同好会はやめられない
何台も並んだ端末がせわしく明滅を繰り返す。ここはアメリカ中央情報局、いわゆるCIAの一室である。
そこで、今年配属になったばかりの若い職員が、端末を操作していた手を止め、後ろを振り返った。
「チーフ、どうも変なメッセージが上がっているのですが……」
呼ばれた男は顔を上げ、その職員の方を見る。
「どんなメッセージだ?」
「『機密情報の提供』というタイトルと『 ASC』と署名があり、ファイルが添付されているようです。ウィルスかそれとも何者かに侵入されたかもしれません。非常事態警報を出してもよろしいでしょうか?」
使っていた端末に突如表示されるメッセージ。通常使っているアプリケーションのものではないし、これまで見たこともないメッセージだ。
ここで使っている端末には許可されたアプリしかインストールされていないし、このようなメッセージを出すアプリにも心当たりはない。
それがいきなり起動してメッセージを表示するなど怪しすぎる。
だがチーフはまったく気にする風ではない。
「ASCなら知っている。君は来たばかりで知らんだろうが、こことは月一くらいでやりとりがあるから、気にせんでいい」
「でも、これを表示しているアプリって正規のものではありませんよね?」
「わかっておる。最初の頃は警報を出して侵入経路を調べたりウィルスの有無を確認したりしているが、どうにも尻尾がつかめん。金と手間ばかりかかるんで、今じゃノーチェックだ。まさか外部回線を全部切断するわけにもいくまい」
外部回線を切断し直接本部に赴き報告させれば侵入される危険は減らせる。
しかし情報を伝達する部門でそんなことをしたら、仕事にならないのは明らかだ。
「それでは、ここに報告されてくる情報はやつらに筒抜けなんですか?」
「機密情報を引き出された形跡はないが、これほどの腕があれば痕跡も残さず侵入するぐらい朝飯前だろう。まあ、こちらも重要な情報は外部回線から隔離された施設で管理しているから、そちらは大丈夫であるとは思うが」
若い職員は絶句して、端末とチーフを交互に見る。
天下のCIAのコンピュータに不法侵入されているというのに、外部回線をつながないという方法しか取れないなどということがあり得るのだろうか?
「そんなことのできる組織とは、いったい……」
「二年位前に最初の接触があってから、大勢の調査員が正体を暴こうとしたが、どこの国の、どこが運営している機関で、どこにあり、どんな調査員がいるのか、まったくつかめていないらしい」
「そんな組織が、うちに何の用なのでしょう?」
「奴らが接触してくるのは機密情報を買ってくれという場合だけだ。売ってくれということはない。どうやら彼等は独自に手に入れた情報だけを売りに出しているらしい」
「信用できるのですか?」
「彼等の情報は信頼度、特Aだ。しかも、割り増し料金を払えば情報の二重売りをしない、非常に信頼のおける組織だ。もっとも金をけちると、どこの国にもバラ撒いてしまうがね……」
「裏切りがあたりまえのこの世界でよくやっていけますね。どうやって運営しているんでしょう?」
「謎だらけの組織だが無条件に信用できる貴重な組織だ。せいぜいこちらも利用させてもらうさ。どれ、そのメッセージの本文を見せてくれないかね」
男は立ち上がり、端末に近寄った。
☆
入学式を終え三日もたつと緊張も解けて、クラスのいく人かとうちとけたお喋りもできる様になり、雨宮真澄は楽しい学園生活を送っていた。
「ねぇ、ますみぃ。クラブどーするの?」
昼食も終わってけだるい日差しの中、クラスメイトの牧村仁美が話しかけてきた。彼女とは同じ寮生であり、入学式当日からすぐに友達になった。
「一週間以内に決めなくちゃいけないんだっけ?」
真澄の入学した愛川女学院では、クラブ活動が盛んで、様々なクラブがあるが、正式非正式の問わず一人必ず一つ以上のクラブに所属しなくてはいけない。
「そうよ。まだ決めていないんだったらテニスにしない? あたし、中学の時もやってたから……」
なるほど。日に焼けて健康そうなのはそのためか。
「えぇー、わたし体育系はだめなの。運動神経まったくないし……」
真澄は対照的に色白で、細っこい身体つきをしている。
「じゃあ、どこにしようと思っているの?」
「読書か、スパイ同好会にしようかと」
「スパイ同好会? そんなのあったっけ? 覗き見でもするの?」
「ちがーう! スパイ小説とかスパイ映画なんかの研究会みたい。わたし、007のファンなんだ」
真澄は小さい頃からかっこいいスパイに憧れて、よく小説や映画を見ていた。
「変わってるわねぇ。でもここって、名前を聞いただけじゃ、なにをやっているかわからないクラブが、たくさんあるものね」
「そうそう」
真澄は各自に配られたクラブ案内を引っ張り出し、変な名前のクラブ当てっこをした。
「仁美は今日、すぐに寮に帰るの? ちょっと街に出ない?」
「ごめん、今日はテニス部の見学に行くつもりだったんだ。だから、真澄も誘おうと思って……」
「そっかぁ。じゃあ、わたしも見学にでも行こうかな」
「そうしなよ。街へ出るのは、また今度って事にして……」
「うん、そうする」
そこで予鈴が鳴り、午後の授業開始五分前を知らせる。
「次の授業なんだっけ?」
「真澄の嫌いな体育よ」
「じゃあ、早く着替えなきゃ」
二人は着替えを持って更衣室へと向かった。
☆
その放課後、真澄はクラブ案内を片手に、一階の一番端っこにあるスパイ同好会の部室に向かっていた。
これは同好会としては恵まれた方だ。正式な部とは違い、同好会にはまともな部室があてがわれている方が珍しい。普通は、どこかの教室に間借りするか、漫画同好会みたいに図書館等の専門教室を使う。
「あのう、少し見学させて欲しいんですけどぉ……」
真澄は引き戸をそーと開けて、おずおずといった感じでのぞき込む。部室は以外と広く、普通の教室の半分くらいもある。中を見回すと三人の先輩達がいた。
そして壁の中にもう一人!?
いや、壁に穴が開いていて、中には階段があるようだった。そこにいた少女が慌てて振り向く。
「優子、麗華!」
大きな事務用電卓を叩いていた少女が、鋭く叫ぶ。
ダンベルを持った少女と迷彩服を着た少女は、その声とほぼ同時に詰め寄る。
そして、真澄を引っ張り込み、引き戸を閉め鍵をかける。
「わたしは、ただ見学に……」
真澄はいったい何が起こったのかわからないまま、四人の少女に囲まれた。
「みちる、不注意よ。下に行く時は気を付けなさいと、あれほどいったのに……」
「ごめんなさい。だって、こんなとこ来る人なんて滅多にいないんですもの」
電卓を叩いていた少女に怒られ、みちると呼ばれた少女はしゅんとなる。
「まあ、いいわ。それよりこの娘をどうしましょう?」
「記憶消去剤を射って放り出そうぜ」
ダンベルを持っていた少女がいった。
どういうことかはわからないが、何やら物騒な話らしい。
「あれは完全じゃないでしょ。やっぱり、コンクリート詰めにして、日本海溝に沈めた方が確実よ」
これは迷彩服を着た方。こっちはもっと物騒だ。
「恥ずかしい写真を撮って、脅かすだけで十分じゃない?」
さっきまでしゅんとなっていた少女がいった。立ちなおりは早いらしい。
なぜこうなったかわからないが、自分が非常にまずい立場に立たされたことだけはわかった。
「わたしが、なっ、なんでそんな目にあわなくちゃいけないんです!?」
ようやくのことでいった真澄だが、声は震え、全身ががくがくしている。
「あなた、あの壁見たでしょう?」
あの壁とはやはり、今は閉じてしまって、あることすらわからなくなっている壁のことだろう。
真澄はおずおずとうなずいた。
「じゃあ、それだけで十分だわ」
電卓を叩いていた少女が静かにいった。
他の三人から物騒な事をいわれたより、もっと恐怖を感じた。
あの三人はどちらかといえばあまり本気そうではなく、ふざけている様な感じだったが、こっちは本当にやりかねない迫力があった。
真澄は足から力が抜け、ペタンと床に座り込んでしまった。
「あらあら、腰が抜けちゃったみたいね」
「麻子が、マジな顔をすると恐いんだから、やめなっていってるだろ」
「純真な一年生には刺激が強すぎるわよ」
他の三人が口々にいう。
「黙りなさい。これは由々しき事態よ。もしこの事が外部に洩れたらどうなるか、あなたたちだって知っているでしょ!? 何とかしなくちゃ、みんなどんな目に合わせられるか……」
おちゃらけた雰囲気は消え去り、重苦しい空気が立ちこめた。
真澄は歯の根が合わないほどぶるぶる震え、恐怖におののいた。
「――わたし、どうなるんでしょうか?」
できるだけ刺激しないようにいってみた。
まだ十五才、高校生活三日目で、この世から散るにはあまりに悲しい。
「そうね、あなたに選択するチャンスをあげるわ。道は二つ。コンクリート詰めにされて海に捨てられるか、あたしたちの仲間になるか」
「仲間って、同好会に入れって事ですか?」
「まあ、そう受け取ってもらってもいいけど、ちょっと違うわ。あたしたちと運命共同体になるって事。あたしたちがドジを踏めば、あなたにも害がおよぶってわけ」
「害って?」
「そうね。よくても、あの世行き」
「悪かったら?」
これ以上悪いことがあるのだろうか?
「何日も拷問された上、麻薬やら怪しい薬やらを射たれて廃人ってところかな」
「生爪を剥がされ、目を針で潰され、皮を剥がれた上に塩をなすり付けられたりしたら、とっても痛いわよ」
迷彩服を着た少女が楽しそうにいった。
確かに、これなら死ぬよりも辛そうだ。
「今すぐ死にたいのなら苦しまずに殺してあげるわ。あたしたちの仲間になるのなら、そういった目に合うかもしれないわよ」
ひーん、どっちもやだよー。
「みんな忘れるから、このまま帰してくれるっていうのはないんでしょうか?」
真澄は祈るようにいった。
「ない。二つに一つ」
にべもなくいい放つ。
「仲間になりなさいよ。ドジ踏むとはかぎんないし、今死ぬよりはいいと思うけどな」
みちるが、しゃがみ込みながらいう。彼女はこの場の雰囲気にそぐわぬ、ふんわりとした微笑みで真澄を見つめた。
「しかし、こんなトロそうなの仲間にしたら、かえってこっちが危ない目を見るんじゃねぇか? だったらいっその事、すぐにやっちまった方がいいぜ」
ダンベルを持っていた少女が凄む。
「なっ、仲間になります! きっと役に立ちますから、どうか殺さないで下さい」
真澄は必死になって叫んだ。気を変えられて、やっぱり海に沈めようといいださないうちに命乞いをした方がいい。
「今死んだ方がずっと楽かもしれないわよ。それでもいいの?」
「いいんです。後悔しません。今死んじゃうよりずっとましです」
「そう? ならいいわ。あたしは水神麻子。三年よ。一応ここの部長をしているけど経理なんかも担当しているわ。ようこそASCへ」
ASCとは愛川スパイ同好会の略称だ。この業界ではかなりしられた名だとは、真澄は知るよしもない。
「あたしは、小早川優子。同じく三年。実戦担当だ」
ダンベルを持っていた少女だ。ショートカットでよく日に焼けて、男の子みたいな言葉遣いの彼女は、セーラー服を着ていなければ、少年だといっても通じそうだった。
「同じく実戦担当の和泉麗華よ。ここでは唯一の二年生」
迷彩服を着た方がいった。迷彩服とはいっても下はショートパンツで形のよい足がすっかり見えている。
「んで、あたしが海野みちる。親が冗談で付けたような名前だけどよろしくね。三年生よ。情報収集を担当しているの」
「もう一人いるけど、今は下にいるから後で紹介して上げるわ。あなたの名前は?」
「雨宮真澄。一年B組です」
「そう、真澄ちゃんね。みちる、あなたのドジのせいでこんな事になったんだから、しばらく面倒を見なさい」
「はあい。わかりました。真澄ちゃん、下に行くわよ。最後のメンバーを紹介したらここの秘密を教えてあげる」
みちるは床に座り込んでいる真澄の手を取って立たせ、お尻に付いたほこりをはたいてくれた。
「ゲートオープン」
みちるがそういうと、壁だったところが横にスライドし、穴が開く。
「音声認識で開くようになっているの。後であなたの声紋も登録してもらいましょうね」
穴の中にある階段を降りて行くと、背後で再び壁が閉じる音がした。
「地下一階にはコンピュータとか、トレーニングルーム。その他、生活に必要な施設があるわ。もう一人のメンバーは、今コンピュータルームにいるの」
二人は地下の通路を奥へと進んだ。そこの突き当たりの部屋に入ると、よく映画で見るような、近代的な設備があった。
奥の方のガラスで仕切られた部屋には、大型の、それでいてスマートな機械が所狭しと並べられている。
「晴美ちょっといい?」
「ん?」
手前の部屋の、何台も並べられたスクリーンの前で、少女が画面を見つめ、何やら作業をしていた。
彼女は振り向きもせずに、生返事を返す。
「新入部員が入ったんだけど……」
「雨宮真澄です。よろしくお願いします」
「松沢晴美よ。……お茶が入ったら呼んでね」
そういうと今まで以上に、作業に熱中し始めた。
「気にしないで。晴美はコンピュータと紅茶以外のこと、あまり関心がないから……」
部屋の外に出ながら、みちるは肩をすくめる。
「あたしと同じ三年で、コンピュータ担当よ。一応副部長なの」
「それにしても凄い設備ですね。学校が用意してくれたんですか?」
真澄はさっきからずっと心に引っかかっていた疑問を口にした。
「こんな物、学校で買ってくれるわけないじゃない」
みちるはあっさり否定する。
「それじゃあどうしたんです?」
真澄は恐る恐る訊いた。
もしかしたらさっきのはただの冗談で、彼女を入部させるお芝居だったんじゃないかと思いたかったのだ。しかし、こんな物を見せられては、冗談では済まされそうもない。
「もちろん非合法な諜報活動の報酬でよ。この下にはもっと凄い物もあるわよ」
覚悟していたとはいえ、ショックが大きい。あの時仲間になるといわなければ、間違いなく殺されていたかもしれないと思うと、今更ながら足が震える。
彼女達は、同好会とは借りの姿で、その陰で本当のスパイ活動をしていたのだ。
地下二階に連れられていった真澄は、さらに打ちのめされた。
下にあったのは、武器弾薬庫と、射撃練習場だった。
ずらっと列んだ拳銃やライフル。用途すらよくわからないが、なにやら物騒な雰囲気を醸し出している道具もある。
「こ、これって……」
「そう。もちろん違法行為よ。あなたもすでに仲間なんだから、誰かに喋ったりしたらどうなるかわかるわよね?」
パパ、ママごめんなさい。わたし犯罪者になっちゃったよぅ。
もちろんそんなことはないのだが、動揺している真澄は自分自身を追い詰めてしまった。
「ちょっと撃ってみる?」
「いえ、遠慮します」
「いいからいいから……」
真澄のいうことなど聞かずに、彼女は真澄に拳銃を持たせた。
「二十二口径の小さな奴だから、そんなに反動はないわよ。イヤーガードをして、両手で持って」
みちるはヘッドホンのような物を二つ取り、一つを真澄に付けてやった。そしてもう一つは自分に付け、拳銃を手にし呆然としている真澄の手を取った。
「これが安全装置。ここを外さないと弾が出ないからね。あと、このタイプの拳銃は自動拳銃っていうんだけど、最初弾を込める時は、ここんとこをスライドさせて、初弾を中に入れないといけないの。今はもう入っているから、とりあえず撃ってみましょう」
みちるは真澄を後ろから抱き締めるようにして、彼女の腕を支えた。
「あの的を狙って撃つのよ」
前方に、人の形をした的が置いてある。それには等高線のような白い線と数値が書き込まれていた。
「さあ、引き金を引いて」
みちるがうながすが、手が強ばって動かない。その時、襟元からぞくっとする感じが駆け抜けた。
業を煮やしたみちるが、真澄の首筋に息を吹きかけたのだ。
そのショックで、真澄は引き金を引いてしまった。
イヤーガードのせいで、あまり迫力のない音が聞こえた。しかし、腕には確かな衝撃が走る。
「撃ち続けて!」
一度撃ってしまうと、それからはさほど抵抗もなく撃てた。
九発全部撃った時には、ちょっぴり楽しい気分にさえなっていた。
「中々筋はいいわ。五発は当たっているわよ」
見れば、五つの小さな穴が開いている。どれも真ん中とはいえないが……
「どう? けっこう楽しいでしょ? むしゃくしゃしている時なんかは、撃ちまくるとすっきりするわよ」
真澄はあいまいに答えて、初めて撃った銃の感触を噛み締めていた。
わたし、どうなっちゃうんだろう?
真澄は不意にこみ上げる不安に、そっと身を震わせた。