第九十一話 終戦後の日常
セルメティア王国の首都アルメニス、静かな町の一角に建てられているダークの屋敷の二階にある彼の自室、その中でダークは机と向かい合って本や羊皮紙を見ていた。ダークはいつもの漆黒の全身甲冑の姿ではなく、金髪の美青年の素顔を見せ、この世界の平民が着ている様な長袖と長ズボンの服装をしている。これが屋敷でくつろぐ時のダークの格好なのだ。
ダークは手に持っている一枚の羊皮紙の内容を真剣な顔で黙読している。部屋の隅では人間の姿のノワールが本棚の前に立ち、本を開いて何かを調べていた。二人とも無駄口などをせずに黙って何かの作業をしている。
「……これだけだと全ての情報を得られないか。ノワール、そっちは何か分かったか?」
「いいえ、こっちにも詳しい事は書いてありません。やっぱり図書館にしかないみたいです」
「そっか……なら、明日にでも図書館に行って調べてみるか」
椅子にもたれながら素の口調で喋るダークは小さく溜め息をついて持っていた羊皮紙を机の上に置く。ノワールも本を閉じて本棚に戻すとダークの隣へ移動する。二人とも、長い時間何かを調べていたらしく、顔には僅かに疲労が見えていた。
ダークが椅子を立ち、机の上に散らばっている羊皮紙や本を整理し、読まない本を隣にいるダークへ渡す。そんな作業をしていると入口の扉をノックする音が聞こえてきた。ノック音を聞いたダークとノワールは作業をやめて同時に扉の方を向く。
「誰だ?」
扉を見ながらダークがノックして来た者に尋ねる。すると扉の向こうから若い女の声が聞こえて来た。
「ダーク様、アリシア様とマティーリア様がいらっしゃいました」
「アリシアとマティーリアが?」
「ハイ、一階の客室でお待ちいただいております」
アリシアとマティーリアがやって来た事を聞いたダークとノワールは意外そうな顔でお互いの顔を見合う。いきなり訪ねて来るなんてまた騎士団から仕事の依頼か、とダークは腕を組みながら考えた。
「……アリシアとマティーリア以外に誰か一緒なのか?」
扉の向こうにいる女にダークは二人の他に来訪者がいるのか尋ねる。ダークはアリシアやマティーリアの様な協力者以外の人物の前では素顔を見せないようにしているので、他に来訪者がいるのであれば今の姿で会う訳にはいかない。協力者以外がいる場合、面倒だがいつもの全身甲冑の姿になる必要があった。
「いいえ、お二人以外にお客様はいらっしゃいません」
「そうか……それなら、この姿のままでもいいな」
素顔を見られたくない人物がいない事を聞いたダークは自分の格好を見ながら呟く。
ダークは机の上にある羊皮紙と本を見た後、難しい顔で何かを考える。しばらくするとダークは扉の方を向いて外にいる女に話しかけた。
「……分かった、すぐに行く。アリシア達にはそのまま客室で待ってるよう言っておいてくれ」
「かしこまりました」
女が返事をすると扉の向こうからコツコツと足音が聞こえ、次第にその足音は小さくなっていく。どうやらダークの部屋の前から移動したようだ。女が去るとダークは机の上にある羊皮紙を手に取り、丸めて腰に付いているポーチへしまう。ノワールも持っている本を本棚にしまいに行く。
羊皮紙をしまったダークは再び机に視線を向け、机の隅に置かれてあった白い封筒を手に取る。ダークが持つ封筒にはセルメティア王国の紋章が入った赤い蝋印が付いていた。それは王城から送られて来たダーク宛の手紙だ。ダークは無表情でその封筒を見ており、その封筒もポーチの中に入れた。
「アリシアさん達に見せるんですか、その手紙?」
「ああ、アリシア達にはちゃんと教えておかないと後々面倒な事になるかもしれないからな」
本を本棚にしまっていたノワールはダークが封筒をポーチへ入れる姿を見て意外そうな口調で尋ね、ダークはノワールの方を向いて頷く。
王城から送られた手紙、その内容が重要な事なのは間違いない。だが、ダークとノワールは手紙の話になっても表情を変える事無く普通に準備をしたり、本をしまったりしている。少なくとも二人にとって都合の悪い内容ではないようだ。
やる事を終えた二人は部屋から出てアリシアとマティーリアが待つ客室へ向かった。廊下を進み、一階へ続く階段を下りた二人はエントランスに出る。そして右へ曲がり、エントランスを出て再び廊下を歩き、アリシアとマティーリアが待つ客室の扉の前にやって来た。
扉の前に立つダークはゆっくりとドアノブを回して扉を開け、静かに客室へ入る。ノワールもダークの後に続いて静かに入室した。二人が中に入ると、来客用のソファーに座るアリシアとマティーリアの姿があり、ダークとノワールの姿を見たアリシアは微笑みを浮かべる。
「待たせたな?」
「いや、大丈夫だ」
アリシアは微笑みながら首を軽く横に振る。マティーリアはソファーに座りながら何処か退屈そうな顔をしていた。ダークとノワールはアリシアとマティーリアの方へ歩いて行き、二人が座るソファーの向かいにあるソファーに座って二人と向かい合う。
ソファーに座ったダークは目の前で座るアリシアとマティーリアを見つめる。二人の姿は以前と比べて少し変わっていた。
アリシアは額当てとマントはいつもと一緒だが、身に付けている鎧は少し形が変わり、金色の装飾が施された近衛騎士が装備する様な高貴な白い鎧だった。実はこの鎧はエルギス教国との戦争でセルメティア王国軍を勝利へ導いた事への恩賞の一つなのだ。勿論、アリシアへの恩賞はこの鎧だけではない。戦争での功績から調和騎士団から直轄騎士団へ移るという話が出ている。だがまだ正式に決まってはいないので、近々詳しい報告が来る事になっていた。
マティーリアはいつもの灰色の長袖と白いスカート姿から白い長袖に紺色のスカート、そして長袖の上に銀色のハーフアーマーを装備するという、騎士団の所属を表す様な姿をしている。マティーリアもエルギス教国との戦争での活躍から王国の監視を解かれ、アリシアの部隊に所属する事になったのだ。マティーリア本人は勝手に騎士団に入れられて少し迷惑に思っているようだが、監視を解かれて自由に行動する事ができるようになった為、文句は言わなかったらしい。
「どうだ? 少しは着慣れたか?」
ダークが笑いながらアリシアとマティーリアに今の格好について尋ねる。するとアリシアは苦笑いを浮かべ、マティーリアは少し鬱陶しそうな顔を見せた。
「ああ、最初はいつもの鎧と違うから違和感があったが、今ではすっかり慣れた」
「妾は前の格好がよかったんだがのう? この鎧が邪魔で前の様に動けなくて困る」
「我慢しろ、騎士団では制服や鎧はちゃんと装備するのが決まりなんだ。お前も騎士団の一員となったのなら決まりはちゃんと守れ」
「妾は騎士団に入れてほしいなどとは言っておらん。マーディングの奴が勝手に話を進めたのじゃ」
「以前のように監視されて行動を制限されるよりはマシだろう?」
アリシアの言葉にマティーリアは小さく頬を膨らませながらそっぽ向く。アリシアの言っている事に一理あると感じているのかマティーリアは言い返さなかった。ダークとノワールはそんな二人の会話を笑いながら見守っている。因みにマティーリアが装備しているハーフアーマーは彼女が背中から竜翼を出せるように穴を開けた特別な作りになっているらしい。
「……ところで、今日は何の用で来たんだ?」
ダークはアリシアに屋敷へ訪ねて来た理由を訊く。するとアリシアは用事があった事を思い出し、一度小さく咳き込む。そして真剣な表情でダークとノワールの方を向いた。
「我が国とエルギス教国の今後の関係や交流について話がまとまったらしくてな。ダークにも知らせておこうと思って来たんだ」
「エルギス教国との?」
アリシアの言葉を聞いたダークは真剣な表情となり、低い声を出して聞き返す。ノワールも少し目を鋭くしてアリシアの話を聞く。
エルギス教国との戦争が終結して今日で二週間、今日までセルメティア王国はエルギス教国と今後どう接していくかなどを話し合い、ようやく方針が決まった。なぜ方針が決まるのにここまで時間が掛かったのか、それには色々と問題があったのだ。
一つはエルギス教国が降伏を受け入れた時に教皇ジャングスと第一王子ギルゼウスが何者かによって暗殺された事を発表した事だ。マクルダム達は自分達の知らぬ間に対戦国の王族が二人も殺された事にとても驚いていた。最初、エルギス教国の貴族達はジャングスとギルゼウスを暗殺したのかセルメティア王国ではないかと疑った。当時の状況から考えればセルメティア王国を疑うのは当然と言える。
しかし、マクルダム達は降伏を要求しておきながら暗殺するなどあり得ない、戦況で有利な状況にあるのに教皇を暗殺する理由が無い、そもそもどうやって王都に潜入し、暗殺するのだと暗殺への関与を否定した。エルギス教国の貴族達もマクルダム達の説明を聞き、確かに全てにおいてセルメティア王国に有利にある状況で暗殺するなどあり得ない、寧ろ暗殺すれば両国の関係は更に悪化してしまう。だからセルメティア王国が教皇ジャングスとギルゼウスを暗殺した訳ではないと納得した。貴族の中には納得できない者もいたようだが、それは他の貴族や王女であるソラが説得し丸く収まったようだ。
結果、エルギス教国はセルメティア王国が潔白であると認め、教皇ジャングスとギルゼウスを殺した者を調査、捜索する事にした。セルメティア王国も協力しよと考えていたが、その為にはまず終戦後の両国がどのように交流するか会談を開き、しっかりと話し合う必要がある。両国はジャングスとギルゼウス暗殺の件をひとまず保留する事にした。
だが、エルギス教国の代表である教皇がいない状態では会談を開く事はできない。だからエルギス教国はまず新たな教皇を選ぶ必要があった。ジャングスが殺された為、次の教皇は第一継承者であるギルゼウスがなるはずだったのだが、ギルゼウスも一緒に殺されてしまったので次の継承権を持つ第二王子のエバルドがなる流れだ。しかし、エバルドはセルメティア王国の捕虜となっているので教皇になる事はできない。その為、次の教皇は王都におり、唯一継承権を持つ末の王女、ソラがなる事になった。
幼いソラに教皇を務める事は難しいと貴族の誰もが思った。しかし、彼女はジャングスが殺された直後も戦争を終わらせる為に父と兄の死の悲しみを押し殺し、教皇代理として降伏を決断し戦いを終わらせたのだ。幼い身でありながらしっかりと国の為に行動するソラを見て貴族や六星騎士達は彼女ならきっと良い教皇になる、彼女が立派な教皇になるまで支えていこうと心に決める。ソラも自分を信じてくれる者達の期待に応える為に教皇になる事を決意、十日前に正式にエルギス教国の新たな教皇となった。
新たな教皇となったソラはすぐに会談を開く事をセルメティア王国に申し出た。マクルダムも新たな教皇が決まった事を知り、その申し出を受ける。その四日後、エルギス教国の国境の町、ゼゼルドの町で会談が開かれ、両国は今後の交流、そして捕虜について話し合いを行ったのだ。
「その時の会談でマクルダム陛下はまず捕虜の返還についてソラ殿下……いや、ソラ陛下と話し合われたんだ」
アリシアは座りながら自分が聞かされた会談の内容をダークとノワールに細かく説明する。ダークとノワール、そしてアリシアの隣に座るマティーリアは黙ってアリシアの話を聞いていた。
「捕虜の話になるとソラ陛下はお互いに全ての捕虜を相手国に返還する事を提案された。だが、我が国が捕虜としていたエルギス教国の兵士は奴隷兵だった亜人達を含めて約二万人、それに引き換えエルギス教国が捕虜としている我が国の兵士は約四千人、とても平等な取引ができるような条件ではなかった」
「だろうな、明らかに捕虜の数が違い過ぎる。しかもこっちには王族であるエバルドもいるんだ。エバルド一人で四千人の捕虜全員と交換する事もできたんじゃないのか?」
「ああ、普通ならそれも可能だ。だが、エバルドはエルギス教国の貴族や国民からは酷く嫌われている。だから捕虜としての価値はそんなに無く、四千人全員と交換するのは無理だったようだ」
「成る程ね。確かにあの性格じゃ、誰も助けたいとは思わないわな……」
ダークは呆れ顔で天井を見上げながらバーネストの町での戦いの事を思い出す。敵を見下し、仲間の兵士を自分が逃げる為の盾代わりにする様な冷酷なエバルド。あんな捻じ曲がった性格の男を何人もの捕虜と交換してまで助けようとは誰も思わない。
ノワールとマティーリアもダークと同感なのか黙ったまま、うんうんと頷く。三人の姿を見てアリシアは苦笑いを浮かべている。
アリシアは話を戻す為に一度軽い咳をして気持ちを切り替え、説明を再開した。
「捕虜の人数に差がありすぎる為、陛下は全ての捕虜を返還する事はできないとソラ陛下に話されたらしい。だが、ソラ陛下は何としても全ての捕虜を解放したいらしく、身代金や領土の提供など様々な条件を付け加えたらしい」
「随分と必死ですね? 兵士の人達はともかく、奴隷だった亜人達も全員返還してもらおうとするなんて……」
ソラが約二万人の捕虜を全員解放させようとしていたという説明を聞いたノワールは意外そうな反応をする。エルギス教国の王族だから亜人達は平気で見捨てるとばかり思っていたようだ。ダークとマティーリアも亜人を見捨てるだろうと思っていたらしく、少し驚いた表情でアリシアの説明を聞いていた。
「ああ、私もその事を聞いた時には驚いて耳を疑った。何でもソラ陛下はエルギス教国の王族でありながら亜人の奴隷制度に反対し、亜人と人間は平等の立場で生きるべきだと考えているようだ」
「そうなんですか」
「エルギスの王族にもまともな奴がいたんじゃな?」
「そうですね、少しビックリです」
ソラの性格を知りノワールとマティーリアはエルギス教国の王族を少しだけ見直したようだ。ダークも腕を組みながらへぇ~、と言いたそうな顔をしている。
「ソラ殿下は捕虜全員を解放する為に我が国の捕虜全員の返還以外に身代金7000万ファリン、国境周辺のエルギス教国の領土、そして今後、エルギス教国の特産物を低価格でセルメティア王国に提供するという条件を付け加えたらしい」
「本当か? そこまでして全ての捕虜を返還させようとするなんて……」
「……貴族の方々はソラ陛下の考え方はおかしいと嘲笑っておられたらしい。だがマクルダム陛下はソラ陛下は国民や亜人達の事を本当に大切に思っている、素晴らしい教皇になるだろう、と仰っていたそうだ」
アリシアはどこか嬉しそうな表情でマクルダムのソラに対する気持ちを話す。ダークもソラはジャングスやエバルドとは違って本当に優しい心を持っているのだと感じ、ソファーにもたれながらどんな人なのだろうと考えた。
「話し合いの結果、エルギス教国が付け加えた条件で交渉は成立し、マクルダム陛下はエルギス教国の捕虜を全て返還し、我が国の捕虜も全員帰って来た」
「それはよかったですね」
「ああ、その後に今後の両国の交流などについて話し合った」
「で、どうなったんですか?」
「エルギス教国は会談が行われた日から半年間、セルメティア王国への出入りを禁じ、セルメティア領内にいるエルギス教国の人間も全て強制的にエルギス教国へ送還された。あと、エルギス教国が我が国の特産物などを仕入れる場合は以前よりも高い額で売るという事が決まったようだ」
「成る程、戦争が終わったばかりですからね、エルギス教国の人間に恨みを持つ人も多いはずです。もめ事が起こらないようにする為に強制送還したんでしょう」
ノワールはソファーにもたれながら天井を見上げながら呟く。ようやく戦争が終わり、少しずつ昔の生活に戻りつつあるのだ。それなのにまたもめ事などが起きて両国の関係が更に悪化したら意味が無い。マクルダムはそれを考えてしばらくの間、エルギス教国の人間の出入りを禁じ、ソラもそれを了承したのだ。
セルメティア王国とエルギス教国が昔のような関係に戻る日が来るのか、それとももう二度とそんな日は来ないのか、アリシアは目を閉じながら両国の未来がどうなるのか考えるのだった。
「まぁ、少しずつ時間を掛けて両国の関係に戻していくしかないな……それにしても、教皇と第一王子は誰に殺されたんだ?」
会談の話が終わるとダークはジャングスとギルゼウスを殺した犯人の事を口にし、それを聞いたアリシアやノワール、マティーリアは一斉にダークの方に視線を向けた。ダークはエルギス教国との今後の交流の仕方も気になっていたが、それよりもジャングスとギルゼウスを殺した者の事の方が気になっていたのだ。
ダークは腕を組みながら犯人がどんな人物なのかを考える。情報ではジャングスとギルゼウスはエルギス教国の王都であるエルステームの王城で殺されたらしい。王城、つまりエルステームで最も安全な場所で王族二人が殺されたという事だ。その時点でダークは犯人がただの暗殺者ではないという事を確信していた。勿論、アリシアやマクルダム達もそう考えている。
「目撃した貴族達の話ではその犯人は銀一色の騎士剣で衛兵を全員殺し、その後に教皇と第一王子を殺したんだったな?」
「ああ、そして教皇達を殺した後にその犯人は転移魔法を使ったかのように一瞬で姿を消したらしい」
「転移魔法を使ったように……」
アリシアから犯人が転移したように消えたと聞いたダークは難しい顔をしながら考え込む。騎士剣を持っていたという事は犯人は戦士系の職業である可能性が高い。だが、そうなると転移魔法を使ったように消えたという事に対しての説明が付かない。戦士系の職業を持つ者が魔法を使えるはずが無いからだ。
(……戦士系の職業を持つ犯人が転移魔法を使ったというのは考え難い。となると犯人には他に転移魔法を使える仲間がいてその仲間が犯人を安全な所へ転移させたのか? いや、転移魔法を別の対象に発動するには対象の半径10m以内にいないといけない。だが、貴族達は事件が起きた玉座の間の周りには怪しい人影はいなかったと言っていた。それだと魔法使いの仲間がいたというのも考え難くなる……一体犯人はどうやって城を脱出した? そして一体何者なんだ?)
ダークは犯人が何者でどうやって王城から脱出したのかを考える。アリシアも戦士系の職業を持つ者がどうやって消えたのかを考えていた。すると、ダークの隣に座っているノワールがダークに声を掛ける。
「マスター、犯人が転移する事ができるマジックアイテムを持っていたというのは考えられませんか?」
「マジックアイテム?」
「ハイ、戦士系の職業を持つ者が転移魔法を使って逃げたというのは考えにくいです。だとすると、転移魔法ができるアイテムを使って城を脱出したというのは考えられませんか?」
ノワールの推理を聞いたダークは再び難しい顔をして考える。確かにノワールの言う通り、転移のマジックアイテムを使ったのであれば、戦士系の職業を持つ犯人が消えたのも説明が付く。
だが、この世界には転移できる魔法は存在しても、転移できるマジックアイテムは存在していない。ダークが以前に使った転移の札もLMFの世界から持ってきたマジックアイテムだ。だからアリシア達はダークから転移の札の説明を聞いた時にとても驚いていた。
「……この世界には転移のマジックアイテムは存在していない。だから犯人がマジックアイテムで逃げたというのも考え難いな」
「そうですか……」
自分の推理が違う事にノワールは少しガッカリした様な顔をする。アリシアも犯人がマジックアイテムを使ったと思っていたのか少し残念そうな顔をしていた。
(……犯人が俺と同じように別の世界、もしくはLMFの世界から来た奴なら話は別だがな……)
暗い顔をするアリシア達を見ながらダークは心の中で呟いた。実はダークは犯人が自分と同じ立場の人間ならジャングス達を簡単に殺して逃げる事ができると考えていたのだ。
だが根拠も無く、エルギス教国との戦争で国が落ち着きを取り戻していない時にそんな事は言えないと考え、あえてアリシア達には話さず黙っていたのだ。
「……まあ何であれ、犯人の正体を調べるには情報が少なすぎる。それにマクルダム陛下も落ち着いたら教皇を殺した犯人を捜すのを手伝うって言ってるんだし、今はエルギス教国との問題を片付ける事が先だ」
「……確かにそうだな」
戦争が終わったばかりで片付けなくてはならない問題が沢山あるとダークから聞いたアリシアはひとまず教皇を殺した犯人の事を忘れて自分達のやるべき事をやろうと考えた。
アリシアから一通りエルギス教国との会談の内容と交流の仕方について聞いたダークはソファーにもたれながら小さく息を吐く。難しい話を聞いたせいで少し疲れたようだ。そんな時、ノワールがダークの服を軽くクイクイと引っ張る。
「マスター、あの事はまだ話さないんですか?」
「あの事? ……ああぁ、あれか。すっかり忘れてた」
ノワールの言葉でダークは自室を出る時にポーチにいれた羊皮紙と王城からの封筒の事を思い出す。ダークとノワールの会話を聞いていたアリシアとマティーリアは不思議そうな顔で二人を見ている。
ダークはポーチに手を入れてまずは王城から送られた封筒を取り出して目の前にあるテーブルの上の置いた。アリシアとマティーリアはダークが出した封筒を見てすぐにセルメティア王国の紋章が入った蝋印に気付く。
「王国の紋章が入った蝋印……王族からの手紙か?」
「ああ、エルギス教国との戦争でセルメティア王国軍を助けてほしいって陛下がマーディングさんと依頼をしに来ただろう? その報酬に関する事とかが書かれたあったんだ」
「ああぁ、あの時の……」
アリシアはダークの屋敷にマクルダムとマーディングがセルメティア王国軍に助力してほしいと依頼して来た時の事を思い出す。その時、ダークは報酬は戦争が終わった後で構わないとマクルダムに伝えた。
マクルダムは戦争が終わり、ダーク達が首都に戻って来た事を知るとすぐに国を救った英雄への報酬、いや恩賞を考え、その内容が書かれた手紙を送ったのだ。
「手紙にはなんと書かれてあったのだ?」
「若殿はこのセルメティアを救った英雄じゃ、それなりの報酬は期待できるじゃろう」
手紙の内容が気になるのかアリシアとマティーリアは封筒を見つめる。ダークは封筒を手に取り、中から一枚の白い綺麗な紙を取り出して静かに折られてある紙を広げた。
「……今回の戦争でマクルダム陛下や上位の貴族達は俺にかなり感謝しているらしい。今回の戦争での活躍で俺には数百万ファリンと爵位が与えられるらしい」
「何っ! 爵位だと!?」
ダークから手紙の内容を聞かされたアリシアは思わず立ち上がった。当然だ、七つ星とは言え冒険者が貴族の仲間入りをするなどと聞けば大抵の人間は驚く。ノワールは声を上げながら立ち上がるアリシアの反応に驚き目を丸くしている。マティーリアは竜人である為、アリシアがなぜそこまで驚くのか理解できなかった。
「ああ、手紙には子爵の称号が与えられると書いてある。黒騎士が貴族になるという事でお偉いさん達はかなり口論したようだが、最後には俺が貴族なる事に殆どのお偉いさんが納得したらしい」
「冒険者からいきなり子爵とは大出世だな……それで、ダークはその爵位を受け取るのか?」
「最初は貴族になると色々と忙しい事が増えるから断ろうと思ってたんだが、貴族にならないとできない事や得られない情報とかもあるって聞いたし、爵位を手にするのも悪くないと思ってな。受ける事にした」
(やっぱり仕事を面倒だと思っていたのか……)
アリシアはダークが最初は仕事をめんどくさがっていたと知り、ジト目で見つめながら心の中で呆れた。しかしダークが多くの人から認められて貴族になった事は嬉しく思っている。アリシアはジト目から笑顔に変わりダークを見ていた。
「それで若殿、貴族になるのはよいのだが、貴族になった後も冒険者をやるつもりなのか?」
「勿論だ。これほどの力を持っていながら冒険者を辞めるなんてもったいない事はしたくない。何よりも、貴族になればデスクワークとかが多くなるからな。気分転換をする為にも冒険者は続ける」
「デスク、ワーク?」
聞いた事の無い言葉にマティーリアは小首を傾げた。
ダークが手紙の内容を話していると客室の扉をノックする音が聞こえ、ダーク達は扉の方を向く。すると扉がゆっくりと開き、一人の若い女が入って来た。しかし、その女の二十代前半ぐらいの若さで黒いおかっぱ頭をしており、額からは小さな一本角が生えている。そして和服メイドが着る様な服装をしており、セルメティア王国ではまず見かけない格好だった。
メイドらしき女の手にはポットと紅茶が入った四人分のティーカップが乗ったお盆があり、女は静かにお盆を持ってダーク達の下へ歩いて来る。そしてテーブルの前に来るとお盆の上に乗っているポットとティーカップをダーク達の前に置く。アリシアとマティーリアは変わった格好をしている女を珍獣を見つけたかの様な表情で見ていた。
「紅茶をお持ちしました」
「おう、あんがと」
ダークは女の方を見て軽く礼を言う。女は微笑みながら軽く頭を下げる。その表情はとても嬉しそうだった。
女は先程ダークの自室でアリシアとマティーリアがやって来た事を知らせに来た女と同じ声をしている。実は彼女があの声の持ち主だったのだ。
紅茶をテーブルの上に置くと女は客であるアリシアとマティーリアに頭を下げて挨拶をし、黙って客室を後にした。女が去るとアリシアは目を丸くしながらダークの方を見る。
「おい、ダーク、彼女は誰なんだ? 見た事の無い服を着ていたが、此処のメイドなのか?」
「ん? ああ、そうだよ……そう言えば、君とマティーリアは会うのは初めてだったな」
ダークは自分の前に置かれてあるティーカップを取り、紅茶を一口飲んだ。ノワールも自分のティーカップを取って両手で持ちながら静かに紅茶を飲む。
「彼女の名前は鬼姫って言うんだ」
「キキ?」
「そう。そして、気付いていると思うが、彼女は人間じゃない。モンスターだ」
「モンスター……角が生えているから人間ではないと思ったが、まさかモンスターだったとは、私はてっきり亜人かと思った」
「妾もじゃ」
鬼姫と呼ばれた女がモンスターだと知り、意外そうな反応を見せるアリシアとマティーリア。この世界では人間に似た姿をし、角や尖った耳など人間と異なる部位を持つ生き物は全てエルフやドワーフの様な亜人と見なされる。だからアリシアとマティーリアも最初に鬼姫を見た時は亜人だと思ったのだ。
「モンスターという事は、あ奴もお主が持つサモンピースから召喚されたのか?」
「ああ、彼女はナイトのサモンピースで召喚された。レベルは70」
「な、70!? 妾より強いと言うのか、あの小娘は?」
マティーリアは鬼姫のレベルが自分よりも高い事を知り目を見開きながら驚く。嘗てはグランドドラゴンとして人間達に恐れられていたマティーリアにとってはある意味で屈辱を感じた瞬間だった。
鬼姫はLMFのモンスターの中では特別なモンスターと言える存在だった。なぜなら彼女はLMFで一定の期間だけ開催されるイベントクエストの報酬で手に入るサモンピースから召喚されたモンスターだからだ。その為、普通にLMFのダンジョンやクエストをクリアしても彼女を召喚できるサモンピースは手に入れる事はできない。ある意味で貴重なモンスターなのだ。そして、ナイト以上のサモンピースで召喚されたモンスターは高い知識と理性を持ち、人間の様に会話し、自分の意思で行動する事ができる。ダークとノワールも最近になってそれを知った。
悔しそうな顔をするマティーリアを見てダークは苦笑いを浮かべながらティーカップをテーブルに置いた。
「そんな顔するなよ? お前だってエルギス教国との戦争で多くの敵を倒したからレベル68になったじゃないか」
「それでも妾の方がレベルが低いのは事実じゃ。そもそもあれだけ多くの敵兵を倒したのになぜたった二つしかレベルが上がっておらん?」
「仕方がありませんよ。エルギス教国の兵士達のレベルは10から30の間くらいですから、マティーリアさんがレベルアップする程の経験値は持っていないんですよ」
「チッ、面白くないのう……」
なかなかレベルが上がらない事にマティーリアは小さく舌打ちをする。そんなマティーリアをダークとノワールは苦笑い、アリシアはやれやれと言いたそうな表情で見ていた。
ムスッとしながら紅茶を飲むマティーリアを見てアリシアは溜め息をつく。すると、アリシアは一度客室を見回してダークに声を掛けた。
「そう言えば、此処に来た時から気になっていたのだが、レジーナ達は何処にいるんだ? 何処にも姿が見えないが……」
アリシアは屋敷に入ってから一度もレジーナやジェイク達の姿を見ておらず、彼女達が今何処にいるのか気になっていた。マティーリアもアリシアの言葉を聞いてレジーナ達が何処にいるのか気になり表情を変えてダークの方を向く。
レジーナ達の居場所を訊かれたダークはソファーにもたれ、足を組みながら二ッと笑い質問に答える。
「アイツは一昨日から旅行に行ってるよ。レジーナの家族とジェイクの家族、二つの家族で同じ場所にな」
「旅行?」
「ホラ、アイツ等家族を残して俺達と一緒に危険な戦場に長い事行ってただろう? 家族を心配させたから戦場から帰ったらしばらくの間は家族と一緒に過ごすって約束したじゃないか。だから首都に戻ってからはずっと冒険者の仕事を休んで家族と過ごしていたんだよ」
「じゃあ、旅行も家族と過ごす為に?」
「ああ、二週間はのんびりくつろいでくるらしいぞ? 戦争の功績でアイツ等も結構な報酬をもらったからな。さっきの鬼姫は俺とノワールだけでこの広い屋敷に住むのはちょっと大変だからメイドとして召喚したんだよ」
「成る程、そう言う事だったのか……てっきり寂しいから可愛い女の子のモンスターを召喚したのかと思ったぞ?」
「あのなぁ……」
「フフ、冗談だ」
アリシアのからかう様な言葉にダークは目を細くする。そんなダークを見てアリシアはクスクスと笑った。
笑うアリシアをジト目で見ていたダーク。すると何かを思い出した様な表情を見えたダークはポーチに手を入れて丸めた羊皮紙を取り出した。ダークが取り出した羊皮紙を見てアリシアは笑うのをやめ、マティーリアも羊皮紙に注目する。ノワールはダークが取り出した羊皮紙を紅茶を飲みながら見ていた。
「ダーク、その羊皮紙は何だ?」
「マクルダム陛下から爵位を与えるという手紙が届いた日から考えたある計画が書かれてある」
「計画?」
理解できずアリシアは小首を傾げる。ダークはアリシアに羊皮紙を手渡し、アリシアは中身を確認した。マティーリアもアリシアの隣から羊皮紙を覗き込む。
アリシアは羊皮紙に書かれてあるダークのある計画の内容を黙読していく。するとアリシアの表情が徐々に変わりだし、次第に驚きの表情になっていった。マティーリアは羊皮紙の内容にほぉ~、という様な表情を浮かべている。
「……ダーク、本当にこんな事が実行できるのか?」
「ああ、できる。爵位とLMFのアイテムを上手く使えばな」
「し、信じられない。LMFのアイテムを使えばこんな事までできるのか……」
驚きの表情のままアリシアは呟く。ダークが渡した羊皮紙に書かれてある計画はこの世界の常識で考えれば絶対にできない事だった。だからそれを実行しようと言い出したダークにアリシアは驚いたのだ。
羊皮紙に書かれてある計画、それはダンジョンを造るというとんでもないものだった。
「しかし、なぜダンジョンを造ろうなどと思ったのだ?」
「それは今から話す」
そう言ってダークは計画の詳しい内容を語り始める。アリシアは真剣な表情で、マティーリアは興味津々な表情でダークの説明を聞いた。
今日から第九章、投稿開始します。今回はセルメティア王国のお偉いさんがダーク達を狙う物語です。