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暗黒騎士と聖騎士の異世界戦記  作者: 黒沢 竜
第五章~王国の暗躍者~
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第五十三話  狂人を裁く鉄拳


 突然現れた大男の顔を見たメノルは驚きの表情を浮かべる。アリシアたちも少し驚いた顔をしていた。どうやら彼女たちは目の前の男のことを知っているようだ。


「知っているんですか、あの男を?」

「あ、ああ……」


 唯一大男のことを知らないダークはメノルに尋ねた。メノルは緊迫した表情を浮かべながら返事をする。だがすぐに黙り込んで何も話そうとしない。


「……アリシア、あの男は誰だ?」


 話そうとしないメノルの代わりにダークは隣に立つアリシアに大男のことを尋ねた。アリシアは大男を真剣な目で見つめながら口を動かす。


「……あの男の名はババルン。セルメティア王国の歴史上最恐最悪と言われた大量殺人者だ」

「ああ、俺もその名前なら聞いたことがあるぜ」

「あたしも……」


 アリシアに続いてジェイクとレジーナも低い声で呟いた。二人も真剣な表情でババルンと呼ばれる大男を見つめていた。しかしダークはこの世界の住人ではないので名前を聞いてもピンと来ない。ダークは腕を組んでババルンを見つめる。


「……何者なんだ?」

「彼は元は七つ星の冒険者でモンクを職業クラスにしていた。だが、性格に問題があってな。モンスターを殴ったり蹴ったりする時に快楽を感じるという異常な男だと言われていた」

「なるほど、異常快楽殺人者か」


 ダークはアリシアの説明を聞いて呟く。ダークが前いた世界にも快楽を求めて人を傷つける者は大勢いる。だからなんとなくババルンがどんな性格をしているのか分かった。


「だが、その悪癖は日に日に酷くなっていった。やがて彼はモンスターを殺して快楽を得ることに飽きたのか、同じ冒険者や民間人にも手を出すようになった。彼の悪癖によって命を落とした人間の数は確認されているだけでも百二十人になる。一年前に直轄騎士団によって拘束され、その後の裁判で死刑を言い渡されたんだ」

「……で? その大量殺人者が何でこんな所にいるんだ?」

「それは私も知りたいところだ」


 牢獄にいるはずの大量殺人犯がガーヴィンの屋敷にいることに疑問を抱くダークとアリシア。勿論レジーナたちも同じことを考えていた。だが、この状況からダークたちはババルンが此処にいる理由はガーヴィンにあると気付く。

 ガーヴィンはダークたちを見ながら笑い、隣に立つババルンの太い腕を軽く叩いた。


「コイツは僕が牢獄から出してずっと地下に隠しておいたんだ。もしコレットの暗殺に失敗した時にはコイツにコレットを殺させるつもりだったんだ。だがまさか、コレットではなくお前たちを殺させることになるとは」

「貴族の立場を利用して牢獄から出したのか……救いようのない奴だな」


 ダークはガーヴィンの考えられない行動に低い声で呟く。その声には明らかな苛立ちが感じられた。

 エントランスに緊迫した空気が漂う中、ババルンは拳を鳴らしながらダークたちを見ている。そして顔の向きを変えずにガーヴィンに声をかけた。


「……おい、殺すのは王女様のはずだろう? 殺すのはアイツらなのか?」

「ああ、僕の計画を知られた以上はもうコレットの命は諦めるしかない。だが、僕の邪魔をしたアイツらを生かしておくわけにはいかない。あと、秘密を知ったこの場にいる全員も殺してくれ」


 ガーヴィンの言葉でエントランスにいるメイドや執事、私兵部隊の兵士たちの顔にも緊張が走り、全員が固まる。仕えている主から殺せと言われれば誰だって恐怖し動けなくなってしまう。メイド達が生き残る方法はダークたちにガーヴィンとババルンを止めてもらうしかなかった。

 ダークは自分の屋敷の者たちまで殺せとババルンに命じるガーヴィンにますます不快な気分になる。アリシアたちももうガーヴィンをセルメティア王国の貴族ではなく犯罪者として見ていた。


「殺すのは構わないが、約束は忘れるなよ?」

「ああ、もしこの場から逃げることができれば当初の約束通り、お前をこのアルメニスから逃がしてやろう。僕ももうアルメニスにはいられないからな。なんなら一緒に国外へ逃がしてやってもいいぞ?」

「……フッ」


 笑うガーヴィンを見たババルンは拳を鳴らしながら歩き出してダークたちの下へ向かう。近づいてくるババルンを見てメノルはナイフを構えた。


「ダーク殿、此処は一度退却しよう。あの男の強さは異常だ。直轄騎士団が奴を捕らえる時も完全武装した騎士を二十人連れていったが二十人中、十人が重傷を負い、八人が殺された。私たちだけでは奴を捕らえるのは危険だ。一度調和騎士団の詰め所へ行って応援を……」


 メノルは力の入った声を出して退却を提案しようとする。するとダークはメノルの話を聞かずにババルンの方へ歩き出す。いきなりババルンへ向かって行くダークを見てメノルは目を見開いて驚いた。


「ダーク殿! 何をするつもりだ!?」

「決まっているでしょう。あの男を倒すんですよ」

「なっ!? 私の話を聞いていたのか? あの男は元七つ星の冒険者で英雄級の実力を持っているのだぞ! いくら貴方でも奴には勝てない。戻れ!」


 ババルンと戦おうとするダークをメノルは必死で止めようとする。するとアリシアがメノルの前に出て彼女を止めた。


「心配ありません、メノル殿」

「何を言っている! アリシア殿、貴女もダーク殿を止めてください。殺されてしまうぞ!」

「大丈夫です。ダークは勝ちます。絶対に……」


 アリシアのダークを信じ切っている顔を見てメノルは思わず黙り込む。視線をレジーナとジェイクの方に向けてみると二人も余裕の表情を浮かべてメノルを見ている。

 メノルは恐ろしい敵を前にしてダークを信じ切るアリシアたちの考え方が理解できなかった。なぜそこまでダークを信じることができるのか、ダークのあの自信は何処から出てくるのか、その答えが分からずメノルはアリシアたちを見ている。

 ダークはゆっくりとババルンの方へ歩いていき、ババルンもダークに向かって歩いていく。お互いに相手の1mほど手前まで来ると立ち止まり、目の前に立つ敵を見つめた。


「……フッ、黒騎士か。世界から嫌われている者同士、精々楽しく殺し合おうじゃないか」

「生憎だが、私は殺し合いを楽しむつもりは無いし、これまで戦いを楽しんだ事も無い」

「ほぉ? 国への忠誠心を失った騎士の面汚しのくせに随分と綺麗事を言うのだな」

「貴様のように綺麗事を言う資格すらない者に言われたくないな」

「フン、口だけは達者なようだな……だが、そんなことはどうでもいい。俺はただ相手を殴り、蹴り、ソイツをボロ雑巾のようにしたいだけだ。相手の体を破壊し、その痛みで泣き叫ぶ奴の顔を見ると俺はとても心地よい気分になる。それをまた味わうことができるんだ。お前はその記念すべき第一号ということだ」

「……フフフフ、私をボロ雑巾のようにする? できるのか?」

「ああ、すぐにでも……そうしてやるさ」


 話し終えた瞬間、ババルンは太い腕でダークにパンチを打ち込んだ。ババルンの鉄拳がもの凄い勢いでダークに迫っていく。ババルンの筋力は常人を遥かに超えており、直轄騎士団と戦った時も全身甲冑フルプレートアーマーを装備した騎士の体を鎧の上から破壊し、顔面も兜ごと粉砕した。そんな強力な殺人パンチが兜で守られているダークの顔に近づいていく。

 パンチがダークに襲い掛かるのを見てメノルは驚きの表情を浮かべ、ガーヴィンは不敵な笑みを浮かべる。アリシア達は真剣な顔でダークとババルンの戦いを見守っていた。

 ババルンの拳がダークの顔の前まで迫り、パンチが命中すると誰もが思った瞬間、ダークは左手でババルンのパンチをアッサリと止める。ダークが簡単にパンチを止めたのを見てパンチを打ち込んだババルン本人は意外そうな表情をし、メノルとガーヴィンも驚きの反応を見せた。


「ほう、俺のパンチを止めるとは、少しはできるようだな?」

「そんなんじゃない。お前のパンチが遅すぎるだけだ」

「フッ、口で言うだけのことはある……だがなぁ、俺はまだ全力で攻撃していない。パンチの速さも普段の半分以下なんだぞ?」

「なら今度は全力で、そして連続で打ち込んでみろ。一発ぐらいは当たるかもしれないぞ?」

「……その言葉、後悔するなよ?」


 挑発するダークを睨みながらババルンは冷静なまま打ち込んだ拳を引く。ババルンはボクサーのような構えを取り、目の前で両手を下ろしているダークを見つめる。しばらく睨み合っているとババルンは目つきが変わった。そして同時に連続パンチをダークに打ち込んだ。

 ババルンが本気で攻撃していなかったのは本当らしく、今度のパンチの速さは最初の一撃とは明らかに違っていた。とてつもない速さで連続パンチをダークに打ち込むババルン。そのパンチを見たメノルは今度こそダークは終わりだと感じた。だが、彼女の予想とは全く違うことが現実に起こる。ダークはババルンのパンチを両手で全て止めていたのだ。


「なっ!」

「なん、だとぉ!?」


 最初よりも速いパンチ、それも連続で放たれている攻撃を全て止めるダークの姿にメノルとガーヴィンは再び驚きの表情を浮かべる。だが、二人以上にババルン自身が一番驚いていた。


(ば、馬鹿な、コイツ、俺のパンチを全て止めてやがる。俺のパンチは英雄級のレベルを持つ奴ですらかわすのが精一杯の速さなんだぞ。どうしてこんな簡単に止められる!?)


 心の中で自分のパンチを止めるダークにババルンは動揺する。するとババルンはこのまま攻撃を続けても意味ないと感じたのかパンチを止めて大きく後ろへ跳び、一旦距離を取る。

 離れたババルンを見てダークは再び両手を下ろす。またババルンの攻撃を防いだダークにメノルは呆然としながら彼を見る。一方でアリシア達は笑みを浮かべながらダークを見守っていた。


「流石はダーク兄さん、あの程度の敵に苦戦する事はないわね」

「当然だ。いくら英雄級のレベルだとしてもダークの前では奴も子供も同然だ」

「そうよねぇ~。あっ、もしかすると今のあたしかジェイクならアイツに勝てるかもしれないわよ?」

「ハァ、またお前はそうやってすぐに調子に乗る……」


 自分でもババルンに勝てると考えるレジーナにアリシアは溜め息をついて呆れる。そんなアリシアを見てジェイクも彼女と同じように呆れ顔でレジーナを見た。ダークが最悪の殺人者であるババルンと戦っているのに呑気に会話をしているアリシアたちにメノルは目を丸くしながら彼女たちを見ていた。

 一方でガーヴィンは自分が用意したババルンが一撃もダークに攻撃を当てていない状況に焦りと苛立ちを感じていた。ガーヴィンはダークから距離を取るババルンを目くじらを立てながら睨む。


「おい、何をしているんだ! そんな奴相手に手こずっていないでさっさと殺せぇ!」

「……うるさい、少し黙っていろ」


 戦況を理解せずに自分勝手なことを言うガーヴィンに低い声で言い返すババルン。ガーヴィンはそんなババルンの返事を聞いて寒気を感じ黙り込んだ。

 ババルンは構えも取らずに黙って自分を見ているダークを観察し、次にどう動くかを考える。だが、今まで戦ってきた騎士とは違い、剣を使わない騎士であるダークがどう動き、どう攻めてくるのか全く想像が付かなかった。


「……ババルンと言ったな? お前に訊きたいことがある」


 考え込んでいるババルンに突如ダークが声をかけてきた。ババルンは殺人者である自分に突然、しかも冷静な態度で問いかけてくるダークを少し驚きの反応を見せる。


「……なんだ?」

「なぜお前はそんな青二才の命令に従いコレット様を殺そうとしたんだ?」

「なっ! あ、青二才だとぉ!?」


 ダークの挑発にガーヴィンは反応してダークを睨み付ける。ダークはそんなガーヴィンを無視してババルンの返答を待つ。するとババルンは構えたままつまらなそうな表情で口を開いた。


「最初に言っただろう。俺は自由になってまた多くの人間やモンスターを甚振り、快楽を感じたいからだ。ガーヴィンは牢獄にいた俺に王女様を殺すことに協力すれば自由にしてやると言ってきた。王女を殺すことに俺は興味など無かったが、自由になってまた多くに人間を殺せるというのなら、協力した方がいいと考えた。だから俺は手を貸したんだ。それだけだ……」

「フッ、そうか。予想通り単純な理由だな……」

「……俺はお前の質問に答えた。今度はお前が俺の質問に答えてもらうぞ?」


 今度はババルンがダークに問いかけ、戦いを見守っていたアリシアたちは意外そうな顔でババルンを見る。


「……なぜ剣を使わない? お前は騎士だろう。なのに俺と戦い始めてからお前は一度も背負っている大剣を抜いていない。なぜだ?」


 ババルンの問いにアリシアたちは反応する。確かにダークはガーヴィンの屋敷に入ってから一度も大剣を抜いておらず、素手でババルンの攻撃を防いでいるだけ。ダークの戦い方を知っているアリシアたちもずっと不思議に思っており、時間があればダークに訊こうと思っていたのだ。

 ダークは問いかけてくるババルンを黙って見つめており、やがてゆっくりと腕を組んで目を赤く光らせる。


「理由は簡単だ。お前如きに剣を使う必要が無いからだ」

「……聞き違いか? 今の言い方、俺がお前よりも弱いからだと言っているように聞こえたんだが?」

「そう言ったつもりだ」


 自分を弱く思っているダークの発言にババルンは血管を浮かべてダークを睨む。かつて英雄級の実力を持ち、多くのモンスターを素手で叩きのめしてきた自分を弱く見るダークにプライドを傷つけられて頭にきているようだ。ババルンは構えている拳をより強く握る。


「偶然俺のパンチを防いだからと言ってあまり調子に乗らない方がいいぞ? 俺はまだ拳だけでしか攻撃していないが、足を使えば更に強力な攻撃ができるんだ」

「そうか……それなら今度はパンチとキックの両方を使って攻撃してこい。私でも止められないような凄まじい攻撃を見せてくれ」


 ダークは手の人差し指を曲げてババルンに攻撃してこいと挑発する。それを見たババルンは小さく舌打ちをし、勢いよくダークに向かって跳んでいった。ダークの目の前まで移動するとババルンは再びダークにパンチを打ち込み攻撃する。ダークはババルンの速いパンチをさっきと同じように軽々と止めていく。だが今度はさっきとは攻撃パターンが違っていた。

 ババルンはダークにしばらくパンチを撃ち続け、ダークがパンチを防いでいる隙を窺い、素早くダークの側面へ回り込んで頭部に右上段蹴りを放つ。ババルンの足がダークの頭部へと迫り、それを見たメノルは目を見開いて驚き、ガーヴィンは今度こそダークに攻撃が当たると考えて笑みを浮かべた。すると、ババルンの足がダークの頭に当たると思われた瞬間、ダークが左腕でババルンの上段蹴りを止める。

 パンチを防いでいる状態で突然の上段蹴りを慌てること無く簡単に止めたダークにメノルとガーヴィン、そしてババルンも驚きを隠せない。上段蹴りを止めたダークはババルンを見てつまらなそうな声を出した。


「どうした、蹴りを加えてもこの程度の攻撃か? 私はまだ全力で防御していないのだがな」

「お、お前、いったい何者なんだ?」

「今更だな? ただの暗黒騎士だ」


 問いかけてくるババルンにダークは低い声で答える。そんなダークを見たババルンは微量の汗を流す。全ての攻撃を防ぎ、更に疲れた様子を一切見せていないダークをこれ以上攻撃しても当たらないと感じ始めていた。


「……さて、そろそろ私も攻撃させてもらおう」


 小さな声でそう呟くダークにババルンは危機感を覚え、慌てて後ろへ跳んでダークとの距離を取る。そして意識をダークだけに集中し、ダークがどんな攻撃をしても対処できるようにした。

 限界まで警戒心を強くするババルンを見てダークは両手をゆっくりと下ろし、暗黒騎士の能力を発動した。


「魔神の黒風こくふう


 ダークが能力を発動するとダークの体を黒いオーラのような物が包み込み、その直後にダークを中心に空気が噴き上がり、冷たい風がエントランス全体に広がる。そしてエントランス内にいる全員がその風をその身に受けた。すると、風を受けたババルンやガーヴィン、メイドや執事たちは突如寒気を感じる。

 <魔神の黒風>は暗黒騎士が使う能力の一つで使用者を中心に15m範囲内に風を起こし、その風を受けた者の全ステータスを八十秒の間、25%ダウンさせることができる。ただし、自分よりもレベルが高い者には効果が無い。ダークはレベル100なので彼が使用すればどんな相手でもステータスダウンさせることができる。

 LMFで魔神の黒風を使う時には効果範囲内にいる味方のパーティーメンバーや仲間になっているNPCなどが対象にならないように自動で敵だけを選択して発動するが、ダークが今いる世界ではそんな自動で敵味方を判断するなどという効果は無い。ダークが自分で対象を決めて発動する必要があるのだ。だがダークは素早く対象を決め、味方であるアリシアたちが対象にならないようにし、ババルンたちだけに効果が出るようにしていた。更に風を受けた者には恐怖心が植え付けられ、ダークに対して恐怖を感じるようになる。


(……な、なんだ? 急に寒気が……あの黒騎士、いったい何をしたんだ……)


 自身に起きた異変にババルンは心の中で混乱する。突然自分の体に寒気が走り、ダークに対して恐怖を感じるようになった。これまで多くの人間を殺し、自分を捕らえようとしてきた騎士たちを叩きのめしてきた自分がたった一人の黒騎士に恐怖するなどあり得ないとババルンは感じる。だがそんな風に思っていても体の震えは止まらず、ババルンは冷や汗を流しながらダークを見ていた。

 ダークは震えているババルンを見ながら一歩前に出る。ダークが近づくとババルンは後ろに下がった。自分の意志では下がろうなどと考えていないのに足が勝手に動いてしまう。今のババルンには最初にダークをボロ雑巾のようにしてやろうと言っていた時の余裕の表情は見られなかった。

 恐怖のあまりどうすればいいのか分からなくなっているババルンはただゆっくりと下がっていく。すると、ババルンが後ろへ足を下げた次の瞬間、ダークがババルンに向かって走り出し、一瞬でババルンの目の前まで移動した。ババルンはあっという間に自分の目前に来たダークに驚き愕然とする。ダークはババルンが驚いて隙を見せた瞬間にババルンの胸にパンチを打ち込んだ。パンチを受けたババルンは大きく後ろへ飛ばされ、エントランスの壁に叩き付けられる。ババルンがぶつかった瞬間に壁は大きくひび割れ、轟音と衝撃がエントランスに広がった。


「があっ、がはあぁっ!?」


 何が起きたのか分からないババルンは胸の痛みに声を漏らし、僅かに吐血してうつ伏せに床に倒れる。ガーヴィンやメイド、執事たち、そしてメノルは大量殺人者であるババルンが一撃で吹き飛ばされた光景に目を丸くして驚く。アリシアたちも剣を使っていないダークがこんなに強かったのかと少し驚いた表情を浮かべている。

 倒れたババルンはゆっくりと起き上がり、掌底を受けた箇所を手で押さえながら咳き込む。たった一撃受けただけなのに体が言うことを聞かないくらいのダメージを受けたことにババルンは動揺する。そこへダークが近づいてきてババルンの前で立ち止まり、彼を見下ろす。座り込んだまま俯いているババルンは自分の正面に来ているダークに対して恐怖し、顔を上げることができなくなっていた。

 

「どうした? 弱いパンチ一発で動けなくなったのか? まぁ、今のお前は魔神の黒風でかなり弱くなっているからな。弱い攻撃も今のお前には命を落とすような強烈な一撃になっている。仕方の無いことだ」

「ま、魔神の……何を言っている……?」


 ババルンは顔を上げながら震えた声でダークに尋ねようとした。するとダークはババルンの質問に答えず、ババルンの顔を鷲掴みで持ち上げる。そしてゆっくりと顔を掴んでいる手に力を入れる。


「が、がああああああぁっ!」


 顔から伝わる痛みにババルンは声を上げながらダークの手首を掴んで顔を放させようとするがダークはババルンの顔を放さない。それどころがダークのアイアンクローはより強くなっていく。


「どうだ? お前もこうやって多くの人を甚振り、殺してきたんだぞ。少しは彼らの痛みを理解したか?」

「あああああっ! や、やめ……は、放……」

「やめろ? フッ、お前は自分が殺した者たちの命乞いに耳を傾けたことがあったのか? お前に命乞いをする資格など無い」


 そう言い放つとダークは更に手に力を入れてババルンの顔を握り、ババルンは更なる痛みに断末魔の悲鳴を上げ、指がめり込んでいる箇所からは出血し、ババルンは涙目になりながら声を上げ続けた。エントランスにいるメイドや執事たちもババルンの断末魔の悲鳴を聞いて震えており、メノルも緊迫した表情で汗を掻いている。

 やがてババルンの声がプツリと止まり、ダークの手首を掴んでいた手もだらりと力なく下に下がる。それを確認したダークはゆっくりと顔を掴んでいた手を放す。ババルンは糸の切れた人形のようにその場に倒れた。

 ババルンが倒れたのを見て戦闘が終わったのを確認したアリシアたちはダークの下に駆け寄り、動かなくなったババルンを見下ろす。ババルンは涙目のままピクリとも動かない。


「……死んじゃったの?」

「いや、気絶しているだけだ」

「どうして止めを刺さなかったの?」


 レジーナがババルンを殺さなかった理由を尋ねるとダークは失神しているババルンを見下ろす。


「……コイツを今此処で殺しても殺された者たちは浮かばれないし、その家族も喜ばん。コイツには処刑されるまで牢獄で過ごさせてしっかりと反省させる必要がある」

「今まで多くの人たちを殺してきた男よ? それで反省するとは思えないけど……」

「普通はな。だが、今回の戦いで私はコイツに殺される側の恐怖を植え付けた。自分がどれだけ恐ろしいことを多くの人々にやってきたのか、少しは思い知るはずだ」

「うわぁ~、怖いことするわねぇ、兄さん」


 ダークがババルンに精神的苦痛を与えたことにレジーナは苦笑いを浮かべる。だがこれでダークとの戦いでババルンは今まで感じたことの無い恐怖を植え付けられ、二度と人を殺して快楽を感じようとは考えなくなるだろう。ダークのおかげでこの国から一人の異常な心を持つ男が消えた。

 ババルンが倒れたのを見てメノルやエントランスにいたメイドや執事たちは安心する。メノルは残った黒幕のガーヴィンを捕らえようと彼がいた方を向く。ところがガーヴィンの姿はそこには無かった。


「ガーヴィンがいない!?」


 驚いたメノルが声を上げてエントランス内を探し、ダークたちもエントランスの中を見回した。しかし何処にもガーヴィンはいない。どうやらダークがババルンと戦い、アリシアたちが戦いを見守っている間にエントランスから逃げ出したようだ。


「おのれ! ガーヴィンめ、逃げ出したか!」


 一人で逃げたガーヴィンにメノルは歯を噛みしめて腹を立てる。するとダークはメノルの肩に手を置いた。


「心配ありません。すぐに見つかります」

「何を呑気な――」

「ギャーーーッ!」


 メノルがダークに言い返そうとした時、遠くからガラスの割れる音とガーヴィンの悲鳴が聞こえ、ダークたちは一斉に悲鳴の聞こえた方を向いた。


「ホラ、言ったとおりでしょう?」


 落ちついた態度で言うダークにメノルは思わずまばたきをする。ダークたちはガーヴィンを捕まえるために悲鳴の聞こえた方へ向かう。

 屋敷の一室では鞄を持ったガーヴィンが窓の前で座り込んで震えている姿があった。ガーヴィンの前にはダークが放ったカーペンアントが二匹、ガーヴィンを見て前脚の先に付いているのこぎりの刃と金づちの頭を光らせている姿がある。カーペンアントの後ろには割れている窓があった。どうやらさっきのガラスが割れた音はこの窓が割れた音だったようだ。

 ガーヴィンは腰が抜けたのか立ち上がろうとせずにただ震えて目の前にいる二匹の蟻の姿をしたモンスターを見ている。すると部屋の入口である扉が開き、メノルやダークたちが飛び込む様に入ってきた。


「ガーヴィン、見つけたぞ!」

「ひ、ひいいいぃ!」


 怒鳴り込んで来たメノルの声を聞き、ガーヴィンは振り返りながら驚きの声を上げる。メノルは座り込んでいるガーヴィンを見つけると鋭い眼光で睨みつけながら早足でガーヴィンに近寄り、胸倉を掴んで無理矢理立ち上がらせた。


「姫様との婚約が気に入らないというだけで彼女を暗殺しようとし、自分の計画がバレると大量殺人者を使って真実を知る者を抹殺させようとした。それなのに抹殺が失敗すると自分だけ尻尾を巻いて逃げ出す……貴様の行いはもはや万死に値する!」


 涙目で震えるガーヴィンを睨みながらメノルはナイフを取り、切っ先をガーヴィンに向ける。ガーヴィンはこれから自分は殺されるのだと感じ、ガタガタと震えていた。するとガーヴィンの下半身の辺りからアンモニアの臭いがする。ガーヴィンのズボンの股間の部分は濡れており、ガーヴィンが恐怖で失禁したのだとダークたちは悟った。

 そんなガーヴィンを気にもせずにメノルはガーヴィンを睨みつけながらナイフを持つ手に力を入れる。そしてゆっくりとナイフを持つ手を引いてガーヴィンをナイフで切ろうとした。するとメノルのナイフを持つ手をダークが掴んでメノルを止める。


「待ってください。この男には自分の犯した罪を長い時間を掛けて償わせないといけません。此処で殺してしまえばガーヴィンは犯した罪を償うこと無く消えてしまいます。それはコイツには非常に甘い罰です。ちゃんと裁判にかけ、牢獄で反省させることこそがコイツには最も効果的な罰だと私は思いますよ?」


 ダークはガーヴィンを殺そうとするメノルを説得し、掴んでいたメノルの手を離す。メノルはダークの方を向くとそのまま考え込む。

 しばらくするとメノルはナイフを持っていた手をゆっくりと下ろして静かにナイフをしまう。ナイフをしまい終えるとメノルは再びガーヴィンの方を向き、彼を睨みつけて勢いよくガーヴィンの顔を殴った。殴られたガーヴィンは飛ばされて仰向けに倒れ、そのまま意識を失った。どうやらメノルはガーヴィンを殺すのを止めたようだ。アリシアたちはメノルの行動を見て安心したのか小さく笑みを浮かべた。


「……この男は城に連行し、後日裁判にかける。その時は貴方がたにも裁判に出席してもらう」

「ええ、勿論」


 ダークはメノルの話を聞いて低い声で頷き返事をした。


「……ダーク、私は詰め所に行ってガーヴィンたちを連行するための騎士隊を連れてくる。此処を任せてもいいか?」

「ああ、任せろ。ただ、カーペンアントたちが見つからないように屋敷へ戻さないといけないからできるだけゆっくりと来てくれ」

「フッ、分かった。努力する」


 小さく笑いながらアリシアは部屋を出て騎士隊を呼びに行く。ダークも屋敷を包囲しているカーペンアントたちをこれから来る騎士隊に見られないようにするために隠しながら屋敷へ戻す準備に入る。レジーナとジェイクはメノルと一緒にガーヴィンの監視と屋敷の中の簡単なチェックを行う。

 騎士隊が到着する頃にはカーペンアントたちはガーヴィンの屋敷の敷地内から姿を消しており、ダークたちの姿だけがあった。騎士たちはアリシアに指示されて気絶していたガーヴィンとババルンを起こすと護送用の馬車に乗せる。ババルンはダークに植え付けられた恐怖のせいか抵抗すること無く震えながら馬車に乗せられた。そこにはかつて百人以上の人間を殺した大量殺人者としての面影は見られない。そしてガーヴィンもババルンと同じように震えながら馬車に乗り込む。こうして、コレット暗殺未遂事件はダークたちの活躍によって無事解決した。


――――――


 ガーヴィンを捕らえてから数日後、ガーヴィンの裁判が開廷した。王女であるコレットの婚約者でありながら、そのコレットが幼くて自分の妻に相応しくないから殺そうとしたというガーヴィンの馬鹿げた動機にマクルダムたち王族や他の貴族、そして裁判官や裁判を見に来ていた傍聴人である町の住民たちは呆れ果てた。

 自分勝手な理由でコレットを殺そうとしたガーヴィンの考えはあまりにも人道的でないと裁判官は判断し、厳しい処分を下す方向で裁判を進められた。その結果、ガーヴィンは牢獄での完全終身を言い渡され、ガーヴィンの父親であるラパルタン侯爵も息子であるガーヴィンが罪を犯したことから責任を取らされることとなり、ラパルタン家は財産の半分を没収させられ、爵位も降格させられることとなる。脱獄をしてガーヴィンに手を貸していたババルンも再び牢獄に戻された。

 裁判が終わるとダークたちはコレット暗殺の黒幕であるガーヴィンを捕らえることに協力したことでミュゲルの件、コレットを助けた件に続いて新たに恩賞を貰うことになった。冒険者であり、黒騎士であるダークが連続で恩賞を貰うという前代未聞の出来事はすぐにアルメニス全体に広がり、ダークは更に注目を集めるようになる。今ではアルメニスでダークの名を知らない者は誰もいなかった。


「……ようやく落ち着いたか」


 ダークは疲れたような口調で町の街道を歩いている。その隣ではアリシアが並んで歩いている姿があり、ダークの肩には子竜の姿のノワールが乗っていた。裁判が終わってから数日が経ち、町ではダークを見る者たちは憧れや驚きの視線を彼に向けている。少し前にも似たような経験をしていたダークはそんな住民たちの視線を受ける度に疲れを感じる。二日ほど前までは常にそんな視線を感じていたのだが、今では落ち着きが戻って町の住民たちの視線も少しだけ元に戻っていた。


「これで少しは視線を気にすること無く町を出歩けるというものだ……」

「毎日毎日町の人たちの視線を受けるのは精神的に辛いですからね」

「そういうことだ」


 肩に乗るノワールを見てダークは頷きながら同意する。そんな二人の会話を聞いていたアリシアは苦笑いを浮かべる。


「その気持ち、今なら分かる気がする。私も詰め所に行くと仲間の騎士や兵士たちからそんな視線を受けてコレット殿下をどんなふうに助けたのかとか、ガーヴィンが黒幕だと知った時どうだったかとか、そんな質問ばかりされていて困っていたんだ」

「アリシアさんも大変ですね……」


 アリシアを見てノワールも苦笑いを浮かべる。有名人となったダークたちにとって仲間や町の住民たちの視線は疲れを溜める面倒なものだった。

 隣でアリシアとノワールが会話をしているとダークは前を見ながら低い声でアリシアに語り掛けた。


「アリシア、その後、コレット様たちはどうしている?」


 突然コレットたちのことを聞かれてアリシアはふとダークの方を向く。そして真剣な顔でダークを見ながら口を開いた。


「マーディング卿から聞いた話では黒幕がガーヴィンだと知った時はかなり落ち込んでおられたらしいぞ」

「無理もない。自分が信じていた男、しかも婚約者から命を狙われていたと聞けば誰だって落ち込む」

「そうだな……だが昨日詰め所にメノル殿が来られた時にはコレット殿下は元気になったと聞いた。もう大丈夫だろう」

「それは何よりだ」

「……そういえば、あのカーペンアントたちはあの後どうしたんだ?」

「あのままアルメニスに隠しておくわけにもいかないからな。カーペンアントは全てボド村に送った」

「ボド村? 私たちが初めて出会ったあの村か?」

「そうだ。あの村は小さく人口も少ない。カーペンアントを使えばそれなりに住みやすい村になるだろう」

「大丈夫なのか? 村人たちを襲ったりしないのか?」


 アリシアはカーペンアントがボド村の住民たちを襲うのではないかと不安そうな顔で尋ねた。


「心配いりませんよ。カーペンアントたちはマスターの命令には逆らいません。マスターは彼らに村人たちに協力し、絶対に危害を加えるなと命令しましたから絶対に村人を襲ったりしません」

「そうか、それなら安心だな」


 ダークの肩に乗るノワールが村人たちの安全を保証するとアリシアはホッとしたのか微笑みを浮かべる。いくらダークが召喚した存在でもやはりモンスターである以上は完全には信用できなかったのだろう。

 それからしばらくダークとアリシアは静かな街道を並んで歩いた。何も話さずに黙って歩く二人をノワールは黙って見守っている。するとアリシアが突然ダークに問いかけた。


「……ダーク、ガーヴィンはコレット様を殺そうとした罰として牢獄で一生を過ごすことになった。だが、彼の家族は今後どうなるんだろうな?」

「さぁな……ガーヴィンは王族の暗殺を計画した男として国中にその名が知れ渡ることになる。当然奴は国中から大罪人として見られることになるだろう。その大罪人の身内である以上、ラパルタン家の人間も周りから冷たい目で見られる。しかも責任を取るということで財産の半分を没収されて爵位も低くなり周囲からの信頼も失ったんだ。没落貴族として生きていくはめになるだろう。周りからの冷たい視線に耐えながら生きていくか、人里を離れて静かな所で暮らすか……どちらにせよ彼らが今後苦労して生きていくのは間違いないだろうな」

「そう、だな……」

「自分の欲や都合で罪を犯せば自分だけでなく家族の人生までもが壊れることになる。自分の行動で周りにどんな影響が出るのか、それを考えながら生きていくことは人間としての責任でもある。アリシア、君もそのことを肝に銘じておけ」

「……ああ」


 自分の行動で自分だけでなく家族や周りの人間の人生も左右される。人間として生きていく以上は常に周りや先のことを考えて生きていかなければならない。それが人間として重要なことだとダークから聞かされたアリシアは強く頷く。暗黒騎士から生きていくことの責任を教わる聖騎士の姿はある意味で新鮮と言えた。


第五章終了で。次回から第六章に入りますので、次の更新までしばらくお待ちください。

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