第一幕 バークリー
小さい頃、テレビを見た時にこう思わなかっただろうか。「テレビの中に小さい人がいる!」って。
もちろん実際にはそこに小人はいない。いるように見えるのは電波を通して人の映像が送られてきているからであり、小さいのは大画面テレビではないからで、小人だからではない。
現実も同じなのだ。
私たちは現実に存在しているのではなく現実を知覚しているに過ぎない。五感すべてにわたって神の放送する「知覚」を受信しているだけだ。
だから神が放送内容を少し変えたなら……私達が見ている世界も変わってしまう。昨日まで無かったものが突然現れたり、今日まであった物理法則が突然失われたり。
それは、実際に起こっていることなのだ。でも誰も気づかない。どうしてか? それは記憶ですら放送されたものだからだ。神からの放送を受信して「思い出した」ような気がしているに過ぎない。だから神が放送内容を変えたら記憶だって変わる。それにあわせて。
厄介なのは放送内容を変えてしまうのが神だけじゃないことだ。時折、放送を歪めてしまう、世界を書き換える子がいる。
私は違う。違うが……そうなりたい。いつか神の放送局をのっとって、自分の好きな世界を放送することができたら面白いだろう。そう考えた私はその真似事として放送委員をやっている。
実際には放送委員は何でも自由に放送できる訳じゃなかったし、時として面倒くさい仕事を押し付けられたりもする。
それが今回の大会の実況という仕事だった。
私の名前は、バークリー。
*
ここは聖フィロソフィー学園の女子寮、その一階にある娯楽室である。その名の通り娯楽に溢れていて、テレビにマンガにゲーム機と一通り揃っている。誰が置いたのかビリヤード台やダーツもあり、それだけならまだしも一際目を引くのが一台置かれているグランドピアノ。だがそれが邪魔にならないだけの広さがある。もはやホールと言ってもよく、昔はここで夜な夜な舞踏会が開かれていたという噂があるほどだ。
その部屋が今、二枚のカーテンによって三つの部屋に区切られていた。今私を含めて皆が集まっているのはその中央の空間。全部で二十人ほど。寮の住人もいればそうでない生徒もいるが、ともあれ女子ばかり。この大会にエントリーする選手達だ。
「ごっめーん。遅れた遅れた。犬におっかけられちってさ」
振り返ると、雪の中を時に転びながら走ってきたのだと一目でわかる少女が白いカーテンをくぐって現れた。頭の上や肩、鞄に降り積もった白。泥がはねちらかされた制服。皆を見渡し、近くにいた別の少女に声をかける。
「やっほー。スミっちゃんじゃない。スミっちゃんも出るの?」
声をかけられた方は振り向いて眉をひそめた。
「げっ。ライプニッツじゃない」
「ちょっとぉ。クラスメートの顔見て、げっは無いじゃんさー? 来ちゃ悪いっての?」
ライプニッツと呼ばれた雪だらけの少女は不満そうだ。それに対し声をかけられたスミッちゃん……と呼ばれた少女はため息をついた後、おそるおそるといった体で尋ねた。
「ここに来たってことはやっぱ……参加者な訳? あんた……どっちよ。紅組? 白組?」
「紅組だけど」
それを聞いてスミっちゃんはがっくりと頭を垂れる。
「……終わった……」
茶色のガウンが彼女の気持ちと一緒にずり落ちていった。スミッちゃんと呼ばれたこの子の名前はアダム・スミス。
「あれ、スミっちゃん白組?」
「……紅組」
「なら一緒のチームじゃん。どうしてがっかりするのよーう。失礼ね」
口を尖らせたライプニッツ。髪にはよく見れば雪に混じって白い薔薇の花の髪飾りをさしていた。ふたりとも私と同じ、学園の近代クラスに所属している。
ライプニッツはアダム・スミスに向かい人差し指を立ててからこう言った。
「言っておくけどね。これから起こることはすべて神のシナリオ通りなのよ。つまりもう私たちの勝ちは決まっているということよ」
彼女のいつものセリフだ。それを聞いて呆れながらアダム・スミスは言葉を返す。
「どの口がそれを言うのよライプニッツ。日頃のあんたの運の無さを見てれば、今日の神の予定表に書かれてるのはどう考えても黒星の方じゃない」
アダム・スミスの言う通りだと私も思う。ライプニッツは不幸の星の元に生まれたと言われるほどに、ついてないことで知られていた。同じ紅組だと聞いてスミスが眉をしかめたのも無理はない。
「だからそれも経過だってば。スミッちゃんこそ神の見えざる手、今日は頼りになるんでしょうね?」
そんな自覚は無いらしいライプニッツは、そう言い返す。
「あんたの運に比べりゃ何だって頼りになるわよ。なんでよりにもよってこの大会に出ちゃう訳? 強い人でも運が五割って言うじゃない。つまりあんたはその五割が無い状態でスタートなんだからさぁ」
ため息をつく。ライプニッツはそのきゃしゃな肩を逆側の手でどんと叩いて言った。
「なあに言ってんの。運なんて無いのよ。全ては神によって計算されているの。大丈夫。世界は幸福に向かっているわ」
「……あんたのその楽観的なところは羨ましいわ」
そう言ってライプニッツのことは諦めたようで、アダム・スミスは周りを見渡していた。
少女達はめいめい雑談したりぼーっと立っていたりして大会のスタートを待っている。私もつい二人の話し声を何となく聞いていた。
ふと、アダムが一人の少女に目を止めたようだった。
「ねえライプニッツ、あれ誰? あっちでピアノの横に立ってる子。孫子の奴と話してる」
「……? さあ。わかんない。うちのクラスじゃないと思うけど」
「そんなの私だってわかってるわよ。見ない顔よね」
「綺麗な子だね。色白で……」
ライプニッツが言った通り、その少女は……まあ、美少女と言って良かった。ドレスを着ている。
「なんだか……。どこかで会ったような」
首をひねっているアダム。ライプニッツも彼女のことは知らないらしい。
「うん。まーでも、この学園じゃあ皆あんまり教室にいないからねぇ。どこにいるんだかわかんない子多いし。私もたぶん一回も会ってない子いっぱいいるよ」
「まあね……」
その時、部屋の奥の扉が開いて、声が私を呼んだ。
「バークリー! ちょっと手伝ってよ! 一人じゃ運べないー」
声の主は現代クラスのソーカルだ。私はとんでいき、奥の倉庫からソーカルと一緒に二人でこたつを部屋に運びこんでくる。
*
私は部屋の皆を見渡して、視線が集まったのを見計らうと、マイクに言葉を発した。
「それでは第一回、哲ガク女子麻雀大会を始めたいと思います!」
隣でソーカルが継いで言う。
「始めたいと思います!」
ソーカルは妙にかっちりしたジャケットとネクタイ姿だった。寮で開催だというのに。
「実況は私、放送委員バークリーがお送りします!」
「解説のソーカルです!」
二人で一礼すると、何となくあっけにとられている様子の皆を尻目に、私たちはさっさと、こたつの傍、「実況席」と書かれた札のある席へ座った。学習机を二つ並べてテーブルクロスを敷いただけだが、何となくそれっぽく見える。
「さて それでは早速ですがルールを説明したいと思います」
私とソーカルでルール説明を始める。と言っても、実況席に置かれた紙に書いてあるルールを読み上げるだけだが。
「えーと……皆さんには紅組白組に分かれて団体戦をやってもらいます。紅組八人、白組八人。皆さん、リボンは受け取りましたでしょうか? 紅組の人は赤いリボン、白組の人は白いリボンです。体のどこかに結んでおいて下さい」
「リボンには自爆装置がついています」
「ついてません。ソーカルさん、いい加減なことを言わないで下さい。……そこ、慌てて外さなくて大丈夫ですデカルト」
ソーカルのいい加減な言葉を真に受けて慌てふためいていた、近代クラスのデカルトをなだめる。この子はいつも頼りなくちょっと心配になるが、実はやる時はやる子だと私は思っている。みなに愛されている子である。
「ではルールを説明します。卓はこの一卓のみです。つまり一度にゲームに参加するのは四名。両軍から代表二名ずつ、交代で出てもらいます。参加する選手以外はカーテンで区切られたそれぞれの陣地部屋で待機して貰います。麻雀部屋の様子はカメラで中継、私達が実況しますからご安心を。選手交代以外の時には麻雀部屋との境のカーテンをくぐらないようにしてくださいね」
「くぐるとリボンが爆発します」
「しません。だからデカルト、ついてませんってば自爆装置。……話を続けます。各プレイヤーの持ち点は二万五千点。0点になったら強制的に交代ですが、点が残っていても交代しても構いません。ただし、一度退場したら再出場不可です。つまり出られるのは一人一回まで。交代する場合は、その時持っている点をすべて次の交代した選手に譲ります。点がなくなるたびに交代して、交代人員がいなくなるまで続きます。今夕方の六時ですが、大会は二十四時間、最大で明日の午後六時まで続きます。皆さん徹夜はお肌に良くありませんので適宜仮眠を取って貰って結構ですよ」
「ただし寝ている子は私が恥ずかしい写真を撮ります」
「黙りなさいソーカル。はいそこバタイユ嬉しそうな顔しない」
私は白組の一人を指さして注意した。現代クラスのバタイユは、そのスタイルの良さと色気が目を引くが、中に詰まっているのが独特にねじ曲がったエロスへの情熱であるために、学園において近づきたくない人間の一人である。
「他に質問はありませんね? では今から三十分で、両チーム話し合って最初の代表者を決めて下さい」
私がそう締めくくると、一同は解散しカーテンで仕切られたそれぞれの陣地部屋に移動を始めた。
その時だ。
突然大きな音がしてホールの扉が開く。
「ちょっとあんた達! これはいったい何の騒ぎ!?」
あ、と声をあげた者と、あちゃーという顔をした者が半々。私は後者だった。
「ぱ、パスカル先生……。こ、これはその……」
現れたのは我が近代クラスの担任、パスカル先生だった。数学を教えている。ポニーテールに束ねた髪型が若々しいが実際若い。集まっている少女たちと混じってもそれほど違和感は無いほど。
そのパスカル先生が厳しい表情をしている後ろから、もう一人教師が現れた。
「珍しいわね……。うちの子たちがこれだけ集まっているなんて」
現れたのは、なぜかウェスタンハットを被った同じく妙齢の女性。
「アナクサゴラス先生まで……」
古代クラスの担任、アナクサゴラス先生である。二人の教師はずらりと揃った生徒達を見渡した後、場の中央に置かれたそれを見つけた。
「……それは何?」
こたつである。そしてその上に並べられた麻雀牌である。箱から出した状態のまま、絵柄ごとに数字に従い整列して並べられている。
まずい。私は必死に頭を回転させるが言い訳が思いつかなかった。
だが私より早く、ソーカルが動いた。
パスカル先生をまっすぐに見つめながら、実に落ち着いた、滑らかな口調で話す。
「見ての通り理想的な国家運営及び意思決定システムのあるべき姿についての議論中でこの卓上に置かれた多面体はある種の国家の勃興から衰退までを三分類九段階にモデル化する近年論壇で主流のトライ・コンティンジェンシー・アプローチに独自の拡張を加えまず司法立法行政を中發の字と空白で表しまた地勢学的観点から四方の表現を導入することで多面的かつ網羅的な展開により……」
「麻雀でしょ」
句読点を挟む余地さえなく出鱈目が敷き詰められたマシンガントークは、パスカル先生の鋭い一言によって打ち切られた。
「…………」
沈黙。固まるソーカル。
「まーじゃん、でしょ」
先生のゆっくりはっきりとした発音が無言の圧力となり二の句を継がせない。
「…………はい」
ソーカルはうなだれた。皆のため息が漏れる。
パスカル先生は、マイクを握りしめたままの私のほうを向いた。
「みんなで麻雀をやろうとしていたの?」
「……はい……」
思わず小さな声になってしまった私の声は、かろうじてマイクが拾ったせいで拡声される。
大会中止。そう覚悟した。
だがパスカル先生は、黙って卓上の牌を数秒見つめた後、にこやかな笑顔を私に向けて言ったのだった。
「だったら……先生たちも混ぜてくれる?」
そういえば……パスカル先生はこう見えて実はギャンブルに目がない人なのを忘れていた。