終幕
雪が積もっていた。真っ白い海の中を学園の門に向かって点々と足あとがつけられいく。とすとすと軽い音を立てて歩く少女の背なに、声がかけられた。
「待ってよ、ナッシュ」
振り返る。追ってきたのが誰かわかっていたのか、特段驚いた様子はなかった。
アダムは、立ち止まった後、しばし言葉を探していた様子だった。何も言わないのかとナッシュが踵を返しかけた時、ようやく口を開く。
「ナッシュ……。小学校時代のあんたのこと……朧げだけど、思い出したわ。あの運動会よね」
「何を思い出したんですの?」
「負けてわんわん泣いていた子がいたの。私ね、運動会なんて適当にやればいいじゃんって思ってた。だから、その子に興味を持ったのよ。なんでこの子はこんなに必死になってるんだろうって。その子に聞いたの。どうして泣いてるの? って。そしたらその子、悔しいからって答えた。なんで悔しいのって聞いたら」
アダム・スミスはナッシュに近づいた。
「勝ちたかったからって答えた」
ナッシュが顔を赤くした。それから目を伏せる。アダムは続ける。
「私は衝撃だったの。思ったことなかったんだ。勝ちたいなんて。でもその子が泣きながら、勝ちたかったって言うのを聞いてたら、思えたの。私も勝ちたいって。そう思おう……ううん、思おうっていうか、思ってたの。私も勝ちたかった。だから私は自分の出場した……徒競走で、今まで一度もやったことが無いくらい、真剣に走ったの。走るの、好きじゃないけど、全力で。ムキになってね。この競走に何としても勝ちたい、ただそれだけを考えて、全力で」
「それは……良かったですわね」
「うん。良かった。私、そんな風に思えたのが嬉しくて仕方なかった」
アダムは、言った。
「でも……結果はビリだったんだよ」
ナッシュは目を見開いた。
「私もクラスの優勝に貢献なんかしてないんだ」
でも、とアダムは言った。
「悔しかった。初めて悔しいと思ったの。勝ちたいと思うと、こんなに悔しいんだってのも、初めて知った。そしたら初めて気づいたんだ。みんな真剣だったよ。勝った子も、負けた子も、みんな真剣だった。私今までそんなことにも気づいてなかったんだって思い知った。だから教えてくれた子に、言ったのよ。あなたのおかげだって」
「……う、……嘘」
「嘘じゃないよ。……。ね、ナッシュ。最後の勝負で、私言ったよね。麻雀をやっている気がしないって」
「……ええ」
「囚人のジレンマが効いてるとさ、あんたから当たり牌は出ない。それがわかってるから、あんたの手を読もうとしなくなるんだよね。無意味だから」
「……」
「わかる? あんたが何を考えてても、私には関係なくなる。興味を持たなくなる。確かにあんたの言うとおり、これは世界を分断する魔法だよ」
「……」
「でも、私はそれは嫌な訳。だから解除して欲しいって言ったの」
「……」
「私もあんたと世界を共有したいってことよ」
「……でも……それは、時に暴力ですのよ」
「そう。同じ世界を生きる同士で自由な意志に従って行動したら、当然ぶつかるよね。弱い方が負けるのかもしれない。でも、それでも、世界を分けたらお互いを知ることもできなくなる。それは寂しいと私は思う」
「だから出てきて戦えと? それは……強者の自分勝手な論理ですわ」
「そう……なんだよ。知ってる。私が強者なのかどうかはわからないけど、自分勝手な論理なの。そ、私は自分勝手にあんたを知りたいと思ってるだけ。私の手は……あんたを救ったりなんかできない」
「……迷惑な話ですわ」
「迷惑? あっは、そんなことはわかってる。でも私は手を繋げたいのよ」
アダムは手を差し出した。
「傍若無人とはこのことですわね」
「それが世界を一つにする唯一のあり方よ」
ナッシュは手を差し出した。二人の手は、しかし握りしめられることはなかった。
パンッ
乾いた音をたて、打ち合わされた両者の手。
二人の少女は、微笑んでいた。
世界は、繋がった。