第十九幕 ライプニッツ
「ついにこのときが来てしまった……」
アダムがため息をついた。
「なーによー。そんな嬉しそうな顔しちゃって。スミッちゃん」
楽しそうにラストランナーがやってきた。
「あのね……。私の顔が希望に満ち溢れているように見えるの?」
アダムが尋ねると、ライプニッツは指で銃の形をつくり顎にあてた。
「ぜんっぜん。絶望に打ちひしがれているようにしか見えない」
ライプニッツが言うと、アダムは頷いた。だがライプニッツは笑った。
「心配しないの。すべては神の予定通り。幸福へと続く過程にすぎないわ」
「超絶不幸少女ライプニッツがよく言うわ。結局クーンが何をしたのか、わからずじまいだったし……」
アダムがため息をついた。
クーンは普通に罰符を払って退散していった……ようにしか見えていない。私以外には。
「ま、あんたはすぐ飛んで交代すりゃいいんだけどね……。カムバックルール使って」
そう。
そこだった。
クーンはほんの少しだけ、世界を書き換えて行ったのだ。この大会のルールを少しだけ変えた。
もともとのルールでは、各チームのプレイヤーが全員(正確には二人ずつ対戦しているので最後の二人のうちどちらか)が敗退した時点でもう一方のチームが勝ちになる。
だが今のルールは違う。
カムバックルール。
大会時間二十四時間が経過しないうちに残りの選手がいなくなった場合、誰かを復帰させられる。何度でも。この時、持ち点二万五千点を持っての参戦となるが、当然平等に相手チームのどちらかのメンバに同じ点数が加算される。
つまり、全員敗退での負けが無くなった。ただ、カムバックしても点差はそのままで縮む訳ではないので、私はクーンが書き換えたことの意図はわからなかった。
本来なら変なルールだ。だがその変なルールを、クーンは世界に「ねじこんで」しまっていた。もう、誰も、そのルールが元は無かったなんてことには気づかない。私だけが、受信記録と照合することでそれを認識できていた。
クーンの記憶さえ書き換わってしまっているので、彼女が意図を持って書き換えたのかどうかもわからない。あの子は結局何を考えているのか全然わからなかった。ただ、考え方を変える……というのがどういう意味なのかだけが気になった。
「ゲームが終わるのは、大会終了時刻の午後六時。今午後三時ですから、あと三時間ですね」
最後の四人によるゲームが始まった。
「ライプニッツ。言っとくけど、私たちお互いから上がっても意味ないんだからね。白組から上がらなきゃ」
「スミッちゃんが私の当たり牌を捨てなきゃ大丈夫だよ」
「あんた。ちょっとは考えてよね」
「うん。一つ考えたんだけどね」
「何よライプニッツ」
「流局を利用するっていうのはどう?」
「流局?」
「うん、誰も上がらないで流局した時、テンパイしてたらしてなかった人から点が貰えるでしょ? 千点くらいの大した点数じゃないけどさ」
「そうだけど……それを利用するって……あ、そういうこと?」
「うん。気づいてた? 囚人のジレンマは今、アガリ牌の出方だけに影響してるから、流局時の点棒移動は防げないの。点数は僅かだけど、これなら白組から紅組へ点が奪えるよ」
「なるほど……でも、残り時間があと三時間くらいしかないのに、点差が二十万以上……。何回流局させれば取り返せるのよ」
「気の遠くなるほどだけど……。とにかく、やらないよりマシでしょ。大丈夫、いつかは取り返せる」
ライプニッツはどんと胸を叩いた。
「見たとこ、ナッシュちゃんも毎回テンパイはしてない。私たちが両方テンパイし続ければ、いつかは勝てるよ」
「そ、そうかもしれない……。やるしかないか」
だが、その会話を聞いていたナッシュはプッと吹き出した。
「どうぞご自由に。計算ができないのかしら? とても間に合わないわよ。何ならこちらは毎回ノーテンにしてあげてもよろしくてよ」
「余裕こきやがってぇ……。見てなさいぃ」
そして見ていた結果、そのゲームは本当に流局し、そして。
「なーんーでー!」
「アダムごめんアダムごめんアダムごめんー」
「なんであんただけノーテンなのよ!」
「が、頑張ったんだけどテンパれなかった」
「あんなこと言いながらナッシュはちゃっかりテンパイしてるし!」
「素直に捨てていたらテンパイしただけですわ」
ライプニッツはがっくんがっくん首を振られながら、アダムに反論した。
「つ、次こそは! 次こそ頑張るから!」
「本当ね?」
だが次も同じ結果であった。
「だーかーらー! あんたの点数ばっかり三千点ずつ減ってってるじゃないのよ!」
三人に千点ずつ払うから三千点だ。
アダムがライプニッツの両こめかみを拳で攻撃する。
「あたたたた痛いよスミッちゃん、だってしょうがないじゃん良い牌がこないんだもん」
「まずい、まずいわ……。このままじゃ少しずつ点差が開くだけで終わる……。ライプニッツの運の無さを甘く見てた」
「酷いスミッちゃん」
「とにかく! テンパイできなさそうな時は言って! 可能なら私があんたから上がるようにするわ! そうすれば白組に点が行くことはないし!」
「わ、わかった……」
そして次のゲーム。
「だ、ダメ! テンパれない! スミっちゃんお願い……」
「わかった。じゃあ当たり牌捨ててよ」
「え、え、何が当たり牌?」
「五索!」
そう叫んだアダムに、メリッソスが首をかしげた。
「え、いいの? どうどうと当たり牌言ったりして」
ナッシュが肩をすくめる。
「まあ、私は構いませんわ。こちらが不利になる訳でもなし」
一方ライプニッツはパニックしていた。
「無いよ五索! えっとどうしよどうしよ。あ、わかった、カンしよっ」
ライプニッツは手元の四枚の東を倒した。
「おっとカンですか、どういうことでしょう解説のアリスさん」
「なるほど、カンすれば更にもう一枚牌をツモることができますからね、チャンスが一回だけ増えます」
アリスが解説する。
「やったーっ! 予定通り!」
ライプニッツは山から取ってきた牌を見て歓声を上げる。
「これ捨てるよ、スミッちゃん! 受け取って!」
「ありがとライプニッツ! ロン、満貫!」
「高い! 高いよスミッちゃん! スミッちゃん今親だし!」
点棒を見ながらぼやくライプニッツ。と、そこで対面のメリッソスが口を挟んだ。
「あれ、ねえ、カンした時って……、ドラ増えるんだよね?」
メリッソスが山を指さしている。
「え? ああ……そうだね」
そう、カンをする度に、ドラ表示牌が一枚ずつめくられ、ドラが増える。おそるおそる次のドラ表示牌をめくったライプニッツが、そのまま固まる。
「やばっ」
めくられた牌を見る。そしてアダムの上がった牌を見る。アダムも青ざめる。
「ド、ドラが三つも乗っちゃったー!」
「うわっ、倍満いった!? 二万四千点って……ライプニッツ、ちょっとまさか」
「スミッちゃんごめ……飛んじゃった」
ライプニッツが涙目になる。
「解説のアリス、早速ライプニッツが飛びましたね」
「そうですね、全てが裏目に出る少女ライプニッツの面目躍如です。自分でカンして増やしたドラで飛んでしまいました」
「そんな面目躍如してどうするという感じですが……」
「カムバック・ルールに基づき、追加の持ち点二万五千点を持って誰かがゲームに復帰できます。同様に白組にも二万五千加算です。誰にしますか?」
アリスの質問に、ナッシュが回答する。
「メリッソスさんに配分くださいませ。私の方はもう絶対に飛ぶことの無い点数ですもの」
「ど、どうも……」
メリッソスが頭を下げた。ナッシュは言う。
「メリッソスさんも何もしなくてもよろしくてよ。囚人のジレンマによってあなたは私からしか上がれませんし、私はあなたから上がったりはしませんから。適当に牌を捨ててくださればよろしいわ」
「あ、うん……わかった」
平穏な白組とは逆に、紅組の二人は何やら言い争っていた。
「なんで飛ばすのようスミッちゃん!」
「自業自得でしょうが! 満貫だから飛ばない筈だったのに、調子に乗ってカンなんかしてドラ増やすからよ!」
「だって……五索持ってなかったもん」
「あんたの場合は全部裏目に出ちゃうからなぁ……」
ライプニッツが気を取り直すように頬を叩いて言った。
「ドンマイドンマイ。大丈夫。全ては神の決めたシナリオ通り。最後には絶対うまくいくよ」
アダム・スミスがきっと睨んだ。
「そのシナリオ、本当に幸福にいきつくの?」
「え?」
「幸福にいきつく方に、私達紅組は入ってる訳?」
「え、え……」
「前から思ってたのよね。神のシナリオとやらではどうしてあんたの扱いがこうも酷い訳? 普段からそうじゃない。あんたは、その「うまくいく」方に入ってないんじゃないの?」
ライプニッツが、口ごもった。何か言おうとするが言葉にならないらしい。その目に涙がたまってきたので私は慌てた。アダムも慌てたらしい。
「すまん言い過ぎた」
アダムがポリポリと頭をかいた。五秒ほど沈黙があったのち、ライプニッツは小さな声で言った。
「……私、もう出ちゃダメだよねやっぱり」
アダムが黙ったままライプニッツを見る。確かにカムバックするのは誰でもいいのだ。特にライプニッツを連続で出場させなければならない理由はない。
「ライプニッツあんた……出たいの?」
「だって私、まだ一回も上がってないし! このままじゃ本当に役立たずだもん!」
グーの形に握った拳を身体の両脇で震わせながらライプニッツは言う。
「それが……あんたの意志ってことなのね?」
「そう、それが私の意志」
アダム・スミスが天井を見た。
「ねえライプニッツ。神はいると思う?」
「え、何スミッちゃん。い、いるよ。いるに決まってるじゃん」
「見えざる手って何なんだろうと思ってさ。私のイメージはさ、場のエネルギーみたいなものなんだ。だって私は実際に手の形をしたのを見たことがあるわけじゃない。ただ、皆が自分のことを一番に考えて、欲望にままに行動していることが、全体で見ると大きな何かを生む……たまたまそうなってるだけとは思えない。何かの意志が働いてるんじゃないかって思える。それを私は神の手と呼んでみた」
「スミッちゃん……?」
「ニーチェは違うって言う。神じゃなくて私の意志だと。でもそれも違う。私だけの意志じゃない」
アダム・スミスはライプニッツを見た。
「あんたは全ては神の予定調和だって言う。予め決められているって。でも、その先に幸福が待っているってのは……あんたの希望、よね」
「……」
一秒間が開いて、ライプニッツは照れたように頷いた。アダムも微笑む。
「じゃ、それでもいいわ。きっと見えざる手も、私の希望だもの」
「スミッちゃんのだけじゃないよ」
ライプニッツは手を差し出した。アダムはそれを握り返した。
「いいわ。やりましょう」