7 天然?
蹴つまずいたジジの手から小型竜のバスケットがころころと豪華な絨毯の上を転がる。
「あっ! ちょっと……」慌てて拾い上げたジジは、真正面に座っている美しい男と目と目が合う。
「そなたがジェラルディーナ・ジニーか?」
「お父ちゃん?」
紫色の目と目が合い、お互いの血の繋がりを感じる一瞬だったが……コホンと横に控えていた貴族が咳払いして、折角の親子の対面を邪魔をする。
「エリオス聖王、こちらにウィンチェスター伯爵から書類が届いています。ご確認お願い致します」
「メルケル宰相、そのようなものは後でも良いではないか? さぁ、ジジ! こちらにおいで」
ジジ? そんな変な名前で呼ばないで下さいと、宰相が文句をつけているのも無視して、エリオス聖王はにこにこと笑う。その笑顔はまさに天使みたいに清らかで、ジジはお母ちゃんや自分を捨てた酷い男だとの恨みを全て捨ててしまう。
「お父ちゃん!」ジジは、バスケットを抱きしめたままエリオス聖王の元に走り寄る。
「そこまでです」
サッと指輪が何個も嵌った手が、父親の胸に飛び込もうとしたジジの行く手を遮った。
「ボーエンフェルト侯爵、何をするのだ?」
娘をハグする気満々のエリオス聖王は、王妃の父親であるボーエンフェルト侯爵に邪魔をされて不貞腐れる。
「ここは謁見の間です。先ずはジェラルディーナ・ジニー姫が第一王女であると確かめるのが大事です」
……お父ちゃんって、もしかして天然?……
悪い人では無さそうでホッとしたが、どう見ても王座に座っているエリオス聖王より、一段下に控えて立っているメルケル宰相とボーエンフェルト侯爵とかいう貴族が偉そうな態度だ。
「それより、ジジは何を持っているのだ?」
ウィンチェスター伯爵が届けた結婚証明書を二人で確かめている間、エリオス聖王の興味はジジの持っているバスケットに向かった。
「これはウチが可愛がっているチビ竜です」
「チビ竜! ジニーもチビ竜と呼んでいたなぁ……見せてくれないか?」
二人の貴族が止める間もなく、ジジはバスケットを開けた。長い間、バスケットに閉じ込められていた小型竜は、やっと外に出られるとパタパタと飛び上がる。
「やはりドラゴー砦の小型竜は元気が良い。見事な飛びっぷりである」
「お父ちゃんもチビ竜が好きなの?」
「私がそなたの母ジニーに出会ったのも、小型竜が縁であった。まだ、その時の小型竜を手放さず飼っているぞ」
「へぇ、もうかなりの高齢だよねぇ、見たいなぁ」
「この様な場所で、小型竜を放さないで頂きたいですな」
どうやらジジを第一王女だと認めたメルケル宰相は、礼儀作法から叩き直す必要がありそうだと片眉を上げた。ボーエンフェルト侯爵は、親子で小型竜を見ている姿を苦々しく思ったが、グッと我慢する。手をパンパンと叩き、人払いしていた侍従を呼び寄せる。
「さぁ、ジェラルディーナ・ジニー姫をお部屋にご案内しなさい」
ジジは不安そうにエリオス聖王を見上げる。
「また後で会えるから、今は着替えた方が良いだろう」
ジジがぶかぶかの毛織物の服を着ているのに初めて気づいたエリオス聖王は、もう少しマシな格好をすればより可愛いだろうと微笑む。
「なら、後で……」
ジジは口に指を入れてピィーと小型竜を呼び寄せると、バスケットに手早く入れて案内の侍従について行く。
「おお、上手く口笛を吹くものだな」
面白そうに笑っているエリオス聖王を、メルケル宰相とボーエンフェルト侯爵が睨みつける。
「ジェラルディーナ・ジニー姫にはカルディナ帝国に嫁いで貰わなくてはいけないのですよ。あんな作法ではサリオン王国の恥になります」
「メルケル宰相、何を言うのだ……彼方から第一王女をと指名してきたのだ。それでなければアンジェリーナを嫁に出すのだが……」
エリオス聖王の言葉を姫の外祖父になるボーエンフェルト侯爵は、カルディナ帝国に孫を嫁にやる気は無かったので複雑な顔で聞く。
「あんな野蛮なギデオン皇帝だと名乗っている成り上がり者の息子に幼い姫は嫁に行かせられません」
メルケル宰相は、嫁に行かせられないのはアンジェリーナ姫がプラチナブロンドと紫の瞳を受け継いでいないからだと苛つきを隠す。そうでなければ、幼いとかは王家の政略結婚では問題にならないのだ。
「とは言え、カルディナ帝国には逆らえませんからな。王妃様にもジェラルディーナ・ジニー姫の教育を手伝って頂きませんと……」
ボーエンフェルト侯爵は、苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。本来は王太子の外戚である自分こそが宰相に相応しい筈なのに、エリオス聖王はメルケルと交代させない。
……このエリオス聖王だけは掴みどころが無い。馬鹿なのか? 演技なのか? それとも王妃一族の権力の独占を阻む為に私を宰相の座に置いているのか?……
「私も着替えてこよう……エリザベートは機嫌が悪いだろうな。当分、近づかない方がよいだろうか?」
疲れたと欠伸をしながら謁見の間から出て行くエリオス聖王を、二人はお辞儀をして見送った。
……エリザベート王妃を恐れている様な言葉なのに、何か面白がっている様にも聞こえる……
メルケル宰相は、長年お仕えしているエリオス聖王の気持ちが理解できない。弱々しい態度にも思えるが、何千年ものサリオン王国の血の重みも感じる時があるのだ。欠伸をする姿すら神々しいエリオス聖王を見る度に、何故か背中がゾクゾクするメルケル宰相だった。