第二十八話 竜翼の少女
月と星が広がる夜の中、ザルバックス山脈を人影が静かに進んでいる。外見は十二歳ぐらいの少女で人間の姿のノワールよりも少し背が高い位だ。白い肌に銀色の長髪で左目に緑の眼帯を付けており、格好は灰色の長袖に白いスカート、茶色の革製の鎧と手袋を付け、ロングブーツを履いている。その姿はとても十二歳の少女がする格好とは思えなかった。
だが、それ以上に驚くところが他にもある。なんと彼女の頭からは二本の長い黒い角が生えており、緑色の竜翼と竜の尻尾が生えているのだ。その少女の姿を一言でいうのなら竜人だ。そして竜人の少女の右手には刀剣のロンパイアが握られており、少女は自分よりも大きなそれを肩に担ぎながら普通に歩いている。
フクロウが鳴く暗い山道を歩く少女は岩と石だらけの坂道にやってくるとピタリと足を止めた。少女の目の前には騎士や兵士たちの死体が転がっている。ワイバーンたちに殺されたジャックたちの死体だ。
少女は近くにある兵士の死体に近づくと片膝を突いて死体を黙って見つめる。死体からは腐敗臭がするが、少女は気にせずに死体を確認した。しばらく死体を見つめると少女は興味の無さそうな顔をしながら立ち上がる。
「……この国の騎士団か。なんとも無様な死に方じゃな」
倒れている死体を見下ろしながら少女は老人のような口調で呟く。周りに倒れている他の死体を確認し、少女はロンパイアの柄の部分で肩を軽く数回叩いた。
「死体の状態からして、この山脈に棲みついているモンスターたちに襲われたわけではなさそうじゃな。……ということは、ワイバーンどもを倒しに来たということか」
少女は確認できる死体の数を数え、更に彼らの装備を確認する。すると少女は鼻で笑いながら肩をすくめた。
「やれやれ、この程度の数でワイバーンどもを倒そうとは、なんとも愚かな人間達じゃ……それとも、本当はもっと大勢で来たのだが、殆どがワイバーンどもに食われてしまったのか? まあ、どちらにせよ、人間どもが負けたのは事実じゃから、深く考える必要は無いな」
目の前の転がっている死体を軽く蹴って退かすと少女は坂道を上り出した。
坂道を上がり、道が平らになると少女は月明かりだけで照らされる険しい道を進んでいく。普通の十代前半の少女なら確実に途中で動けなくなるほどの道を少女は顔色一つ変えずに歩き続ける。この時点でこの少女が普通でないことは明らかだ。いや、角や竜翼、尻尾が生えている時点で普通ではなかった。
大きな岩の上に乗り、そこから少し離れた所にある別の岩の上に飛び移り、また別の岩の上に飛び移るそれを繰り返しながら少女は先へ進んだ。その姿はまるで公園にあるアスレチックを楽しむ子供のように見えた。
「さ~て、妾の可愛いワイバーンどもは今どうしているかのう? もう随分懐きおったからそろそろ統率して村などを襲わせてもよいかもしれんな」
岩の上を移動しながら少女は楽しそうに呟いた。どうやらこの少女はダークたちが倒したワイバーンたちを手懐けて自分の思い通りに操ろうとしていたようだ。竜人であれば野生のワイバーンを手懐けることも難しいことではない。この時点でこの少女が竜人である可能性がより高まった。
しかし、少女が手懐けていたワイバーンたちは既にダークたちに倒されて全滅している。そのことを知らない少女は楽しそうに笑いながらワイバーンの巣がある岩壁に向かった。
少女がワイバーンの巣の前に着くと、そこには大量のワイバーンの死骸が転がっており、それを目にした少女は目を見開いて驚いた。
「な、なんじゃこれは……」
目の前で息絶えているワイバーンたちに少女は思わず声を漏らす。ワイバーンはドラゴン族の中でも小さく、力の弱い方だが一度に大量のワイバーンが倒されるなんてことは殆どない。全てにワイバーンが何者かに倒されて全滅している光景に少女は自分の目を疑った。
少女は驚きながら歩き出して周りに転がっているワイバーンの死骸を見回す。そして近くのワイバーンの死骸に近づき、冷たくなっているワイバーンの死骸に触れた。
「いったい誰がこんなことを……さっき見かけた王国騎士団か? ……いや、奴らにこれだけのワイバーンを倒す力があるとは思えない。しかも死骸の中には魔法攻撃を受けた奴もおる。奴らの中には魔法使いの死体は無かった」
少女は背中や竜翼に氷柱が刺さっているワイバーンの死骸を見てそれが魔法によるものだとすぐに分かった。そして同時にワイバーンたちを倒したのが魔法使いを連れている者たちだと確信する。
目の前にあるワイバーンの死骸の傷を確認した少女は目を鋭くする。ワイバーンの傷はどれも普通の武器で負わせられるような浅い傷ではなく、致命傷と言えるぐらい深いものだった。傷を見てそれが特別な力を持つ武器か熟練の鍛冶屋が作った業物によって付けられたのだと少女は気付いたのだ。それと同時に少女に頭の中に疑問が浮かぶ。
「……人間の中にそんな優れた武器を使える者がいるのか? 少なくともさっきの死体の連中ではないことは確かだ。となると奴ら以外にもこの山脈に来てワイバーンを襲った者がいるということになるな……」
一度に数匹のワイバーンを倒すなど普通の騎士や冒険者では不可能だと感じる少女は闇夜の中、ロンパイアを肩に担ぎながら誰がやったのか考える。
ワイバーンのレベルは35から40、そんなレベルのワイバーンをまとめて倒せるのはレベル50以上の戦士ぐらいだ。つまり、ワイバーンを倒したのは英雄級の実力を持つ者だということが分かる。それを考えた少女は夜空を見上げながら目を再び鋭くした。
「……ワイバーンを簡単に倒せるのだから敵は英雄級の実力者と見て間違いない。英雄級ならこの国の何処にいるのかは大体想像がつく。この近くで英雄級の実力者がいる所は……首都アルメニスだけじゃ」
犯人の居場所を突き止めた少女は空を見上げるのをやめて目の前のワイバーンの死骸を見つめる。そしてロンパイアを強く握りながら小さく笑う。
「フフフフ、誰だか知らんが妾の手駒になるはずだったワイバーンを殺した罪、しっかりと償ってもらうぞ?」
不敵な笑みを浮かべながら少女は竜翼を広げて羽ばたかせる。すると少女の体はゆっくりと浮かび上がり、1mほどの高さまで上昇した。
「妾はあの男を殺すためにも強い手駒が必要なのじゃ。その手駒を殺したこと、たっぷりと後悔させてくれるわ!」
そう叫ぶと少女は勢いよく竜翼を羽ばたかせて一気に上昇して闇夜へ消える。少女が山脈から去ると後にはボロボロなワイバーンの死骸だけが残っていた。
少女はいったい何者なのか、どうしてワイバーンを手懐けられるのか、そしていったい誰を殺そうとしているのか、それを知る者は誰もいない。
――――――
夜が明けて太陽が昇ると野宿して一夜を過ごしたダークたちはすぐにアルメニスに向かって出立する。
ジャックたちが乗っていた馬を使っていたため、ザルバックス山脈に向かう時よりも楽にもと来た道を進むことができた。ダークは勿論、アリシアたちの顔に疲れは殆ど見られず、全員が余裕の表情を浮かべている。
「この調子だと、あと一時間ほどで町に戻れそうだな」
先頭を進むダークが馬に乗りながら後ろをついてくるアリシアたちに話しかける。アリシアたちは予想よりも早く町に戻れることに安心しているのか笑みを浮かべていた。その中でも特にレジーナのテンションは高く、馬に乗りながら興奮している。
「う~ん! ようやく大変だった仕事も終わりねぇ」
「まだ終わりじゃねぇぞ? 町に戻って騎士団のお偉いさんに終わりを知らせてからようやく終わりだ。最後まで気を抜くな?」
「でもさぁ、ここまでくればもう終わったも同然でしょう? 少しぐらい気を抜いてもいいじゃない」
「馬鹿、そうやって気を抜いている奴ほど最後の最後でとんでもない目に遭うんだよ」
「まさか、そんなことがあるわけないじゃない」
笑いながらジェイクの忠告を軽く流すレジーナ。それを見てジェイクは呆れ顔で溜め息をついた。
レジーナは仕事中はしっかりしているが、仕事が始まる前や終わった後になると気を抜いてしまうという悪い癖があった。ダークやジェイクも今日まで何度もそんなレジーナを見ており、その度にジェイクが注意し二人はよく言い合いをしているのだ。ダークは興味がないのかレジーナを注意しようともせず、黙って二人を見守っていた。
アリシアも何度もダークたちと一緒に仕事をしているのでダークの仲間であるレジーナとジェイクの性格、二人の関係を知っており、二人の口論をする姿にすっかり慣れてしまったのか口を挟まずに見ていた。
「相変わらずだな、あの二人は」
「ああ、仕事が終わればいつもあんな調子だ」
「貴方も大変だな……」
「別に私は大変だとは思っていない。LMFにいた頃も同じような光景を何度も見たことがあるからな」
「LMFで?」
懐かしむような口調で話すダークにアリシアは不思議そうな顔で訊き返す。ダークは馬を歩かせながら前を見ており、そんなダークをアリシアと肩に乗るノワールは見つめる。
「私がLMFにいた時に一緒に冒険をした仲間の中にレジーナとジェイクに似た者たちがいた。二人はいつも喧嘩ばかりをしているが、戦いとなれば息はピッタリだ。レジーナとジェイクも普段はあんな感じだが、戦いの時にはちゃんと協力し合っているからな。いいコンビだと私は思っている」
「信じているのだな、あの二人を……」
「勿論だ」
答えるダークを見てアリシアは嬉しそうな顔で笑う。普段クールな態度を取っているダークも本当は穏やかな性格であることを知っているアリシアはそんなダークに少しずつ心惹かれていた。
しかしアリシアはダークについて何も分かっていなかった。LMFという別の世界から来て、そこで暗黒騎士をやっており、レベルが100ということしか知らず、ダークの個人的なことを何も知らない。LMFでダークがどんな生活をし、どんな仲間と共に過ごしていたのか、アリシアはLMFでダークがどんな暮らしをしていたのか気になっていた。
個人情報を詮索するのは禁じられているが、アリシアはダークの協力者として彼のことをもっと知っておかなければならないと考え、思い切って訊いてみることにした。
「……ダーク、ちょっと聞きたいことがあるのだが」
「ん? なんだ?」
「その……ダークはLMFでどんな暮らしをしていたのだ?」
「……どうして突然そんなことを?」
ダークは少し低い声を出してアリシアに訊き返す。そんなダークの声を聞いたアリシアは機嫌を損ねたかと感じ、少しだけ表情が変わる。だが、協力者としてこれからもダークを手助けしていくためには彼のことをもっと知っておく必要があった。
アリシアはダークの機嫌を気にしながらダークの顔を見て口を動かす。
「私は貴方の協力者としてこれからもダークの力になりたいと思っている。だが、私は貴方の職業やレベルのこと以外は何も知らない。どうして見たことの無いアイテムを持っているのか、LMFでどんな生活をしていたのか、貴方の力になるためにも私はもっと貴方のことを知りたいのだ」
「……つまり、私と協力し合えるようにするために私の個人情報を知りたいと?」
「ああ……」
正直に答えるアリシアを見てダークは黙り込む。確かに協力者であるアリシアとこの先上手くやっていくようにするためには自分がどんな人間でどんな性格をしているのかを教えておいた方がいい。しかし、自分がLMFとは違う日本という国で大学生をしているなどと話せばアリシアが混乱するのは間違いなかった。
ダークはしばらく考え込み、現実の世界のことは伏せたままにし、LMFという世界で暗黒騎士をしていたという設定はそのままにして自分がLMFでどんな生活をし、どんな風に過ごしていたのかは話すことにした。
「……分かった、君にはもっと詳しいことを話すとしよう」
「本当か?」
「ああ、だがそれはもう少し後だ」
「え?」
不思議そうな顔をしてダークを見るアリシア。ダークは前を向くと親指でアリシアの後ろを指す。アリシアはゆっくりと後ろを向いた。
ダークは後ろの方で未だに言い合いをしているレジーナとジェイクを見る。二人には町に戻ったら自分がLMFの世界から来たということを話すと約束した。なのに今此処でアリシアにだけ話せば後から二人に文句を言われる可能性があると考え、ダークはアリシアに話すのをもう少し後にすることにしたのだ。
アリシアはダークが後で話すと言った意味を理解し、レジーナとジェイクを見ながら呆れた顔でコクコクと頷く。
「分かった、話はアルメニスに戻ってからにしよう」
「悪いな?」
「いや、此処で私だけ貴方の話を聞いてあの二人にうるさく言われても困るからな」
帰ったらもっと詳しくダークの話を聞く、それを約束してアリシアは話を一度終わらせる。ダークたちは馬に乗りながらアルメニスへの帰路を歩いていく。レジーナとジェイクのどうでもいい話し合いが終わったのはダークとアリシアが話を終えてから数分後のことだった。
一本道を歩き続けてアルメニスに向かうダークたち。このままのペースで行けば正午前にはアルメニスに着き、町で美味しい昼食を取ることができる。レジーナとジェイクは町でまともな食事を取れることから嬉しそうにしており、アリシアも無事に町へ戻れることを喜んで微笑みを浮かべていた。しかし、それでもまだ油断はできない。いつ野生のモンスターと遭遇し襲い掛かられるか分からないため、町へ入るまでは安心できなかった。先頭にいるダークは周囲を警戒しながら進んでいく。
しばらくするとダークたちのいる所から約1kmほど先にアルメニスの町があるのが見え、それを確認した一行は馬を止める。
「見えてきたぞ、アルメニスだ」
「ようやく着いたかぁ。長かったなぁ」
アルメニスを自分の目で確認したジェイクは少し安心したのか疲れたような口調で喋りながら肩を回す。アリシアも小さく息を吐いて安心の表情を浮かべる。
アリシアとジェイクが遠くに見える町を見ているとレジーナがアリシアとジェイクに声をかけてきた。
「ねえねえ、町に着いたら二人はまずどうするの?」
「私は勿論ダークと一緒に詰め所に行ってワイバーンの討伐を報告する」
「俺は家に戻ってまずはアイリを抱き上げるぜ。それから、モニカの飯だ」
「そう。あたしはギルドへ行って今回集めたワイバーンの素材をお金に換えてもらうわ。ドラゴン族の素材は貴重だからね、かなりの額になるわよ」
町に戻ったらどうするか、アリシア達はそれぞれ自分が何をするのかは話し合う。そんな会話をダークは黙って見ており、兜の下では呆れたような顔をしていた。
(おいおい、こんな所でフラグを立てるような会話をするなよなぁ。町に戻ってからそういう会話をした方が安全だろう……)
ダークは心の中でアリシアたちに警告するように呟き、肩に乗っているノワールはただ黙ってそれを見守っていた。
一行が立ち止まって会話をしていると突然ダークたちの真上を何かが通過する。四人は足元で動いた大きな影に気付き、一斉に空を見上げた。ダークたちの視界には翼を広げる人影が入り、その人影はゆっくりと降下してダークたちの数m前に下り立つ。その人影は緑の竜翼と尻尾、黒い角を生やした銀髪の少女でその手には体よりも大きなロンパイアが握られていた。
少女を見てダーク達はすぐにその少女が只者ではないと気付き一斉に警戒する。警戒するダークたちを見て少女はロンパイアを肩に担ぎながらニッと笑う。
「お主達はザルバックス山脈でワイバーンを倒した者たちか?」
「ザルバックス山脈のワイバーン?」
アリシアは突然自分たちが倒したワイバーンのことを尋ねてくる少女を見て反応した。竜翼と尻尾を生やしているところから目の前の少女がドラゴンに何か関係を持っていることは分かる。だが、彼女があのワイバーン達とどう繋がっているのかはまったく分からない。
「お前はあのワイバーンたちとどういう関係だ?」
「……フッ、やはりそうか。お主のその言葉で確信した。あのワイバーンたちを倒したのはお主たちなのじゃな」
少女はアリシアの言葉でワイバーンを倒したのが目の前にいる者たちだと分かり不敵な笑みを浮かべる。そして素早く持っているロンパイアを構え出した。少女が武器を構える姿を見てアリシアは素早く馬から下りる。ダークたちも少し遅れて一斉に馬を下りた。
「まさかこんなに早く見つかるとは思わなかったぞ。妾の手駒になるはずだった竜たちを殺したこと、あの世で後悔させてくれ……ん?」
不敵な笑みを浮かべていた少女はダークを見た瞬間に表情を変えた。
「お、お主は……」
声を震わせながらダークを見て呟く少女。ダークは少女が自分を見て何かに驚いている顔をしていることに気付き不思議そうに少女を見ている。
やがて少女は小さく俯き、体を震わせながら笑い出した。
「……フ、フフフフ、フハハハハッ! なんと運がいいのだ! まさかワイバーンを殺した者がお主だとは思わなかったぞ?」
「……は?」
ダークは少女が何を言っているのか分からずに少女を見ている。少女は顔を上げるとロンパイアの切っ先をダークに向けて鋭い目でダークを睨んだ。
「此処で会ったが百年目! あの時の屈辱、今こそ晴らさせてもらうぞ!」
怒りの籠った声で言い放つ少女にダークの周りで話を聞いていたアリシアたちは思わず反応する。目の前の少女がダークに何かしらの怨みを抱いているのが分かった。しかしなぜこんな幼い少女がダークに怨みを抱いているのか分からずにいる。
アリシアたちが一斉にダークの方を向いて彼の反応を確認する。ダークはしばらく少女を見つめながら黙っており、やがて静かに声を出した。
「いや……どちら様ですか?」
そのダークの一言で辺りは静寂に包まれた。
ダークの言葉に少女は目を見開きながら固まり、アリシアたちも目を丸くしながらダークを見ている。まさかダークがこんなことを言うなど誰も想像していなかったのだろう。
「お、お主、今何と言った……?」
「だから、どちら様ですかと言ったんだ」
「ま、まさか、妾を覚えておらぬのか!?」
「……全然」
即答するダーク。それを聞いた少女は驚きの表情から怒りの表情に変わって持っているロンパイアの柄を両手で強く握った。アリシアたちもそんな少女を少し驚いた顔で見ている。
「な、何という屈辱じゃあ! 妾をあのような目に遭わせておいて忘れるとはぁ!」
「あのような目?」
少女の言葉にアリシアはピクリと反応する。アリシアはゆっくりとダークの方を向くと目を細くしながらダークを睨んだ。
「……ダーク、貴方はあの子に何をしたのだ?」
「は?」
「あのような幼い少女があそこまで取り乱すとは……ダーク、貴方は……」
低い声で問い詰めるアリシアにダークは思わず引いてしまう。アリシアの声には明らかに怒りが感じられ、それと同時に何か別の感情が込められているような感じがした。
会話を聞いていたレジーナとジェイクはアリシアの迫力に思わず一歩下がり、ダークの肩に乗っているノワールも驚き小さくなった。ダークは自分を睨むアリシアを見て誤解を解こうとする。
「待て待て待て、私は本当に何も知らない」
「では、あの子はいったいなんなのだ?」
ダークは落ち着いた態度でアリシアに説明しようとする。アリシアも答えを聞くために両手を腰に当てながら顔をダークに近づけた。
アリシアがダークから答えを聞き出そうとしていると、少女はロンパイアの柄の先で地面を強く叩いてダークを睨みつけながら口を開いた。
「本当に覚えていないのか!?」
少女の言葉にダークたちは一斉に彼女の方を向いた。何も言わないダークたちを見た少女は歯を噛みしめ、持っているロンパイアを地面に刺すと自分の体から生えている角、竜翼、尻尾を指差す。
「この角、竜翼に尻尾。そして……これを見ても思い出さぬか!?」
声に力を入れながら少女は左目の眼帯をずらして眼帯の下をダークに見せる。そこには左目が見えなくなるほどの痛々しい大きな傷跡があった。アリシアたちは幼い少女が左目に大きな傷を負ったことを気の毒に思ったのか僅かに表情が曇る。
一方でダークは黙って少女の顔や左目の傷をよく見ている。そして過去の記憶を辿っていた。しかし、いくら考えてもやはり心当たりがない。ダークがこの世界に来て一ヶ月以上経つが目の前の少女には会ったことも無く、彼女の様な幼い少女と問題を起こした記憶も無かった。何よりもダーク自身には幼い少女に大きな傷を負わせるような趣味は無い。
ダークはこの世界に来た日から今日までの記憶を一つずつ思い出していく。すると、少女の黒い角、緑の竜翼と尻尾を見てある記憶が頭に浮かぶ。ダークが初めてこの世界に来た次の日、アリシアと共にアルメニスに向かっていた途中でグランドドラゴンと遭遇した時のことだ。あの時のグランドドラゴンも黒い角を生やし、緑の体に大きな竜翼と尻尾を付けていた。そしてダークはグランドドラゴンの左目に黒炎爆死斬を撃ち込んで左目に傷を負わせて撃退に成功したのだ。
その事を思い出したダークは少女を見て左目の傷跡と角、竜翼、尻尾があの時のグランドドラゴンと同じことを確認する。ダークは僅かに声を漏らして驚きの反応を見せた。
「お前、あの時のグランドドラゴンか……」
「えっ?」
ダークの言葉を聞き、アリシアは思わず声を漏らし、ノワールは目を見開いて驚く。アリシアにとってグランドドラゴンというのはある意味で特別な言葉だった。ダークと出会った直後に一匹の巨大なグランドドラゴンに襲われて自分の部下のほぼ全員を殺されてしまったという苦い過去。アリシアとって決して忘れることのできない出来事だ。
レジーナとジェイクは話についていけずにまばたきをしながらダークたちを見ている。少女はダークが自分の正体に気付くと険しい顔から一変し小さな笑みを浮かべた。
「やっと思い出しおったか。まったく、手傷を負わせた者を忘れるとは、お主も失礼な男じゃのう?」
「……いろいろ訊きたいことはあるが、最初にこれだけ訊いておこう。……その姿はいったいなんだ?」
出会った時は巨大な竜の姿をしていたのになぜ今は人間の少女の姿をしているのか、ダークは理由を尋ねる。以前の姿を知っている者であれば誰もが最初に疑問を抱くことだろう。
少女は自分を見つめるダークを見てクスクスと笑い出し、楽しそうな顔で髪をなびかせた。
「知りたいか? なら教えてやろう」
自分がなぜ人間の姿をしているのか、それを説明するために少女は小さな人間の手を見つめながら説明し始めた。
「あの日、お主の攻撃を受けて左目を潰された妾はセルメティア王国を出てデガンテス帝国の領内に入った。そこで負傷した妾は帝国軍に捕まり魔法の実験体にされたのじゃ。帝国はモンスターを人間の姿にして自分たちで管理できるようにし、帝国軍の強力な戦力にしようと考えた。妾はその記念すべき第一号だったのじゃ」
「ほぉ? 帝国がそんな実験をな……」
「じゃが、妾は素直に人間の道具になるつもりなど無かった。実験で人間の姿になった妾はその場にいた帝国の人間どもを皆殺しにしてから帝国を脱出し、再びこのセルメティア王国に戻ってきたのじゃ。お主に復讐するためにのう!」
ダークを指差して少女は自身の怨みを訴える。ダークは少女の話を聞いて呆れるような態度を取り小さく溜め息をつく。なぜなら少女のやっていることはただの逆恨みでしかなかったからだ。
あの時のダークはグランドドラゴンからアリシアや彼女の部下を守るために戦い、グランドドラゴンに重傷を負わせた。本来ならアリシアの部下たちを殺したグランドドラゴンが怨まれるべきなのにアリシアたちを守ったダークを怨むなどあまりにも自分勝手な考え方だ。ダークは呆れ果てて言い返す気にもなれなかった。
少女は腕を組みながら竜翼を広げ、尻尾で地面を強く叩いてニヤリと笑った。
「帝国の連中のおかげで妾は竜の力を残したまま人間の姿と知識を得ることができた。しかもレベルも63から66まで上がり、人間の武器や戦技まで扱うことができる。今の妾は以前の本能だけで動いていたドラゴンの時とは違う。竜と人間の二つの力を得た最強の存在となったのじゃ!」
「ドラゴンと人間の力を得た存在か……」
「確かに面倒な存在ですね……」
少女を見ながらダークとノワールは小さな声で呟いた。
人間は知識と武器を使うことで動物に勝り、モンスターと互角に戦うことができるが、強力なモンスターが人間の知識と武器を使う技術を手に入れれば並みの戦士では太刀打ちできないほどの力を得る。ダークとノワールはそのことを分かっているため、少女を手強い存在と感じているのだ。
「改めて名乗ろう、人間たちよ。我が名はマティーリア、竜と人間の力を得た最強にして最高の存在なり」
自らをマティーリアと名乗る少女をダークはジッと見つめる。話についていけなかったレジーナとジェイクも状況から目の前の少女が敵意を向けていることに気付き、自分たちの武器を握った。
すると、先程から一言も喋らずにいたアリシアが突然一歩前に出る。アリシアは俯きながら両手を強く握りながら体を震わせており、ダークはそれに気づいて明らかにさっきまでのアリシアと雰囲気が違うと気付いた。
やがてアリシアがゆっくりと顔を上げる。その顔は誰が見ても分かるような激しい怒りの顔になっており、今まで見たことの無いアリシアの表情にその場にいたダーク以外の仲間たちは全員驚いていた。
「……お前が、あの時の!」