第七十話 邪悪な魔術師
日が沈みかけた夕方、町では一日が終わり帰宅する者や出店を片付けている者達の姿があった。酒場では仕事を終えた男達が酒を飲みながら騒いでおり、冒険者達もそれぞれの家に戻ろうと帰路を歩いている。
そんな大勢の人が歩く街道の中をアリシアは静かに歩いている。リーザの葬儀で着ていた黒い服と黒いマント姿からいつもの額当てを付け、白い鎧に白いマント、腰にエクスキャリバーを納めた姿をしていた。短剣を調べた後、アリシアはダーク達と別れて自宅へ戻り、騎士の服に着替えてから騎士団の仕事に就いたのだ。葬儀が行われてもアリシアの午後から行われる本来の仕事は無くならない為、アリシアは予定通り自分の仕事を務めてる事になっている。その表情は数時間前に葬儀で泣いていた時とは違い、騎士らしい真剣な表情だった。辛くても仕事を休んではいられないと己に言い聞かせて騎士の任務に務めているのだ。
一人静かに歩くアリシアの数m後ろではダークとジェイクが積まれている木箱の陰からアリシアを見ていた。ダークの肩にはノワールが乗っており、黙ってアリシアを見つめている。コソコソとアリシアを尾行する様に動く二人の姿は誰が見ても不審に思えるくらい怪しい。だが、周りにいる町の住民達はダークとジェイクを怪しい目で見る事は無かった。それどころか誰も二人の事を見ていない。まるで二人の姿が見えていないようだった。
実はダーク達はノワールの掛けた透明化で透明になっており、周りの人達には見えていないのだ。その透明化している状態でダークとジェイクはアリシアの後を追っている。透明化した状態で物陰に隠れながらアリシアの後を追うのは無意味だと思われるが、尾行しているという事から二人は無意識に物陰に隠れてしまっていた。
「兄貴、本当に現れると思うか? リーザ隊長を殺したルーとか言う奴が?」
「さあな、だがさっきも言ったように可能性は高い。と言っても今日アリシアを襲うのかは私にも分からん」
「ええぇ? 分からねぇのにこんな透明化までして姉貴を見守ってるのかよ?」
「分からないからこそ見守っているんだ。私達がいない時にアリシアが襲われたら対処できないだろう?」
「た、確かに……」
ダークの言葉に納得したジェイクは複雑そうな顔をしながらアリシアの方を向いて彼女を見守る。
保管室で短剣を調べ、リーザを殺したルーの事と鮮血蝙蝠団の情報を得てアリシアを敵をおびき寄せる為の囮にすると言う話をした後、ダーク達はアリシアの後をついて行き、彼女の警護をする事にしたのだ。敵の正確なレベルや職業が分からない状態ではいくらレベル70のアリシアでも対処できない可能性がある。そう考えたダーク達はあの後すぐにアリシアの警護を始めた。
ダークとジェイクは透明化して地上からアリシアの後を追い、レジーナは盗賊の身のこなしを生かして建物の屋根を移動しながらアリシアを上から見守り、マティーリアは空を飛んで上空からアリシアの周辺を見回して怪しい者がいないかを調べている。勿論、アリシアもダーク達が自分を警護している事は知っている。しかしそれでも自分の身を自分で守る為に警戒心を最大にしながら移動した。
「……しかし、レベル70の姉貴が苦戦する様な敵が現れるとは思えないがなぁ」
「分からんぞ? 世界は広いからな。もしかすると私達が想像もしていない様な奴が敵の中にいるかもしれない。油断せずに彼女を見守るぞ」
「あいよ」
アリシアを追いつめられる状況があるとは思えない、そう考えながらジェイクはアリシアを見守り、ダークとノワールもアリシアを黙って見つめる。
しばらくその場に立ち止まり、街道に異常が無いのを確認したアリシアは次の場所を見回る為に移動する。それを見たダークとジェイクも早足でアリシアの後を追う。民家の屋根にいたレジーナも真剣な顔でアリシアを見下ろしており、屋根から屋根へと移動してアリシアの後を追った。
人が大勢いる街道を出てアリシアは人気の少ない静かな広場の前にやって来る。そこは壊れた木箱や樽、そして使われなくなった鉄くずなど捨てられているゴミ捨て場の様な場所だった。広場の前でアリシアは立ち止まり周囲を見回して異常が無いか確認する。数m離れた所ではダーク、ノワール、ジェイクがアリシアを見ており、広場の前にある二階建ての建物の屋根の上からはレジーナが姿勢を低くしてアリシアを見下ろしている。そしてアリシアの上空数十mの辺りではマティーリアが竜翼を広げながらアリシアを見ていた。
「今のところ、怪しい奴がアリシアに近づいている事はないのう……もしかすると、今日は来ないかもしれんな」
羽ばたきながらアリシアの周辺を見て誰も近づいていない事を確認するマティーリア。確認を終えると腕を組みながら呆れた顔を浮かべる。
「まったく、若殿も心配性じゃな。妾に勝ったアリシアがたかが亜人狩りをする様な奴等に後れを取るはずが……ッ!」
空を飛びながら笑っていたマティーリアは一瞬不穏な気配を感じ取り表情を急変させる。辺りを見回し、空には自分以外誰もいないのを確認すると険しい表情を浮かべた。
「何じゃ今のは? 何やら禍々しい気配を感じ取ったが……」
マティーリアは感じ取った気配に表情を険しくしたまま空だけでなく地上も見回して気配の持ち主を探すが何処にもそれらしい人影は見えなかった。
空の上でマティーリアが気配の持ち主を探していると広場の前に立つアリシアは周囲を見回して何も問題が無いのを確認すると小さく頷いた。
「よし、この辺りも問題無いな。次は図書館のある方を……」
アリシアが次の見回り場所へ行こうと振り返ったその時、アリシアの目の前に黒い服を着てその上から赤いマントを羽織っている金色の長髪をした少女が立っていた。いきなり現れた少女にアリシアは驚き、思わず後ろへ大きく跳ぶ。アリシアを見守っていたダーク達も少女の出現に一瞬驚きの反応を見せる。
後ろへ跳んで広場の中に入ったアリシアはエクスキャリバーに手を掛けていつでも剣を抜ける体勢に入る。そんなアリシアを見て少女はニッと笑った。
「なかなかいい反応をするわね?」
「何だお前は? いつからそこにいた?」
振り返るまで気配を感じなかった少女にアリシアは警戒しながら正体を尋ねる。すると少女は質問に答えずマントの下から右手を出して人差し指を舐めながら不敵な笑みを浮かべた。
「知る必要は無いわ。アンタは此処で死ぬんだからね、アリシア・ファンリード」
「何?」
少女の言葉を聞いたアリシアはピクッと反応する。そして目の前にいる少女は自分を殺そうとしているという事に確信した。
アリシアはエクスキャリバーを握り、ゆっくりと鞘から抜いて構える。目の前の少女が言った言葉と数十分前にダーク達と保管室で話した内容からアリシアはこの少女が鮮血蝙蝠団の一員だと分かっていた。アリシアは少女を睨みつけながらゆっくりと口を開く。
「お前は何者だ? なぜ私を狙う?」
アリシアは少女に自分を狙う理由と名前を尋ねた。既に鮮血蝙蝠団が自分を狙っている事は知っている。だが少女を油断させる為に自分がまだ鮮血蝙蝠団の情報を掴んでいないと思わせるようあえて狙われている理由を知らないフリをして尋ねたのだ。
「フッ、今言ったでしょう? これから死ぬんだから知る必要は無いって?」
「それはあんまりじゃないか? 何も知らずに殺されるなんて私は納得できない。せめて名前ぐらいは教えてほしい」
「へぇ? この状況で取り乱す事無く冷静でいられるなんて、少しは出来るみたいね? あの女騎士と同じだわ」
(女騎士?)
少女の言葉にアリシアは反応し心の中で呟く。アリシアと少女の会話を聞いていたダーク達も反応して耳を傾ける。少女は自分の髪をなびかせ、口から鋭く光る歯を見せながら笑みを浮かべた。
「いいわ、特別に教えてあげる。私はルー、この世で最も可憐で美しい美少女魔法使いよ」
「ルー!?」
少女の名を聞いた瞬間、アリシアは驚きの表情を浮かべる。離れた所でアリシアとルーの話を盗み聞きしていたダーク達も驚きの表情を浮かべていた。
ルーは自分の名前を聞いた途端に驚くアリシアを不思議そうな目で見つめる。一方でアリシアは自分の目の前にいる少女こそがリーザを殺した張本人だと知り、ルーを更に鋭い目で睨みつけながらエクスキャリバーを握った。
「ルー・シュペーシュ……お前がリーザ隊長を殺した犯人!?」
「!」
アリシアの睨み付ける顔を見ながら今度はルーが驚きの表情を浮かべる。彼女が驚いたのはアリシアが自分を睨み付けたからではない。リーザを殺した時に短剣以外に自分の手掛かりになるような物を残していないのに自分がリーザを殺した事、そして自分のフルネームをアリシアが知っている事に驚いたのだ。
(どういう事なの? 持ち主を特定するのが難しい安物の短剣以外に手掛かりは残していないのにどうしてこの女は私のフルネームを、私があの女騎士を殺した事を知っているの? もしかして、キルティア達の誰かが捕まって騎士団に私の正体を話した? いいえ、それは無いわ。キルティア達は今頃町の正門前で待機しているはず。それにあの子達のレベルなら並の兵士や騎士にだって負けない……ならどうしてこの女は知っているの?)
ルーは頭の中で必死にアリシアが自分の秘密を知っている理由を考える。しかし、どんなに考えても納得のいく答えは出ない。ルーの表情は焦りと驚きで少しずつ歪み始めていった。
アリシアは黙り込んでいるルーの表情を見てルーがリーザを殺した犯人だと確信した。最初は短剣の持ち主がルーというだけでリーザを直接殺したのがルーなのかまでは分からなかった。だが、ルーの反応を見て彼女があの短剣でリーザに致命傷を負わせたのだと知る。同時にルーに対する怒りがアリシアの中で込み上がって来た。
エクスキャリバーを握りながら今すぐにでも切りかかってやりたいと思うアリシア。だが、此処でルーを殺してしまったら彼女がリーザを殺した動機や鮮血蝙蝠団が何処の国に雇われているのかが分からなくなってしまう。アリシアは感情を押し殺して冷静にルーを見つめる。
「……ルー、お前に幾つか聞きたい事がある。大人しく投降して私と一緒に来てもらおう」
アリシアは冷静さを保ったままルーに投降するよう要求する。ルーはアリシアの言葉を聞き、考えるのをやめてアリシアの方を向く。敵を目の前に取り乱してはマズいと自分に言い聞かせ、ルーも落ち着いてアリシアと睨み合う。
「悪いけど、お断りよ。それよりもアンタ、どうして私のフルネームを知っているの?」
「……お前は自分の立場が分かっているのか? 投降しろ」
「……嫌よ」
鋭い目でアリシアを睨みつけながらルーは断る。そんな態度のルーを見てアリシアはまた少しずつ怒りが込み上げて来た。リーザを殺し、彼女と彼女の家族から幸せを奪ったのにこんな態度を取るルーにアリシアは強く歯を噛みしめる。アリシアは体勢をゆっくりと変え、中段構えから霞の構えへとエクスキャリバーを構え直す。
「もう一度だけ言う、投降しろ! さもないと此処でお前を切り捨てるぞ」
「あら、怖いわね? いいわ、殺し合いがしたいのならやりましょうよ? どの道、私はアンタを殺すつもりでいたんだから都合がいいわ」
殺気を向けるアリシアにルーは笑いながら両手をアリシアに向ける。ルーは自分の手を青白い電気で包み魔法を使う態勢に入った。それを見たアリシアは足の位置を変えてすぐに反応して移動できるようにする。
離れた所からアリシアを見守っていたジェイクは戦闘が始まりそうになる状況に焦りを見せおり、ダークは落ち着いた様子でアリシアを見守っていた。二人に掛けられた透明化は既に効果が切れており、二人の姿はハッキリと見えている。
屋根の上にいるレジーナや空を飛んでいるマティーリアも驚きながらアリシアとルーを見下ろしている。
「おいおい、姉貴の奴、大丈夫かよ? まずはアイツから情報を聞き出してから戦うっていう予定だったのにこれじゃあ情報を聞き出す前にあのガキを倒しちまうぞ?」
ジェイクは情報を聞き出す前に戦闘に入りそうになる状態に困り顔を見せる。ジェイクはアリシアがルーに負けるとは思っていないらしく、アリシアの事よりも情報の事を心配していた。考え方によっては冷たいと思われるがそれはジェイクがアリシアの強さを信頼しているからこそできる行動だ。
「なぁ、兄貴。どうするんだ? 俺達も行って姉貴を止めるか?」
「ああ、その方がいいな……だが、その前にやる事がある」
ダークはポーチに手を入れて中から敵の情報を得るアイテム、賢者の瞳を取り出した。片眼鏡の形をしたアイテムを太い指で摘まみながらダークはそれで背を向けているルーを覗き込んだ。するとレンズの中にルーの細かい情報が映し出される。名前、レベル、職業、そして種族などが映し出されダークはそれを黙って見た。すると、情報を見ていたダークが一瞬驚きの反応をする。
「これは……」
「どうしました? マスター」
肩に乗っていたノワールがダークの反応を見て不思議そうな顔をしながらレンズの中に映っているルーの情報を確認する。その瞬間、ノワールもダークと同じように驚きの反応を見せた。
ダークとノワールが驚くのに気づいたジェイクは振り返りながら小首を傾げて二人を見る。
「どうしたんだ?」
「……これは、マズイぞ」
「は?」
珍しく焦りを見えるダークにジェイクは声を漏らす。ダークはアリシアの方を見ながら持っている賢者の瞳を投げ捨てた。
「あの女、アリシアでは勝てないかもしれないぞ」
ダークの言葉を聞いたジェイクは驚きのあまり耳を疑う。レベル70のアリシアでも勝てないと言われれば驚かない方がおかしい。ジェイクがダークを見ながら驚いていると、広場でアリシアとルーが戦いを始めた。
アリシアはエクスキャリバーを構えながらルーに向かって走って行く。ルーは自分に向かって来るアリシアを見ながらニッと笑い、電気で包まれている両手を走って来るアリシアに向ける。
「雷の槍!」
ルーの両手から電気の矢が放たれてアリシアに襲い掛かる。アリシアは飛んで来る二つの電気の矢を走りながらエクスキャリバーで弾き落し、そのままルーに向かって行く。
「へえぇ、私の雷の槍を簡単に防ぐなんて、あの女騎士よりはできるみたいね?」
自分の魔法を防いだアリシアを見てルーは少し意外そうな顔を見せる。ルーは戦いを楽しんでいるのか笑みを浮かべて両手を水色に光らせながら右へ走り出す。移動したルーを見てアリシアもルーを追いかける様に方角を変えた。
追いかけて来るアリシアにルーは笑みを崩さず、余裕の態度を見せており、両手の光が強くなったのを確認すると走りながら高くジャンプした。約5mほどの高さまで上がったルーはアリシアを見下ろし、突然跳び上がったルーを見てアリシアは急停止して跳んでいるルーを見上げる。
ルーは地上から自分を見上げるアリシアを見ると光る両手をアリシアに向けてニヤリと笑った。それを見た瞬間、アリシアは嫌な予感がし、エクスキャリバーを構える。
「雹の連弾!」
アリシアがエクスキャリバーを構えた直後にルーは魔法を発動する。ルーの両手の前に魔法陣が描かれ、そこから無数の小さな氷が放たれアリシアに襲い掛かった。
<雹の連弾>は水属性の中級魔法の一つで魔法陣から無数の雹を放ち攻撃する魔法である。雹の大きさは小石ほどで一つの威力は小さいが、一度に多くの雹を飛ばす為、全ての雹を当てる事ができればかなりのダメージを与えられる魔法だ。しかも攻撃速度が速いので一撃も受けずに回避するのが難しいと言われている。
飛んで来る無数の雹を見てアリシアはエクスキャリバーで雹を弾き落していく。普通の人間ならまず防ぐ事ができない無数の雹を正確に一つずつ素早くエクスキャリバーで弾くアリシア。これもレベル70になったからこそできる事だ。しかし、全ての雹を防ぐ事ができる訳ではなく、防げなかった雹がアリシアの腕や足を掠り、そこから血がにじみ出て来ていた。
体にできた傷の痛みでアリシアの表情が少しずつ歪んで行き、それを上空から見ていたルーは楽しそうに見下ろしていた。やがて雹が止み、ルーの手から魔法陣が消えるとルーはアリシアから数m離れた所に着地してアリシアの方を向く。アリシアはエクスキャリバーを構えながらルーを睨んでいる。しかし腕や足、肩が脇腹には雹が掠ってできた無数の傷があり、そこからは出血もしていた。
全身の痛みと雹を弾いた時に体力を使ったせいかアリシアの呼吸は僅かに乱れている。ルーはそんなアリシアを見て小さく笑いながら拍手をした。
「やるじゃない? 私の雹の連弾を受けてその程度の傷で済んだのはアンタが初めてよ。褒めてあげるわ」
楽しそうに笑いながら話すルーを見てアリシアは悔しそうな顔でルーを睨む。こんなふざけた女にリーザが殺されたのかと思うとアリシアは心の底から腹を立てていた。必ずこの女を倒してやるとアリシアは改めて強く決意する。
アリシアはエクスキャリバーを横に構えながらアリシアに向かって走り、構えもせずにただ立っているだけのルーに向けてエクスキャリバーを横に振り攻撃する。ルーは笑いながらアリシアの横切りをヒラリとかわした。自分の攻撃をかわしたルーにアリシアは一瞬驚くがすぐに次の攻撃に移った。袈裟切りや振り下ろし、突きなどをルーに放つがその全てがかわされてしまう。攻撃をかわされ続ける事に驚きを隠せないアリシアに対し、ルーは余裕の表情を崩さずに回避し続けていた。
「どうしたの? 全然当たらないわよ?」
「クッ! コイツゥ!」
攻撃をかわしながら挑発してくるルーにアリシアは徐々に熱くなっていく。だが、敵の挑発に乗って熱くなれば隙を突かれて自分が不利になってしまうと気付き、アリシアは頭を冷やす為に一旦攻撃をやめて後ろへ跳んで距離を取る。
ゆっくりと息を吐いて落ち着きを取り戻したアリシアは離れた所で笑うルーを睨みながら警戒する。同時にアリシアはある事が引っ掛かり、顔には出していないが心の中で僅かに動揺していた。
(どういう事だ? レベル70の私の攻撃をあんなに簡単に、しかも全てかわすなんて……ダークの話を聞いて敵がそれなりの実力を持った奴かもしれないと予想はしていたが、これはいくら何でも想定外だぞ!?)
まさかレベル70の自分と互角に戦う敵が現れると思わなかったのかアリシアは心の中で驚いていた。アリシアはルーを警戒しながらエクスキャリバーを強く握り、同時に微量の汗を流す。
ルーは黙って自分を見たまま動かないアリシアを見て笑い続けながら自分の髪を指でねじっていた。
「さっきから剣を構えたまま黙り込んでるけどさぁ、いつになったらかかって来るの? さっさと来なさいよ……それとも、私が怖くなった?」
「チッ!」
再び挑発して来るルーをアリシアはきっと睨み付けてエクスキャリバーを横に構える。するとエクスキャリバーの刀身が白く光り出す。アリシアは神聖剣技を使うつもりのようだ。
アリシアを見てルーはアリシアが何か技を使おうとしていると気付き目を見開いて驚きの表情を浮かべている。ルーが驚いている中、アリシアは神聖剣技を発動した。
「聖光飛翔槍!」
アリシアが叫ぶとエクスキャリバーを勢いよく横に振り、刀身から剣の刃の様な形をした光を放った。光の刃はルーに向かって勢いよく飛んで行き、迫って来る光の刃を見たルーは咄嗟に両手を光の刃に向ける。
「万能の盾!」
ルーが叫ぶと彼女の前にオレンジ色に光る大きな長方形の障壁が現れ、アリシアの放った光の刃はその障壁に止められ、ルーに命中する事無く消滅した。
「何っ!?」
神聖剣技が止められた光景にアリシアは驚きを隠せず叫ぶ様に声を出した。
<万能の盾>は防御系の上級魔法で発動すると瞬時に光の障壁を作り、敵の攻撃を防ぐ事ができる。この魔法は使用者よりもレベルが低い者の全ての攻撃を防ぐ事ができ、上級魔法の中では最も発動が早いと言われているのだ。ただし障壁が張られている時間は短く、発動してから約五秒ほどで消滅してしまう為、使い方を誤ると大変な事になる場合があるのでよく考えて使った方がいいと言われているらしい。
アリシアが驚いていると障壁は消滅し、その後ろに隠れていたルーが前に出て小さく息を吐いた。
「フゥ、危ない危ない。私の場合、神聖剣技は掠るだけでも危ないからね。魔法で防がせてもらったわ」
危険な状態だったにもかかわらず余裕の態度を崩さず楽しそうに語るルー。アリシアは驚きの表情のままルーを見つめていた。
この段階でアリシアの神聖剣技はルーには通用しない事、そして万能の盾の効果からルーがアリシアよりもレベルが上、つまりレベル70以上である事が分かる。しかしアリシアは万能の盾がどんな魔法なのか知らない為、ルーが自分よりもレベルが高い事にまだ気づいていない。だが、聖光飛翔槍を防がれた時点でルーが自分よりも強い事に気付いていた。それだけにアリシアの受けたショックは大きかったのだ。
驚くアリシアを見ながらルーは右手を顔の前に持っていき、手の中に炎を生み出すとニッと尖った歯を見せる。
「それにしても驚いたわ。その若さで聖騎士になっていたとはねぇ? 久しぶりに面白い敵と戦えて楽しかったわ。でも、こっちも急いでいるの。そろそろ終わりにするわよ」
これ以上アリシアとの戦いに時間を掛けられないルーは決着を付けようと右手をアリシアに向けて手の中の炎をアリシアに放とうとする。アリシアはルーの放つ魔法を迎え撃つ為にエクスキャリバーを構えた。その時、上空からダークがアリシアとルーの間に下り立ち、ルーの方を向いて彼女を睨み付ける。
いきなり目の前に現れたダークにアリシアとルーは驚きの表情を浮かべる。そこへダークと一緒にいたジェイクと別行動をしていたレジーナとマティーリアもやって来てルーを取り囲む様に立ち武器を構えた。
「ダーク!?」
「アリシア、下がれ。君ではコイツには勝てない」
「何っ? どういう事だ?」
突然現れて自分ではルーには勝てないと言われて驚くアリシア。アリシアに背を向け、ダークは目を赤く光らせながらルーを睨み付ける。
「君も薄々気づいているだろう? コイツは自分よりも強いのではないか、とな」
「……ッ!」
「その通りだ。先程賢者の瞳を使って調べてみたのだが……コイツのレベルは75、君よりレベルが上だ」
「なっ!?」
ダークの口から出たルーのレベルにアリシアは驚愕の表情を浮かべる。周りにいるレジーナ達もルーのレベルがアリシアよりも高い事を知って驚いていた。そして、敵であるルーも自分のレベルを知っているダークに驚き目を見開いている。
(この男、なぜ私のレベルが75だって知ってるの? レベルを知る方法なんてスフィアを見る以外にあるはずがないのに……)
アリシアが自分の名前と所属する組織を知っていた事にも驚いたが、自分のレベルを知っているダークにはそれ以上に驚いていた。ルーはダークがLMFのアイテムを使って情報を得た事を知らない。この世界に存在しないアイテムを使って情報を得たと考える事ができないルーは訳が分からずにただ心の中で動揺した。
心の中で動揺してはいるが表情には出さずに黙ってダークを睨むルー。そんなルーを見てダークは更にルーに関する情報を口にし始める。
「しかもコイツ、見た目は十代の子供だが、実際は私達よりも年上である可能性が高い」
「どういう事だ?」
「この女は人間ではない。ヴァンパイアだ」
『ヴァンパイア!?』
ルーの正体を知ったアリシア、そしてレジーナ達は声を揃えて驚く。見た目は人間と同じなのにその正体はヴァンパイア、つまり吸血鬼だった。レベルが高い事に続いてルーがヴァンパイアである事を知ったアリシア達は驚きの連続で混乱しかかっている。勿論、正体を暴かれたルーも更なる驚きに混乱しそうになっていた。
「因みにコイツの職業はソーサラー、魔法使い系の職業の中でも上級の職業だ」
「マイティシールドを使ったのを見た時点で上級職である事は予想していましたけどね」
ダークと彼の肩に乗るノワールがアリシアの職業について静かに語る。アリシア達は驚きの連続でただ目を見開きながらルーを見ていた。
アリシア達が驚く中、ルーは目の前に立つダークの姿を見ながら僅かに焦りを見せ始める。簡単に自分の正体を見抜くこの黒騎士は只者ではない。そしてその黒騎士と周りにいる冒険者らしき三人はアリシアの仲間だと知り、このまま戦いを続けるのはマズいと感じ始めていたのだ。
ルーは右手の中にある炎を消すとゆっくりと手を下ろしてダークを睨みながら口を開いた。
「……アンタ達が何者かは知らないけど、この状況で戦いを続ける訳には行かないわ。不本意だけど、此処は引き上げる事にしましょう」
ルーが退却する事を知り、アリシアやレジーナ達はルーを睨み、逃がしはしないとルーに飛び掛かろうとする。するとルーは懐から素早く何かを取り出してそれを地面に向かって叩き付けた。その瞬間、ルーの足元から濃い灰色の煙が広がりルーを一瞬にして包み込む。
「煙幕か!?」
ダークがルーが出した煙の正体を知って僅かに力の入った声を出す。煙はあっという間に広場を包み込み、ダーク達は仲間の立ち位置も分からなくなってしまった。
煙が広がって視界が悪くなって動けなくなっているとマティーリアが竜翼を広げて飛び上がり、竜翼を羽ばたかせて風を起こし、広場を包み込む煙を吹き飛ばした。煙が消えて視界が良くなったダーク達は広場の中を見回す。そこにはルーの姿は無く、ダーク達だけが立っていた。
「……逃げられたか」
ルーがいなくなっているのを知ってダークは気に入らなそうな声で呟く。ダークの後ろにいたアリシアは険しい顔をしながら広場の中央へ移動して辺りを見回し、ルーがどっちの方角へ逃げたのかを確認する。
「クソッ、まだ遠くには行っていないはずだ! すぐに追いかけて捕まえてや――」
「待て、アリシア」
少し興奮した様子でルーを追いかけようとするアリシアをダークは止める。止められたアリシアは足を止めてダークの方を向く。
「ダーク、なぜ止めるんだ!?」
「さっきも言っただろう。アイツのレベルは75、レベル70の君では勝てない」
「たった5しか違わないんだ。慎重に戦えば勝ち目はある」
僅かしかレベルの差が無い事から絶対に勝てない訳ではないと考えるアリシアは強気な態度を見せる。だがダークはそんなアリシアを見て目を赤く光らせながら言った。
「それは人間を相手にする場合の考え方だ。だが奴はヴァンパイア、人間のレベル75とヴァンパイアのレベル75とでは戦闘能力は全然違う。ヴァンパイアの方が遥かに強い」
「……確かに若殿の言う通りじゃのう。お主と妾が戦った時もお主はレベル70でレベル66の妾にギリギリの状態で勝つ事ができた。それだけ人間と人間でない者との力の差があるという事じゃ。今のお主ではあの小娘は勝てん」
ダークの考えに同意したマティーリアがアリシアに昔自分と戦った時の事を話す。確かにアリシアはレベル70で何とかマティーリアに勝てた状態だ。それなのにルーよりもレベルが低い状態で人間でないルーと戦うのは危険と言える。現にさっきの戦いではアリシアはルーに傷を負わせる事もできず、一方的に押されていた。
アリシアはルーと自分の力の差を知り、歯を噛みしめながら俯く。リーザを殺した犯人を見つけたのに仇を討つ事ができない現実にアリシアは悔しくて仕方がなかった。
「……クソォ」
ルーには勝てない、その事実が心に刺さり、アリシアはエクスキャリバーを握る手を震わせる。そんな悔しがるアリシアをダーク達は黙って見つめていた。