそうに言った。
「確かに……プロタゴラスが山の位置や手牌の状況について認識の違いだと主張する以上、客観的な証拠が必要です。それが無い以上……流局を認める訳にはいきません」
「そ、そんな……」
「すみませんプラトン」
プロタゴラスが勝ち誇ったように笑った。
「ほほほ。……だそうよプラトン?」
「う……」
プラトンの顔が絶望に染まっていた。
彼女にはわかっていたのだ。この後何が起こるのか。なぜなら、今プロタゴラスの手元にある牌は、さっきまでプラトンの牌だったのだから。
しかし無情にもゲームは再開される。
「ロンよ。プラトン」
「ああ……そんな……」
プラトンの捨て牌でプロタゴラスが上がってしまった。プラトンの顔が一気に曇る。プロタゴラスがパタパタと牌を倒していく。
「大四喜よ。役満。ハコということになりますわね。さようなら、プラトン」
プロタゴラスがそう言った。
ハコ? プラトンの持ち点が無くなったということか。私はアリスを見る。
「アリス。役満とは何ですか?」
「……麻雀の役の中で、きわめて作るのが難しい役がいくつかあります。ポーカーで言えばロイヤルストレートフラッシュみたいなものだと思ってください。その得点は高く設定されていて、役満と呼ばれます」
「な、何点なんです?」
「子の役満は三万二千点です」
最初の持ち点が二万五千点だから、それが一気に吹っ飛ぶ点だ。私はあわてて言う。
「で、でも今プラトンは上がりを重ねて四万五千点ほど持ってます。三万二千ならまだ耐えられますよね。ハコにはならない筈じゃ……?」
だが、アリスは首を振った。
「いいえ。ところが大四喜は役満の中でも一際難易度が高いため……ダブル役満なのです。点数は……役満の二倍」
「……なんと! な、なんということでしょうか……。これは……あえてこう言ってしまいますがプロタゴラスはプラトンの攻撃力をそのまま返した形です」
なにせ、プラトンがイデアを見る力で作っていた役をそのまま奪って上がってしまったのだから。
「ああ……」
持ち点を全て失ったプラトンは、額に手を当てながらふらりとよろけ、傍らに倒れた。
「プラトン!?」
バサッという音に振り替えると、紅組側のカーテンがめくられ赤いリボンを額に巻いた少女が現れた。少女は駆け寄り、プラトンを抱き起こす。
「ソ……ソクラテス……ちゃん」
プラトンはソクラテスに抱えられながら、絞り出すように声を発した。
「しっかりして! プラトン」
「ごめん……ソクラテスちゃん……私、もうダメみたい……」
「何ばかなこと言ってるの!」
「わた……し……の分まで……生き……て……」
プラトンの手がソクラテスの頬に伸びる。だがその手は途中で糸が切れたように落ちた。
「プラトーーーーン!」
友を失った少女の慟哭がこだまする。
かくして、プラトンは卑劣な敵の罠にはまり、戦場の露と消えたのであった。