第二百三十七話 小さな大魔導士
モナを牢から出すため、ノワールは牢の扉の鍵を詳しく調べる。ハッシュバルとダンバもノワールの後ろでどんな鍵なのは確認していた。
牢の鍵はこれと言って複雑な作りではなく、魔法もかけられていない何処にでもある普通の鍵だった。ノワールは鍵の状態を確認すると、これなら問題ないと言いたそうな表情を浮かべる。
「この程度の鍵なら難なく開けられますね、開錠」
ノワールは人差し指を鍵穴に近づけて魔法を発動させる。すると、鍵穴が薄っすらと水色に光り出し、鍵が開く音がした。ノワールが扉をゆっくりと引くと、さっきは動かなかった扉が開き、ノワールは小さく笑う。
<開錠>は水属性の下級魔法で鍵を開ける時に使う魔法である。ダンジョンで発見した扉や宝箱の鍵を開けることができるため、LMFでは重宝されていた魔法の一つだ。しかし、解錠できるのは簡単な鍵だけで、罠や複雑な鍵、魔法が施された鍵などは解錠できない。しかも使用できる回数は一日に四回とされているので、高レベルのプレイヤーがいくダンジョンなどではあまり活躍しないと言われていた。
倉庫の入口もこの魔法なら簡単に鍵を開けられたが、ノワールは敵を脅かすためにわざとショックバーンで扉を破壊したのだ。
ノワールが牢の鍵を開けたのを見たハッシュバルとダンバは、ほぉというような顔を見せる。普通なら驚くところだが、既にノワールは下級魔法で敵を倒し、転移魔法も使っているので、二人は鍵を開けたのを見たくらいでは驚かなくなった。
「まさか解錠の魔法まで使えるとは、幼いのに大したものだな?」
「いいえ、僕なんてまだまだですよ」
「謙遜することはない。君ほどの歳で複数の魔法を使える者はそうはいない。胸を張っていいと思うぞ」
別に謙遜しているつもりは無いのだが、普通に褒められるのは嬉しいことなので、ノワールはハッシュバルに見られないようにして小さく笑った。
レベル94のノワールなら魔法を使わなくても普通に力だけで牢の扉を破壊することができるが、子供が力で扉を壊すところを見せてしまうと、さすがに高レベルだとバレてしまうので魔法を使ったのだ。
ノワールは静かに牢の中に入り、ハッシュバルとダンバも続くように入って行く。牢の隅ではモナが横になっており、ノワールたちはモナに近づくと彼女の状態を確認する。
「……全身傷だらけだな、どうやらかなり手酷くやられたようだ」
「連中も四元魔導士の一人を相手にするのだから、捕まえる時に全力で挑んだんだろう。それにこの傷じゃ、魔法を使って自力で脱出することも無理だったんだろうな」
「チッ、いくら四元魔導士でも、女相手にここまでやるとは、とんでもない連中だな。ゼルデュランの瞳は……」
ゼルデュランの瞳のやり方に対してハッシュバルは怒りを感じ、ダンバも傷だらけのモナを見ながら険しい顔をする。二人は仲間であるモナをこんな目に遭わせたゼルデュランの瞳を必ず壊滅させてやると改めて誓った。
ハッシュバルとダンバが険しい顔をしている中、ノワールはモナの体を調べ、致命傷と言えるような傷が無いのを確認する。体の傷が全て打撲や掠り傷のような軽いものだと知ったノワールは大丈夫だな、と言いたそうな顔をして横になるモナの肩にそっと手を置く。
「モナさん、大丈夫ですか? モナさん」
ノワールはモナの肩を軽く揺らしながら呼びかけ、ハッシュバルとダンバはノワールがモナを起こそうとしているのを見ると、顔から険しさを消してモナに注目する。
しばらく肩を揺らすと、モナはゆっくりと目を開け、それを見たノワールは小さく笑い、ハッシュバルとダンバは目を覚ましたことに安心の表情を浮かべた。
「大丈夫ですか?」
「……此処は」
「モナさん、僕が分かります?」
「ううん……貴方は、ノワール君?」
目の前にある少年の顔を見たモナは小さな声で名前を口にし、ノワールは自分のことが理解できるモナを見ると、脳などには異常は無いようだと安心する。ノワールはもう少し詳しくモナの状態を確認するため、横になっている彼女をゆっくりと起こして座らせた。
モナは壁にもたれながら目の前を確認すると、ノワールと仲間のハッシュバル、ダンバの姿が視界に入り、半開きの目をゆっくりと大きく開けた。
「ハッシュバル、ダンバ、どうして此処に?」
「助けに来たんだ。お前がゼルデュランの瞳に捕まったと聞いてな」
「……そう言えば、私は劇場区にあるゼルデュランの瞳の隠れ家を探している時にゼルデュランの瞳のメンバーと思われる戦士たちに取り囲まれ、それから……」
自分の身に何かあったのか、モナは俯きながら記憶を辿っていく。そして、劇場区でゼルデュランの瞳に襲われ、捕まった後に商業区の隠れ家に連れて行かれて尋問を受け、その後に今いる牢に閉じ込められたことを思い出した。
モナは全てを思い出すと、フッと顔を上げてノワールたちを見つめる。目の前にいる三人が自分を助けるために危険な場所に侵入して来たのだと知り、モナは驚きと嬉しさを感じた。
「私なんかを助けるために、こんな危険な所にやって来たのですか?」
「何言ってるんですか、モナさんだから助けに来たんですよ」
ノワールはモナを見つめながら笑顔で答え、そんなノワールを見たモナは照れているのか、僅かに頬を赤くした。
「ありがとうございます、一度ならず二度までも貴方に助けてもら……ん?」
感謝の言葉を伝えようとしていたモナはある疑問に気づき、目を丸くしながらノワールの顔を見る。突然表情を変えたモナを見て、ノワールは不思議そうな顔で小首を傾げた。
「そう言えば、ハッシュバルとダンバがいるのは分かりますが、どうして一般人のノワール君が此処にいるのですか?」
「おいおい、今頃それを疑問に思うか? しかもこの状況で」
モナの反応を見てダンバはからかうような口調で語り、モナは自分を小馬鹿にするような態度を取るダンバをジロッと見つめた。そんな二人のやりとりを見て、ノワールとハッシュバルは苦笑いを浮かべる。
冷静に考えれば子供のノワールが四元魔導士の二人と一緒にゼルデュランの瞳の隠れ家にいるのを不思議に思うのは当然のことだった。
「モナ、そのことは後で詳しく話す。今は此処から脱出することが先だ」
ハッシュバルは詳しく説明するよりも脱出することが重要だとモナに伝え、それを聞いたモナは少し不満そうな顔をしながらも納得する。
脱出するため、モナは体中の痛みに表情を歪ませながら何とか立ち上がり、ハッシュバルはそんなモナに肩を貸す。ノワールとダンバはモナが立ち上がったのを確認すると二人を先導するために牢から出ようとする。すると、出入口の扉が開き、ドルウォンの護衛である三人の男が入ってきた。
「今こっちから何か声が聞こえたが、どうかしたのか?」
男の一人が力の入った声を出しながら部屋を確認すると、死んでいる二人と仲間と牢の中にいるノワールたちが目に入る。モナ、ハッシュバル、ダンバは敵に見つかったことで驚きの表情を浮かべているが、ノワールだけは無表情で男たちを見ていた。
部屋の中を見た男たちは最初は驚きの反応を見せたが、すぐにノワールたちが仲間を殺し、捕らえていたモナを逃がそうとしていることに気付いた。
「貴様ら何者だ、どうやって此処に侵入した!」
険しい顔をしながら男の一人が腰の剣を抜き、他の二人も続いて剣を抜く。構える男たちを見て、ハッシュバルはモナに肩を貸しながら表情を鋭くし、ダンバもモナを守るように前に出て戦う体勢に入る。
双方が睨み合っていると、男たちの後ろからドルウォンが姿を見せる。そして、牢の中にいるノワールの姿を見ると目を大きく見開いた。
「お、お前はあの時の小僧!」
ドルウォンが声を上げるとノワールたちはドルウォンの方を向き、護衛の男たちも振り返った驚いているドルウォンを見た。
「またお会いしましたね、ドルウォンさん」
驚くドルウォンにノワールは無表情のまま挨拶をする。ドルウォンはノワールに挨拶されると僅かに表情を歪ませながら微量の汗を流す。
「ど、どうしてお前が此処にいる?」
「勿論、モナさんを助けるためです」
侵入がバレた今となっては隠す必要も無いのでノワールは誤魔化しなどせず、正直にドルウォンの質問に答える。ハッシュバルとダンバも教えても問題無いと思っており、黙ってノワールとドルウォンの会話を聞いていた。
モナを取り戻すために警戒していた子供と二人の四元魔導士が隠れ家に侵入して来たことに対してドルウォンは不愉快そうな顔をし、同時に焦りを感じている。もしここで折角捕らえたモナを取り戻されるようなことになれば、自分の立場は一気に危うくなってしまうからだ。
いや、それ以前に隠れ家の場所を知られ、侵入までされたなんてことがボスである丼鼠色のマントの人影に知られれば命が危ない。ドルウォンはこのことをボスや他の幹部に知られる前にノワールたちを片付けなければならないと考えた。
「お前たち、ソイツらを捕らえろ! 何があっても絶対に逃がすな」
「で、ですが旦那、四元魔導士が三人もいるんですよ? 俺らだけじゃさすがに……」
「何を言っている! お前たちにはその魔法の鎧があるだろう!? それさえ身に付けていれば問題無い。それにこんな狭い部屋では奴らも強力な魔法は使えんはずだ」
装備と戦う場所から自分たちの方が有利だとドルウォンは強い口調で男たちに言う。それを聞いた男たちは大丈夫なのか、と少し疑問に思うような顔をしながらノワールたちの方を向いて剣を構え直す。
ドルウォンの言うとおり、男たちが身に付けている鎧は魔法防御力が高い。しかも数時間前にノワールとモナが戦った男たちが身に付けていた鎧よりも優れている代物だ。だから攻撃力の無い魔法は勿論、下級の攻撃魔法でも耐えることが可能だった。
更に今ノワールたちがいる場所は牢のある狭い部屋で強力な魔法を使えば敵だけでなく、魔法を使った本人も巻き込まれる可能性がある。魔法に耐えられる防御力と強力な魔法を使えない場所のことを考え、ドルウォンはノワールたちに勝てると考えてたのだ。
「最初に捕らえていた女は生かしておけ。他の三人は殺しても構わん」
「へい」
改めてドルウォンは男たちにノワールたちを捕らえるよう命じ、男の一人は低い声で返事をする。これでもしノワールと四元魔導士を捕らえることができれば、前回の汚名を晴らすことができる、ドルウォンはそう思いながら不敵な笑みを浮かべた。
一方、モナたちはドルウォンたちを見ながら緊迫した表情を浮かべる。確かにドルウォンの言うとおり、狭い部屋の中では巻き添えを喰らう可能性があるため、強力な魔法は使えない。現状でモナたちが使えるのは下級魔法だけだ。
しかも、今いる場所は牢の中、まともに身動きが取れない上に鉄格子が邪魔をして男たちを攻撃することもできない。圧倒的にモナたちが不利な戦況だった。
「どうする、モナ?」
ドルウォンと男たちを警戒しながら、ハッシュバルが小声でモナに話しかける。今の状況を脱するには軍師であるモナの知恵を借りるしかないと判断したのだ。
モナは鋭い目でドルウォンたちを見ながらこの危機的状況をどう脱するか考える。だが、魔法防御力がある戦士に狭い部屋で勝つ方法など、流石のモナでもすぐには思いつかない。モナはいい案が思いつかないことを悔しく思いながら男たちを睨む。
そんな中、男たちは一歩ずつ、ゆっくりと牢に近づき、モナたちとの距離を縮めていく。モナたちは微量の汗を流しながら迫ってくる男たちを見つめる。すると、先頭にいたノワールがゆっくりと男たちの方へ近づいて行く。
「ハッシュバルさん、ダンバさん、モナさんの護衛をお願いします」
「ノ、ノワール君、何をするつもりだ?」
「勿論、彼らを倒します。この状況から無事に脱出するには、彼らを倒すしかありませんからね」
ノワールはモナたちを見ながら普通に答え、三人はこの状況で敵を倒すと語るノワールを見ながら呆然とする。ノワールが特別な子供であることは知っているが、この状況ではさすがにどうすることもできないと思っているようだ。
そんなモナたちの意思に気付いていないのか、ノワールは再びドルウォンたちの方を向き、鉄格子越しでドルウォンたちを見た。するとドルウォンはノワールの顔を見ながら愉快そうに笑い出す。
「この状況でまだ勝つ気でいるのか? 魔法が使えることから只者ではないとは思っていたが、所詮は子供、戦況を見分ける知識は無かったということだな」
ドルウォンはノワールをおめでたい子供だと思い、小馬鹿にするような言葉を口にする。ドルウォンの前にいる男たちもノワールを見ながら鼻で笑っていた。しかし、ノワールはそんなことを気にする様子は見せていない。
「強力な魔法も使えず、逃げ場も無い。そしてこちらは魔法の鎧を装備しているのだぞ。この状況で勝つことができるというのなら、やってみろ」
ノワールを見ながらドルウォンは笑って挑発する。男たちもノワールを愚かだと思っているのか、笑いながら見ていた。モナたちは言いたい放題言うドルウォンに腹を立てているのか、鋭い目でドルウォンを睨んでいる。
ドルウォンが笑い、モナたちが険しい顔をしている中、ノワールは目を閉じながら軽く息を吐く。そして、ゆっくりと目を開けてドルウィンと男たちを見た。
「そうですか、では遠慮なく……次元斬撃!」
ノワールは右手で手刀を作り、左から右に大きく右腕を振った。すると、ノワールの前にある鉄格子が横一直線に切れ、それと同時にドルウォンの前にいた男たちの体にも大きな切傷ができ、そこから鮮血が噴き出る。鎧ごと体を切られた男たちは何が起きたのか理解する間もなく、その場に崩れるように倒れた。
モナたちは目の前の光景を見て驚愕の表情を浮かべる。これまで何度もノワールのとんでもない姿を目にしていたので、もう何を見ても驚くことは無いと思っていたが、今見たのは過去に見たどの光景よりも衝撃が強いものだった。
「ど、どういうことだ、いったい何が起きたんだ……」
護衛が倒されたのを見て、ドルウォンは震えた声を出しながらゆっくりと後ろに下がる。強力な魔法の鎧を装備していたのに一瞬で全員殺されてしまったのだから無理もない。
ドルウォンが現状に恐怖を感じていると、ノワールが牢から出て自分の方へ歩いてくる。近づいて来るノワールを見たドルウォンはガタガタと震えながら青ざめ、その場に座り込んだ。
「ドルウォンさん、貴方は魔法のことを何も分かっていません。強力な魔法と言うのは、何も攻撃範囲が広かったり、大きな爆発を起こしたり、雷を落としたりする魔法のことを言うんじゃないんです。今僕が使った魔法のように、正確に敵を一撃で仕留めたり、常識ではあり得ないようなことを起こす魔法のことを言うんです。そして、そんな魔法の前では魔法の鎧なんて殆ど意味がありません」
ノワールはドルウォンをジッと見つめながら魔法について語り、ドルウォンはただ震えながらノワールを見ている。そこにはさっきまでノワールを馬鹿にしていた時の余裕は一切見られなかった。
牢の中にいたモナたちもゆっくりと外に出て、牢の前で倒れている男たちの死体を見てからドルウォンと向かい合っているノワールに視線を向けた。牢の中から一撃で魔法の鎧を装備していた男たちは倒してしまう程の力を持つ少年、モナたちはノワールは本当は自分たちよりもずっと強いのでは感じており、未だに驚きの表情を浮かべている。
「……さて、護衛の人たちは全員死んで貴方だけになりましたが、また続けますか?」
震えるドルウォンにノワールは小首を傾げながら戦いを続けるか尋ねると、ドルウォンはビクッと反応しながら目を大きく見開く。
「もし続けると言うのなら……」
「ま、待て! 分かった、降参する。お前の言うとおりにする、だから命は……」
ドルウォンは慌てながら降参することを伝え、ノワールはそれを聞くと、そうですかと言いたそうな顔をしながら頷く。
もし此処で続けると答えれば、自分は確実に殺される、そう確信していたドルウォンは迷わずに降参する道を選んだ。いや、この状況で続けると答えられる者などいるはずがない。いるとすれば、それはそれなりの実力を持った強者か、現実を理解できない愚か者のどちらかだとドルウォンは感じていた。
降参したドルウォンは緊張が解けたのか、不快溜め息をつきながら首をガクッと落とす。ノワールはドルウォンから抵抗する意思が消えたと感じると驚いているモナたちの方を向いた。
「皆さん、ドルウォンは降参しましたけど、この後はどうしますか?」
「え? そ、そうですね……まだこの地下に敵がいる可能性がありますので、少し調べてみた方がいいでしょう」
「敵ですか……まだいますか?」
ノワールはチラッとドルウォンの方を向いて他に仲間がいるか尋ねる。するとドルウォンは顔を上げ、恐怖の表情を浮かべながら首を横に振った。
「どうやら、もう他に仲間はいないようです」
ドルウォンの反応を見たノワールはモナたちに他に敵がいないことを伝え、それを聞いたモナたちは視線をドルウォンに向ける。普通なら、敵が否定しただけでは信用しないが、今のドルウォンは嘘をつけるような状態ではないので、モナたちは本当に地下にはもう敵がいないと考えた。
他に敵がいないのなら警戒しながら地下を脱出する必要は無い、モナたちは少しだけ安心の表情を浮かべる。ノワールはモナたちを見ながら小さく笑い、その笑顔を見たモナたちはさっきまでと雰囲気が違うノワールに少し驚いていた。
「と、とりあえず地上へ戻ろう。そろそろ兵たちが倉庫に到着しているだろうからな」
「そうだな、行くか……」
兵士たちと合流するため、ハッシュバルはモナを連れて部屋を出て行き、ダンバは座り込んでいるドルウォンを立たせて連れて行く。残ったノワールは部屋を簡単に確認してからハッシュバルたちの後を追うように部屋を出た。
ノワールたちは来た道を戻り、地上へ続く階段を目指す。まだ他にも調べていない部屋があるが、今はモナの手当てと来ているであろう兵士たちに状況を報告するのが先なので、ノワールたちは寄り道せずに階段へ向かった。
階段に着くと最初にノワール、その次にモナとハッシュバル、最後にダンバとドルウォンが階段を上っていく。傷を負っているモナには階段を上るのはキツイのか少し辛そうな顔をしており、ノワールたちはモナのペースに合わせて階段を上って行った。
長い階段を上っていくとノワールたちはようやく地上に出た。そこには階段を下りる前と変わらない倉庫の風景が広がっている。だが、最初と違い、倉庫の中には数人の兵士の姿があった。
兵士たちは地下から姿を見せたノワールたちに一瞬驚くが、すぐに四元魔導士だと気付いて警戒を解いた。ハッシュバルは兵士たちの姿を見ると安心したのか小さく笑い、近くにある木箱にモナを座らせて兵士たちに状況を説明する。説明を聞いた兵士たちは地下を調べるために数人を残して地下へと向かい、残った兵士たちは倉庫にゼルデュランの瞳の情報がないか調べ始めた。
モナは木箱に座りながら兵士たちが作業をする姿を見ており、その隣ではハッシュバルとダンバが立ったまま兵士たちを見守ったり、指示を出したりしている。そして、ノワールはモナの隣に座り、足をブラブラと揺らして兵士たちを見ていた。モナたちはそんなノワールを気付かれないようにさり気なく見ている。
(ノワール君……てっきり普通の子供よりも魔法の才能を持った子供とばかり思っていましたが、どうやら違うみたいですね……)
(魔法の鎧を装備した戦士を一瞬で倒すなど、私たち四元魔導士にもできないことだ。それを簡単にやってのけてしまうとは……)
(この少年、私たちよりもレベルが上である可能性が高い。もしかすると、英雄級の実力を持っているのでは……)
ノワールがどれ程の力を持ち、それをどのようにして手に入れたのか、モナ、ハッシュバル、ダンバはノワールを見ながら考える。四元魔導士である自分たちでも、長い時間を掛けて今の力を手に入れた。それなのに目の前の少年は幼くして自分たち以上の力を持っている。同じ魔法使いとしてモナたちはノワールの強さに興味があった。
モナたちがジッとノワールに見ていると、ノワールは不思議そうな顔で三人の方を見る。視線が合ったモナたちは自分たちの意思を悟られるのではと感じて、慌てて目をそらす。
「どうかしましたか?」
「い、いいえ、何でもありません」
「そうですか……ところでモナさん、傷の方は大丈夫ですか?」
「え? え、ええ、痛みも少し和らいできました」
「でも、そのままにしておくと悪化するかもしれません。もしよかったら、僕が泊まっている宿で手当てしますが、行きませんか?」
木箱の上から跳び下りたノワールはモナに銀蝶亭へ来ないか尋ねる。モナはいきなり銀蝶亭へ行こうと言い出すノワールをまばたきしながら見ていた。
「ノワール君の宿、銀蝶亭にですか?」
「ハイ、勿論、モナさんが大丈夫と言うのなら無理にとは言いません」
そう笑いながら言うノワールを見て、モナが小さく俯きながら考える。しばらくすると、モナは小さく笑いながらノワールの顔を見た。
「……それでは、お言葉に甘えてそうさせてもらいます」
「分かりました」
手当てを頼まれたノワールは微笑みながら返事をした。
モナの傷は打撲や掠り傷ばかりで、すぐに手当てをする必要は無いのだが、折角の好意なので手当てをしてもらうことにした。同時に、モナはこの手当をチャンスかもしれないと感じる。
もしノワールが傷の手当てをする時に魔法でモナを治したのなら、その時使った魔法でノワールがどんな職業でどれくらいのレベルなのかが分かるかもしれない。ノワールのことを少しでも知りたいモナは情報を手に入れるためにノワールの宿へ行くことにしたのだ。
「ハッシュバル、ダンバ、私はノワール君と共に銀蝶亭へ行きたいのですが、此処を任せても構いませんか?」
「ああ、行ってこい。お前はずっと此処で酷い目に遭っていたからな」
「此処が片付いたら迎えに行く」
ハッシュバルとダンバが許可すると、モナは笑みを浮かべながら軽く頭を下げて礼を言う。二人もモナの傷を早く治してやりたいと思っていたので、ノワールに任せようと思っていたようだ。
ノワールもハッシュバルとダンバに笑いながら頭を下げ、それが済むとモナの手を軽く握る。モナは突然自分の手を握るノワールを見て不思議に思い、同時に子供とは言え、異性に手を握られたことに驚いたのか、少しだけ頬を赤くした。
「それでは、あとで銀蝶亭で……転移」
そう言うとノワールとモナの姿が一瞬にして消え、それを見たハッシュバルとダンバは目を軽く見開き、周りの兵士たちは驚きの反応を見せる。ハッシュバルとダンバは転移魔法を使ったノワールを見て、改めてノワールは幾つの魔法が使えるのだろうと疑問に思った。
転移したノワールとモナは銀蝶亭の中、ノワールが借りている部屋の前に現れた。幸い、廊下には誰もいなかったのでノワールとモナが転移するところを見られずに済んだ。
「此処が僕の借りている部屋です」
ノワールはモナの方を見ながら扉を開けて中に入り、モナもノワールに続いて部屋へと入った。
「すぐに手当てをしますから、近くの椅子に座って休んでくだ……」
モナを椅子に座らせようとノワールは喋りながら前を向く。すると、前を向いた瞬間、ノワールの足が止まり、表情も固まった。突然固まるノワールを見て不思議に思ったモナはノワールが見ている方を向いた。
ノワールの視線の先にはベッドがあり、その上に漆黒の全身甲冑とフルフェイスの兜を装備した騎士が座っている。その周りには白い鎧を身に付けた金髪の女騎士と黒い鎧を装備した黄緑色の短いツインテールの女騎士、冒険者風の恰好をした男女が三人立っていた。
驚いたことに、ノワールの部屋にはビフレスト王国にいるはずのダークとアリシアたちの姿があったのだ。そして、彼らから少し離れた場所にヴァレリアとモルドールが立っていた。
「戻ったか、ノワール」
「マ、マスター、それに皆さんも!」
いるはずのないダークたちが目の前にいることにノワールは思わず驚いてしまう。モナはこれまで冷静な姿しか見せなかったノワールが初めて動揺する姿を見せたことに意外そうな顔をする。
「どうしてマスターたちがこちらに?」
「モルドールが例のアイテムを取りに戻った時に私たちもこっちがどんな様子なのか確認しようと思ってな、モルドールと一緒にこっちへ来たんだ」
「そ、そうだったんですか……」
ダークの説明を聞いたノワールは納得の表情を浮かべる。そんなノワールを見たダークは薄っすらと目を赤く光らせた。
「……ヴァレリアから聞いたぞ? 捕まった四元魔導士を助けるためにゼルデュランの瞳の隠れ家に行ったそうだな?」
「ハ、ハイ……」
「……なぜ助けに行く時にこちらに連絡を入れなかった?」
「す、すみません、急なことだったので……」
低い声を出すダークにノワールは緊張したような表情を浮かべる。ノワールの隣ではモナがオドオドしているノワールを見てまばたきをしていた。ゼルデュランの瞳のメンバーを前にしても動揺を見せなかったノワールが一人の黒騎士を前に動揺する姿を見て驚いているようだ。
「まったく、さんざんルギニアスの町で目立った行動をした上に、何の相談もせずに四元魔導士の救出に向かったとはな……」
「申し訳ありません、マスター」
ノワールは深く頭を下げて謝罪し、ダークは頭を下げるノワールを見ると軽く溜め息をついた。
「まっ、今更こんなことをしたくらいでお前を責めるつもりは無い。私もゼルデュランの瞳のことを徹底的に調べろと言ったしな」
ダークは若干疲れたような口調でノワールを叱咤する気は無いと呟く。既にノワールはルギニアスの町で目立った行動をしているため どんなに目立つ行動を取ってもダークはノワールを責めるつもりは無かったが、行動を取るのなら一言報告してほしかったと思っていた。
ベッドから立ち上がったダークはノワールの方へ歩いて行き、彼の前で立ち止まると片膝を突いてノワールの頭にそっと手を置く。ノワールは顔を上げてダークの少し驚いたような顔で見つめる。
「今後同じようなことが起きた場合は必ず私に連絡を入れろ。これ以上私をガッカリさせるような行動は取るな、いいな?」
「ハ、ハイ!」
ノワールが力強く返事をすると、ダークはノワールの頭から手を退けて立ち上がる。二人の会話を見ていたアリシアたちはダークはノワールに甘いなと感じたのか小さく笑っていた。
「それで、そっちにいるのがお前の言っていた四元魔導士か?」
ダークがチラッとノワールの隣にいるモナを見ると、モナはピクッと反応する。
「よ、四元魔導士のモナ・メルミュストです。それで、貴方は……」
「私はノワールの主人だ。そうだな……シグルドとでも呼んでくれ」
ダークは偽名で自己紹介をするとモナに手を差し出し、それを見たモナも手を差し出して握手を交わす。
マルゼント王国の軍師であるモナに本名を教えると、ビフレスト王国の王であることがバレる可能性があるので、ダークは敢えて偽名を名乗った。
「それで、シグルドさんはどうして此処に?」
「ノワールがゼルデュランの瞳と問題を起こしたとモルドールから聞いてな、こうして様子を見に来たのだ」
「モルドールさんから……」
不思議そうな顔をしながらモナはモルドールの方を見る。モルドールはモナと目が合うと苦笑いを浮かべた。
モナはノワールがモルドールの弟子であり、シグルドと名乗る黒騎士の部下であるという複雑な立場だと知ると、ノワールには何か事情があるのだろうかと疑問に思った。
「ところでモナ殿、その体の傷はどうした?」
ダークが傷だらけのモナを見て尋ねると、モナは傷のことを思い出してハッとする。ノワールもモナの手当てをするために銀蝶亭に戻ってきたことを思い出して目を見開く。
「そうだった、モナさんの傷の手当てをしないといけなかったんだ」
「手当てか。大した傷ではないが、このままにしておくわけにもいかないな……アリシア、彼女の傷の手当てを頼む」
「分かった」
ダークは待機しているアリシアに声を掛け、アリシアは返事をするとモナの方へ歩き出す。アリシアはビフレスト王国の総軍団長だが、ダークほど名を知られているわけではないので、本名を口にしても正体がバレる可能性は低いので問題は無かった。
「大治癒!」
アリシアはモナに近づくと右手をそっとモナに向け、回復魔法を発動する。するとモナの体が光り出し、体中の傷が綺麗に消えた。あっという間に傷が消えたのを見てモナは驚きの表情を浮かべる。
(凄い、あれだけの傷が一瞬にして……この人、騎士なのに回復魔法を使えるなんて、何者なの?)
モナは騎士でありながら回復魔法を使うことができるアリシアを見て心の中で驚く。ノワールの情報を得ることはできなかったが、回復魔法が使える騎士の情報を得られたので良しと判断した。
「さて、モナ殿の傷も治ったことだし……ノワール、今この町で何が起きているのか、詳しく説明しろ」
「ハイ」
ノワールはダークたちの方を向いてゼルデュランの瞳の動きについて説明を始める。モナは関係の無い者たちにゼルデュランの瞳の情報を教えるのはマズいと思っていたが、ノワールの仲間なら大丈夫だと感じ、口を挟まず黙っていた。