第二百七十二話 幼稚で傲慢な指揮官
ガロボン砦の西側には倉庫区が存在し、そこにはガロボン砦の兵士たちが使用する武具や物資、食料などが大量に保管されている。しかしその武具や物資も今は魔族軍に利用されていた。
倉庫区の中ではアリシアが率いる部隊が物資を確保するために倉庫区を護る魔族軍の部隊と交戦している。魔族軍は物資を奪われると補給ができなくなるため、必死になって抵抗してきた。
マルゼント兵たちや黄金騎士たちが悪魔族モンスターたちと戦っている中、アリシアは二体のビーティングデビルと向かい合っていた。アリシアはフレイヤを持つ手に力を入れ、ビーティングデビルたちを睨みつけている。すると、一体のビーティングデビルが鳴き声を上げながらモーニングスターで攻撃してきた。
アリシアは後ろに下がってモーニングスターをかわすと素早くフレイヤを振って反撃する。フレイヤは攻撃してきたビーティングデビルの体を切り裂き、斬られたビーティングデビルは声を上げながらその場に倒れた。
一体目のビーティングデビルを倒したアリシアはすぐに体勢を整えるが、整えた直後にもう一体のビーティングデビルがアリシアの右から攻撃してきた。しかしアリシアは冷静にフレイヤでモーニングスターを払って防ぎ、ビーティングデビルが体勢を直す前にフレイヤで横切りを放ち、ビーティングデビルを腹部から両断する。
アリシアはビーティングデビルを二体とも倒すとフレイヤを軽く振ってから周囲を見回す。周りでは黄金騎士や巨漢騎士、マルゼント兵や騎士たちが悪魔族モンスターたちを次々と倒していく姿があった。
「戦況はこちらが有利だ、このまま一気に押し切るぞ!」
周囲に聞こえるようアリシアは力の入った声を出し、それを聞いたマルゼント兵たちも声を上げる。そして周囲にいる悪魔族モンスターや魔族兵を全て倒すと、マルゼント兵たちは奥へと進軍し、黄金騎士や巨漢騎士もそれに続く。
アリシアは突入するマルゼント兵たちをジッと見つめている。そこへジェイクとマティーリアがアリシアの後ろから近づいて来た。
「これなら物資はすぐに確保できるな」
「ああ、此処を護る敵の数はそれほど多くなく、中級の悪魔もいないみたいだからな。それほど時間は掛からないだろう」
「戦力が少なく、中級の悪魔もいない……物資を保管しておる場所なのに随分と護りが手薄じゃな?」
マティーリアが目を細くしながら言うと、アリシアとジェイクはマティーリアの方を向く。実は倉庫区の護りはアリシアたちの部隊よりも戦力が少なかったのだ。
普通なら戦いを有利に進めるために物資を保管しておく倉庫の護りは堅くしておくべきだが、倉庫区を護る魔族軍の戦力は少なく、倉庫区に辿り着いた時もアリシアたちは倉庫区の入口を護る部隊を倒し、難なく中に突入することができた。
どうして倉庫の護る戦力が少ないのか、マティーリアとジェイクは考える。するとアリシアが前を向いてゆっくりと口を開く。
「恐らく、私たちが砦内に突入したため、主塔の護りや正門を取り戻す部隊に戦力を回したのだろう」
「成る程な、倉庫は敵の手に落ちても補給ができなくなるだけで負けたことにはならない。だが主塔が落とされればその時点で魔族軍の負けが決まっちまう。だから絶対に落とされたくない主塔の護りと俺らの拠点を潰す部隊に兵を回したってわけか」
「あくまでも私の予想だがな」
アリシアはジェイクの方を見ながら可能性の一つだと答えるが、ジェイクは十分あり得ると思っているのか笑いながらアリシアを見ていた。
「何であれ、倉庫区の護りが手薄なのは確かじゃ。一気に制圧して物資を確保してしまおう」
マティーリアはジャバウォックを構えると竜翼を広げて飛び上がる。アリシアとジェイクもフレイヤとタイタンを強く握りながらマルゼント兵たちが向かって行った方角を向いた。既にマルゼント兵たちは遠くに移動しており、悪魔族モンスターや魔族兵たちと戦っている。
アリシアたちの周りにはマルゼント兵は一人もおらず、アリシアとジェイクはマルゼント兵たちと合流するために走り出し、マティーリアも飛んでマルゼント兵たちの下へ向かう。
「ところで物資を確保したら俺たちは此処で待機するんだっけか?」
「ああ、物資を確保したことを進軍するダークと拠点を護るノワールに伝え、もし拠点や進軍部隊から補給の要請があったら此処にある物資を届ける」
「つまり、俺らは倉庫区の防衛に就くってことか」
「そういうことだ。まぁ、あっちにはダークとノワールがいるんだ。よほどのことがない限り補給の要請は来ないだろう」
ダークとノワールがいるのだから補給をしなくてはならないほど苦戦することはない、アリシアは走りながら小さく笑い、ジェイクとマティーリアも同感だ、と頷く。
それからアリシアたちはマルゼント兵たちと合流し、悪魔族モンスターや魔族兵たちと交戦する。その僅か十数分後、アリシアたちは倉庫区を制圧し物資を確保した。
――――――
主塔の屋上ではベレマスが数人の部隊長である魔族兵と共に遠くに見えるガロボン砦の正門を見ている。正門が解放されたという報告は未だになく、ベレマスは正門を取り戻せない現状に苛ついていた。
ベレマスの近くにいる魔族兵たちは険しい顔をするベレマスを見て微量の汗を流している。今のベレマスに下手に声を掛けたりすれば八つ当たりされると魔族兵たちは感じており、誰一人ベレマスに話しかけなかった。
「……おい! まだ正門は取り返せないの!?」
力の入った声を出しながらベレマスは隣にいる魔族兵に尋ねる。話しかけられた魔族兵はビクッと反応し、ベレマスの方を向いて頷く。
「ハ、ハイ。解放したという報告はまだ……」
「があああぁっ! 何やってるんだよ、ノロマどもぉ!」
正門を見ながらベレマスは声を上げ、そんなベレマスを見た魔族兵たちは、いつ八つ当たりされるのだろうと不安そうな表情を浮かべる。そんな時、一人の魔族兵が階段を駆け上がり屋上にやってきた。
魔族兵たちは視線をベレマスから屋上にやって来た仲間に向けた。正門が解放されたという報告かと思い、魔族兵たちの中には安心の笑みを浮かべる者がいる。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
「ほ、報告します! 倉庫区が人間軍の襲撃を受け、防衛部隊は壊滅、倉庫区は人間軍の手に落ちました!」
「な、何だと!?」
部隊長の魔族兵たちは報告に来た魔族兵の方を向いて驚愕の表情を浮かべる。ベレマスも目を見開きながら報告に来た魔族兵を見た。
正門を突破されただけでなく、倉庫区が制圧されたという報告に屋上にいた者全員が衝撃を受ける。ベレマスたちが驚く中、報告に来た魔族兵は報告を続けた。
「倉庫区を襲撃した人間軍はそのまま倉庫区を占拠し、倉庫に保管されている一部の物資を正門前の広場に運んでいるとのことです」
「何てことだ、正門を解放するために倉庫区の戦力を回したのが裏目に出たか」
部隊長である魔族兵の一人が悔しそうな顔をしながら俯き、他の部隊長たちも更に悪化した戦況に目を見開く。
「正門の方はどうなってるの? もう解放できたの?」
黙っていたベレマスが報告に来た魔族兵に尋ねると、魔族兵は表情を曇らせながらベレマスから目を逸らす。
「い、いいえ、正門は未だ解放できておりません」
「何だとぉ? 下等な人間相手に何をやってるんだ!」
「も、申し訳ありません! 既に幾つもの部隊を正門前の広場に向かわせているのですが、敵の防衛線を突破することができず、次々に返り討ちに遭い……」
「言い訳するな! 人間如きに負けるなんて、お前らそれでも魔界の戦士かぁ!?」
「ベレマス殿、落ち着いてください!」
魔族兵を責めるベレマスを部隊長の魔族兵が宥める。止められたベレマスはまだ言い足りないのか舌打ちをしながらそっぽを向く。
ベレマスが落ち着くと止めた部隊長の魔族兵は溜め息をつき、周りにいる他の魔族兵たちを見回した。
「とにかく、倉庫区が人間軍の手に渡ったことで我々は物資の補給ができなくなった。しかも正門に向かわせた部隊は全て返り討ちに遭い、こちらの戦力も減っている。このまま戦い続ければ間違いなく我々は敗北するだろう」
部隊長の魔族兵から戦況は最悪であることを聞かされ、ベレマスは険しい顔をしながら奥歯を噛みしめ、他の部隊長の魔族兵や報告に来た魔族兵の顔には緊張が走る。
このままでは最終防衛線であるガロボン砦は敵に落とされ、本拠点である神殿を攻撃するための拠点とされてしまう。そう考えた魔族兵たちは焦りと不安を露わにする。
仲間たちが不安を見せるのを目にし、部隊長の魔族兵はチラッとベレマスの方を向く。ベレマスは険しい顔のまま俯き、肩を僅かに震わせている。自分が指揮を執っているのに最悪な戦況になっていることに対してベレマスは悔しさを感じていた。
「……ベレマス殿、こうなってしまった以上、神殿の本隊に増援の要請を出すしか方法はありません。よろしいですね?」
「クウゥゥッ!」
真剣な顔をする魔族兵の言葉にベレマスは低い声を漏らす。戦いが始まる前に散々ゼムに偉そうなことを言ったため、どれだけ不利な戦況でも絶対に本拠点に増援はしないとベレマスは考えていた。
しかし、多くの部隊が返り討ちに遭い、物資の補給もできなくなってしまった現状ではマルゼント王国軍を押し戻すのはほぼ不可能だ。
絶対にゼムの力は借りないと考えていたベレマスだったが、戦いに敗れてしまっては元も子もない。人間相手に敗北したくないと考えるベレマスは戦況を変えるため、やむを得ず本拠点への増援を許可しようとする。すると新たに女魔族兵が屋上に上がって来て、屋上にいた全員の視線が女魔族兵に向けられた。
「し、失礼します! 先程、訓練場がある広場から進軍してきた人間軍の部隊と交戦しているという報告が入りました!」
「訓練場のある広場だと? この主塔のすぐ近くじゃないか! 防衛部隊は何をしてるんだよ!」
新たな報告から自分たちが更に不利な状況になっていることを知ったベレマスは声を上げ、部隊長の魔族兵たちも目を大きく見開く。既に敵が自分たちのいる主塔の近くまで攻めこんで来ているという戦況を知り、魔族兵は言葉を失っていた。
「ぼ、防衛部隊も必死に抵抗していますが、敵の中にとんでもない騎士がおり、防衛部隊は手も足も出せない状況だと……」
「とんでもない騎士だと?」
部隊長の魔族兵が訊き返すと女魔族兵は部隊長の魔族兵の方を向いて頷く。
「ハイ、その騎士が次々と配下の悪魔たちを倒していき、それに続くように他の人間の兵士や騎士たちも悪魔たちを倒しているようなのです。今の防衛部隊では人間軍を押し戻すことはできないらしく、主塔から増援を出してほしいと要請してきています」
「馬鹿な、無理に決まっているだろう! 既に多くの同胞が倒されて戦力が不足し、補給もできなくなっているのだぞ。こちらも主塔を護るために戦力を動かすことができないのだ」
「で、ですが、このままでは人間軍はこの主塔まで攻め込んで来てしまいます」
「分かっている。だからこれから神殿に増援の要請を出すところだ。増援が来るまでなら今の戦力でも十分持ち堪えられるはずだ」
部隊長の魔族から本拠点に増援を要請すると聞いた女魔族は安心したのかホッと息を吐く。他の魔族兵たちも安心し、増援が来るまでの間、何としても生き延びると考えた。
「ちょっと待った」
魔族兵たちが増援要請について話していると黙っていたベレマスが声を出し、魔族兵たちは一斉にベレマスに視線を向ける。ベレマスは先程と違って険しい顔をしておらず、どこか余裕が感じられるような顔をしていた。
ベレマスの表情が変わっていることを魔族兵たちが不思議に思っているとベレマスは自分の髭をいじりながら女魔族兵の方を見る。
「さっき言ったとんでもない騎士って、どんな奴なの?」
「どんな奴、とは?」
「だからぁ、ソイツはどんな雰囲気をしてたのかって聞いてるの。その騎士は広場に攻め込んできた人間どもの隊長みたいな存在なの? それともただ強いだけの騎士なの?」
「さ、さあ、私が直接見たわけではありませんので……ただ、報告してきた者によると、人間の兵士たちに命令を出していたそうなので、その騎士が攻めてきた敵部隊の隊長だと思われます。もしくは、砦を襲撃した人間軍の指揮官かもしれません」
「あっそぉ……」
女魔族兵の話を聞いたベレマスは不敵な笑みを浮かべる。女魔族兵はベレマスがどうしてそんなことを聞いたのか分からずに小首を傾げた。他の魔族兵たちも理解できずに黙ってベレマスを見ている。ただ、本拠点に増援を要請しようと話していた魔族兵だけは目を若干鋭くしながらベレマスを見ていた。
「……ベレマス殿、何を考えておられるのですか?」
部隊長の魔族兵が低い声で尋ねると、ベレマスは魔族兵の方を向いてニヤリと歯を見せながら笑う。
「神殿への増援要請は中止」
「なっ! どういうことですか!?」
突然増援の要請を中止すると言い出すベレマスに魔族兵は目を見開き、他の魔族兵たちも驚きながらベレマスを見ていた。
ベレマスは自身の髭をいじるのをやめ、女魔族兵を親指で指した。
「コイツ、攻め込んできた人間どもの中に指揮官らしい騎士がいるって言ったよね?」
「え? ハイ、確かに言いましたが……」
「だったら、ソイツを倒しちゃえば人間軍は指揮官を失って混乱するはずだろう? そこを一気に叩けば僕らの逆転勝ちになるじゃないか」
笑いながら話すベレマスを魔族兵たちは目を丸くしながら見つめた。話の内容から、ベレマスはマルゼント王国軍の指揮官を倒せばマルゼント王国軍は混乱し、士気も大きく低下するので、そこを攻撃すればマルゼント王国軍を倒せるから本拠点に増援を要請する必要は無いと考えているようだ。
魔族兵たちはベレマスが増援要請を中止した理由に気付くと目を大きく見開く。確かに指揮官を倒せば敵は混乱し、運が良ければ降伏するかもしれない。だが、それはあくまでも倒した敵が指揮官である場合の話だ。指揮官でない敵を倒しても敵が混乱することはない。
指揮官がいるかどうかも分からない状況で自分の考えた作戦が上手くいくと思い込んでいるベレマスを魔族兵たちはただ黙って見つけていた。
「僕が直接ソイツのところに行ってこの手で叩き切ってやる。すぐに動かせる戦力を用意させろ」
「ま、待ってくださいベレマス殿。確かに私はとんでもない騎士がおり、それが部隊長である可能性があると言いました。ですが、その騎士が砦を襲撃した人間軍の指揮官とは限りません」
女魔族兵は少し慌てた様子で指揮官である可能性は低いと語り、他の魔族兵たちも情報が無いため、その騎士が指揮官ではないかもしれないと考えていた。
「何言ってるんだよ、その騎士は部隊長か指揮官かもしれないって言ったのはお前じゃないか?」
「た、確かに言いましたが、可能性があるというだけで間違いないという訳では……」
「でも、可能性がゼロという訳でもないんでしょ?」
ベレマスの言葉に女魔族兵は困り顔になる。必死にその騎士が指揮官である可能性は低いと説明しても、ベレマスは間違いなく指揮官だと考えていた。
女魔族兵や部隊長の魔族兵たちはどんなに頑張って説明してもベレマスは考えを変えないだろう、と心の中で思った。
「どの道、訓練場がある広場の防衛部隊から要請が出てるんでしょう? だったら僕が直接増援部隊の指揮を執って奴らを皆殺しにしてやるさ」
「しかし、指揮官であるベレマス殿がこの主塔から離れてしまったら我が軍が混乱する可能性があります。それに主塔を護る戦力もギリギリの状態です。今の状況で少しでも戦力を動かしてしまうのは……」
「あぁ~もう、うるさいなぁ! ちゃっちゃと広場にいる敵を倒して戻ってくればいいだけじゃないか」
納得しない魔族兵たちに苛つくベレマスは力の入った声を出す。魔族兵たちは苛立つベレマスを複雑そうな顔で見ていた。
「とにかく、僕はこれから進軍してきた人間どもを叩きのめしてくる。奴らの中に人間軍の指揮官がいればソイツを殺して人間どもを降伏させてやるし、指揮官でなく部隊長だったとしても、殺せば進軍してきた人間どもの士気は低下する。その後は防衛部隊に任せて戻ってれば問題無いだろう?」
「ハ、ハイ……」
不機嫌そうな口調で話すベレマスを見ながら魔族兵は返事をした。
「ならすぐに増援部隊を編成するからついて来い。編成が終わり次第、僕は出撃するからな」
「分かりました」
ベレマスは部隊長の魔族兵を一人連れて屋上を後にし、残された他の部隊長たちは呆れ顔や苦虫を嚙み潰したような顔でベレマスが下りた階段を見ていた。
「やれやれ、本当に困った方だ」
「まったくだ……それよりもどうするんだ? 本当にベレマス殿に行かせるのか?」
「指揮官であるベレマス殿が言うのなら、それに従うしかないだろう」
部隊長である魔族兵の一人が呆れた顔で肩を竦めると他の魔族兵たちも疲れたような顔で軽く息を吐いた。
魔族兵たちは戦況を維持するため、そして指揮官であるベレマスを護るためにベレマスが前線に出ることに反対していたが、ベレマス自身はそのことに気付かず自分のやりたいように動いている。魔族兵たちは自分たちの考えに気付かないベレマスを心の中で哀れに思う。
「それで、さっき言っていた増援はどうする?」
「本来なら指揮官であるベレマス殿に従うのだが、今回はそうはいかない。もし広場にいる人間軍の部隊に敵指揮官がいなければ戦況は変わらず、いつかはこの主塔にまで敵がやって来て我々は敗北する」
「では、神殿に増援を要請するのだな?」
「勿論。それもベレマス殿に知られないよう密かにな」
ベレマスの命令に反して本拠点に増援を要請することを決めた部隊長の魔族兵たちは表情を鋭くする。本来なら指揮官の許可も無く勝手な行動を取ることは厳禁だが、今はそんなことを考えていられる状況ではなかった。
増援を要請することが決まると、部隊長の魔族兵の一人が女魔族兵の方を向いた。
「おい、すぐに砦を出て神殿へ向かい、増援の要請をして来い。馬では間に合わない可能性があるから、飛行可能な悪魔を使い、空を飛んで行け」
「ハ、ハイ!」
指示を受けた女魔族兵は慌てて階段を駆け下りて屋上を後にする。残った部隊長の魔族兵たちは険しい顔をしながら屋上から正門がある方角を確認するのだった。
――――――
訓練場がある広場では魔族軍の防衛部隊が進軍してきたダークの部隊と激戦を繰り広げている。ダークの部隊は魔族軍よりも戦力が若干多く、高レベルのダークや黄金騎士、巨漢騎士がいるため、戦況はマルゼント王国軍が優勢だった。
既に広場には多くの悪魔族モンスターの死体が転がっており、生き残っている魔族兵は圧倒的な不利な状況に衝撃を受けて後方に下がっていた。
広場の東側では三人の魔族兵が目を見開きながら遠くの戦闘を見ている。三人の内、一人は中年の魔族兵で残りの二人は若い魔族兵だった。
「まさかこんなことになるとは……」
「隊長、増援部隊はまだ来ないんですか!?」
中年の魔族兵が次々と倒されていく悪魔族モンスターを見て表所を歪めていると、右側にいる若い魔族兵が声を掛けてきた。どうやら中年の魔族兵が防衛部隊の隊長のようだ。
「要請を出したばかりだからまだ時間が掛かる。増援が来るまで何としても持ち堪えるんだ!」
「し、しかし、悪魔たちも殆どが倒されています。この状況で持ち堪えるのは難しいかと……」
不安の表情を浮かべる若い魔族兵を見て中年の魔族兵は奥歯を噛みしめる。確かに悪魔族モンスターは殆どが倒されており、もう防衛部隊には戦う戦力は残っていない。戦い続けても逆転するのは非常に難しい戦況だった。
どうすればいいのか中年の魔族兵は必死に考える。すると、正面から羽扇を持つモナが二人の巨漢騎士と一人のマルゼント兵を連れて近づいて来るのが見え、モナに気付いた魔族兵たちはほぼ同時に武器を構えて近づいて来るモナを警戒した。
モナは魔族兵たちの数m前まで近づくと立ち止まり、鋭い目で魔族兵たちを見ながら持っている羽扇を魔族兵たちに向ける。
「既に貴方がたの部隊は七割以上の戦力を失っています。これ以上戦っても犠牲者が出るだけ、抵抗をやめて投降してください」
大きな声で降伏を要求するモナを見て中年の魔族兵は表情を鋭くする。多くの仲間や悪魔族モンスターを失い、押されている戦況であれば普通は降伏を選ぶだろう。しかし、今自分たちがいる広場を突破されてしまうと主塔までの進軍を許すことになる。中年の魔族兵は防衛部隊の隊長として、降伏するわけにはいかなかった。
中年の魔族兵は一歩前に出るとモナを睨みながら持っている剣の切っ先を向ける。
「断る。この広場は砦の主塔へ続く道を護る防衛線、我々が負ければお前たちの進軍を許すことになる。何があっても負けるわけにはいかない」
「勝ち目の無い戦いを続けるのはただの愚行ですよ?」
「まだ負けると決まったわけではない。増援部隊が来ればお前たちを倒すチャンスはまだある。私は隊長として、諦めることなく戦い続けるぞ!」
「……そうですか」
モナは中年の魔族兵の答えを聞くと羽扇を下ろし、目を閉じて呟く。魔族兵たちが素直に投降してくれると思っていたのか、モナは少し残念そうな声をしていた。
中年の魔族兵は両手で剣を握りながら構え直してモナを睨む。すると、モナの後ろで控えていた巨漢騎士の一人が前に出てハルバートを構えた。それを見た中年の魔族兵はまず目の前の騎士を倒さなくてはいけないと感じ、巨漢騎士を見つめながら少しだけ足の位置を変える。
巨漢騎士と中年の魔族兵がしばらく睨み合うと、中年の魔族兵は上段構えを取りながら巨漢騎士に向かって走り出す。巨漢騎士は突撃して来る中年の魔族兵を見つめ、間合いに入った瞬間にハルバートを横に振った。
ハルバートの刃は中年の魔族兵を腹部から両断し、上半身はゆっくりと地面に落ちる。上半身を失った下半身も倒れ、中年の魔族兵が斬られた光景を見た若い魔族兵たちは驚愕の表情を浮かべた。
中年の魔族兵を倒した巨漢騎士は後ろに下がり、モナとマルゼント兵は中年の魔族兵の死体を見ると僅かに表情を歪ませる。死体は両断され、血だまりができているため気分が少し悪くなったようだ。だが二人はすぐに表情を戻し、驚いている若い魔族兵たちに視線を向けた。
「まだ戦いますか?」
モナが冷静な口調で尋ねると若い魔族兵たちは怯えた表情を浮かべ、抵抗することなく持ってる武器を捨てる。それを見たモナは軽く息を吐いて後ろにいるマルゼント兵の方を向いた。
「防衛部隊の隊長は戦死しました。この広場にいる魔族軍に降伏するよう伝えてください」
「分かりました」
指示を受けたマルゼント兵は走って防衛部隊の隊長が死んだことを広場にいる両軍に知らせに行く。それを見届けたモナは今度は巨漢騎士たちの方を向き、戦意を失った魔族兵を確保するよう指示する。指示を受けた巨漢騎士たちはゆっくりと魔族兵たちの方へ歩き出した。
それから防衛部隊の隊長が死んだことはマルゼント王国軍と魔族軍の両方に伝わり戦いは終わった。マルゼント王国軍は広場の制圧を喜び、魔族軍は増援が来る前に敗北したことにショックを受ける。生き残っていた悪魔族モンスターも魔族兵たちが戦意を失うのと同時に広場から逃げるように消えていった。
戦いが終わるとマルゼント王国軍はすぐに広場の周囲の警戒や状況確認を行う。武器と防具は必要か、負傷している者はどれだけいるのか、これから向かう主塔での戦いに備えて準備を進めた。
モナは数人のマルゼント騎士や魔法使いたちを集め、進軍する者と広場を確保する者を決めている。その隣にはダークが立っており、モナたちの話を黙って聞いていた。
やがて話が終わり、マルゼント騎士と魔法使いは部隊の再編成と負傷者の手当てをしに向かう。マルゼント騎士たちが移動するのを見届けたダークとモナは広場を見回した。
「今回の戦い、負傷者は殆ど出なかったな」
「ハイ、ダーク陛下が用意してくださった黄金騎士と巨漢騎士のおかげで我が軍の兵士たちは悪魔たちに襲われることが殆どありませんでした。負傷した者も何人かいますが、その殆どが軽傷で済んでいます」
マルゼント王国軍には大きな被害が出ていないことが嬉しいのか、モナは小さく笑いながら喋る。ダークはそんなモナの笑顔を見ると彼女には聞こえないくらい小さな声で笑った。
「進軍の準備が済み次第、主塔を目指して進軍するのだったか?」
「ハイ、負傷者はこの広場に残り、傷の手当てが済んだらそのまま広場を護る部隊と共に広場の防衛に就かせます。私たちは引き続き、主塔を目指して進軍を……」
モナがダークの方を向いて今後の行動について説明していると、突然広場の北側から爆発音が聞こえ、ダークとモナは音が聞こえた方を向いた。
ダークとモナ、広場にいたマルゼント兵たちが爆発音がした方を向くと、一人のマルゼント騎士が大きな声を上げた。
「敵襲ーっ! 広場の北側の出入口に敵が現れたぞぉー!」
マルゼント騎士の声を聞いたモナは目を見開き、ダークも小さく反応する。
「陛下、これは……」
「ああ、どうやら魔族軍が要請した敵の増援が来たようだ」
ダークの顔を見ていたモナは防衛部隊の隊長が言っていた増援部隊が現れたと聞くと顔に緊張を走らせ、爆発音が聞こえた方を向く。モナが驚いている中、ダークは目を薄っすらと光らせながら心の中で面倒くさく思っていた。