第二十幕 アダム・スミス
「あら? これは意外ね。ライプニッツさんがまたおやりになるの?」
「そうよ。まだ見せ場ないもんね」
ライプニッツはそう言って、アダム・スミスとともに卓についた。
「見せ場? もう十分に見せていただいたわ。あなた、随分と不運な方なのですってね」
ナッシュがバカにした口調で言ったのに対し、ちっちっちと指を振ってみせるライプニッツ。
「不運……? 違うよ、ナッシュさん、だっけ。運も不運も無いの。最初から全て決められているんだもの。起こるべくして起こっているだけだよ」
「……まあ、よろしいですけれど。もう勝負は決していますし」
ナッシュは肩をすくめた。
「スミッちゃん……でもどうするの?」
「わかんない。少なくともテンパイ流局作戦はうまくいきそうにない。あんたの運を考えるとこっちに不利だし、時間的にもどう考えも間に合わない」
「うん」
「だから……もう私、麻雀を楽しむことにしたわ」
「へっ!? 勝つの諦めたの?」
「諦めてないよ。でも、手が思いつかない。だから一度、クーンの言う私達がもう囚人じゃないって言葉を信じてみようと思う。神の見えざる手、信じてみようかなって。私は私の欲望に従う。自分の麻雀を打てばいいだけだと思う」
「で、でも実際に白組からは上がれないんじゃ……」
「だ、か、ら、いいの。ややこしく考えるより、もっとミクロな視点で考えた方がいいって気がするの。今目の前にある牌を使ってきっちり役を作る。より高い役を。そしてそれが上がれるところで上がる。わかってるわよ? 結局あんたからしか上がれないんじゃ意味がないのかもしれない。でももう手が思いつく訳じゃないし、どうしたらいいか分からない時は、まず欲望に忠実に行動するの。忘れてたけど……それが私のモットーなの」
「んー。わかんないけど、スミッちゃんがそうしたいならそれでいいと思う。私もそうする。打ちたいように打つよ。スミッちゃんからも当たり牌が出たら上がるからね!」
「手加減しないわよ?」
にっと二人は笑う。
そして凄いことになった。
「ロン! 倍満!」
「きゃーっ! また!」
「ロン! ハネ満!」
「ぎゃ! ハコっちゃったよぅ」
「ロン! 大車輪! 役満!」
「きゃーっ。一発飛び!」
「ロン! 九蓮宝燈なんて始めて上がった!」
「私も初めて見た! もう死んじゃうんじゃないのスミッちゃん!」
「ロン! 四暗刻単騎待ち! ダブル役満!」
「ダブルでも意味ないよスミッちゃん! 私ハコだし!」
立て続けだった。四連続でライプニッツが飛んでしまう。
「圧倒的ですね……。アダム・スミスって強かったんでしょうか」
「いえライプニッツが天才的に運が無いんですね」
「アダム・スミスが本日の飛ばし王になりましたね」
「というかライプニッツが飛ばされ王なんですが」
……。
「あれ……。変ですね」
私は妙なことに気がついた。手元の集計ボードを見る。
「どうしました?」
「紅組と白組の点差、縮んでませんか」
「点差……えーと今の点差は大体十五万くらいですか? ああ、確かに……変ですね。二十万以上差があったと思いましたが……」
「紅組同士で上がっているだけなので点差が縮む筈ないんですが……。カムバックルールも両軍に同じだけ点が入るので差は縮まりませんし」
「えーと、ああ、わかりました。飛び賞の二万点ですね。アダムがライプニッツを飛ばした分の飛び賞が入ってるんです」
「……飛び賞。ああ、そうですね……二万点ですか、結構大きいんですね」
「って……もしかしてこれは……」
アリスが指を顎に当てる。
「このペースでライプニッツが飛び続けると……飛び賞の分で紅組が逆転する可能性がありますね」
「なっ!?」
場の四人もアリスの言葉に驚愕する。
「ええ。だって今の約四十分で五回。このペースで残り一時間半ほどを飛び続けるともう十回で二十万点ほどになります。……今の点差十五万ですから……」
ナッシュの表情が険しくなる。
「そんなまさか……飛び賞ですって……!?」
「……普通は飛び賞は場の全員が出しあうんですが、この大会では点数が累積制なのとお金を賭けていないのとで、わかりやすく飛び賞は完全にボーナスにしています。つまり外部から入ってくる点数なので、白組の点が減らないので気づきませんでしたね」
アリスが解説した。
「そ……そんな! 馬鹿な! 囚人のジレンマは囚われた囚人達の間で足を引っ張り合う、そういう魔法なのよ! 外部からなんて……」
ナッシュが悲鳴を上げた。
「クーンが言ってたのはこういう意味か。私達はもう囚人じゃないって」
「み、認めない! 認めないわ!」
「ロン。四槓子。役満」
ナッシュの怒号を無視するかのように、アダムが再び牌を倒す。
「飛び賞が加算されます。カムバックはライプニッツで良いですか?」
「もちろん!」
アダムが親指を立てる。
「スミッちゃん現金! 私、スミッちゃんにうげって言われたの忘れてないよ?」
ライプニッツは今日開会前のことを根に持っているようだ。
「まま。いいじゃない。愛してるわライプニッツ」
ナッシュが指を噛んでいた。
メリッソスがおずおずと言う。
「ナ、ナッシュちゃん……だっけ。あの、白組のカムバック分、私に配分するのやめたほうがいいんじゃないかな」
「どうして!? あなたのほうが点が少ないのだから……」
「だから。私の点数は少なくして、私を飛ばせばいいんだと思うけど」
ナッシュは眉を釣り上げた。
「そ、それは……向こうと同じ戦略を取れって言うんですの?」
「だって……。他に方法がないと思うんだけど」
「くっ。それしか無いですわね……」
……だが、メリッソスの提案に乗ったナッシュは、その思惑がうまくいかないことを思い知ることになる。
「リーチですわ! メリッソスさん、当たり牌は七萬ですわ」
「う、うん」
メリッソスの捨てた牌で上がるナッシュ。しかし……。
「五千八百点……。ダメですわ。まだ八万点以上……」
メリッソスに今まで点を配分してしまったことと、大きな役が上がれていないことで、ハコまではかなり差がある。それに対して紅組は。
「さすがライプニッツ! 当たり牌言わなくても単騎待ちもばっちり振込む! ロン! 小四喜!」
「え、嘘ーっ! またぁ!? スミッちゃんもう一生分の役満上がったんじゃないのーっ!」
「あんたと打ってると感覚おかしくなりそうよ」
メリッソスがつぶやく。
「ダ、ダメだ……ライプニッツちゃんが飛ぶのが早くて追いつけない」
「くっ……このままじゃ……」
そう、そしてその時がやってきた。
「ロン! 三倍満!」
「わーっ。せっかくリーチしてたのに、リー棒分で飛んじゃったーっ!」
ライプニッツの悲鳴がやんだところで、アリスがそれに気づいて叫んだ。
「あ、バークリー! 今の飛び賞で白組のリード分が消えましたよ」
「え、それってつまり……」
「ええ。……逆転です」
勝負が決した瞬間であった。
*
ナッシュが肩を落とした。
「くっ……。まさかこんな……冗談みたいな方法で……」
そう。
これは一見するとクーンが紅組に都合よくルールを変更したようにも見える。だが違う。カムバックルールは、紅組にも白組にも平等なルールであり本来ならどちらにも有利不利を与えない。
それは確かに、考え方の転換だったのだ。味方から上がることで得られるものに着目することさえできれば、そこに飛び賞という光が見える。考え方を変えれば、ライプニッツの超不運と魔法「囚人のジレンマ」という制約は、アダムにのみこのボーナスが加算されるという状況を生むのだ。
そう今や、囚人のジレンマは白組にとってではなく、紅組にとっての武器となっていた。
だから、私はアダム・スミスがこう言ったのに驚いた。
「ナッシュ……囚人のジレンマ、解除してよ」
「……何ですの? 情けをかけているつもりですの?」
ナッシュも、もうこの魔法が意味のないものであることに気づいている。
「そういう訳じゃないけど。ただまあ……なんていうかな、それ使われてると麻雀やってる気がしないからさ」
「……嫌ですわ」
だがナッシュは意固地になっていた。
「そう。じゃあ強制はしない。……ライプニッツ、私フラれちゃったからあんただけを標的にするわ」
「うっ。私も一回くらい上がりたいんだけど……」
「あ、それロンね。えーとこれ何だ、三四五の三連刻……? あと混一色か。満貫?」
「六も三つ揃ってるよスミッちゃん」
「あそうか」
「おっと……じゃあ四連刻じゃん」
「すーれんこー? アリス? そんな役あんの?」
「ええ、ありますね。役満です」
「あ、ラッキ。ライプニッツ、わざわざありがと。またハコね」
「だっしょほぉぉぉい!」
ライプニッツが言葉にならない雄叫びをあげた。
*
午後六時。
二十四時間に及ぶ第一回麻雀大会は終了した。
たった今まで参加していたアダム達も、退場した後仮眠を取っていた面々も、今一度こたつの周りに集まっている。
「では、結果を発表します」
アリスが元気良く言う。
「紅組四十五万六千二百点。白組四十万千三百点。紅組の勝ちです!」
紅組から歓声が上がる。白組からはため息が漏れた。
「ねっ。あのさ、提案なんだけど」
「……何よプラトン」
「全員でご飯食べに行かない? 打ち上げ!」
「さんせーい!」
一休が手を上げた。
「紅組白組一緒に? ……さっきまで戦っていた相手よプラトン」
そう言ったプロタゴラスに、プラトンは屈託ない笑顔を向けた
「私、白組の皆ともお話したいもの。特にプロタちゃん」
「なっ。私? 同じクラスじゃないのよ。話なんていつでも……え、もしかしてプラトン、私のこと恨んでる?」
「何を恨むの? 何を恨むのプロタちゃん」
プラトンは笑顔を崩さなかったが、プロタの表情がどんどんひきつっていく。
「ご、ごめんってば。あんたファン多いんだから勘弁してよ。後ろから刺されかねないわ」
「変なこと言うのねプロタちゃん。私はただお話したいだけなのに」
「わ、わかったわかった、行くから、行くから。せ、先生も行きますよね。何逃げようとしてんですか。ちょっと、先生共犯なんですから」
「何が「犯」なのプロタちゃん」
プロタゴラスがプラトンに追い詰められている傍で、アダム・スミスが言う。
「ニーチェも来るよね?」
「……行くと思うの?」
ニーチェは呆れたように言った。
「思ってないけど……無理にでも連れてく。アンタが来なくてどうするのよ一番の功労者が!」
がばっと肩を組もうとしてかわされるアダム・スミス。
「一番の功労者と言えば当然私でしょ!」
手を挙げたのはライプニッツだった。
「んー、確かにそれはそうかもね、最後の逆転はアンタじゃなきゃ成り立たなかったし」
パスカル先生が賛成した。アダムも苦笑する。
「まー確かに。今回はなー。いや、てっきり始まった時には私、最後にはライプニッツが袋叩きになるものとばかり思ってたよ」
アダムがさらりと酷いことを言う。
「私は行かれんな」
不意に言ったのは孫子だった。
「え、何で孫子ちゃん」
「権利ないと思てな。うちの関わった戦いで敗れたは恥や」
「そ、そんなこと……」
だがそこで今まで口を開かなかった者が口を開いた。
「そんなことはありませんわ」
ナッシュだった。
「孫子さん。あなたのせいではありませんわ。あなたの戦略は正しかったと思います。プラトンさんにデカルトさん、この二人相手の時以外ではアナクサゴラス先生のアレは通用しなかったでしょうし、パスカル先生やニーチェさんのような強敵はあなたの運動能力と下準備なしにしのげるものではなかったと思いますわ。点差を作ったところで後は私が術を敷いてそれを固定してしまえば、どうやっても白組が勝つ筈だったのです。ですから負けたのは……私の力不足によるものですわ。私があなたの期待した通りの力を発揮しなかったからです」
「それも含めてうちの読み違いや。わざわざ来て貰ったのにすまんかったな」
おずおずと手を上げて発言したのはプラトンだった。
「ナッシュちゃん……だよね。あなた、転校生なの?」
「孫子さんに呼ばれて、一時的に交換入学という形で学園にいさせて頂いてます」
校長に無理聞いて貰うのに苦労したわ、と笑う孫子。
「孫子……またあんた随分強引な……」
呆れた様子のソクラテスに、まあ手はつくさんとな、と孫子は笑う。
「うちとしては八割方ソシュールで決まりやろと思うとったんやけどな。まさかデカルトがあないに頑張るとは思わんかったからな……」
「え、私何かした?」
「あの私が何を頑張ったのでしょう……?」
ソシュールとデカルトがそれぞれ疑問を挟んだが、孫子はニヤリと笑うだけで答えなかった。
「あれがアダム・スミスが入った後で……もしやとは思ったが、ニーチェがガン牌を破った辺りでこれは見えざる手が効いとるな、とな」
孫子がニヤリと笑う。アダム・スミスが私? と自分を指さしている。
「そや。うちも、いや学園の誰も実際に見たことはない。でもそれを見たことがあってしかも封じられるいう奴がおったんでな。呼んどいたんや」
孫子がナッシュに近づき、握手をした。
「あんたには不本意な結果やったかもしれんが、うちは感謝しとるよ。また機会があったらよろしゅうな」
ナッシュは皆を見渡すと、ペコリとお辞儀をした。
「お騒がせいたしましたわ。それではみなさん、ごきげんよう」
そして彼女は部屋を去っていった。