9 ウチは売り飛ばされるんか?
ジジは今までドラゴー砦では食べたことが無いような柔らかいパンやご馳走を喜んで食べた。昨夜の男爵邸では、一人分が部屋に運ばれて食べたのだが、お腹を空かせた小型竜と分け合ったのだ。今夜は侍女が小型竜にたっぷりとエサをやったので、生まれて初めて腹がいっぱいになるまで食べまくった。
「もう……食べられへん!」
侍女は年頃の姫君が腹を摩っても良いものか? と眉を顰めるが、教育はユング伯爵夫人に任せる事にして、ベッドに休ませると仕事を終えた。召使い部屋ではきっと皆んなから質問責めに合うだろうと、二人は重い足取りで下がる。お仕えする姫君の悪口は言いたくないが、事実を話せば悪口になってしまう。
そんな微妙なアリーとマーニャの気持ちなどジジは思いやることもなく、ふかふかのベッドから飛び降りる。
「お父ちゃんと会いたいなぁ〜! 後でと言ってたけど……」
王都では小型竜をペットとして飼うのが流行っていたので、ジジの部屋にも可愛いベッドを侍女が用意してくれた。今まで藁の上で寝ていた小型竜だが、フカフカのクッションの上でも問題無さそうにスヤスヤと眠っている。
「起こすのは可哀想やけど……こんなに広うては、何処にお父ちゃんが居るのか、わからへんから」
コソッと一頭の小型竜を抱いて廊下に顔を覗かせて、あたりを見渡して見るが、所々に衛兵が立っている。
「こりゃあ、部屋に入れてくれんかもしれんなぁ」
ジジは、お父ちゃんの側に貴族が居ない場所で、どうやってお母ちゃんと出会ったのか? 何故、捨てたのか? そして、今更自分を招き寄せたのには、何か理由があるのか? それを知らないと、フカフカのベッドでもうかうかと眠られない気持ちになったのだ。
「こっちの窓からいけるかなぁ?」
窓の外には小さなテラスがあり、小型竜をガウンの内側に一匹押し込めると、テラスの柵を乗り越えて、窓の外の細い飾り石に脚を乗せた。
『なぁ、お父ちゃんはドラゴー砦のチビ竜を飼っているんよ。お前なら臭いでわからんかなぁ?』
ガウンから顔を出した小型竜は『キュピキュピ』と右を向いて鳴く。そちらには、ジジの部屋のテラスの数倍はありそうな立派なテラスが月光に浮かんでいる。
「あれかな? それにまだ灯りがついとるからお父ちゃんは起きてるかな?」
ジジの部屋からはかなり距離もあるし、途中には何個かテラスもあるが、竜の牙育ちには楽勝だ。
「げげげ、ここは王妃様の部屋みたいや」
気難しげに侍女に何か言いつけている様子に、首を竦めたジジは、こそこそと見つからないように這ってテラスを通り抜けた。その次の大きなテラスが聖王エリオスの部屋に通じていた。
「お父ちゃん……」
一応は、礼儀を思い出して、窓をコンコンとノックする。エリオス聖王は、夕食の時に機嫌の悪かったエリザベート王妃の部屋を訪れるのを遠慮したいと、部屋で年老いた小型竜の頭をを膝に乗せて本を読んでいたが、テラスに通じる掃き出し窓を見て驚いた。
「ジジ! さぁ、お入り!」
普通の親なら「何て危険な真似を!」と叱るだろうが、エリオス聖王は笑いの発作を抑えるのに苦労していた。自分の姫が盗賊めいた真似をして、王宮の外壁を伝う姿を想像しただけで笑えてくる。
「お父ちゃん! あっ、これがお母ちゃんが売ったチビ竜じゃな。すげぇ、大きくなっとるなぁ〜! チビ竜もこんなに大きゅうなるんやなぁ」
やっと二人きりで娘と会えたのだから、ハグしようと思ったエリオス聖王だが、スルーされてしまう。どうやら母親のジニーと同じく竜馬鹿らしいと懐かしく思い出す。ガウンの中から小型竜が飛び出し、お互いの匂いを嗅ぎあう。
「お父ちゃん、このチビ竜は十五歳以上なんか? こんなにチビ竜も大きくなれるだなんて知らなかったわ」
チビ竜は繁殖出来なくなると大型竜の餌にされてしまうので、ジジはこんなに成長した姿を見るのは初めてだった。
床に座りこんで、熱心に観察しているジジの手を取って、エリオス聖王は立ち上がらせる。
「そうだなぁ、きっと十五歳よりも年をとっているよ。それより、こちらに……やっとハグできたよ」
ジジも初めて父親の胸に抱かれて、感情が昂ぶる。
「なぁ、何でお母ちゃんを捨てたん? ウチのことも忘れとったんじゃろ? それなのに、何で今更ウチを迎えにきたん?」
涙ぐんだ紫色の瞳に見上げられ、エリオス聖王は自分の身勝手さに嫌気がさす。ジジを椅子に座らせて、重要な話をする。
「お前の母親と秘密に結婚したが、幸せな期間は短かった。秘密は何処からか漏れて……私はジニーを護ってやれなかった。ドラゴー砦に帰す方が良いと判断したのだ」
今でもふわふわと頼り無さそうな父親が十五年前には、もっと無力だったのだろうとジジは諦める。
ジジは、今日見た宰相とか侯爵とかに、父親が抵抗できるとは思えなかったが、それで王様をやっていられるのかと疑問を持つ。
「ジェラルディーナ・ジニーは、私とジニーの名前をとって名付けたのだよ。二人でジジと呼ぼうと話していたのだ」
自分の若い頃の夢物語をほんわかと思い出している父親には悪いが、ドラゴー砦で嫌われ者として育ったジジは、確認しておきたいことがあった。
「身分違いやから、別れたのは仕方ないよ。でもウチが産まれたのを知っとったんなら、何かすべきじゃないかなぁ? 引き取らんでも、養育費を送るとか? ドラゴー砦の生活は厳しいんやから」
浮世離れしているお父ちゃんに、理解できるかな? とは思うが、ジジは恨みをぶつける。
「ジジ? 私は養育費なら手配するように……届いていなかったのだな……私は何も力の無いお飾りなのだ」
しおしおと落ち込むエリオス聖王に、ジジの方が慌てて慰める。
「もう過ぎた事はええんよ。遅かったけど、ウィンチェスター伯爵とかいう人が叔父さんにお金を払っていたわ。それに、ウチもどうにか売り飛ばされずに大きくなれたし……そう言えば、何で今更……」
指を組み合わせて、人差し指をクルクル回しているエリオス聖王の様子に嫌な予感がする。聞きたくは無いが、聞かないのも気になる。どうも、エリオス聖王は天然なのか、策士なのか、相手から質問させるのが上手い。
「何? もう! 話して貰わんと、ウチは寝られへん」
「怒らないと約束してくれないと、話したく無いな。メルケル宰相に話させても良いのだし……」
いい歳の男が上目遣いで娘を見ている。ジジは、これが叔父のマソムなら気持ち悪くでゲロを吐くところだったと内心で悪態をつくが、見た目が天使のお父ちゃんには似合っている。
「怒るような理由があるんやな! ウチを変態親父の所へ嫁に出すんか?」
「変態親父? アルディーン皇太子は、変態かどうか性癖までは知らないが、親父とは言えない若さだと思うから怒らないでおくれ」
「やっばし、ウチは売り飛ばされるんか?」
夢の国のような部屋を用意されて、浮かれていた自分が嘆かわしいとジジは腹を立てる。




