第六十七話 闇夜の暗殺者
自分を睨みながら鞘に納めてある騎士剣に手を掛けるリーザを見ながら少女は不気味な笑みを浮かべ続ける。少女を見てリーザは僅かに冷や汗を流す。緊迫した様子のリーザに対し、少女は余裕の態度を見せていた。
「……もう一度訊くぞ? 君は何者だ?」
リーザが低い声で尋ねると、少女は自分の髪をなびかせた。
「そう言えば、まだ自己紹介をしていなかったわね。私はルー、ルー・シュペーシュ。この世で最も可憐で賢い魔法使いよ」
自分の事を可憐で賢いと評価するルーと名乗る少女をリーザは表情を崩さず、警戒心を解かずに睨み付ける。自分の前にいるルーは見た目は若い少女の姿をしているが、その中身はとんでもない邪悪な心を持っているとリーザは気付いていた。
「……私に何か用か?」
「単刀直入に言うわ。アンタの持っている蝙蝠の絵が刻まれたメダルを渡しなさい。あと、此処で死んでくれる?」
「いきなり現れて死ねとは、とんでもない娘だな? それにどうしてこのメダルを欲しがる? なぜ私がメダルを持っている事を知っている?」
「アンタがそれを知る必要は無いわ。アンタはそのメダルを渡して死んでくれればそれでいいの」
理由も話さずに無茶苦茶な事を言うルーを見てリーザは一歩下がる。一流の騎士であるリーザであれば今の自分がどういう状況に置かれているのかぐらい分かっていた。だが、突然死ねと言われて納得できるはずもなく、リーザ自身も素直に殺される気など無い。
リーザはルーを警戒しながらなぜ彼女が自分を殺そうとしているのかを考えた。自分はルーとは今初めて出会ったので彼女自身の恨みではない。だとすると、自分が任務で討伐した盗賊などの身内なのではと考える。しかし、ルー自身が自分を魔法使いと言っていたので盗賊の身内である可能性は低い。それを考えるとそれ以外に自分がルーから狙われる理由に心当たりが無かった。
警戒するリーザを見てルーは楽しそうに笑っている。まるで警戒するリーザの顔を見て楽しんでいる様だった。
「私もなぜ自分が殺されたのか分からずに死ぬのは納得できない。ちゃんと理由を説明してもらおう」
「言ったでしょう? アンタが知る必要は無いって」
笑いながら答えるルーにリーザは小さく舌打ちをする。これ以上、ルーに何を聞いても教えてくれないと考えたリーザは考え方を変える事にした。ゆっくりと騎士剣を抜き、両手でしっかりと構えてルーに鋭い視線を向ける。
「悪いが私はこんな所で死ぬ訳にはいかない。神官騎士としてこれからもこの国の為に戦い続けるつもりでいるんだ。何より、明日は愛娘とピクニックに行く約束をしているのでな!」
「……あら、そうなの。なら私達に殺される事になってしまった自分の運命を恨みなさい」
ルーは笑うのをやめて両手をゆっくりと前に伸ばす。それを見てリーザは騎士剣を強く握ってルーに意識を集中させる。
騎士と魔法使いの戦いとなると距離を取った状態では騎士であるリーザの方が不利だ。戦いを有利にする為には距離を詰めて接近戦に持ち込むしかない。そう考えたリーザはルーが攻撃魔法を使った瞬間にルーに向かって走れるよう足位置をルーに気付かれないようにゆっくりと変えた。
更にリーザにはもう一つ作戦があった。今自分がいるのはセルメティア王国の首都であるアルメニスだ。その中心で戦闘が起これば騒ぎに気付いた兵士や騎士達がすぐに駆けつけて来る。しかも今は人気が少なく静まり返っている夜、小さな爆音でも騎士団の詰め所まで届いて待機している兵士達に聞こえる状況だった。リーザは自分に有利な状況である事と考えてルーを睨みながら動きを警戒する。
リーザが自分が有利だと考えている時、ルーは黙ってリーザを見つめている。すると突然小さく笑い出し、前に伸ばしていた手を横に伸ばした。
「不感知の魔法陣!」
ルーが声を上げると彼女の足元に紫色の魔法陣が描かれて拡張し出す。突然の魔法陣を見てリーザは目を見開いて驚く。魔法陣は一定の大きさになると拡張が止まり、そのまま地面に描かれたまま残った。
「貴様、何だこの魔法陣は!?」
リーザがルーを睨みながら魔法陣の正体を尋ねる。するとルーはリーザの方を向いて再び不気味な笑みを浮かべた。
「ちょっとした人払いよ。この魔法陣が描かれている限り、誰も私達の戦いには気付かないわ」
「何!?」
ルーの言葉にリーザは再び驚きの表情を浮かべる。静かな夜の町で自分とルーの戦いが誰にも気づかれないと言われれば驚くのは当然だ。
<不感知の魔法陣>とは、闇属性の上級魔法で音や気配、振動などを外に漏れないようにする補助魔法である。魔法陣の中にいる間、どれだけ激しい戦闘をしても音や衝撃は魔法陣の外に漏れず、敵に居場所を感知される事はない。しかも近くにいるモンスターなどを寄せ付けない力もある。つまり、即席の安全地帯を作る為の魔法なのだ。持続時間は長く、体力を回復させたり、休憩を取る時には非常に役に立つ。ただし、魔法陣の外に出てしまえばすぐにその効果は無くなり敵に見つかってしまう。
とんでもない魔法を使ったルーを見てリーザはルーがただの魔法使いではないと気付き、表情には僅かに焦りが見え始める。ルーはクスクスと笑いながら足元の魔法陣をつま先でコンコンと叩く。
「この魔法陣の中ではどれだけ派手に暴れてもどんなに大きな音を立てても魔法陣の外にいる連中には聞こえない。そして魔法陣の中にいる私達の存在も外の連中には気付かれないし、誰も魔法陣には近づかない。つまり、誰も今から起こる戦いに気付かず、アンタを助けにも来ないって事よ」
「クッ!」
「ウフフフ、その顔、やっぱり戦いが始まれば仲間が気付いて救援に来てくれると考えていたのね? アハハハハ、おめでたいわね、アンタって」
自分の考えが見抜かれていた事にリーザは悔しそうに歯を噛みしめる。魔法陣の中にいる間は誰もリーザの存在に気付かず、助けにも来ない。だとすればリーザが取る手は二つしかない。このまま戦いを続けるか、魔法陣の外に出て仲間に気付いてもらうようにするかだ。
しかし、魔法を発動したルー本人がリーザが魔法陣の外まで逃げる事を計算していないはずがない。必ずリーザが魔法陣の外に出られないように手を打っているはずだ。なら、このまま戦って勝つしかリーザが生き残る道はなかった。
リーザは騎士剣を下段構えに持ち、そのままルーに向かって走る。距離を縮めて来るリーザを見たルーは鼻で笑いながら右手をリーザに向けた。
「火弾!」
ルーは手の中に火球を作り出し、それを走って来るリーザに向けて放った。
(アイツ、杖も無しに魔法を発動させた!? 杖を使わないなんて、それだけ魔力が高く、魔力のコントロールが上手くできるという事か!)
杖も使わずに魔法を上手く扱うルーにリーザは心の中で驚きの声を上げた。
通常、魔法使いは杖を使って魔法を発動させる。それは魔力を高めたり魔法を上手く発動させる為だ。しかし、魔法使いの中には杖を使わなくても魔力が高く、魔力を上手くコントロールして魔法を発動させる事のできる者もいる。ルーはそんな魔法使いの一人という事だ。因みにノワールも杖を使わずに魔法を発動させる事はできるが、ダークはノワールの魔力を高めて威力を上げる為に彼に杖を持たせているのだ。
飛んで来る火球を見てリーザは咄嗟に横へ移動して火球をギリギリでかわす。そしてすぐにルーとの距離を縮める為に走る速度を上げた。ルーの数m前まで来たリーザは騎士剣に気力を送り込み、騎士剣の刀身をピンク色に光らせる。実はリーザも戦技を使う事ができたのだ。
「気霊斬!」
ルーの目の前まで来たリーザは騎士剣を横に振ってルーに攻撃した。
<気霊斬>は剣を扱う者が使える斬撃系の下級戦技。刀身を気力で包み込み刀身の強度と切れ味を高める事ができ、並のモンスターなら簡単に倒す事ができる。消費する気力も少なく、連続で使用する事も可能だ。
ルーは左から迫る騎士剣を見ながら冷静な表情を浮かべており、慌てずに軽く後ろへ跳んでリーザの攻撃をかわす。そしてすぐに左手を目の前にいるリーザに向ける。するとルーの左手が青白い電気に包まれてルーはニッと笑った。
「雷の槍!」
叫んだ直後にルーの左手から青白い電気の矢が放たれてリーザに迫る。リーザは驚きながら素早く騎士剣で電気の矢を止めた。電気の矢と騎士剣の刀身がぶつかり、リーザの腕に衝撃が伝わる。幸い戦技で刀身を強化していた為、刀身が折れる事も欠ける事も無かった。
止めた電気の矢を騎士剣で弾き、リーザは後ろに二回跳びルーから距離を取る。離れたリーザを見てルーは楽しそうな笑みを浮かべた。
「やるじゃない、あの距離からの魔法を防ぐなんて。並の騎士じゃあんな事はできないわ」
リーザの反射神経を褒めながらルーは軽く拍手をする。一方でリーザは笑いながら自分を褒めるルーを鋭い目で睨み続けていた。同時に心の中でルーの戦闘能力や職業を分析する。
(……アイツは火弾と雷の槍、火属性と風属性の二つの属性を使った。少なくともファイアウィザードの様な一種類の属性だけを使う職業ではない。数種類の属性を使えるという事は上級か中級の中でも上の職業という事になる。だとすると少し厄介だな、複数の属性を持つという事は色んな魔法を使い、様々な状況に対応できるという事だ。当然苦手な接近戦に持ち込まれた時に使う魔法だって習得しているはず……しかも私が剣で攻撃した時にアイツは驚く様子も見せずに冷静に回避した。つまり、かなり接近戦になれているという事になる)
ルーが自分の予想していた以上に戦い慣れている事にリーザは次第に焦りを見せ始める。自分の得意な接近戦に持ち込んでもルーを追い込む事が難しいと知ったリーザはどう戦うかを必死に考えた。
黙って自分を警戒しているリーザを見てルーは少し退屈になったのか欠伸をしながら自分の髪を捻じっている。やがて髪をいじるのをやめ、目を細くしながらリーザを見た。
「……ねぇ、いつまでそうしているつもり? 私、あまり時間を掛けたくないのよ。ちゃっちゃとアンタを殺してこの町を出たいんだからさぁ?」
退屈そうに、そして勝利を確信している様な言い方をするルーにリーザは歯を噛みしめる。敵の情報が少ない状態で考えても答えは出せないと感じたリーザは情報を集める為にもう一度攻撃してみる事にした。
両手でしっかりと騎士剣を構えているリーザは左手を柄から離してルーの方に向ける。リーザの左手が白く光り出し、それを見たルーはリーザも魔法を使うと気付き目を見開いて意外そうな顔をした。
「光球!」
リーザの手から白い光球がルーに向かって放たれる。飛んで来る光球を見たルーはその場を動かずに右手を飛んで来る光球に向けて伸ばした。回避行動を取らないルーを見てリーザは驚きの表情を浮かべる。そして光球はルーの右手に当たり強烈な光を周囲に放つ。
光球を受け止めたルーの右手からは煙が上がり、痛みを感じているのかルーの表情が僅かに歪んだ。やがて光が治まり、光球は静かに消滅する。光球が消えると光の中からルーが姿を現してリーザを見つめた。彼女の右手は光球を止めた時に受けたダメージで火傷の様な傷を負っている。傷口からは煙が上がり、皮膚は所々赤くなっていた。しかし、ルー自身は殆どダメージを受けた様子は無い。とても落ち着いた表情を浮かべている。
「ば、馬鹿な! 光球を素手で止めた!?」
自分の魔法を武器も使わずに簡単に止めたルーを見てリーザは驚愕の表情を浮かべる。そんなリーザを見たルーはチラッと自分の右手に視線を向けた。すると、驚いた事に右手の傷が少しずつ、ゆっくりと治りだしたのだ。人間では考えられない出来事にリーザは更なる衝撃を受ける。
傷だらけだったルーの右手は僅か数秒で完全に元に戻り、ルーは指を折り曲げたり軽く振ったりして異常が無いか確認する。そして何ともないと知るとリーザの方を向いて笑う。
「どう? 驚いた?」
「……お前、一体何者だ? 人間ではないな?」
「ええ、そうよ。私は人間じゃないわ」
あっさりと人間でない事を認めるルーにリーザは剣を構える。優れた魔法使いである上に人間でないという事を知り、流石にリーザは動揺を隠せなかった。
最初、光球を素手で止めたのを見てリーザは驚いたが、人間の中にも素手で魔法を止める事ができる者もいる。魔法の扱い方を知り、魔法防御力がとても高い者ならば可能な事だ。ルーが魔法を止めるのを見てリーザもルーが熟練の魔法使いだと考えていた。しかし、傷が治るのを見てルーが人間でない事を知り、とうとう驚きを隠せなくなったのだ。
「さ~て、私が人間でない事を知り、接近戦も魔法も効かない事を知ったアンタはこれからどうするの?」
動揺するリーザにこの後どう動くかをルーは尋ねる。リーザはルーの質問に答える事なく黙ったままルーを警戒した。リーザ自身もこの後、どうやってルーと戦えばいいのか全く分からないでいる。自分の剣も魔法も効かない相手を目にし、リーザは混乱しかかっていた。その時、静かな街道に二人の女の声が響く。
「お姉様、お遊びはそれぐらいにしてください?」
「時間を掛けるのは発見される可能性が高くなる。さっさと終わらせた方がいい」
突然聞こえて来た二人の女の声にリーザはフッと反応し、ルーも声のした方に視線を向けた。すると民家の屋根の上から二つの人影が飛び下りてルーの両隣りに着地する。一人は銀のスケイルアーマーとククリ刀を装備し、オレンジ色のショートボブの髪をした女、もう一人はピンクと金色の鎧を身に付け、腰にレイピアを収めたピンク色のロールヘアをした女騎士だった。
いきなり現れた二人の女を見てリーザは思わず後ろに下がる。状況からして二人がルーの仲間である事はすぐに分かった。ロールヘアの女は警戒するリーザを見て困った様な顔でルーの方を向く。
「お姉様、時間を掛けずに素早く仕事を終わらせるのがお姉様のやり方ではなかったのですか? 時間を掛け過ぎですわよ」
「いいじゃない、たまには?」
「たまに、ではないでしょう? お姉様は面白そうな相手を見ると必ず遊び半分で戦っています。ちゃんと真面目に戦ってくださいまし」
「相変わらず真面目ね、ジュリー?」
ロールヘアの女をジュリーと呼びながらルーはめんどくさそうな顔をする。そんなルーにジュリーは小さく溜め息をついた。
「二人とも、お喋りはそれぐらいにしておけ。さっさとこの女を消してジムス達と合流するぞ?」
「ハイハイ、分かりましたわ。キルティアちゃんはせっかちですわねぇ」
ジュリーはショートボブの女をキルティアと言いながら腰のレイピアを抜いた。キルティアもククリ刀を抜いてリーザの方を向いて構える。ルーは二人を見た後にリーザに視線を向けて不敵な笑みを浮かべた。
リーザは武器を構えるジュリーとキルティアを見ながら騎士剣を握る手に力を入れた。少し時間が経ったせいか混乱が治まり、もう一度状況を確認しながら次にどう動くかを考える。
(マズイな、あの金髪の女一人を相手にするだけでも厳しいのにそんな状況で更に二人を相手にするのは危険すぎる。このまま戦いを続ければ確実に殺されてしまう。どうすれば……)
今の状況では勝ち目は無く、自分に待っているのが死と言う運命だと感じたリーザは汗を流す。自分はこんな所で死ぬ訳にはいかない。家族の為にも何としても生き延びなければならないと考えるリーザはどうするべきなのかを必死に考える。そして、答えを出したリーザはすぐに実行した。
リーザは左手をルー達に向け、手の中に魔力を送り魔法を発動させる準備をする。それを見たルーはまたライトボールを撃って来ると考えたのかつまらなそうな顔をし、ジュリーとキルティアに指で攻撃するよう指示を出す。ルーの指示を見てジュリーとキルティアは魔法を発動される前にリーザを仕留めようとはリーザに向かって走り出した。だがリーザが発動しようとしていた魔法はライトボールではなかった。
「閃光!」
叫んだ瞬間、リーザの左手から強烈な光が放たれた。突然の閃光でルー達は目が眩み、ジュリーとキルティアは急停止して腕で目を守る。光が治まり、ルー達が怯んでいると、その隙にリーザはルー達に背を向けて走り出した。
<閃光>はその名の通り、強烈な光を放ち相手の目を眩ます光属性の下級魔法。閃光によって相手の視覚を一時的に奪ったり相手を怯ませたりする事ができる。しかし攻撃力は無い為、相手にダメージを負わせる事はできず、僅かな時間しか相手の動きを封じる事ができない。その為、この魔法を使う者は少ないと言われている。
リーザは今の状況では勝ち目は無いと感じ、仲間達に救援を求める為に一旦退く事を選んだ。だが、普通に退いても逃げられるはずがない。そこで、閃光でルー達が怯んでいる隙にその場から移動して魔法陣の外へ出ようと走り出したのだ。
目が眩む中、ルーはリーザの走って逃げる姿を目にした。ルーはリーザを逃がさないよう腰に納めてある小さなナイフを抜き、逃げるリーザに向かって投げる。投げられたナイフは真っ直ぐ飛んでリーザの右肩に刺さった。
「ウグゥ!」
右肩から伝わる痛みにリーザは表情を歪めながら声を漏らす。だがリーザは足を止めずにそのまま走り続けた。
閃光で眩んでいたルー達の視覚は徐々に回復し、ようやく普通に見られるようになる。しかし既にリーザの姿は無く、ルー達は完全にリーザを見失った。
「……逃げられたか」
「まさかあそこでフラッシュを使うとは思いませんでしたわ……お姉様、どうします?」
「どうするも、後を追うに決まってるでしょう?」
「ですがどうやって?」
ジュリーが尋ねるとルーは歩き出し、自分の投げたナイフがリーザに刺さった箇所まで移動した。ルーは何かを探す様に地面を見回す。すると足元に小さな血痕があるのを見つけた。恐らくリーザのだろう。
ルーは血痕を指に付け、その匂いを嗅ぐ。そしてゆっくりと舐め取ってリーザが走って行った方角を見て笑った。
「逃げても無駄よ。私、血の匂いにはとても敏感なんだから。フフフフ」
不気味な笑みを浮かべるルーとそんな彼女を見て笑うジュリーに無表情のキルティア。静かな街道を三人の女は歩いて行き、逃げたリーザの後を追った。
ルー達から何とか逃げ延びたリーザは民家と民家の間にある脇道に隠れ、壁にもたれながら休んでいた。肩に刺さっていたナイフを抜き、地面に投げ捨てたリーザは左手で傷口を押さえながら民家の陰から顔を出し街道の様子を伺う。ルー達が追ってきていない事を確認すると再び壁にもたれて深く息を吐いた。
「何とか逃げれたか……しかし、まだ魔法陣の中にいる以上は安心はできない。少し休んだらすぐに移動しなくては……」
足元を見ながらリーザは真剣な顔で呟き、右手に持っている騎士剣を強く握る。肩からの痛みを感じ、リーザはまずこの傷を何とかする事にした。
「治癒」
左手を動かして傷口の状態を確認したリーザは治癒を使って傷を治し始める。光に包まれた傷口はゆっくりと塞がっていき、完全に塞がると出血が止まって痛みは感じられなくなった。
傷が治り、少しだけ余裕ができるとリーザはルー達がなぜ自分を襲って来たのかもう一度考えてみる事にした。ルーは自分が持っているあの蝙蝠の絵が刻まれたメダルを渡すように言って来た。その点からルーがあの村を襲った謎の一団と繋がりがあるという事は間違いない。そうなるとルーはあの一団の敵討ちをする為に自分の前に現れたと考えられる。
「あの一団の中にあの女の血縁者がいたから敵討ちに来た……いや、奴は自分で自分が人間ではないと言っていた。あの一団の中に奴の血縁者はいない。つまり、敵討ちで来た訳ではないという事になる」
自分が狙われる理由を必死に考えるリーザ。そのせいか肩の痛みは殆ど感じられず、少しだけ心が落ち着いて来ていた。
「そう言えば、奴と一緒にいた二人の女、あの二人は昼間に私とアリシア達が戦った一団の男達と似た服装をしていたな……あの二人があの男達の仲間である事は間違いない。そしてピンク色の髪の女がルーの事をお姉様と呼んでいた。それはつまり、奴があの女達よりも上の立場にいる存在か年上だという事になるな……クゥ、考えるにも情報が少なすぎる。とにかく、今はこの魔法陣の外に出て仲間達に救援を求める事が先だ。考えるのはその後でいい……」
考えるのをやめてリーザは魔法陣から出る為に再び移動する事にする。民家の陰から顔を出して周りにルー達の姿が無い事を確認するとゆっくりと脇道から街道に出た。
「まだこんな所にいたのか……」
「!?」
突然背後から聞こえて来た声にリーザの顔に緊張が走る。冷たい視線と同時に殺気を感じ取り、リーザは振り返りながら後ろへ跳んで距離を取ろうとした。その直後、光る何かがリーザの右脇腹を切り裂き、切られた箇所から血が噴き出る。
脇腹を切られ、リーザは歯を噛みしめながら痛みに耐える。距離を取り、切られた箇所を押さえながら騎士剣を構えるリーザは脇道の方を向いて鋭い視線を向けた。薄暗い脇道の奥からククリ刀を持ったキルティアが姿を現す。
キルティアは冷たい目でリーザを見つめており、彼女が持つククリ刀の刃にはリーザの血が付着していた。キルティアはリーザを見つめながらククリ刀を振って刃に付いている血を払い落としククリ刀を構え直す。
「不利な状況なのに逃げもせずにこんな所で休憩しているとは、随分と余裕なんだな?」
「な、なぜ私の居場所が分かった?」
上手く撒いたはずなのにこんな短時間で発見された事が信じられずリーザは目を見開いて驚く。キルティアはククリ刀の刃を光らせながら冷たい目でリーザを見つめる。
「……ルーは血の匂いに敏感なんだ」
そう言った瞬間、キルティアはリーザに向かって跳びククリ刀で袈裟切りを放つ。リーザは咄嗟に騎士剣でキルティアの攻撃を防いだ。だがその一撃は予想以上に重く、リーザの腕に衝撃が走る。
キルティアの重い一撃を受けて体勢を崩しそうになったリーザは騎士剣でククリ刀を押し戻し距離を取った。騎士剣を持つ腕にはまだ微かに震えている。それだけキルティアの一撃が強かったという事だ。
(なんて力だ、あの細腕のどこにこれほどの力が……)
リーザがククリ刀を縦に回しながら近づいて来るキルティアを見ながら騎士剣を構え直す。出血と追い込まれている緊張のせいかリーザの顔には徐々に疲れが見え始めていた。
このままではいつか動く事すらできなくなってしまうと考え、リーザは何とかキルティアを撒いて仲間達の下へ向かおうと考える。その時、リーザは背後から再び冷たい視線を感じた。
「敵は、一人ではありませんわよ?」
リーザの背後からジュリーが現れ、笑顔を浮かべながらリーザに語り掛ける。声を聞いたリーザは慌てて振り返りジュリーを攻撃しようとした。だがジュリーは既にレイピアを抜いて戦闘態勢に入っており、リーザが仕掛けるより先に攻撃に移る。
ジュリーはレイピアの切っ先をリーザに向け、気力を送り込み刀身を赤く光らせた。それを見たリーザはジュリーが戦技を発動させた事を知って驚愕の表情を浮かべる。
「連牙嵐刺撃」
笑いながら戦技の名を口にした瞬間、ジュリーはレイピアでリーザに連続突きを放つ。鋭く尖った切っ先がとてつもない速さでリーザに襲い掛かった。
<連牙嵐刺撃>は槍などの刺突系の武器を使う者が体得できる中級戦技。気力を武器の槍先や刀身に送って強度を高めた状態で連続で突きを放ち攻撃する事ができる。使う者のレベルやステータスによって突きの速度や攻撃回数が変わってくる戦技で高レベルの者が使えば一瞬で二十回は突きを放つ事ができる技だ。
至近距離で戦技を使われた為、リーザは回避行動を取る事ができず、ジュリーの戦技をまともに受けてしまう。
「うわああああぁっ!」
全身の痛みにリーザは思わず声を上げる。レイピアはリーザの体を切り裂き、刺し貫き、一瞬にしてリーザの体を傷だらけにした。
連撃が止むとジュリーはレイピアをゆっくりと引く。リーザはよろめき、持っている騎士剣を地面に落とす。傷だらけで更に傷口からは大量に出血しており、リーザは血まみれ状態になっている。それでも意識を失わずにその場に立ち続け、目の前でレイピアを構えるジュリーを睨む。
ジュリーは自分の戦技を受けても倒れないリーザを見て一瞬意外そうな顔を見せる。だがすぐに笑みを浮かべ、レイピアに付いているリーザの血を払い落として切っ先をリーザに向けた。
「私の戦技を受けてまだ立っているとは、大したものですわね? でも、それも此処まで。もう貴女は私達から逃げる事はできませんわよ。このまま大人しく殺されてくださいませんか?」
「……断る! 私には、帰りを待ってくれている家族が、いるんだ。死ぬ訳には……いかない!」
全身の痛みに耐えながらリーザは叫んだ。荒い呼吸をながら落ちている騎士剣を拾い、震える手で柄を握る。
「ハァ、そんな気持ちだけで絶体絶命の状況から脱する事ができるとでも?」
「甘い考えだな」
リーザの生き延びると言う意志をジュリーとキルティアは否定し、呆れた様な態度を見せる。しかしリーザはそんな二人の言葉を無視して騎士剣を構え直した。
「お前達がなんと言おうと、私の考えは変わらない……騎士として、最後まで戦い続ける!」
騎士の誇りを胸にリーザはジュリーとキルティアに言い放った。二人はリーザの発言をただの強がりだと考えながら黙って見つめている。
「なら、騎士らしい最期をアンタにあげるわ」
頭上から聞こえる声にリーザはフッと上を向く。真上から短剣を逆手に持ったルーが落ちて来てそのままリーザを踏みつける。そして踏みつけるのと同時に俯せに倒れるリーザの背中を短剣で刺し貫いた。
「があぁっ!」
背中の激痛にリーザは吐血をしながら声を出す。リーザの上に乗るルーはリーザに致命傷を与えたのを確認すると小さく笑いながらリーザの上から降りて倒れている彼女を見下ろした。ジュリーとキルティアも近づいて俯せ状態のリーザに視線を向ける。
「ただの騎士にしてはなかなか楽しませてくれましたわね。これならお姉様が楽しみたいと言うのも分かりますわ」
「フフ、アンタも少しは分かってくれた? 私の気持ち」
「ええ、少しだけ」
楽しそうに話すルーとジュリー。そんな二人を見たキルティアは興味の無さそうな顔をしながらククリ刀を鞘に納め、リーザのポーチから例のメダルを回収する。メダルを懐にしまい、キルティアは周囲を見回す。
「ターゲットの始末もメダルの回収も終わったし、急いで此処を離れるぞ? 早くしないとインセンシティブの効果が切れて人が集まって来る」
「分かっていますわ」
キルティアの言葉を聞き、ジュリーはレイピアを静かに鞘に戻す。ジュリーとキルティアは周りを気にしながら逃げる様にその場から移動する。ルーも二人の後を追う様に歩き出して倒れるリーザから離れていく。するとルーは立ち止まり、もう一度倒れているリーザを見た。
「……アンタのおかげで久しぶりに面白い戦いだったわ。楽しませてくれたお礼にその背中の短剣はアンタにあげる……と言っても、この国に来てから買った安物だけどね」
笑顔を浮かべながらルーは再び歩き出し、闇夜の中へと消える。その直後、インセンシティブの魔法陣は静かに消滅した。
静かな街道の真ん中で倒れるリーザ。彼女の周りには自身の血によってできた血だまりがあり、誰が見ても致死量と言えるくらいの出血だった。
リーザは薄れゆく意識の中、前を見て目の前に落ちている小さな人形を見つける。それは娘のリーファがお守りとして作ってくれた物だった。自分の血が付いているその人形を手に取り、それを顔の前へ持って行く。リーザは震える手の中の人形を見て娘の事を思う。
「……リーファ……すまない……明日のピクニック……行けそうに……ない……」
人形を見つめながら娘に約束を破ってしまった事を謝罪するリーザ。自分はこのまま死ぬ、もう二度と愛する娘と夫に会えない事がリーザに悲しみと辛さを与える。同時に二人を悲しませる原因を作った自分の弱さに対し自責の念を感じていた。
「……ファルム……リーファの事……たの……」
気が遠くなる中、最後に愛する夫に娘の事を託し、リーザは静かに息を引き取った。
その後、町を巡回していた兵士が血まみれで倒れているリーザを発見し、詰め所に急ぎ報告した。リーザが息を引き取ってから僅か五分後の事だった。