第二十九話 憤怒のアリシア
マティーリアを睨み付けるアリシアは怒りで肩を震わせる。彼女にとってマティーリアは自分の部下たちを殺したいわば仇、その仇を目の前にして黙っているなどアリシアにはできなかった。
自分を睨むアリシアをマティーリアは黙って見つめる。しばらく見ていると目の前にいる聖騎士の美女があの時自分が襲った部隊の中にいたのを思い出す。
「ほぉ? お主、あの時の小娘か。まだ騎士をやっていたとはな」
「……それはどういう意味だ?」
「なぁに、部下を見殺しにした自分は騎士でいる資格などないと考えて騎士を辞めたのではないかと思ってな」
「き、貴様!」
笑いながら挑発してくるマティーリアにアリシアの表情は更に険しくなった。アリシアの後ろではダークが黙ってアリシアを見守っている。マティーリアの挑発に乗っていつアリシアがマティーリアに切りかかろうとしても止められるように注意していた。
怒りの籠った目でマティーリアを睨み付けるアリシアとそんなアリシアを愉快そうに笑って見ているマティーリア。二人の間には緊迫した空気が漂い、いつ戦闘が起きてもおかしくない状態だった。
「部下一人助けられずに生き恥を晒しておきながら騎士を辞めずにまだこんなことをしておるとは、お主も意外と冷たい女じゃのう」
「クッ!」
我慢の限界が来たのかアリシアはエクスキャリバーの柄を握り、マッティーリアに向かって走り出そうとした。だがダークが素早くアリシアの肩を掴んで彼女を止める。
マティーリアを睨みつけながらアリシアは前へ進もうとするが、ダークに止められているせいで全く動けない。アリシアは自分の肩を掴んでいるダークの手を解こうとするが、ダークは手を放そうとしなかった。
「離してくれ、ダーク!」
「落ちつけアリシア。怒りに呑まれて冷静さを失えば勝てる相手にも勝てないぞ」
ダークは感情的になっているアリシアを落ち着かせ、アリシアは悔しそうな顔をしながら体の力を抜きエクスキャリバーから手を放す。すると冷静さを取り戻したアリシアを見てマティーリアは鼻で笑った。
「挑発に乗って感情的になった挙句、黒騎士にそれを止められるとは、お主は聖騎士としても部隊の隊長としても情けない女じゃな?」
再び挑発するマティーリアにアリシアはまた表情を鋭くしてマティーリアを睨む。そんなマティーリアの態度にダークもいい加減に不快な気分になったのかマティーリアを睨みながら目を赤く光らせた。
「……さっきから聞いていると、どうやらお前は相当人を馬鹿にするのが好きなようだな?」
「んん? それがどうかしたか?」
「いや、見た目と同じでお前の頭の中は幼稚なのだなど思っただけだ」
「……フッ、安い挑発じゃな。そんな挑発をする時点でお主も相当幼稚じゃと思うがな」
「ああ、私は幼稚だ。だからお前のような存在を見ていると無性に腹が立つのだ」
「ほほぉ、自分で自分を幼稚と認めるか。そっちの聖騎士の小娘と違い、少しは利口ということじゃな」
チラッとアリシアを見ながらまたさり気なく彼女を侮辱するマティーリア。アリシアは歯を噛みしめながら必死に挑発に耐えている。
「……それで? お前はいったい私たちになんの用なのだ? どうして私たちの前に現れた?」
ダークはこれ以上アリシアを挑発させるのはよくないと考えたのか、話を切り替えるのと同時にマティーリアに自分たちの前に現れた理由を改めて尋ねた。マティーリアは真剣な表情を浮かべてロンパイアの切っ先をダークたちに向ける。
「さっきも言ったじゃろう? お主に復讐するためじゃ。妾に深手を負わせた怨みを晴らすため、そしてお主とお主の仲間たちによって倒された妾のワイバーンたちの仇を討つためにな」
「ワイバーン? 怨みを晴らすというのは分かるがなぜワイバーンを殺されたことでお前が私たちに復讐をする?」
グランドドラゴンであるマティーリアとワイバーンがどう繋がっているのか分からないダークは疑問を抱く。ノワールやレジーナ、ジェイクも不思議そうな顔でマティーリアを見ていた。マティーリアはロンパイアを引いて肩に担ぎながら小さく笑う。
「あのワイバーンどもは妾が今後活動するための手足として利用しようと思っておったのじゃ。ドラゴンの中でも機動力に長けているワイバーンはいろいろと使いやすいからのう。妾の言うことを聞くように苦労して調教したのじゃ」
「ワイバーンを調教だと?」
「そんなことができるのかよ?」
ワイバーンを手懐けるために調教をしたというマティーリアの言葉にダークは意外そうな声を出し、ジェイクも目を見開きながら驚いた。
いくらマティーリアがグランドドラゴンだとは言え、今は人間の少女の姿をしている。そんなマティーリアを見てワイバーンが大人しく調教されるとは思えない。寧ろ餌が来たと思って襲い掛かってくるはずだ。
「フフフフ、妾にはできるのじゃ。今は人間の姿をしておるが、妾は元は偉大なグランドドラゴンだったのじゃぞ? ドラゴンと会話をすることぐらいできるわ!」
「ドラゴンと会話?」
笑いながら自慢げに話すマティーリアを見てダークは呟いた。確かに普通の人間ならワイバーンの前に出た途端に襲われるが、ドラゴンと会話できるのであればいきなり襲われることは無い。人間の姿になってもグランドドラゴンの力を失わなかったマティーリアだからこそできることだ。本来のドラゴンの力を持ったまま人間の力を得て更にドラゴンと会話までできるマティーリアを見てダークたちはよりマティーリアはとんでもない存在だと感じた。
マティーリアの驚きの能力にダークたちが驚いているとマティーリアは再び真剣な顔をしてダークを見つめながら彼を指差す。
「妾はワイバーンたちを調教し終えたら奴らを率いてこの国中を飛び回り、お主を探すつもりじゃった。そして、お主を見つけた時に妾と妾が手懐けたワイバーンでお主を八つ裂きにして怨みは晴らすつもりだった」
「だが、そのワイバーンは私と私の仲間たちによって全滅した……」
「フッ……しかしこうしてお主と再会できるきっかけを作ってくれた。そのことを考えればワイバーンどもも多少は役にたったと考えるべきじゃな」
「……そんな軽い見方をしているワイバーンの仇をなぜ討とうなどと考える?」
「お主を殺した後には妾の食料調達のためにワイバーンどもを使おうと思っておった。その手足であるワイバーンを殺されたのじゃ。手足を奪ったお主らを許すわけにはいかんのでな」
笑いながらワイバーンを軽く見る発言をするマティーリアにダークやアリシアたちは不快な気分になる。
自分の目的のためにワイバーンたちを調教して利用しようと考えていた上に死んでも虫が死んだ程度にしか感じておらず、ワイバーンたちを便利な道具のようにしか考えないマティーリア。それを見てダークたちは目の前の少女は危険だと直感する。
「さて、お喋りはこれぐらいにして、早速復讐を始めようかのう。黒騎士よ、まずは妾の左目を潰し、屈辱を与えたお主から始末することにしよう。さっさと剣を抜いて構えよ!」
勝手に話を進めてロンパイアを構えるマティーリアを見てダークは小さく舌打ちをする。面倒だがマティーリアをこのままにしておくと後で大変なことになると考えたダークはマティーリアを此処で倒すことにした。背負っている大剣を握って前に出ようとするダーク。すると、ダークが大剣を抜くよりも先にアリシアがエクスキャリバーを抜き、マティーリアを睨みながら切っ先を彼女に向ける。
エクスキャリバーを抜いたアリシアを見てダークたちは一斉に彼女を見つめる。マティーリアもアリシアをつまらなそうな顔で黙って見ていた。
「……貴様の相手は私がする!」
「アリシア?」
いきなりマティーリアと戦うと言い出したアリシアを見てダークは意外そうな声を出す。アリシアはマティーリアを睨んだまま動かした。
「ダーク、コイツの相手は私にさせてくれ」
「何?」
「コイツは私の部下たちを殺した仇だ!……私は隊長として部下たちを助けることができずに生き恥を晒してしまった。生き残った者として、私は彼らの仇を討ちたい! それが死んでしまった彼らに私ができるせめてもの手向けだと思っている」
自分の弱さ、情けなさ、悔しさを口にするアリシアをダークは黙って見つめた。肩に乗っているノワールも同じように黙ってアリシアを見つめており、レジーナとジェイクもアリシアの背中を少し驚いたような顔で見ている。
「……フッ、フフフフフ。……ハハハハハハッ!」
すると、突然マティーリアが大きく口を開けて笑い出し、その笑い声を聞いたアリシアやダークたちは一斉に反応してマティーリアの方を向いた。
「お主が妾の相手をするじゃと? ……フハハハ、面白い冗談を言うのじゃな」
「なんだと?」
「忘れたのか? お主はあの時、ドラゴンの姿の妾に怯えて何もできずに部下が死ぬのを見ておったではないか」
「クッ……!」
「ドラゴンから人間の姿になったことで自分でも勝てると思っているようじゃが……残念ながらそれはあり得ん。寧ろ逆に以前よりも勝てる確率は低くなっておる」
巨大なドラゴンの姿をしていた時よりも幼い少女の姿をしている今の自分を相手にする方が勝てる可能性は低いと言うマティーリアを見たアリシアはその理由が分からずにいる。するとマティーリアは鋭い目でダークたちを見つめながら理由を話し始めた。
「ドラゴンだった時の妾は体が大きく力もあった。じゃがその代わり本能だけで動いていたため、敵の能力などを分析することができず正面から敵に挑むようなことしかできなかったのじゃ。その結果がこれじゃ」
マティーリアはドラゴンだった時にダークから受けた左目の傷を見せる。あの時のマティーリアはグランドドラゴンの本能だけで戦っていたため、ダークの強さを理解することができなかった。その結果、マティーリアは返り討ちに遭って退却する羽目になったのだ。
「じゃが、今の妾は違う。体は小さくなり、力も落ちてしまったが、空は飛べるし人間の知識と理性も得ることができた。更にレベルも66になり、人間が使う戦技までも使えるようになったのじゃ」
「人間の知識を得た分、ドラゴンの時にはできなかった戦い方ができるようになったということか……」
「その通りじゃ。今の妾はドラゴンだった時よりも強い。そんな妾に昔の妾に怯えていたお主が勝てるわけなかろう?」
「私だってあの時とは違う! ダークのおかげで強くなることができた。貴様とも互角に渡り合える!」
「……ほう? 言うではないか」
挑戦的な態度を取るアリシアを見てマティーリアは笑う。自分の部下を殺した張本人を目の前にして恐れるどころか怒りを露わにして戦おうとするアリシアにマティーリアは少しだけ彼女に対する見方を変える。最初はアリシアを情けない騎士だと思っていたようだが、自分を恐れずに部下の仇を取ろうとする姿を見て少しだけ見直したのだろう。
アリシアの隣ではダークが彼女の姿を黙って見ている。この時の彼はアリシアの心がマティーリアに対する憎しみで一杯になっていることに気付いており、同時にアリシアのこの先の生き方について小さな不安を感じていたのだ。
ダークがアリシアを見つめているとマティーリアはアリシアを見ながら鼻で笑い、自分の長い髪をなびかせた。
「お主のその度胸だけは認めよう。じゃが、度胸だけでは妾には勝てん。そもそも、妾はお主とではなくそっちの黒騎士と戦うつもりでいるのじゃ。お主に用はない」
「貴様に用が無くても私にはある。部下の仇である貴様をこのまま見過ごすわけにはいかん! ……第一、貴様ではダークには勝てん。ダークの強さはあの時の戦いで貴様もよく分かっているはずだ」
「ウム、確かにそ奴はドラゴンの姿の妾に重傷を負わせた。間違いなく英雄級の実力者であろう。……しかし妾もあの時とは違う。人間の英雄級では勝てないほどの力を得たのじゃ」
先程アリシアが言った言葉と似たようなことを言うマティーリアを見てダークと肩に乗っているノワールは呆れるような反応を見せる。さんざんアリシアは小馬鹿にしておいて言っていることはアリシアと大して変わらない。いくら人間の知識を得たと言ってもそんなに頭がいい方ではないとダークとノワールは理解した。アリシアの後ろではレジーナとジェイクもアリシアと同じような態度を取るマティーリアを見てダークとノワールのように呆れた反応を見せている。
ダークたちがマティーリアを呆れた顔で見ている中、アリシアはエクスキャリバーを抜いて切っ先をマティーリアに向けながら鋭い目でマティーリアを見つめた。
「たとえ人間の知識と戦技を得たとしても貴様にはダークは倒せない。ダークはこの国で最強だ、一国の軍隊をぶつけても彼は負けない!」
「なっ!?」
ダークがどれだけ強いのかを発言するアリシアにダークは驚いて思わず声を漏らす。ダークの強さやレベルを公にすればいろんな面倒事に巻き込まれる可能性があるため、関係者以外にはできるだけ話さないようにしていたのだ。それはダークと協力者であるアリシアとの間で交わされた約束でもある。だが怒りで冷静な判断ができなくなっていたアリシアは思わずダークの強さを口にしてしまった。
アリシアの口から出たダークの強さを聞いたマティーリアは意外そうな顔をしており、レジーナとジェイクも少し驚いた顔でアリシアに注目している。しばらくしてマティーリアはアリシアを見ながら小さく笑い出す。
「フフフ、本当に面白い冗談を言うのう、お主は? 一国の軍隊を一人で相手にしても負けない人間などこの世にいる訳ないだろう」
「目の前にいる。此処にいるダークこそが……」
信用しないマティーリアにアリシアは更にダークの強さについて説明しようとする。するとダークがアリシアの肩を掴んでアリシアの発言を止めた。
「おい、アリシア! それぐらいにしておけ」
珍しく声を上げるダークにアリシアはハッと我に返り、肩を掴むダークの方を向く。ダークの肩にはダークの声に驚いているノワールの姿があり、肩に乗りながらダークの横顔を見つめている。
レジーナとジェイクもダークが声を上げる姿を初めて見て驚きの反応を見せている。ダークと共に冒険者の仕事をして一ヶ月以上になるが、今日までダークは常に冷静な態度で自分たちと接していた。そんなダークが初めて感情的になったのを見てかなり驚いたようだ。
落ち着きを取り戻したアリシアは自分が何を言ったのかを理解し、しまったというような表情を浮かべる。ダークはアリシアを見つめながら深く溜め息をつき、そっとアリシアの肩から手を退かした。
「……君は感情的になると後先考えずにペラペラといろんなことを喋る癖があるようだな?」
「す、すまない……」
「……ハァ、怒りで冷静さを無くすところは直した方がいい。そういうのは戦場で勝敗を左右することもあるのだからな」
「ああ……」
自分のせいでダークの秘密の一部を話してしまったことに反省するアリシアは俯きながら返事をする。信頼されているダークから信頼を失ったような感じになり、アリシアは深く後悔した。
ダークとアリシアのやり取りを見ていたマティーリアはつまらなそうな顔をしながら自分の髪を指でねじっている。そして二人の話が済んだと感じるとすぐに口を動かした。
「話は済んだか? なんの話で熱くなっているかは知らんが、妾はお主らの痴話喧嘩を眺めているほど暇ではないのじゃ……ダークとやら、さっさと剣を抜いて妾と戦え」
マティーリアがダークに大剣を抜いて自分と戦うよう要求する。
ダークはマティーリアに視線を向けると小さく溜め息をついてから右手で背負っている大剣を抜こうとする。するとアリシアがダークの左腕にそっと触れてきた。アリシアが自分の腕に触れていることに気付いたダークは大剣を抜くのをやめてアリシアを見下ろす。
「……ダーク、頼む、奴の相手は私にさせてくれ」
小声でマティーリアを戦わせてほしいと言ってくるアリシア。ダークはそんなアリシアをしばらく黙って見つめてからアリシアに顔を近づけて小声で答えた。
「どうしてそこまでしてアイツと戦おうとする?」
「言っただろう? 奴は私の部下たちの仇だ。あの時、何もできずに彼らが死ぬのを見ていた私が彼らにできるのは奴を倒して仇を討つことしかないんだ」
「……君は確かに強くなった。人間ではまずあり得ないレベル70にまでなってある程度の敵には負けない強さを得た。だがアイツのレベルは66、殆どレベルが変わらない状態で人間と竜の力を持つアイツに一人で挑むのは危険すぎる」
「仇を前にして何もせずにいたらそれこそ死んでいった部下たちに申し訳ない……」
「……勇気と無謀は違う。君の考え方はどちらかと言えば無謀に近い」
「ああ、自分でもそうだと思っている。だが、それでも私は戦いたい。一部隊の隊長として、一人の騎士として、私は自分の選んだ道を進みたい……」
アリシアのその言葉を聞き、ダークは昔自分がアリシアに言った言葉を思い出す。
暗黒騎士である自分と聖騎士であるアリシアの考え方が異なる時があった時は自分の考え方を貫け、アリシアが協力者になった時にダークが言った言葉だ。一人でマティーリアに戦いを挑むのが危険だと言うダークに対し、アリシアは死んだ部下たちのために危険を承知で戦いたいと言う。アリシアはダークに言われた通り、自分の進む道をちゃんと選び、考え方を貫いている。
死んでいった仲間のために命を懸けて仇であるマティーリアに戦いを挑もうとするアリシアの覚悟、それを知ったダークはここで無理に止めれば彼女の覚悟を否定することになると考えたのか、握っている大剣の柄を離してゆっくりとアリシアから顔を離した。
「どうしても奴と戦いたいのか?」
「……ああ!」
「……分かった、君がそこまで言うのなら止めない」
「ありがとう」
アリシアの意志の強さにダークはとうとう折れ、アリシアはマティーリアと戦うことを許してくれたことに礼を言う。だが、今のまま戦ってもアリシアが勝てる可能性は低い。それどころか殺されるかもしれなかった。ダークも協力者であるアリシアが殺されるかもしれないという時に黙って見ているつもりなどない。
「その代わり、一つ条件がある」
「条件?」
「君は私は協力者だ。君に死なれると私にとっても何かと都合が悪い。君が死なないように少しだけ手を出させてもらうぞ」
「手を出す?」
「なぁに、手を出すと言ってもちょっとしたアイテムを君に渡すだけだ」
「アイテムか、それぐらいならいい。一緒に戦うと言われたらさすがに断っていた。私は奴と一対一で戦いたいと思っていたからな」
騎士として一対一の決闘をしたいと言うアリシアをダークは黙って見ている。
そもそもダークにはアリシアに加勢するつもりなど無かった。自分の部下たちを殺したマティーリアと戦い、仇を討つとアリシアが言った時点でアリシア個人の問題となったのだ。個人的な問題となった以上、ダークはアイテムを提供してもそれ以上のことはしようとは思っていなかった。
「……一対一で戦いたいと思っているのなら私は手を出さない。だがそれは逆に言えば、たとえ君がマティーリアに殺されそうになっても助けることはできないということだ。当然それは分かっているんだろうな?」
「勿論だ。奴に負けて死んでしまえば、私はそこまでの存在というだけのことだ」
「フッ、いい覚悟だ。もっとも私が渡すアイテムを使えば君が死ぬ確率は一気に減るけどな」
「……いったいどんなアイテムを提供してくれるのだ?」
「それはまだ教えられない」
どんなアイテムを渡すのか秘密にするダークにアリシアは少し不満そうな顔をする。しかしダークがアイテムのことを教えないのにはちゃんとした理由があった。
ダークたちの前にはアリシアが戦う相手であるマティーリアがいる。今此処でアイテムのことを話せばマティーリアにもそのアイテムのことがバレてしまう。それを防ぐためにダークは今は教えないようにしていたのだ。
二人だけで話を進めているダークとアリシアを見て、無視されているマティーリアが遂にしびれを切らせたのか二人の会話に口を挟んできた。
「おい、何を勝手に話を進めておる! 妾はそこのダークとかいう黒騎士と戦うために来たのじゃ。聖騎士の小娘などに用はない。何より、戦っても既に結果は見えておる。時間の無駄じゃ」
「……マティーリアよ、私と戦いたいのならまずはアリシアと戦え。お前はアリシアの部隊の兵士たちを殺した彼女にとって仇だ。お前には彼女と戦う義務がある」
「フン、馬鹿馬鹿しい。言ったはずじゃ、ドラゴンだった時の妾に怯えていた小娘が今の妾に勝てるはずがないとな。しかも一人で妾と戦うと言うではないか? それこそ自ら命を捨てるも同然、犬死じゃ」
「アリシアも言ったはずだ。今の自分はあの時とは違うと。……それに、彼女に勝てないようでは私に勝つことなど不可能だぞ?」
ダークの意味深長な言葉にマティーリアは反応する。まるで自分がアリシアに負けるかもしれない言っているように聞こえたのだ。ドラゴン族の中でも最強と謳われているグランドドラゴンの自分が人間の娘に負けるかもしれない、それはマティーリアのプライドに大きな傷を付けた。
マティーリアはダークの挑発で気分を壊したのか歯を噛みしめながらダークとアリシアを睨み付ける。それを見ていたレジーナとジェイクは寒気を感じて思わず後ろに下がった。
「……よかろう。そこまで言うのならその小娘と戦ってやろう。じゃが、妾をここまで侮辱したのじゃ。もしこちらが勝った時はその小娘の命、いただくぞ?」
「いいだろう。私も元より死ぬ覚悟はできている。そして何より……私もお前を殺したいと思っている!」
「いい覚悟じゃ。では、早速始めるとしようか」
アリシアの覚悟を聞いたマティーリアはロンパイアを構えて戦闘態勢に入る。アリシアもエクスキャリバーを両手で握り中段構えを取った。
両者が睨み合い、今まさに決闘が始まろうとしている。レジーナとジェイクは二人の姿を見て巻き添えを食うことを恐れたのかその場から離れようとした。
「待て」
突如ダークが決闘を始めようとする二人を止める。アリシアとマティーリアは殺気を消し、止めに入ったダークの方を向く。
「私たちはワイバーンの討伐を終えたばかりで疲れている。決闘は明日とさせてもらう」
「な、なんじゃと!? あれだけ挑発しておいて逃げる気か!」
「逃げなどしない、私もアリシアもな……ただ仕事を終えて疲労が溜まっている状態で戦うのは不公平だと思っただけだ」
「ダーク、私は大丈夫だ。このまま戦わせて……」
アリシアが戦わせてほしいと頼もうとした時、ダークはアリシアの顔の前に手を持ってきて喋るのを止める。そして再びマティーリアの方を向いて話を続けた。
「決闘というのは本来フェアな状態で戦うものだ。マティーリア、お前は疲れて全力を出せない相手と命のやり取りをするのか? グランドドラゴンはそんなに卑怯な種族なのか?」
「な、んじゃとぉ……?」
再び挑発してくるダークにマティーリアは耳を疑う。今度は自分のことだけではなく、自分の種族、つまり全てのグランドドラゴンのことを侮辱するダークに対してマティーリアの怒りが徐々に込み上がってくる。
マティーリアが怒りを感じている中、ダークの挑発は続いた。
「それともお前は全力を出せるアリシアが相手では勝つ自信が無いのか?」
「貴様、それ以上何か言うと小娘の前に貴様の頭を叩き潰すぞ」
「だったら決闘は明日にしてもらおう。お前が疲れも怪我も無い万全の状態のアリシアに勝つ自信があるというのならな」
「……いいだろう。だがもし逃げたらあそこの町に住む人間を皆殺しにする」
不満そうな声を出すマティーリアは遠くに見えるアルメニスを指差した。あそこにはアリシアたちの家族や大勢の人たちが住んでいる。その人たちを皆殺しにされると言われたら逃げることなどできやしない。しかしダークもアリシアも逃げようなどとは考えていなかった。
ダークは睨み付けるマティーリアを落ち着いた態度で見つめながらゆっくりと頷く。
「……分かった。決闘は明日の正午、場所はあの町の手前にある広場だ」
「よかろう、今日のうちに遺書でも書いておくのじゃな」
そう言ってマティーリアは竜翼を広げて飛び上がり、何処かへ飛んでいく。後には飛び立つ姿を見上げるダークたちだけがいた。
飛び去るマティーリアが見えなくなるとレジーナとジェイクは緊張が解けたのかその場に座り込んだ。殺気をむき出しにするマティーリアの前でかなり無理をしていたようだ。
「フゥ~、ビックリしたわねぇ……」
「ああ、まさかドラゴンが人間の姿になって目の前に現れるとは思わなかった。しかも兄貴と姉貴に対して凄い敵意を向けてたしな」
「本当よねぇ……それにしてもアイツが前にダーク兄さんとアリシア姉さんが言っていたグランドドラゴンだったとは……正直、あの話が本当だったとは思わなかったわ」
「なんだよ、お前二人を疑ってたのか?」
「そう言うアンタはどうなのよ?」
「あ~、それは……」
ダークとアリシアがグランドドラゴンと遭遇し、戦って撃退したという話が本当だったことを知り、レジーナとジェイクは驚きながら会話をする。これにより二人は更にダークの正体、そしてダークとアリシアの強さについて詳しく知りたくなり、早く町に戻ってダークからいろいろ聞きたいと思っていた。
レジーナとジェイクが座り込みながら話をしている時、ダークとアリシアは向かい合って何か話をしていた。
「ダーク、私は別に疲れてなどいない。あのまま戦っても問題無かったぞ?」
「どうかな、自分では気づいていないだけで本当かかなり疲労が溜まっているのかもしれないぞ?」
「そんなことは……」
「それに決闘の日を明日に延ばしたのは何も疲れを取るためだけではない。人間になったマティーリアがどんな攻撃をしてくる分からない以上、あのまま戦闘に入ると君が負けるのは目に見ている。作戦を練ってしっかりと戦いに備えた方がいいだろう?」
「う……た、確かに」
決闘のことで興奮していたため、そこまで考えていなかったアリシアは冷静にダークの話を聞いてさっきまでの自分を恥ずかしく思った。
敵の情報が少ない状態で一人で戦うのはあまりにも危険すぎる。そのことを分かっていたダークはアリシアが作戦を練れるように決闘の日を明日にしてそのために時間を作ったのだ。
冷静さを失って基本的なことを忘れていたことを反省するアリシアを見てダークはそっと彼女の肩に手を置いた。
「とりあえず、町へ戻るぞ? ワイバーンの討伐やジャックたちが死んだことをマーディングさんに報告しないといけないからな」
「ああ、そうだな」
アルメニスへ戻るためにダークたちは馬に乗り、首都アルメニスへ向かって馬を走らせる。町へ戻るまでの間、ダークとアリシアはマティーリアとどう戦うか作戦を考え、レジーナとジェイクはダークとアリシアはどれくらいの強さなのかを小声で話し合っていた。