2 竜飼いの少女ジジ
「ジジ! 早うチビ竜を山へ連れていかんと叱られるぞ」
ハッと飛び起きたジジは、ゴホン、ゴホンと咳き込むマソムにベッドの横に置いてある薬草水を飲ませる。
何時もはうす暗いマソムの部屋にも朝日が差している。
「お爺ちゃん! なんでもっと早うに起こしてくへんかったん。まずいわぁ」
夜、何回も咳き込む祖父に起こされたジジは寝坊してしまったのだ。
慌てて台所に駆け込んだジジを、ドラゴー砦の女主人であるカルマがギロリと睨みつける。
「ジジ! チビ竜達を山の牧場に連れて行き! うるそうて、うるそうて、耐えられんよ」
「まだ朝ごはんを食べてないもん」
「お前が寝坊したからや! この怠け者がぁ!」
ジジは振り上げられた杓子を避けて、台所の机の上に置いてあったパンとチーズを素早く取り、肩から下げている袋に入れた。
「こら! それは昼のパンや!」
怒鳴っているカルマから逃れるように、ジジは腹をへらして騒いでいる小型竜の元へ走る。
「遅そいぞ!」
チェッとジジは内心で舌打ちする。いつもは小型竜が飼われている竜舎になんかに来ない伯父のガンツがいた。
大型竜を飼うのは誇り高い男の仕事だと考えているガンツだが、小型竜の世話は子どもがするものだと見下している。ジジは、寝坊した日に限ってと内心で毒づく。
「今から牧場に連れて行く」
機嫌が悪そうなガンツに逆らうほどジジも馬鹿では無い。
「年取ったチビ竜を二匹出せ! 竜の餌にする」
「叔父さん! あの子らも妊娠してるんよ!」
「ワシに逆らうんか!」
慌てて小型竜の檻の前に立ったジジだが、ドン! と頭に衝撃を受けた。
頭に被っていたウサギの毛皮の帽子が脱げ、プラチナブロンドの髪がパラリと肩に広がった。ジジは、咄嗟に頭を抱え込んでうずくまる。
「この穀潰しが! お前なんかを養う義理はないんやぞ! こんな銀髪なんかドラゴー一族にはいない」
髪の毛を引っ張られて地面に弾き倒された。泥で汚れたブーツがジジの背中を蹴飛ばす。痛さで息が一瞬止まったが、ゲホゲホと咳き込む。
「さっさとチビ竜を連れていかんか!」
咳き込んでいるジジを引き起こし、頬を平手打ちすると、ガンツは出て行った。
「畜生! いつか仕返しをしてやる!」
涙目でガンツの背中を睨みつけるが、また引き返して来られては困る。それに今回は小型竜を餌にされずに済んだのでホッとする。ジジはこそっと弓を上っ張りの下に隠す。
「ほんまにガンツなんか大嫌いや!」
この冬、祖父のマソムが発作を起こし、寝たきりになってから、ガンツはジジに対して前よりもずっと厳しくなった。一族から異端視されているプラチナブロンドの髪を帽子の中に突っ込んで、ジジはチビ竜を山の牧場に連れて行く。
「ほら、餌を食べるんや」
小型竜の親は慣れているので逃げたりはしないが、子竜は安心できない。首輪に紐を付けて杭に一頭ずつ繋ぐ。この作業も手慣れた物だ。
こうして小型竜が草や虫を食べるのを見張るのがジジの仕事だから。八歳の頃からすっと世話をしているので、小型竜にも愛情を持っている。
「お前たちと一緒に朝食にしよう」
ジジは岩に座って固いパンとチーズを少しずつ噛み砕いていく。こうして一人っきりで小型竜の世話をするのは嫌ではないが、砦で自分だけが異質な存在なのは辛い。
ドラゴー一族は茶色から金色の髪で、ジジのようなプラチナブロンドはいない。ジジは虐めの対象である髪が嫌いで、何時もは三つ編みにして帽子で隠していた。
「夜中に起きた時、爺ちゃんは変な事を言うとったなぁ……そうじゃ! 手紙をくれたけど……」
昼食用に半分残したパンとチーズを袋に入れると、古びた手紙を底から取り出した。古びているし、封も開けていない。
「死んだお母ちゃんの手紙を読んでもええもんか? でも、もしかしたら……ここから逃げ出せるかもしれん……」
出産の際に母親を亡くしたジジは、祖母シリーの手で育てられた。しかし、その祖母もとうに亡くなり、最後の保護者である祖父マソムも長くは無さそうだ。
保護者が亡くなったら……ジジは不安で堪まらない。穀潰しと罵られるは仕方ないが、ガンツとカルマの意地悪そうな眼で見られる度に、小型竜と共に売り飛ばされるのではないかと怯えて暮らしていた。
「売り飛ばされる前に出ていかんと! チビ竜と別れるのは辛いけど……お母ちゃんの知り合いが居るんなら、王都で雇ってくれるかもしれん!」
ええい! と意を決して、袋からナイフを取り出して封蝋を破り、古びた手紙を開く。
「ええっと……何て書いあるんやろう? こんな文字は読みにくいわ」
手紙には綺麗な装飾文字が使われていた。亡くなった祖母のシリーに簡単な文字を習っただけのジジには、クネクネとした装飾文字は模様にしか見えない。それでも、どうにかジニーと書いてあるのを読み取る。
「ジニー・ドラゴー! これはお母ちゃんの名前や。なら、こっちのがお父ちゃんの名前なんやろうけど……えらく長い名前じゃなぁ。エリオス・ジェラルディン・プロメティウス・サグーラリオン……覚えきれんわ……結婚? 許可する?……もしかして……」
どうやら結婚証明書らしいとジジは驚く。
「お母ちゃんは淫乱な女じゃなかったんや! ウチにもお父ちゃんが居るんや」
長々しい名前を本気を出して読もうとしていると、バサァと大型竜の影がジジの手元を暗くした。
「何や? うちの竜じゃない。あれは王都の竜じゃ!」
紫色の旗を持った騎士を乗せた大型竜の滑空に、怯えた小型竜が逃げまどう。ジジは手紙を袋に突っ込むと、指を口にくわえると、ピィ〜と口笛を吹いて呼ぶ。
「まさか納めた竜に問題でもあって、文句を言いに来たんじゃないやろうなぁ。そんなことになったら、ガンツの機嫌は最悪じゃ。今夜は会わんようにせんと、八つ当たりでぶん殴られるわ」
ビクビクしている小型竜に禁止されている岩ネズミを与えると、大型竜の恐怖を忘れて食べ出す。ジジは、やっと落ち着いた小型竜にホッとして、父親らしき人物の名前を読もうと袋に手を入れた。
「ジジ! お前はこりへんなぁ。チビ竜に肉を与えたらあかんと言われとるやろう。臭くなるから売り物にならんようになるのに」
突然、声を掛けられて、ドキン! とジジは飛び上がる。
振り返ると、従兄弟のハンツが岩ネズミを食べている小型竜を呆れて見ていた。
恐ろしい叔父のマソムと意地悪なカルマの子どもとは思えない穏やかなハンツは、ドラゴー砦でジジに普通に接してくれる珍しい存在だ。
「ここは大型竜を飛ばしたら駄目なのに、チビ竜が怯えたから仕方なかったんよ。散り散りに逃げたら困るやん」
ジジの言い訳を疑わしそうにハンツは聞いていたが、それどころでは無かったのだ。
「ホンマかなぁ? そうや、オトンがお前を呼んでるんや。早うに行けや! チビ共はワシが連れて帰ってやるわ」
「ガンツが……まさか殴る為に?」
怯えるジジだが「そんなんはしらん! でも遅うなると、絶対にオトンに殴られるぞ」と言われ、砦まで駆け下りる。
機嫌の悪そうなガンツを、より怒らせたくなかった。