第三百六話 決戦に備えて
アドヴァリア軍の最初の攻撃から一ヶ月後、大連合に参加している全ての国の貴族や軍事の責任者たちはアドヴァリア軍、ジャスティスの軍団との戦い方や今後の方針を決めるために忙しい日々を過ごしている。しかし、最近は開戦直後よりも忙しくなっていた。
三週間前、大連合に参加する全ての国に大陸の東側、ビフレスト王国の近くにジャスティスの所有物である浮遊島が出現したことが知らされ、全ての国の王族や貴族たちは驚愕した。ジャスティスが強力な力を持ち、優れたモンスターを配下に置いているだけでも驚いているのに、空に浮く島まで所持していると聞けば驚くのは当然だ。
大連合に参加する各国は浮遊島にジャスティスの本拠地があり、そこからモンスターが現れて攻撃してくる可能性があるとビフレスト王国から聞かされるとこれまで以上に警戒し、各拠点の護りを固めた。
浮遊島が出現したことで各国の兵士たちの中にはジャスティスの力を恐れ、士気を低下させる者も出てきていたが、王族や貴族たちが勇気づけたことで何とか士気が低下せずに済んだ。しかし、それでも不安を感じる者はまだ残っており、王族や貴族たちは兵士たちの士気が低下しないよう注意することにした。
士気に多少の変化が生じるも各国は敵との攻防を繰り広げていた。どの戦場でもどちらかが一方的に敵を押したり、敵に押されたりされている状態ではなく、互角と言っていい戦況だ。
セルメティア王国はビフレスト王国と隣接するくにであるため、大連合に参加する国の中でビフレスト王国と同じくらい浮遊島を警戒した。マクルダムは騎士団や冒険者たちに町や村の防衛に力を尽くすよう伝え、特に浮遊島に近い町や村には多くの戦力を送るよう指示を出す。騎士団と冒険者ギルドもその指示に従い、それなりの実力者を派遣した。
マルゼント王国は浮遊島、そしてアドヴァリア軍から最も距離があり、危険性が低いことから他の国への戦力の派遣や物資の補給に力を入れている。実際、マルゼント軍の魔法使いたちや支援物資は非常に役に立っており、最前線で戦う他国は何度も助けられていた。
デカンテス帝国とエルギス教国は連合の中でアドヴァリア聖王国と隣接しているため、戦力をアドヴァリア聖王国側に集中させて防衛線を張り、進軍してくるアドヴァリア軍の迎撃をしている。同時にアドヴァリア聖王国の動きを常に監視し、隣接していない他国に細かく情報を送っていた。
そんな二国の軍に対し、アドヴァリア聖王国も軍を二つに分けて進軍させており、何とか他の国へ侵攻するための経路を確保しようとしている。しかし、戦力的に勝っている帝国軍とエルギス軍に勝利することは難しく、アドヴァリア軍は進軍に苦労していた。
戦力で帝国軍やエルギス軍より劣っているアドヴァリア軍はジャスティスの軍団から強力な力を持つモンスターを借りて進軍しようともしたが、帝国軍とエルギス軍にもビフレスト王国が派遣した青銅騎士たちやモンスターの部隊がついているため、どうしても戦力を上回ることができず、防衛線を突破することもできなかった。
何度もアドヴァリア軍の進軍を阻止したデカンテス帝国とエルギス教国は戦況から逆にアドヴァリア領に攻め込むチャンスと感じ、両国の貴族は何度がアドヴァリア領に進軍しようと考える。
だが、アドヴァリア聖王国がジャスティスからどれだけのモンスターを与えられ、そのモンスターがどんな能力を持っているのか分からない以上、下手に敵領内に侵入するのは無謀だとバナンとソラは判断し、仕方なくこれまでどおり、国境近くや中間にある荒野で迎撃を続けていた。
アドヴァリア軍の進軍はデカンテス帝国とエルギス教国によって阻止されていたが、ジャスティスの軍団はアドヴァリア聖王国とは正反対、ビフレスト王国の東側の海上に浮遊島を停止させ、そこから飛行可能なモンスターを出撃させてビフレスト王国やセルメティア王国、エルギス教国の東部に襲撃させている。勿論、一度傘下に入ることを拒んだリーテミス共和国も攻撃させていた。
襲撃を受けた全ての国は全力で進軍してきたジャスティス配下のモンスターたちを迎撃する。幸い攻め込んで来たモンスターたちは全て低レベルだったため、大きな被害を出すことなく勝利することはできた。
しかし、一度迎撃に成功してもしばらくすると再び進軍してくるため、襲撃を受ける国の兵士たちはちゃんとした休息を取ることができずにいる。それらを計算し、各国は襲撃してくるモンスターたちの迎撃対策を練ることにした。
――――――
ビフレスト王国の首都バーネスト、その王城の廊下をアリシアは一枚の羊皮紙を見ながら歩いている。アリシアの後ろには静かに後をついて行くファウの姿があり、その手には丸められた無数の羊皮紙があった。
「……東側の拠点はかなりのダメージを受けているようだな」
「ハイ、やはり浮遊島に近いのでそこから出現するモンスターたちに真っ先に狙われてしまうのだと思います」
ファウは難しい顔をしながら答え、アリシアは悔しそうな顔をしながら羊皮紙を持つ手に力を入れる。アリシアが手に力を入れたことで羊皮紙には僅かにしわが入った。
アリシアはファウから大連合に参加する各国の戦況とジャスティスのモンスターによるビフレスト王国の被害報告を受けていた。ダークの代行であるアリシアは多忙であるため、移動しながら報告書である羊皮紙の内容を確認していたのだ。
歩きながら羊皮紙を黙読していたアリシアは立ち止まってファウの方を向く。ファウもアリシアにつられるように立ち止まり、少し驚いた顔をしながらアリシアを見た。
「テラーズの町から被害を受けている拠点に増援の部隊を送らせろ。あの町なら戦力には余裕があるはずだ」
「確かにテラーズには戦力は十分ありますが、一番被害の大きい町まではかなり距離があります。増援部隊が到着する前に落とされる可能性が……」
「なら、被害を受けた拠点の近くで戦力に余裕のある拠点から少し戦力を回せ。そうすれば増援部隊が到着するまでの時間は稼げるはずだ」
「分かりました」
ファウが返事をするとアリシアは持っていた羊皮紙を丸めてファウに渡す。羊皮紙を受け取ったファウは代わりに自分が持っていた別の羊皮紙をアリシアに手渡した。羊皮紙を受け取ったアリシアは羊皮紙を広げて中身を確認し、ファウはそんなアリシアを黙って見つめている。
ダークが行方不明になってから今日で三週間が経過し、アリシアはその間、ダークの代行としてビフレスト王国の軍事、政治に関する全ての職務を熟していた。アリシアがダークの仕事を代わりに熟するため、ビフレスト王国の一部の貴族や騎士たちにはダークがジャスティスとの戦闘で負傷し、静養中であるという嘘を伝えてある。そのため、アリシアはダークの代行としてなんの問題無く仕事ができた。
総軍団長として軍の編成や派遣先の決定なども決めなくてはならない上にダークの仕事も熟さなくてはならないアリシアは疲労を感じているに違いない。しかし、アリシアはダークやビフレスト王国のためにも愚痴などこぼしていられないと仕事を熟していく。
ハードスケジュールを熟していくアリシアに対して、近くにいるファウやレジーナたちは無理をしていないかとアリシアが働く姿を見る度に不安を感じていた。
「……あの、アリシアさん? この数日の間、殆ど休まずに仕事をなさっていますが、体は大丈夫ですか?」
ファウが心配そうにアリシアを見ていると、アリシアはファウの方を向いて小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。一週間前からこの調子で働いているが、殆ど疲れは感じていないんだ」
「そ、それってちょっとマズいんじゃないですか? 疲れを感じないってことはそれだけ感覚が悪くなってるってことじゃ……」
「心配するな。自分の体のことは自分がよく分かってるつもりだ」
アリシアは笑いながらそう言うと、場所を移動するために歩き出そうとした。すると、突然足元からふらつき、アリシアはバランスを崩してて倒れそうになる。
ファウはアリシアがふらつくのを見ると持っている羊皮紙を捨て、慌ててアリシアを支える。ファウが咄嗟に支えてくれたおかげでアリシアは倒れずに済んだ。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ、すまない。ちょっとクラッときただけだ……」
支えてくれるファウに苦笑いを浮かべながらアリシアは礼を言い、ファウはアリシアの顔を見ると明らかに体力に限界が来ていると直感した。
三週間前から働き続け、疲れは感じていないと言うのにふらついて倒れそうになる。アリシアは自分でも気づかないうちに体力に限界が来るまで働いていたのだ。ファウはアリシアをこのままにしておくのは危険だと感じる。
「……アリシアさん、仕事はここまでにして今日はもう休んだ方がいいです」
「何を言っているんだ。今は戦争中で何処も人手が足りていないんだぞ? そんな状態で総軍団長であり、ダークの代行である私が休むなんてできないだろう」
仲間たちが必死に戦い、働いているのに自分だけが休んでなどいられない、アリシアはダークの代行を任されている身として休むことなく職務を全うしなくてはならないと考えている。そのため、自分が休もうなどとは微塵も思っていなかった。
アリシアはファウに支えられながらなんとか体勢を直して軽く深呼吸をする。そんなアリシアを見たファウは目を細くしながらアリシアを見つめ、やがて軽く溜め息をついてアリシアの頬を両手で軽く摘まんだ。
「それが間違いだって言ってるんですよ」
「ふおぉ? ふぁ、ふぁふ?」
いきなり頬を摘まみながら説教をするファウにアリシアは驚いてまばたきをする。ファウは頬を摘まんだままジッとアリシアを向かい合う。
「いいですか、アリシアさん? 確かにダーク様の代行を任されている貴女にはダーク様が戻ってくるまでこの国を護る義務があります。ですが、貴女が倒れてしまっては元も子もないんですよ」
「ほ、ほれはほうらが……」
「ダーク様が行方不明になっている今、貴女まで無理をして倒れてしまってはこの国は本当に機能しなくなってしまいます」
「ふ、ふむ……」
珍しく真剣な顔をするファウに驚いたアリシアは言い返すことなくファウの話を聞いていた。
「ダーク様が不在で必死になっているのは分かります。ですが、この国を護るため、そしてジャスティスやアドヴァリア聖王国と戦うためにもアリシアさんには健全な状態でいてもらわないと困ります。もっと自分の身を大事にしてください」
ファウの僅かに力の入った言葉にアリシアは黙り込む小さく俯いて考え込む。
確かに自分はダークがいなくなったことでダークがいない分、必死に職務を全うし戦いで有利に立てるようにしようと考えていた。そのためなら多少無理をしても問題なく、自分が疲労で倒れそうになっても大丈夫だとアリシアは思っていたが、ファウの言葉で自分が知らず知らずのうちに仲間に迷惑をかけていたこと、自分の行動がファウや他の者たちを不安にさせていたのだと気付いたのだ。
しばらく俯いて考え込んでいたアリシアはゆっくりと顔を上げ、ファウの顔を見ながら真剣な表情を浮かべる。
「……ほう、だら。たひかにわたひはふこひふりをひていはかもひれない」
「フゥ、少しじゃなくて、かなり無理をしていましたよ?」
ファウは自分の考えを理解してくれたアリシアを見ながら苦笑いを浮かべ、そんなファウを見てアリシアも思わず苦笑いを浮かべる。
普段は総軍団長とダーク直轄の騎士であるアリシアとファウも歳の近い女同士、プライベートや今のような状況では遠慮することなく自分の思いを打ち明けたりしていた。
「ほれはほうと、ほろほろへをはなひへふれはいか?」
何時までも自分の頬を指で摘まんでいるファウにアリシアは離してほしいと伝え、それを聞いたファウはハッと状況を思い出してアリシアの頬を離した。
「す、すみません」
「いや、私こそすまなかった。知らず知らずのうちにお前たちに迷惑をかけていたとは……」
自分の過ちを認め、アリシアはファウに謝罪する。ファウは理解してくれたアリシアを見て安心したのか小さく笑みを浮かべた。
「お前の言うとおり、今後のためにも今日は休んだ方がよさそうだな」
「その方がいいと思いますよ」
何処からか声が聞こえ、アリシアとファウはフッと声の聞こえた方を向く。そこには少年姿のノワールが微笑みながら二人の方に歩いて来る姿があった。
「ノワール、聞いていたのか?」
「ええ、一部始終ですけど」
ノワールはアリシアとファウの目の前までやってくるとアリシアを見上げながら顔色を窺い、アリシアの顔色がいつもと僅かに違うことを確認した。
「アリシアさんは今日までマスターの仕事と総軍団長の仕事の両方を熟してくれました。おかげでこの国はジャスティスさんの軍団やアドヴァリア聖王国と戦える状態を保つことができています。しかし、アリシアさんが倒れてしまってはその状態を保つこともできず、貴族たちも混乱して一気にこの国の状態は悪化してしまうでしょう」
「ああ、さっきもファウに同じことを言われたよ」
アリシアに苦笑いを浮かべながらファウに言われたことをノワールに伝え、ファウもアリシアを見ながらうんうんと頷いた。
ノワールはアリシアの姿を見て、国王としての仕事に熱中するダークとそんなダークを注意するアリシアを思い出す。そして、同時にアリシアはダークにどこか似ているなと感じて小さく笑った。
「ですから、アリシアさんはもう少し休んで疲れを取ってください。幸い、アリシアさんが今日まで無理をして仕事をしていたおかげで少しだけ余裕があります。二三日はのんびり寛いでも大丈夫だと思いますよ」
「そうか……」
それならゆっくり休ませてもらおう、アリシアはそう言いたそうに笑いながら目を閉じて持っている羊皮紙を静かに丸める。ファウはアリシアが休憩を取ると分かると自分が落とした羊皮紙を拾い始めた。
全ての羊皮紙を拾い上げるとファウは羊皮紙に付いている埃などを払い落としてから一枚ずつ丸めていき、全ての羊皮紙を丸めるとアリシアが持っている羊皮紙を受け取った。
「それはそうとノワールさん、いつバーネストに戻ったんですか?」
ファウはノワールの方を向いて意外そうな顔で尋ねる。アリシアもファウの言葉を聞いて同じような表情を浮かべてノワールを見た。
実はノワールは五日ほど前に特別な用があるからと言ってバーネストを出発し、今日まで留守にしていた。どんな用なのかはアリシアたちも教えられていないが、ノワールはジャスティスたちと戦うためにどうしてもやらなくてはならない事とだけ伝え、アリシアたちにバーネストとビフレスト軍のことを任せて出掛けていったのだ。
「ついさっきです。アリシアさんに用事が片付いたことを知らせようと探していたら、お二人の会話が聞こえたので……」
「片付いた? それじゃあもう戻ったりはしないんですか?」
「ハイ」
ノワールはファウを見上げながら微笑んで頷く。
この五日間の間、ノワールはビフレスト王国の現状を確認するために何度か戻って来ていたが、現状の確認が終わるとまだ用事が終わっていないと伝えて再びバーネストを出ていってしまい、アリシアたちはノワールが何をやっているのか分からずにいた。
「ノワール、この五日間、いったい何処で何ををしていたんだ? 用事が済んだのなら教えてほしいんだが?」
アリシアは戦争中にもかかわらず五日間もバーネストを離れるほどの用事とは何なのか気になりノワールに尋ねる。ファウも正直なところ、何をしていたのか気になり、興味のありそうな顔でノワールを見ていた。
二人に見られる中、ノワールは視線を逸らしながら自身の後頭部を手で掻き、それを見たアリシアは説明することを躊躇するほどのことなのか、と思いながら目を僅かに細くする。
「ノワール、何か私たちに言えないことを隠しているのか?」
「え~っと、それはですねぇ……」
ハッキリと語らないノワールをアリシアはジッと見つめながらゆっくりと顔を近づける。そんなアリシアに威圧されたのかノワールは苦笑いを浮かべながら微量の汗を流し始めた。ファウはノワールが汗を流すのを見て珍しく思い、それほど重要な用事なのかと感じる。
ノワールはしばらくアリシアに見つめられていると、観念したのか軽く溜め息をついてアリシアとファウの方を見る。
「……実は、レベルを上げに行ってたんです」
「レベルを上げに?」
予想していなかった答えにアリシアは意外そうな顔をし、ファウも少し驚いたような顔で苦笑いを浮かべるノワールを見た。それと同時に二人はノワールがレベル上げをすることに疑問を懐く。
既にレベル94で強大な強さを持っているノワールがなぜ今になってレベル上げをしているのか、アリシアとファウは不思議で仕方がなかった。
不思議に思うアリシアとファウを見たノワールは自分がレベル上げをする理由が分かっていないと気付いて説明することにした。
「お二人もご存じのとおり、僕はレベル94と並の敵には負けない強さを持っています。ですが、今度の敵はマスターと同じレベル100のジャスティスさんとその配下のモンスターです。そして、ジャスティスさんの使い魔であるハナエさんもレベル100です」
ノワールがハナエのレベルを口にした瞬間、アリシアとファウは目を見開く。そして、どうしてノワールがレベル上げをしていたのか、その理由にも気付いた。
「もしかして、ジャスティスやハナエと互角に戦えるようにするためにレベル上げに出かけてたんですか?」
「ハイ……レベル100と94なら数字からして大して力に差はないと思われそうですが、実際は多くな差があります。正直、レベル94の僕ではハナエさんと戦っても勝てるか可能性は低いでしょう」
「そ、そんなに強いの? ハナエって……」
「ええ」
真剣な表情を浮かべて頷くノワールを見てファウは驚き、アリシアもハナエが予想していたよりも手強い相手だと聞かされて目を鋭くした。
「彼女と互角の戦いをするには僕もレベル100にならないといけません。それだけ力の差があるんです」
「そ、そうなんですか……」
「……それで、今のお前はどれだけレベルが上がったんだ?」
アリシアが現在のレベルが幾つなのか尋ねるとノワールはアリシアの方を向いて小さく笑う。
「勿論、100までいきました。セルメティア王国で活動していた時に使っていた屋敷の地下でしっかりとレベルを上げてきましたから、これでハナエさんとも互角に戦えます」
「そうか……」
ノワールが最大までレベルを上げたと聞いたアリシアは安心したのか笑みを浮かべ、ファウも軽く息を吐いて少しだけ緊張を解いた。
例えレベルをジャスティスたちに近づけてもアリシアたちは戦士、魔法使いであるハナエと戦っても勝てる可能性は低い。魔法使いと互角に戦うには同じ魔法使いが戦うしかない状態だった。つまり、現段階でハナエとまともに戦えるのはノワールのみということになる。
そのため、ノワールがレベル100までレベルを上げてくれたことにアリシアとファウは心強さを感じていた。無論、ハナエと戦わなくてはならない状況になれば彼女たちも戦うつもりで入る。しかし、ノワールがハナエと戦えるのなら、ノワールに任せたいと思っていた。
「レベル100になったのなら、ハナエに勝つことができるのか?」
「分かりません。ハナエさんは僕と違って全ての属性の魔法を使うことができます。そのため、僕よりも使える魔法の数が多いんです。更に彼女は神格魔法が使える上、使い魔の中でも魔法に優れたフェアリーです。こちらが有利に戦えることはまず無いと思います」
ノワールの口からハナエの強さや使える魔法の数が多いことを聞かされたアリシアは表情を僅かに引きつらせ、ファウも驚くの反応を見せる。ハナエと唯一まともに戦うことができるノワールが弱気な様子なのを見て再び焦りを感じ始めたようだ。
「……でも、負ける気はありません。ハナエさんと戦うことになれば、全力でぶつかり、必ず勝ちます」
「……ッ!」
アリシアはノワールの言葉を聞いて大きく目を見開いた。ノワールの言葉がジャスティスと戦う直前にダークが言った言葉に似ていたため、ダークが敗北した光景が頭の中に蘇ったようだ。
必ず勝つ、そう言っていたダークがジャスティスに敗北して海へ落ちていったのを思い出したアリシアはノワールがダークと同じ末路を辿るのではと俯きながら不安を感じる。それに気付いたノワールは不思議そうな顔でアリシアの顔を覗き込む。
「アリシアさん、どうかしましたか?」
「……ノワール、一つだけ約束してほしい」
「何ですか?」
ノワールが小首を傾げながら尋ねると、アリシアは顔を上げて真剣な表情でノワールを見つめる。目を僅かに鋭くして自分を見るアリシアにノワールは驚いて目を軽く見開く。
「もし命の危険を感じたら、無理して戦わずに必ず後退してくれ。間違っても刺し違えるような行動は取らないでほしい」
無茶な行動はしないでほしいと懇願するアリシアを見て、ノワールはアリシアがダークが敗北した時のことを思い出したのだと気付く。ファウもアリシアの考えていることに気付き、気の毒そうな顔でアリシアを見る。
ダークの敗北を目の前で見た挙句、助けることができなかったアリシアにとっては仲間が敗れるのは何よりも辛いことなのだと感じたノワールは無言でアリシアを見つめ、しばらくすると小さく笑い出した。
「……分かっています。無理はしませんから、安心してください」
「約束してくれ? お前にまでもしものことがあったら、私はダークに顔向けできない」
「大丈夫ですよ……そう、大丈夫……」
微笑みながらノワールはアリシアを安心させようと優しく声を掛ける。そんなノワールを見たファウはノワールが何かを喜んでいるように見え、不思議そうな顔でノワールの笑顔を見た。
「そう言えば、マスターの捜索はどうですか?」
ノワールがダークの捜索状況について尋ねるとアリシアとファウは真剣な表情を浮かべた。
「今も捜索を続けていますが、ダーク様は未だに見つかっていません」
「そうですか……確か捜索部隊は蝗武さんたち高レベルモンスターと精鋭の騎士で構成されていたんでしたっけ?」
「ハイ、捜索能力の高い部隊ですが、それでも情報を得られずにいるようです。詳しい内容はここに書いてあります」
ファウは自分が持っている羊皮紙の一つをノワールに差し出し、受け取ったノワールは羊皮紙を広げて書かれてある内容を黙読する。
羊皮紙にはダークが落下した海の中や近くの陸地、周辺の森などを中心に地上と空中から調べていること、何時何処を調べているかなどが詳しく書かれてあった。海から陸に上がったダークが近くの町や村にいる可能性もあると考えて拠点も調べてはいるが、ダークの情報は得られていないと記録されている。
ノワールは羊皮紙の内容を確認すると静かに羊皮紙を丸め、目を閉じながら軽く息を吐く。アリシアとファウはノワールの様子から、ダークが見つかっていないことを残念に思っていると感じて気の毒そうな顔をしていた。
「……アリシアさん、捜索部隊をもう少し大きく再編成したらどうですか? そうすればダーク様を見つけやすくなると思いますが……」
「それは難しいな。現在、我が軍の戦力はジャスティスの軍団と互角に戦えるようギリギリまで細かく編成してある。少しでも別の部隊に回せば他の戦力とのバランスが崩れ、戦いの時に不利になってしまう」
「そ、そうなんですか……」
自分が思っていた以上にビフレスト王国の戦力には余裕が無いことを知ったファウは驚く。少しでも早くダークを見つけられるよう捜索部隊を編成すれば戦力のバランスが崩れて戦いで不利になってしまう。そうなれば自分たちが戦いで負ける可能性が高くなってしまう。
もし戦いで負ければダークを捜索することもできなくなってしまう。そう考えたファウはダークの捜索を続けられるようにするため、ビフレスト王国を護るために捜索部隊の編成に変更しないと言うアリシアの考えに異議を上げずに納得した。
「とにかく、捜索部隊は再編成せずにこのままマスターの捜索を続けてもらいましょう。僕らはジャスティスさんの浮遊島と彼の軍団を警戒しながら拠点を護り、マスターが見つかるのを待ちましょう」
「ああ、それがいいだろうな」
ダークが見つかるのを信じて待つと言うノワールの考えにアリシアも賛成し、今は自分たちのやれることをやろうと考える。アリシアとノワールの姿を見たファウは二人はダークが無事なのを心から信じていると感じ、改めて二人に感服した。
捜索部隊の編成について話が終わると、ノワールは持っていた羊皮紙をファウに渡した。
「さてと、アリシアさんが休むと言うことで、アリシアさんの仕事は僕が代わり引き受けます。ファウさん、まだ見ていない羊皮紙を……」
「アリシア総軍団長!」
ノワールがアリシアの代行を引き受けようとした時、背後から男の声が聞こえてきた。三人が一斉に声が聞こえた方を向くと、慌てた様子で走ってくる中年のエルフのビフレスト騎士の姿が視界に入る。
エルフのビフレスト騎士はアリシアたちの前までやって来ると両手を膝に付けて息を乱す。様子からして相当急いで来たようだ。三人もエルフのビフレスト騎士の様子から、何か問題が発生したと直感していた。
「どうした、何が遭った?」
「先程、セルメティア王国に派遣された部隊の者から緊急の報告が……」
「緊急の報告?」
「セルメティア王国の都市の一つであるジェーブルの町が例の聖騎士の配下と思われる大部隊の襲撃を受けて苦戦しているとのことです」
ジャスティスの軍団がセルメティア王国の町の一つを襲撃していると聞かされたアリシアたちは一斉に目を鋭くした。
「ジェーブルの町と言えば、セルメティア王国がジャスティスさんの軍団を迎撃するために防衛線を張っている町ですよね?」
「ハ、ハイ、一時間ほど前に進軍してきた敵部隊の攻撃を受け、現在も交戦中とのことです」
エルフのビフレスト騎士の報告を聞いてアリシアたちは難しい表情を浮かべながら考え込む。
これまで何度も同盟国の戦況報告を聞かされていたが、その内容の殆どが進軍してきた敵の先遣隊や偵察隊との戦闘やその結果についてだった。そして、戦いの全てに同盟国の軍は勝利しているため、アリシアたちは殆ど気にせずに報告を聞いていたのだ。
そんな中、ジャスティスの軍団がセルメティア王国の町を襲撃し、セルメティア軍が苦戦しているとエルフのビフレスト騎士から聞いたため、アリシアたちは少しだけ意外に思っていた。
「まさかジェーブルの町にまで進軍するとはな……それで敵部隊の規模は?」
「報告した者によると二個大隊ほどの戦力だそうです」
「その程度ならジェーブルの町の防衛部隊でも十分戦えるだろう。それなのになぜ苦戦を?」
アリシアは慌ててセルメティア軍が押されている理由が分からず、改めてエルフのビフレスト騎士に尋ねる。すると、エルフのビフレスト騎士は僅かに深刻そうな表情を浮かべて口を開いた。
「報告によると、敵部隊の中に他のモンスターとは明らかに雰囲気の違うモンスターがおり、そのモンスターの指揮で動く敵は手強く、苦戦を強いられているそうです」
「雰囲気の違うモンスター、指揮を出していることから、そのモンスターにはそれなりの知性があるようだな……その指揮を執るモンスターとはどんな奴だ?」
「モンスターの名前までは分かりませんが、白い全身甲冑と兜を装備し、背中から四枚の天使の翼を生やしたモンスターだったそうです」
『!?』
エルフのビフレスト騎士から指揮官であるモンスターの特徴を聞いたアリシアたちは一斉に驚愕の表情を浮かべる。
アリシアたちは敵部隊の指揮を執っているのが上級モンスターの一体、ミカエルだと直感した。
今回が今年最後の投稿です。次回は年が明けてからしばらくして投稿する予定となっています。それまでしばらくお待ちください。今年もありがとうございました。
皆様、良いお年を。