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第十三幕 孫子

 その娘は音も立てずに入ってきた。

 だが部屋にいた全員が、彼女が部屋に入ったことを察知する。空気が変わったのだ。

 皆が振り返る。

「……いよいよお出ましね」

 パスカル先生でさえ声にやや緊張をにじませていた。

「先生、お手柔らかに」

 私は息を吸い込んだ。

「白組はついに彼女が参戦です。無敵の戦略家であり最強の戦術家! 孫子です!」

「アホゥ。ほんまに最強やったら戦略なんぞ要らんやろ」

 そう言って不敵に笑う孫子。東洋クラス所属の彼女は学園最強の一人に数えられるが、それは彼女自身の戦闘力の高さ以上に優れた軍略家であるからだ。

「彼女の加わる戦いに負けはないと言われますからね。それは麻雀においても例外ではないでしょう。一体紅組はどう対抗するのでしょうか」

 アリスの解説に、孫子は首を横に振った。

「負けはない? 買いかぶったなぁ……。まぁ、やるからには負けるつもりはないけども」

「ちょっとぉ、あんたがそんな弱気じゃ困るのよね」

 そう言いながら彼女に続いてカーテンをくぐってやってきたもう一人。

 私は声を張り上げる。

「おっと! 白組のもう一人は現代クラスのお色気担当、バタイユです! とにかく無駄に色っぽい! 無駄にエロい! 無駄にいやらしい!」

「バークリー。後で覚えておきなさいよ」

 にらまれた。

 深く入りすぎたスリットから見えてはいけないものが見えたり見えなかったりしながら、彼女は艶めかしく席についた。

「さっきまでとは打って変わって、やさぐれた雰囲気になりましたね」

「……言うなぁアリス」

 孫子とバタイユに睨まれるが、どこ吹く風のアリス。この子も意外にいい根性している。

「うーん、なんか私だけ場違いな感じしない?」

 頭をポリポリかきながらアダムがつぶやく。

「そんな気がしますね」

 アリスがうなずく。

「そもそもなんであんたがいるの?」

 バタイユが聞く。

「え、えっと……なんでだろ?」

「こらこら。弱気なことを言わないの。大丈夫よ、アダム。紅組が勝つわ」

 パスカル先生は頼もしく強気だった。

「え、ええ……私邪魔にならないようにしてるんでよろしくお願いします」

 なおも居心地悪そうなアダム。

「それでは、始めて下さい!」

 私は対局開始をコールした。


 *


「パスカル先生……やはり強かったんですね麻雀」

 牌をかき混ぜながら孫子が言う。

「さあ……どうかしら。結局は確率のゲームだもの。私にできることは期待値の高いほうを選ぶことだけ。はずれることもあるわ」

 答えるパスカル先生。

「それは言うほど簡単やないと思います。先生の頭の回転の早さには驚かされますわ」

「あら、ありがとう」

 笑うパスカル先生。

 静かに言いながら孫子はなおも牌をかき回す。流れるようにその手が動く。美しい所作だなと私は思った。

 四人は洗牌をやめ、山を積み始める。

「ただ麻雀を確率のゲームだと言わはるようでは私の敵にはなりまへんけど」

 孫子がさらりと言ったので先生が手を一瞬止めた。

「あら、どうして? あなたもツキがどうの流れがどうのと言うのかしら?」

「……ツキ、流れ。それも所詮は本当の意味で戦いを制することのできん者の言い種やと思います」

 山が出来上がった。アダム・スミスがサイコロを振る。右隣のパスカル先生の山から牌が取り分けられる。親のアダムがまず牌を切る。

「怖いわねぇ……。何を見せてくれるのかしら」

 パスカル先生も牌を取り、そして切る。孫子も同じように牌を取る。

「何かを見せてしまうつもりはありまへんよ」

 孫子がふっと笑い、そして急に天井を見つめた。

「……?」

 孫子以外の皆も天井に目をやる。

「どうかした?」

 そう言ってパスカル先生が卓上に目を戻す。

 孫子が手牌の十四牌の両脇に手を添えた。

「先生、戦いは……始まった時には既に決しとるんです」

「え?」

 その瞬間、孫子がパタパタと端から牌ひっくり返し始めた。十四牌を一つ一つ、器用に裏返していく。そして全部が裏返った時、孫子は上がりを宣言した。

「……地和チーホー。役満です」

「なっ……」

 場の誰もが口を聞けなかった。私はおそるおそる隣のアリスを見る。アリスは神妙な顔で頷いた。

天和テンホー、地和という役満があります。親の場合、配られた時点で役ができていれば天和、子の場合最初のツモで役ができれば……地和、です」

「つまり、一枚も交換する必要なく最初から役ができていた……ということですか」

「そうです」

「なんと……おそるべき強運です、孫子」

「強運? ちゃいますな……」

 孫子は笑った。この笑みの意味を次のゲームで皆、知ることになる。


 *


「天和。役満です」

 またしても。今度は親の番で最初に上がってみせた。

「なんで……すって。ばかな、確率的にはほとんどあり得ない……」

 パスカル先生が驚愕の声を漏らす。

 孫子は何を考えているのかわからないアルカイックスマイルを見せていた。

「……本物、てことなのね?」

 パスカル先生が尋ねる。

「何のです?」

 孫子は微笑んでいる。

「私の、なんちゃって積み込みとは違う……本物ってことね?」

「さあ、どうでしょ」

 孫子は明には答えない。

「でも先生。……積み込みだったら自分の山からの配牌でなくちゃできませんよ。今のは私が積んだ山からでした」

 そう問うアダム。しかし先生は答える代わりに孫子に言った。

「……ツバメ返しなのね」

 聞いたことはあるが知らない言葉が出た。

「アリス、ツバメ返しとは?」

 間をおかずアリスが解説する。

「有名な、すごく強引かつ華麗なイカサマ技です。山を積む段階で自分の山の一段目にそっくり、役が完成した状態の十四牌を作っておくんです。そしてそれを……隙を突いて手牌とごっそり入れ替える」

「入れ替えるって……どうやってですか?」

「つまりその十四牌を残して山をごそっと持ち上げるんです。で、手前で伏せておいた自分の牌に乗っけると、ほら、山と手牌がそっくり入れ替わるでしょう」

「でもそれじゃ手牌が山の向こうにありますから変な状態になりますよ」

「そこでさらに手前にできた山をごっそり三十四牌全部持ち上げて、伏せられた十四牌を飛び越すんです。つまり大量の牌をつかんで行って帰って二回飛び越すことになる訳です」

「と、飛び越すんですか……。それはまた豪快な……」

「もちろん、あまりに大胆すぎますから、みんなが目を反らした一瞬に素早くやる必要があります」

 ……あ、確かに孫子はさっき、天井に目を反らしている。

「で、でも、みんなが目を反らしてた時間なんてほんの一瞬じゃないですか」

「信じられない速さです。孫子の運動能力のなせる技でしょうか」

 だが席上で孫子が笑った。

「ツバメ返しやという証拠は無いやろ? 見えなかったんやから。あんな、牌は生き物や。ふっと目を離した隙に簡単に別のものに変わってまう。ほらこうして……」

 言いながら牌を倒す。そして皆に笑いかける。その手はただ牌の両端に手を添えているだけだ。

「こうすると」

 孫子は牌を起こしてみせた。

「え」

 皆、絶句。そこにあったのはもはや先ほどの牌じゃない。バラバラだった。上がっていない。

「ほらもうめちゃくちゃやね」

「い、今……!」

「ツバメ返し!? 嘘、今なにもしたようには見えなかったけど」

 パスカル先生も皆も目を見開いていた。孫子はカッカッカと笑った。

「ほんまに速いツバメはな、わざわざ目を反らさんでもほとんど見えんやろ?」

 言って牌をまた伏せる孫子。そして一秒。また牌を起こす。注意して見ていれば彼女の手元が何か騒がしくなったようには見えるが、何が起こったのか追い切れない。

「嘘……」

 また変わっていた。さきほどの牌に戻っている。

「この面子なら止められへんやろ」

「こ、これは驚きました! あまりにも堂々と牌を入れ替えています孫子。ちょっと私の目ではとらえられません」

「完全に手品ですね」

 アリスが言う。

 ふと見ると、パスカル先生が笑いながら首を振っていた。

「これはダメね。先生、運動は苦手なの。そんな芸当のできる子を相手に、私じゃ相手にならないわ。もはや確率のゲームじゃない。格闘技か何かだもの」

「あら先生は格闘はお嫌いですか」

 孫子はつまらなそうに言う。

「私はね」

 だが、そう言って立ち上がったパスカル先生は、孫子に向かいにやりと笑った。

「でも得意な子がいるわ」

「あら先生、交代ですか」

 先生はうなずいた。そしてカーテンの向こうに声をかける。

「出なさい、ニーチェ。あなたの出番よ」

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