第二十六話 欲深き者
ザルバックス山脈を入り、険しい山道を進んで行くダークたち。草木は殆ど生えておらず、岩や崖が目の前に広がる。更に砂利道や急な坂道や狭い崖道などが進む者たちの気力を削っていく。ダークたちはそんな中を固まって進んでいた。
山脈に入ってダークたちは最初にワイバーンを探すことにした。このザルバックス山脈の何処かにワイバーンが棲みついていることは分かっている。しかも、途中で三匹のワイバーンに出くわしたことからワイバーンが大量にいることが分かった。ということは、ワイバーンの群れがこのザルバックス山脈の何処に巣を作り、そこで固まって棲みついているということになる。ダークたちはワイバーンを一度に全て倒すためにワイバーンを一匹見つけ、そのワイバーンが巣に帰る時に後をつけて巣を見つけようと考えたのだ。
崖道を一列に並んで歩きながら先へ進んでいくダークたち。先頭にダークが立ち、その後ろをアリシア、ジェイク、レジーナがついていく形だ。崖道の幅はダークやジェイクのような体の大きい者でも通ることができる幅で、アリシアやレジーナはよほどのことがない限り崖に落ちる心配は無い。だがレジーナはそれでも安心できないのか、できるだけ山側に寄りながら歩いていた。
「うう……」
崖の下を覗き込みながら震えた声を出すレジーナ。今ダークたちがいる場所は高さ約200mで一番下に見える川はとても小さく見えた。それを見て、レジーナは自分がいる場所がとても高いことを改めて実感する。
「ひぇ~、落ちたら助からないわよねぇ……」
「あまり体を乗り出すなよ? バランスを崩して真っ逆さまなんて洒落にならないぞ?」
「わ、分かってるわよ……」
ダークの忠告を聞いてレジーナは慎重に進んでいく。実はレジーナは高所恐怖症とまでは言わないが高い所はあまり好きでなく、崖道を通る時も若干嫌がっていたが、ダークたちに置いていかれることを恐れ、我慢して崖道を通ることにしたのだ。
怖がるレジーナはゆっくりと一歩ずつ前へ進み、ダークたちのそんなレジーナにペースを合わせて先へ進む。あまりにも遅いレジーナにダークたちは呆れるような反応を見せるが、苦手なんだから仕方がないと考え、レジーナを置いていかないように彼女に合わせた。
崖道を抜けて広い道へ出るとダークたちは縦一列に並ぶのをやめ、ばらけて歩き出す。レジーナも崖道を抜けてホッとしたのかさっきまでの態度とは比べ物にならないくらいの笑顔になった。そんなレジーナを見てダークたちは再び呆れ果てる。
笑うレジーナを置いておき、ダークは周辺の状況を確認するために辺りを見回した。岩肌をむき出しにする高い崖に幾つもの大きな岩、その周りにある小ぶりの岩や枯れた木、緑が殆ど見られないその山脈からは寂しさと不気味さだけが感じられる。
「……此処まで来ても緑が殆ど見られない。この山脈、まるで死んでいるみたいだな」
「ああ、そう言ってもいい。この山脈は凶暴なモンスターが生息するだけでなく、緑や水が殆ど無いことから鉱石を採りに来る者以外は誰も近寄らない。故にこのザルバックス山脈は死の山脈とも言われている」
「死の山脈か……この山脈に来る者には死を与え、この山脈自体も既に死んでいる。フッ、この山脈にピッタリの渾名だな」
アリシアから聞かされたザルバックス山脈のもう一つの名前を聞き、ダークはその名前に思わず笑ってしまう。だが今ではその人々から恐れられている凶暴なモンスターがワイバーンに襲われて姿を隠してしまっている。ダークはその現状を皮肉に思っていた。
一通り周囲を確認するとダークたちは目の前にある大きな坂道を登って更に上を目指そうとする。ワイバーンは高い所に巣を作る習性があるので、高い所に行けばワイバーンを見つけることができるかもしれないと思ったのだ。
坂道を登り始めてから数分後、坂道を登り切ったダークたちは少し大きめの広場に到着する。そこにも岩や枯れた木ばかりがあり、緑などはまったく無く寂しい場所だった。
「よし、此処で少し休憩を取るぞ」
「ふぅ~、やっと休憩かぁ。あたし疲れちゃったぁ……」
「お前の場合はさっきの崖道で精神的に疲れたんだろう?」
「仕方ないでしょう? 高い所はあんまり好きじゃないんだから」
「おいおい、それが盗賊の言う台詞か?」
身軽で色んな所を通ることのある盗賊でありながら高い所が苦手だと堂々と言うレジーナを見て情けなく思うジェイク。レジーナはそんなジェイクの表情を見て馬鹿にされていると感じたのかムッとしてジェイクの顔を見た。
二人から少し離れた所ではダークとアリシアが次にどう進むかを話し合っている。今ダークたちがいる広場にはダークたちが上がってきた道以外に更に上へ上がる道が二つあり、広場の右側の道か左側の道かダークとアリシアはそのどちらを選ぶか考えていた。
「さて、どちらを選んだほうがいいだろうか……」
「どちらの道が何処に続いているか分からないのですから、慎重に選んだほうがいいのではないのでしょうか?」
ダークの肩に乗るノワールがよく考えてから道を選んで進んだ方がいいとアドバイスをする。しかし、ザルバックス山脈に初めて来るダークたちにとってはどっちの道が何処に続いているのか全く分からない。つまり、どっちの道を選ぼうと進んでみなくては分からないということだ。
アリシアもこの山脈に来たことは無く、地図も無いためどっちの道を選べばいいのか分からなかった。そのため、ダークの隣で腕を組みながら難しい顔をして考え込んでいる。
「……こんなことならこの山脈に来たことのある騎士から訊いておくべきだったな」
「ああ、私も冒険者ギルドで情報を集めておくんだった。完全に失敗した」
「で、どうするのだ、ダーク? どちらの道を選ぶ?」
アリシアがダークに二つの道の内、どちらを選ぶか尋ねるとダークは目の前にある二つの坂道を見てどちらを選ぶか考える。しかし、ザルバックス山脈がどんな所で何があるのか分からない以上、いくらダークでもお手上げ状態だった。ノワールに飛んでもらって上空から調べてもらうという手もあるが、ノワールの小さい体では上昇できる高さには限界がある。山脈全体を見渡せるほどの高さに上がることはできなかった。
ダークが珍しく低い声を出しながら考え込む姿を見てアリシアは意外に思いながらも、自分もどっちの道を進むべきか考える。小さく俯いて目を閉じながら悩むアリシア。するとアリシアの頭の中にあることが浮かび、アリシアは思わず顔を上げた。
「そういえば、ジャック隊長はどうされたのだろうな……」
「ん? ……ああぁ、あの男か」
ダークは詰め所で一緒に行くと言っていた第八中隊の隊長であるジャックのことを思い出す。
アルメニスの町を出る時、正門前にはジャックや彼の部下である兵士たちの姿は無かった。その時のダークは自分がジャックに言った脅しのような警告を聞いて来なくなったのだと考え、気にせずに出発する。もともと一緒に行く気も無かったのでダークは今までジャックのことをすっかり忘れていたのだ。
「結局、ジャック隊長や第八中隊の者たちは現れなかったが、諦めたのだろうか?」
「恐らくな。私が危険な状態になっても助けず、見殺しにすると聞いて怖気づいたのだろう。見た感じ、出世欲の高そうな男だったからな。死んでしまえば出世できなくなると考えて諦めたに違いない」
ダークが口にするジャックの印象をアリシアは黙って聞いていた。普通なら同じ騎士団の者を悪く言うのを止めるべきなのだが、アリシアもジャックの印象をダークと同じように感じていたので何も言わなかった。騎士も人間、相性の合う者がいれば仲良くなるし、相性の悪い者がいれば嫌いにもなる。それは人間として当然のことだった。
ジャックのことを思い出したダークとアリシアは仕事に専念するために気持ちを切り替え、再び右の道と左の道のどちらを選ぶか考え始めた。だがその時、突然左の道の方から男の悲鳴らしき声が聞こえてくる。
「なんだ?」
「誰かいるのか?」
悲鳴を聞いたダークとアリシアは同時に声のした方を向く。レジーナとジェイクも驚いて左の道の方を見た。
「もしかして、鉱石を採りに来た人じゃないでしょうか?」
悲鳴を聞き、ノワールが声の主を想像する。するとアリシアはノワールの方を向いて軽く首を横に振った。
「あり得ない。ワイバーンが現れるようになってからこの山脈には一般人は勿論、鉱石を採掘する者すら近づくことを禁じられているのだ」
「じゃあ、この声の持ち主は……」
「……大体想像はつくがな」
ダークは低い声で呟くと走って左の道へ進んだ。アリシアもその後を追って走り出し、置いてかれたレジーナとジェイクも慌てて追いかける。
左の道へ入ってからしばらく進んでいくと、ダークたちの目に岩の高台や枯れた木の近くに沢山の死体が転がっている光景が目に飛び込んできた。ダーク以外の三人はその光景を目にして思わず驚いてしまう。
死体は確認できるだけで八つあり、その全てが鎧や兜を身に付けたセルメティア王国の兵士たちだった。兵士たちの近くのは彼らが使っていたと思われる剣や槍が転がっている。だが、それよりもアリシアたちを驚かせたのはその死体の殆どが全身を黒焦げにされたり腕や足、腹部など体の一部が何か巨大な生き物に噛み千切られたり、引き裂かれたりして直視できないくらい酷い状態になっていることだった。
あまりにもぞっとする光景にアリシアたちは目を逸らした。更に周囲に漂う血と肉の焼ける臭いが鼻を直撃し、アリシア達は僅かに吐き気を感じ気分を悪くする。ダークと肩に乗っているノワールは不快にはならないのか黙って転がっている死体を見ていた。
「マスター、これって……」
「ああ、間違いなくワイバーンの仕業だろう」
「見たところ、セルメティア王国の兵士たちみたいですが、どうしてこんな所に? この山脈に来ているということは彼らもワイバーンの討伐に来たと考えられます」
「そうなるな」
「でも、どうして彼らがワイバーンの討伐に来たのでしょう? マーディングさんから直接頼まれた僕たち以外に討伐に来る人なんて……」
「……いるぞ」
「え? いったい誰……あっ!」
ノワールはダークが誰のことを言っているのか気付き、ハッと顔を上げる。ダークの隣で二人の会話を聞いていたアリシアもダークの会話の内容と倒れている兵士たちの死体から誰のことを言っているのか察しがついた。
ダークたちがその場から動かずにいると前方にある岩の陰から一人の男が現れる。その男は白い鎧を着て紺色のソフトモヒカンの頭をした騎士で全身に酷い傷を負っており、持っている突撃槍を杖代わりにして歩いていた。なんとそれはいるはずの無い第八中隊隊長のジャックだったのだ。つまり、倒れている兵士たちは第八中隊に所属していた兵士たちであった。
重傷のジャックの姿を見てダークはやっぱりな、と言いたそうな反応をし、アリシアたちはボロボロのジャックの姿を見て驚いている。ジャックは全身の痛みのせいで周りが見えていないのかダークたちの存在に気付いていない。
「ちくしょう……あの空飛ぶ蜥蜴どもめぇ! 俺をこんな目に遭わせやがって……」
痛む体を必死に動かしながら歩き続けるジャック。腕や額、腹部からは出血しており、腕や足には火傷もしている。恐らくワイバーンの炎を受けてしまったのだろう。
周りに倒れている部下の死体を見たジャックは表情を歪ませる。なぜこんな所に来てしまったのか、なぜ自分がこんな目に遭わないといけないのか、今のジャックにはそのことしか頭になかった。これ以上此処にいたらまたワイバーンに襲われる。そう直感していたジャックは急いで下山しようとする。すると、目の前にいるダークたちに気付いて驚きの表情を浮かべて立ち止まった。
「お、お前ら……!」
「ジャ、ジャック隊長、どうして此処に?」
「……大方、私たちに手柄を取られる前に自分たちがワイバーンを全滅させようとして私たちより早く町を出たのだろう。急いでいたため、ろくな準備もせずに山脈に来たせいでワイバーンたちに返り討ちにされて部隊が全滅した。……そんなところだろうな」
「……クッ!」
ジャックを見ながら呆れるような口調でダークは自分の推測を口にする。図星だったのかジャックは何も言い返さずに詳しそうな顔で目を逸らした。
ダークは周りにいるジャックの部下の死体を見てどんな戦いだったのか想像し、ジャックを見ながら小さく息を吐く。
「お前の様子と全滅している部下たちからして、相当ワイバーンに可愛がられたようだな?」
「う、うるさいっ!」
「……お前の手柄を取りたいというちっぽけな欲のせいでなんの関係もないお前の部下たちは死んでしまった。お前の責任は大きいぞ?」
「だ、黙れぇ! もとはと言えば、お前たちが目立ち、今回の件を引き受けるからこうなったんだ!」
「おやおや、自分の失敗を棚に上げて人のせいにするか? そんなのでよく騎士を名乗れるものだ」
「クッ! 貴様のような忠誠心を持たない黒騎士が知ったようなことを言うな!」
感情的になりながら無茶苦茶なことを言うジャックと冷静に正論を述べるダーク。二人の言い合う姿を見たアリシアたちは自分のことしか考えない王国騎士のジャックよりも黒騎士でも仲間のことをちゃんと考えるダークの方が騎士を名乗るにふさわしい存在だと感じた。
「そもそも私は詰め所でちゃんと警告をした。だがお前は警告を無視してこの山脈に入り、ワイバーンにやられた。これは全てお前が招いた結果だ。怨むなら自分の愚かさを怨め」
冷たく低い声で現実をジャックに言い放つダーク。ジャックは何を言っても言葉ではダークには勝てないと感じたのか黙り込んでしまう。そんなジャックの姿を見たレジーナはクスクスと笑っていた。
ジャックとの話を終えたダークは先へ進むために歩き出す。兵士たちの死体の間を通ってジャックの隣を通過しようとした時、ダークはジャックの真横で立ち止まり、チラッとジャックの方を向く。
「これ以上、お前が此処にいてもなんの意味も無い。生き残った部下を連れてすぐに下山しろ」
「……お前の指図は受けない!」
「私は善意で言っているのだ。今の状態でワイバーンに出くわしたらお前は戦うことはおろか逃げるのも無理だ。此処に残るということはワイバーンに殺してくださいと言っているようなものなのだぞ?」
「くうぅ、言いたいこと言いやがって!」
「……分かっていると思うが、詰め所でも言ったように私はお前の身に何が起きても一切責任は取らないし、ワイバーンに襲われて死にそうになったとしても躊躇なく見捨てさせてもらう。……私は嫌いな奴を助けるほどお人好しではない」
ダークは目を赤く光らせながら低い声でジャックに言い放つ。ジャックはその言葉を聞いて初めてダークに対して恐怖を感じた。今までダークのことをただの黒騎士の冒険者としか見ていなかったが、今になってようやくダークが恐ろしい男なのではないかと考えるようになったようだ。
ジャックに最後の警告をし、ダークは再び先へ進もうとした。だがその時、突如足元が暗くなり、それに気づいたダークは足を止めて上を向く。すると大きな翼を広げたワイバーンが急降下してくる姿が目に入り、ダークは一瞬驚くもすぐに後ろにいるアリシアたちの方を向いて声を上げた。
「離れろっ!」
「え?」
アリシアはダークの言葉の意味が分からなかったが、急降下してくるワイバーンが視界に入った瞬間にダークの言葉の意味を理解する。レジーナとジェイクもワイバーンに気付き、三人は急いでその場から移動した。
ダークもアリシアたちが移動するのと同時に大きく後ろへ跳んでその場から離れる。だが、ジャックはワイバーンに気付くのが遅れてしまいその場から離れることができなかった。そこへ急降下して来たワイバーンがダークの立っていた所に轟音を立てながら着地する。それと同時にワイバーンは後脚で逃げ遅れたジャックを踏みつけ、鋭い爪でジャックの体を貫いた。
ジャックは何が起きたのか理解できずに自分を踏みつけているワイバーンを呆然と見つめる。体を貫いている爪を見て自分が致命傷を負っていることに気付くと今まで感じたことの無い恐怖と冷たさが体を包み込む。そしてその直後、ジャックの意識は闇に消えた。
ダークはジャックが踏みつけられた姿を見ると黙って大剣を抜き、ワイバーンを睨みながら構える。ジャックが死んだことについては何も感じず、ダークはただ目の前のワイバーンにだけ集中した。そこへワイバーンを警戒して離れていたアリシアたちがダークに駆け寄り合流する。ジャックの姿を見てアリシアは僅かに表情を曇らせる。嫌いだったとはいえ、同じ騎士団の人間が死ぬのにはやはりショックのようだ。
だが目の前にワイバーンがいるため、アリシアはすぐに気持ちを切り替えてエクスキャリバーを鞘から抜く。レジーナとジェイクも自分の武器を手に取り、ワイバーンを見て構えた。
「大丈夫か、ダーク?」
「ああ、問題ない」
「まさかこんなにも早くワイバーンと遭遇するとは……」
「恐らく此処でジャックたちを襲ったワイバーンだろう。空を飛びながらジャックたちを探しているうちに私たちを見つけて襲ってきた、というところだな」
「まだ近くを飛んでいたのか」
アリシアはエクスキャリバーを構えながら目を鋭くしてワイバーンを見つめた。この近くをワイバーンが飛んでいたのなら、まだ他にもワイバーンがいる可能性がある。ダークたちは他にもワイバーンがいないか目の前にいるワイバーンに注意しながら周囲を警戒した。
目の前にいるダークたちを見て唸り声を上げるワイバーンは後脚を一歩前に出す。すると、ワイバーンは自分がジャックの死体を踏みつけていることに気付き、邪魔になったのか、それとも空腹だったのか大きく口を開けて踏みつけているジャックの死体にかぶりついた。骨やジャックが着ていた鎧を噛み砕く音が広がり、それを聞いたアリシアたちは思わず表情を歪める。
「うげぇ、気持ち悪い……」
「飯を食ったばかりなのに、勘弁してくれよ……」
「というか、敵を前にしてよく食べることができるわよね、あのワイバーン」
レジーナとジェイクはワイバーンがジャックの死体を貪り食う姿を見て顔色を悪くする。ダークとアリシアはレベルが高いせいか、それとも見慣れているせいなのかワイバーンが死体を食べる光景を見ても顔色を殆ど変えなかった。
「ダーク、まずはどう攻める? まだ近くに別のワイバーンがいる可能性がある。他のワイバーンが来る前にさっさとコイツを倒すか?」
「いや、他のワイバーンが出てくることは無い。念のためにモンスター探知の技術を使って周囲を調べたが、目の前のコイツ以外にモンスターは一匹もいない」
「なら、安心してコイツを倒せるな」
アリシアはエクスキャリバーを構えながら一歩前に出ようとする。するとダークがアリシアの前に腕を出して止めた。
「ダーク?」
「コイツは倒さずに重傷を負わせて逃がす」
「え?」
「この山脈の何処かにワイバーンの巣があることは間違いない。なら、コイツに傷を負わせてそのまま逃がし、奴らの巣まで案内してもらおう」
「なるほど、その手があったか」
ダークの考えた作戦を聞いてアリシアは感心する。このまま手掛かりも無くワイバーンの巣を探すよりも、ワイバーン自身に巣へ案内してもらった方が効率がいい。アリシアは頭の回転の速いダークを見て彼のことをますます頼もしく感じた。
食事を続けているワイバーンを見てダークはどう攻撃するかを考えていた。
(さて、どうするかなぁ……俺の攻撃力で普通に攻撃すればワイバーンは一撃でくたばっちまう。とりあえず、力を抜いて急所でない箇所を攻撃するのが得策か。……片脚を切り落とすぐらいでいいだろう)
どう攻めるか決めたダークはワイバーンの左の後脚に狙いを付け、勢いよく地面を蹴りワイバーンに向かって跳んだ。アリシアはもの凄い速さでワイバーンに向かって跳んでいくダークを目で追う。ダークはワイバーンに足元に入り込むと後脚の真横を通過するのと同時に大剣で左後脚を切った。切られた箇所からは血が噴き出てその痛みにワイバーンは食事を止めて鳴き声を上げる。
ワイバーンの真後ろに立つダークは反撃に備えて振り返る。すると予想通り、ワイバーンはダークの方を向いて彼を睨みながら大きな尻尾を横に振って反撃してきた。右から迫ってくる尻尾を見てダークは大剣を縦に持ち、尻尾の攻撃を大剣で止める。普通なら盾代わりにしている大剣ごと吹き飛ばされるが、レベル100のダークはピクリとも動かずにその場に踏みとどまった。
「……まだ逃げないか。ならもう少し攻撃することにしよう」
傷は負ったが退く様子を見せないワイバーンを見てダークはもう一撃攻撃を加えることにした。ダークは大剣で止めていた尻尾を押し戻すと素早く大剣を振って尻尾の先端を切り落とす。尻尾を切られたことで更なる痛みが襲い、ワイバーンは再び大きな鳴き声を上げる。
すると、ワイバーンは大きく竜翼を広げて羽ばたきだし、ゆっくりと飛び上がる。ワイバーンは後脚と尻尾から血を流しながら山脈の奥の方へ飛んでいき、そのまま逃げ去っていった。
「よしっ、ワイバーンが逃げていくぞ。後を追って巣の場所を突き止めるんだ」
「ああ!」
「ノワール、お前は俺たちがワイバーンを見失った時のために先に奴を追いかけろ」
「分かりました!」
指示を受けたノワールは小さな竜翼を広げて飛び上がり、逃げたワイバーンの後を追って山脈の奥へ飛んでいく。ノワールが飛んでいったのを見たダークは後ろにいたレジーナとジェイクの方を向いて声をかける。
「お前たち、ワイバーンの後を追うぞ。遅れないように全力で走れよ!」
「え? ええ?」
「あ、兄貴、まさか飛んで逃げたワイバーンを走って追いかけるのか?」
「そんなの無茶よ、絶対に途中で見失っちゃうわ!」
足でワイバーンを追いかけるなど無茶だと考えるレジーナとジェイクの話を聞かずにダークはアリシアと何かを話している。そして話が終わると二人は走ってワイバーンの飛んでいった方へ走り出す。
本当に走って後を追いかける二人を見てレジーナとジェイクは目を丸くしながら驚いた。
「ほ、本当に走って追うつもり……?」
「と、とにかく追いかけるぞ! こんな所に置いてかれるなんて洒落にならねぇぞ!」
レジーナとジェイクは慌ててダークとアリシアの後を追って走り出す。だが、多くの坂道や岩が行く手を阻みレジーナとジェイクは思うように動けなかった。そんな中、ダークとアリシアは坂道を駆け上がり、岩と岩の間を素早く通ってワイバーンの後を追った。
「な、なんなのあの二人……」
「こんな険しい道を顔色一つ変えずに進むなんて、どんな体力してるんだよ……というか、あの二人ってレベル幾つなんだ?」
走りながら先へと進んでいくダークと少し遅れてダークの後を追うアリシアを見てレジーナとジェイクは二人の人間離れした身体能力に呆然とする。二人はダークだけでなく、彼と同じくらいの身体能力を持つアリシアのことも気になり、この仕事が終わったら絶対にダークの正体やアリシアの力の秘密を訊き出す、そう心の中で考えながら必死に後を追った。
ザルバックス山脈は上に上がるにつれて険しさが増していき、普通の人間なら簡単には来られないような所になっていた。先に行ったノワールは飛んでいくワイバーンの後を追い続ける。レベルが高いとはいえ、小さな体のノワールではワイバーンの後を追うのも一苦労らしく、ノワールの顔には僅かに疲れが見えていた。だが、主人であるダークのために必死に後を追った。
やがて逃げたワイバーンは大きな岩壁がある場所まで飛んできて岩壁に空いている大きな穴の中へ飛び込むように入っていった。それを見たノワールは急停止して岩壁に空いている穴を見上げた。
「あの中に逃げ込んだということは、あそこがワイバーンたちの巣である可能性が高いな……」
飛んだまま巣らしき穴を見上げてノワールは呟いた。
穴がある岩壁は約150mの高さで穴はその岩壁の上の方に空いている。ノワールのように空を飛べば行くことはできるがダークたちのような空を飛べない者には到底辿り着けるような場所ではない。しかし、なぜかノワールは困ったような顔を見せず、黙って高い所にある穴を見上げていた。
「……とりあえず、場所は分かったわけだし、マスターたちのところに戻ろう」
ノワールはダークたちに巣の場所を教えるために来た道を戻っていく。ノワールは空を飛べるので道を忘れたとしても上空からダークを探すこともできるため、慌てずに道を思い出しながら戻っていった。
その頃ダークたちはワイバーンが飛んでいった方角に真っ直ぐ走っており、今は小さな広場で止まり、周囲を見回していた。ワイバーンの姿は見失ってしまったが、見失ったのはほんの十数秒前だったので、この近くにいると確信して周囲を探している。
「この近くに巣がある可能性が高いな」
「ああ、ワイバーンは高い所に巣を作る習性があるから高い岩壁などをよく見た方がいい」
アリシアのアドバイスを聞いてダークは周りにある岩壁や崖の上などを念入りに確認する。アリシアも歩きながら上を向いてワイバーンの巣を探していた。
レジーナとジェイクはもの凄い速さで走る二人を見失わないように全力で走っていたため、完全に疲れ切っており、近くにある岩にもたれながら休んでいる。二人は呼吸を乱しながら大量の汗を掻いていた。
「……あの二人、あれだけ全力で走ったのに全く疲れた様子を見せないわね……」
「俺、あの二人が本当に人間なのかを疑いたくなってきたぜ……」
巣を探索しているダークとアリシアを疲れ顔で見ながらレジーナとジェイクは呟く。
二人は重い鎧を身に付けたまま走っており、普通はそんな重装備で走ればすぐに息が切れるし、長距離を走ることはできない。だが、ダークとアリシアは鎧を着たまま全速力で走っていた。並の人間が体を鍛えただけではそんなことはできない。レジーナとジェイクは二人のレベルがどれだけ高いの気になり、二人を見つめる。
ダークとアリシアが巣の場所を探していると、そこにノワールが飛んできた。ノワールが戻ってきたのに気づいたダークとアリシアは巣を探すのをやめてノワールの方を向く。
「マスター! 見つけました」
「巣の場所が分かったのか?」
「ハイ、すぐ近くの高い岩壁にありました」
ノワールはダークの肩に乗ると巣のある方角を前脚で指した。
「あっちか……」
「苦労しましたよ。ワイバーンが予想よりも速くて、見失わないように全力で追いかけたんですから」
「そうか、悪かったな」
ダークはノワールの頭を優しく撫で、ノワールも気持ちよさそうにしている。その時のダークの声はどこか嬉しそうな声だった。自分のために全力でワイバーンを追いかけてくれたノワールに嬉しさを感じたのだろう。
ワイバーンの巣の場所が分かり、ダークとアリシアはノワールに案内されて巣の場所へ向かう。レジーナとジェイクはまたすぐに移動し始めるダークとアリシアを見て慌てて後を追った。休む間もなく移動を繰り返すことに二人は深く溜め息をつく。
ノワールに案内されてダークたちは巣穴のある岩壁の前にやってきた。高い所にある大きな穴からはワイバーンの鳴き声が聞こえ、ダーク以外の三人の表情に鋭さが増す。
「あそこがワイバーンの巣か……」
「思ったよりも大きいわね」
「あの大きさなら結構な数が入りそうだ。いったい何匹いるんだ?」
「さあな、何匹いるかは巣の中を見てみないと分からない」
「巣を見るって、どうやって?」
レジーナはどうやって高い所にある巣穴の中を確認するのかをアリシアに尋ねる。アリシアはどうやって確認するか分からずに困り顔で黙り込んだ。
岩壁はとても高く、ワイバーンの巣は普通の人間では辿り着けない場所にあった。岩壁はよじ登るには高すぎるし、上から下りることもできない。下手に近づけばワイバーンに襲われる可能性もあった。
ダークの脚力強化で巣穴のところまでジャンプし、そのまま巣穴に飛び込むという手もあったが、いくら脚力強化でジャンプ力を高めたダークでも100m以上ジャンプすることはできない。仮に巣穴のところまで届いたとしても、ダーク一人に何匹いるか分からないワイバーンたちの相手をさせるわけにはいかなかった。
アリシアがどうするか考えているとダークが肩に乗っているノワールをみた。するとノワールは小さく頷き、ダークの肩から下りると人間の姿に変身する。黒い短髪に赤い目、頭から茶色い角を二本生やし、灰色のローブ姿をした十二歳くらいの少年。久しぶりに見た人間の姿のノワールにアリシアたちは一斉に注目する。
「ノワール、頼んだぞ」
「ハイ、マスター」
ダークに言われてノワールは持っている見習い魔法使いの杖を構えて目を閉じる。するとノワールの前にバレーボールほどの火球が現れた。突然火球を作り出すノワールを見てアリシアたちは思わずまばたきをする。
「ダーク、何をさせるつもりだ?」
「蜥蜴どもを穴からいぶり出すんだ」
「……え?」
言っている意味が変わらずアリシアは目を丸くする。その直後、ノワールは目を見開いた。
「追尾する爆炎!」
ノワールが叫びながら杖を振り、それと同時に火球がワイバーンの巣に向かって飛んでいく。火球は真っ直ぐ飛んでいき、このままでは巣穴に入らず、巣穴の近くに当たってしまう状態だった。だが次の瞬間、火球がグニャリと軌道を変えて巣穴の正面に移動し、そのまま巣穴の中に真っ直ぐ入っていく。
火球の信じられない移動を目の当たりにしたアリシアたちは驚きの表情を浮かべるが、その直後に巣穴の中から爆発音が聞こえて更に驚きの反応を見せる。巣穴から灰色の煙が上がり、それを見たダークは小さな声で笑った。
ノワールが使った<追尾する爆炎>は狙った場所や敵を追尾する火属性の上級魔法。一度狙いを付ければ相手がどんな動きをしようと正確に後を追うので移動速度の速い敵には打ってつけの魔法だ。しかもこの魔法は敵が障害物の陰に隠れても狙いを付けていればその障害物を避けて敵を追うので、命中率が高く多くのプレイヤーが習得する。ノワールもワイバーンの巣の中を狙って魔法を発動したため、火球は巣穴の正面まで移動し正確に巣の中に入ったのだ。
ダークたちがワイバーンの巣を見上げていると、鳴き声と共に巣穴の中からワイバーンたちが飛び出してきた。数は八匹でその中にはダークに後脚と尻尾を切られたワイバーンもいる。爆発に驚いて巣から飛び出したワイバーンたちはダークたちの姿を確認するとすぐに爆発の原因がダークたちだと気付いたのか、鳴き声で仲間に合図を送る。ワイバーンたちは竜翼を広げて降下し、ダークたちの真上まで移動すると飛んだままダークたちを見下ろした。
「まさかこんなにいるとは思わなかったぜ」
「ど、どうするの、ダーク兄さん?」
レジーナがエメラルドダガーを抜いてダークのこの後どうするかを尋ねるとダークは大剣を抜いて頭上にいるワイバーンたちを見上げた。
「此処でコイツらを全部倒す」
「た、倒すって簡単に言うけどさぁ……」
「今度はノワールも魔法を使って戦う。私も少し力を入れて戦うつもりだ。……だが、だからと言って油断はするな?」
ダークの忠告を聞いてアリシアたちは自分の武器を構え、羽ばたきながら自分たちを見下ろしているワイバーンたちを見上げた。ワイバーンたちも地上から自分たちを見ているダークたちを睨みつけている。
「さて……人々を襲い、餌にしてきた空飛ぶ蜥蜴たちよ、断罪の始まりだ」
そう呟き、ダークは大剣を強く握りながら目を赤く光らせた。