第二百三十二話 尾行
ノワールは男を見失わないよう視界に入れたまま、ゆっくりとモナに近づく。男の存在に気付いたことを男に悟られないように知るため、ノワールは顔や体の向きを変えずに移動する。
「……モナさん、怪しい男が僕たちの方を見ています」
「え?」
モナの前にやって来たノワールはそっと声を掛け、話しかけられたモナは悔しそうな表情を消してノワールの方を見る。自分の顔を見ずに前を向いて話しかけてくるノワールをモナは不思議そうな顔で見ていた。
「そのまま動かず、顔の向きも変えずにあそこの木を見てください。男が木の陰に隠れています」
ノワールは目だけを動かして男が隠れている木の場所をモナに教える。ノワールが見ている方角には男が隠れている木以外には何も無いので、間違えることなくモナに男の居場所を教えることができた。
モナはいまいち状況が理解できず、チラッとモルドールの方を見る。モルドールは軽く頷いてノワールの言うとおり木を見ろ、と目で伝え、モナはとりあえず言われたとおり、視線だけを動かしてノワールが教えた方角を見た。そして、木の陰に隠れている男を見つけると一瞬目元をピクリと動かす。
「あの男、いつからあそこに?」
男を見つめながらモナは小声でノワールに話しかける。男とはそれなりに距離はあるが、念のために小声で会話をすることにした。
「分かりません、僕たちもさっき気づいたばかりなので。ただ、こちらを見る彼の表情や木の陰に隠れていることから、普通の住民ではないことは間違いないですね」
「そうですね、恰好からして冒険者に見えますが、もし本物の冒険者ならわざわざ隠れる見る必要はありません。明らかに誰にも見つからないよう注意しながらこちらを見ています」
ノワールとモナは小声で話し合いながら遠くにいる男を見る。確かに男は革製の鎧を身に付け、腰には剣を佩した冒険者のような恰好をしていた。だが雰囲気は怪しく、冒険者と言うよりもゴロツキのような感じがする。
二人が男を見つめていると、男はゆっくりと歩き出して近くの街道へと入って行く。ノワールたちは男が自分たちに背を向けて歩き出すのを見ると真剣な表情を浮かべながら男の方を向いた。男に見られていない状況なら体や顔を動かしても何も問題はない。
「男が移動します。どうします、モナさん?」
「勿論、追います。もしかすると、ゼルデュランの瞳と関係があるかもしれませんから」
モナは男を見失わないよう、急いで一番近くにいる兵士に詰め所のことを任せるよう頼みに向かう。兵士は突然後を任されて戸惑いを見せるが、モナが後で詳しいことを話すと言われてとりあえず了承した。
兵士に指示を出したモナは早足で男の後を追う。そんなモナをノワールとモルドールは黙って見ており、モナが真横を通り過ぎるとノワールは振り返ってモナの方を向いた。
「モナさん、僕も一緒に行きます」
ノワールの言葉を聞いたモナは足を止めると、振り返ってノワールの方を向き、モルドールも意外そうな顔でノワールを見る。
二人に見られている中、ノワールはゆっくりとモナの方へ歩いて行く。モナは目の前までやって来たノワールを見ると小さく息を吐き、真剣な表情で口を動かした。
「……申し訳ありませんが、此処からは私たち軍の仕事です。関係の無い貴方を同行させるわけにはいきません」
「関係なくは無いですよ。僕は昨日、ゼルデュランの瞳のメンバーと接触しましたから」
「それとこれとは話は別です。それにここから先は何が起こるか分かりません。下手をすれば命に関わる事態になるかもしれないのですよ?」
「大丈夫です、僕も魔法が使えますから、自分のみは自分で守れます。それに何か起きても責任は全て僕が取りますから……お願いします」
小さく笑いながら頼むノワールを見てモナは黙り込む。普通なら危険な場所へ行こうとする子供がいれば止めるのだが、目の前にいるノワールは下っ端とは言え、ゼルデュランの瞳のメンバーを簡単に倒すほどの力を持っているため、連れていっても問題は無いかもしれないとモナは考えていた。
それにハッシュバルからはノワールの情報を集めるよう言われており、モナ自身もノワールの秘密を知りたいと思っている。上手くいけばノワールがどれほどの魔法が使えるのかを知ることもできるかもしれないとモナは感じていた。
黙り込んで考えた末、モナはノワールの方を向いて小さく頷く。
「……分かりました。同行をお願いします」
「ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべながらノワールは礼を言い、モナは目を閉じて軽く溜め息をつく。軍人として子供を危険な場所へ連れていくのは問題ある行動だが、ノワールがどんな存在なのかを知りたいという彼女自身の欲望が軍人としての誇りを上回ってしまった。モナは自分は情けない大人だと心の中で呆れる。
ノワールを連れていくことが決まると、モナは黙って立っているモルドールの方を見る。モルドールは両手を後ろに回しながらモナを見つめていた。
「モルドールさん、申し訳ありませんが、貴方のお弟子さんを少しの間、お借りします。彼は私が責任を持って守りますので……」
「いいえ、その必要はありませんよ」
「え?」
首をゆっくりと横に振るモルドールを見てモナは不思議そうな顔をする。するとモルドールはノワールの隣までやって来て小さな笑みを浮かべた。
「私も同行させていただきますから」
「え?」
ノワールに続き、モルドールも同行すると言い出し、モナは思わずまばたきをする。次々と起こる予想外の事態にモナは若干混乱しかけていた。
「モルドールさんも、同行されるのですか?」
「ええ、ノワールは私が守ります。ですから、貴女はご自身の仕事に集中してください」
「し、しかし……」
「大丈夫です、自分やノワールを守れるくらいの実力は持っているつもりです。仮に私たちに何か遭っても、ノワールが言ったとおり責任は私たちが取りますから、安心してください」
師匠であるモルドールまで同行すると言い出し、モナは自分から危険な場所へ行くと言い出すノワールとモルドールを見ながら複雑そうな顔をする。
普通なら一般人を二人も危険な場所に同行させるなど、絶対にあってはならないことだ。しかし、既にノワールを同行させることを許可してしまったため、モナは今更ダメだとは言えなかった。
「……分かりました、お願いします」
モナは改めてモルドールに同行を頼み、モルドールは笑いながら頷く。
同行を断ることはできなかったが、ノワールの情報を得るついでにノワールの師であるモルドールの情報も手に入れることができるかもしれないので、モナは断れなかったのはある意味で運がいいと思っていた。
「さあ、早く行きましょう。でないと男を見失ってしまいますよ?」
「あっ、そうでした。急ぎましょう」
モルドールの言葉を聞いたモナは慌てて男の後を追う。ノワールとモルドールも早足でモナの後を追いかけた。すると、モルドールが隣にいるノワールにゆっくりと顔を近づける。
「……ノワール様、よろしかったのですか? ダーク様からは目立つ行動は控えろと言われていましたが」
早足で移動しながらモルドールはノワールに小声で話しかけ、話しかけられたノワールはチラッと視線を動かしてモルドールを見た。
「確かに目立つ行動は控えろとマスターから言われていますが、僕らがビフレスト王国の住民であることがバレたり、大きな騒ぎを起こして大勢から注目を集めるようなことでなければ大丈夫だと思います……て、この状況で言っても説得力ありませんよね」
「ハァ……これからはこのような行動はお控えください」
「すみません……」
溜め息をつくモルドールを見ながらノワールは苦笑いを浮かべて謝る。これまでにも何度か目立つ行動を取っていたため、モルドールの注意に対してノワールは何も言い返せなかった。
それからモナに追いついた二人はモナと共に街道に入った男の後を気付かれないように追った。
街道に入った男は前を向きながらゆっくりと歩いており、ノワールたちは8mほど距離を取って男を尾行する。男が入った街道は住民が多くもなく、少なくもない場所なのでノワールたちが男を見失うこと可能性も、男に気付かれること可能性も低かった。
モナは真剣な表情を浮かべ、住民たちの間を通りながら男を追跡し、ノワールとモルドールはモナの後ろをついていくように歩いていた。
「あの男、何処へ行くつもりなのでしょうか?」
「分かりません。ただ、少しずつですが、人気の少ない方へ移動しています」
男の行き先を気にするモルドールの疑問にモナは歩きながら小声で答える。確かに男は住民の少ない方へ歩いており、モナはこれまで以上に気付かれないように注意した。
歩いている時、モナは男に気付かれないよう、距離を一定に保ち続けていた。ノワールとモルドールも男を見ながらモナを追い越さないように注意している。
魔法使いであるモナは尾行は得意な方ではない。だが、四元魔導士という、マルゼント王国の兵士たちを束ねる立場であるため、魔法使いとは関係の無い技術や知識を必要最低限は会得している。ノワールとモルドールも隠密高度は得意ではないが、モナと比べるとずっと優れた技術と知識を持っていた。
男はノワールたちに尾行されていることに気付かないまま、人気の無い薄暗い細道へと入っていく。ノワールたちも誰かに見られていないか周囲を警戒しながら細道へ入った。
細道をしばらく進むと、男は静かで若干薄汚れた街道に出る。そこは昨日、ノワールがゼルデュランの瞳のメンバーと遭遇した場所によく似ていた。街道に出た男は周囲を見回した後、後ろを振り向いて誰にも付けられていないことを確認する。男が振り返る直前にノワールたちは近くにあった木箱の陰に隠れたので、見つからずに済んだ。
誰にも付けられていないと思い込んだ男は再び前を向いて歩き出し、ノワールたちも隠れるのをやめて後を追う。周囲にはもうノワールたち以外誰もいないので、三人は物陰に隠れながら更に慎重に男を尾行した。
「随分静かな所に来ましたね……」
ノワールは男を尾行しながら小声でモナに声を掛ける。モナはチラチラと街道を見た後、再び男に視線を向けた。
「この辺りは劇場区の中でも殺風景で古い建物が多い場所なので住民たちは誰も近づきません。そのため、兵士たちも巡回にも来ない場所ですから、ゼルデュランの瞳のような悪党が集う場所とも言われています」
「悪党が集う場所、ですか」
「因みに昨日、ノワール君がいた場所もそうです」
「僕、知らないうちにそんな所に迷い込んでたんですね……」
モナから昨日男たちと遭遇した場所が治安の悪い場所だと聞き、ノワールは苦笑いを浮かべる。モナは兵士たちでも近づかない場所に迷い込んだのに笑っているノワールを見て、彼はどんな神経をしているんだ、と疑問に思った。
「お二人とも、止まってください」
ノワールとモナの後ろで前を見ていたモルドールが突然小声で二人を止め、二人は咄嗟に足を止めて前を向く。15mほど先で尾行していた男が一軒の小さな建物の前で立ち止まっているのが見え、三人は見つからないように素早く近くの脇道に身を隠す。
三人は脇道の陰から顔を少し出して男の様子を窺う。すると、建物の中から四人の男が現れた。男の内、一人は大きく腹の出た四十代前半ぐらいの太った男で金色のオールバック風の短髪にどじょう髭を生やしており、貴族のような恰好をしている。
残りの三人は全員、三十代半ばくらいの戦士のような恰好をしており、全員が高級そうな銀色のプレートメイルを身に付けている。武器はそれぞれ異なっており、一人は白銀の剣を背負い、一人は腰に短剣を佩し、最後の一人は両手に小さなめの黒い鉤爪を装備していた。武器の方も全部一流の冒険者が使うような高級そうな代物だ。
太った男が戦士風の男たちと共に尾行されていた男に近づき、尾行されていた男は太った男に軽く頭を下げて挨拶をした。その様子をノワールたちは離れた所から見ている。
「何ですか、あの人たちは?」
「様子からして、私たちが尾行していた男の仲間であることは間違いないなさそうですね」
男たちを見ながらノワールとモルドールは小声で会話をする。そんな二人の隣では、モナが目を見開きながら太った男を見ていた。
「あ、あの男は……」
「モナさん、知ってるんですか、あの人のこと?」
驚いているモナにノワールは小声で尋ねると、モナは太った男を見つめながら目を若干鋭くした。
「知っているも何も、あの男はドルウォン、マネンド商会の会長です」
「マネンド商会?」
ノワールの後ろでマネンド商会という言葉を聞いたモルドールは確認するような口調で呟く。ノワールも聞き覚えのある言葉にピクリと反応する。
「マネンド商会と言えば、この国で最大の商会と言われているところですね?」
「そのとおりです。このルギニアスだけでなく、マルゼント王国の大都市ほぼ全てで商業を行っています。その稼ぎは王国に存在する商会の中でも最高です」
「ええ、存じております。確か王族や貴族からも信頼されており、以前マネンド商会を潰そうとした小さな商会を貴族の力を借りて逆に潰したとか……」
「その商会の元締めがあの男です」
モルドールはモナが見つめている太った男、ドルウォンを目を細くしながら見つめた。
ドルウォンはマネンド商会の責任者で、金儲けでは右に出る者はいないと言われているほど商売上手な男だ。嘗てはただの旅商人だったが、十年前にルギニアスの町にやって来てマネンド商会を立ち上げたところ、あっという間に有名になり、商会を立ち上げてから僅か四年でマネンド商会をマルゼント王国一の商会と呼ばれるまでに成長させた。
マルゼント王国最大の商会の責任者が、なぜ詰め所の様子を窺っていた怪しい男と会っているのか、モナは理由が分からずに難しそうな顔をする。会話を聞こうにも、ドルウォンたちは小さめの声で会話をしている上に離れすぎているため、微かに声は聞こえても会話の内容までは聞き取ることはできなかった。
聞き取れるよう男たちに近寄れば、物音や気配で気付かれる可能性があるため、下手に動くことはできない。しかし、尾行していた男とドルウォンが何の話をしているのか気になるモナは何とか会話の内容を聞きたいと思っていた。
(透明化魔法のファントムヴェールを使えば見つからずに近づくことができるけど、ウインド・ウィザードの私は闇属性魔法であるファントムヴェールを習得していない。仮に習得していたとしても、透明化の時間はそれほど長くないから見つかる危険性がある。どうすれば……)
ドルウォンたちの会話を聞くいい方法はないか、モナは僅かに表情を歪ませながら心の中で考える。すると、ノワールは片膝を突き、耳をドルウォンたちの方に向けて目を閉じた。
「……僕が彼らの会話を聞いてみます。少しの間、静かにしていてください」
「は?」
小声で会話を盗み聞きすると言い出すノワールにモナは目を見開く。モルドールは目を閉じるノワールは無表情で見つめている。
今ノワールたちがいる場所はとても静かで、ノワールたち以外には誰もいない。そのため、離れていても対象の声を聞き取ることぐらいはできるだろう。
しかし、いくら声がよく聞こえる場所でも、15m近く離れた状況で他人の小声の会話を盗み聞くなど英雄級の実力者でもない限り無理だ。普通に考えて不可能なことをやるとノワールが言いだしたため、モナはかなり驚いていた。
「ノワール君、こんなに離れた状態でドルウォンたちの会話を聞くなんて不可能です」
「大丈夫です、僕はこう見えて結構耳が良いんです。この程度の距離なら問題無く聞き取れます」
「いや、いくら耳が良くてもこんなに離れていては……」
モナは困り顔になりながら小声でノワールを止めようとする。すると、黙っていたモルドールがモナの肩にそっと手を置いて彼女を止めた。
「モナさん、ここはノワールに任せてください」
「ですが……」
「大丈夫です。ノワールは本当に普通の人間よりも聴覚が優れているんです。15m程度の距離なら聞くことが可能です。どうか彼を信じてあげてください」
小さく笑いながらノワールに任せてほしいと頼むモルドールを見てモナは悩み顔になる。自分にはドルウォンたちの会話を聞く方法は無い。でも、ドルウォンたちが何を話しているのかは気になる。それなら、可能性は低くてもノワールに任せてみるのもいいかもしれないと考えた。
「……分かりました。お任せします」
悩んだ末、モナはノワールに任せて見ることにした。任されたのを聞いたノワールは目を閉じたまま小さく笑う。
「では、しばらくの間、一言も喋らずにいてください」
ノワールが会話を盗み聞きできるよう、モルドールはモナに喋れらないように指示を出し、モナはモルドールを見ながら黙って頷く。いくらノワールでも15m近く離れている相手の会話を細かく聞くには静かな状態で集中する必要があったのだ。
風の音も聞こえない静かな街道の中でノワールは会話を聞くことに集中する。すると、遠くにいるドルウォンたちの会話が聞こえてきた。
「……そうか、詰め所は大騒ぎになっていたか」
「ハイ、ですが証拠も残っていませんし、我々の仕業だと気付く可能性は低いでしょう」
ノワールたちが尾行していた男から報告を聞いたドルウォンはニッと笑みを浮かべ、ドルウォンの後ろに控えている三人の男も小さく笑っている。ドルウォンたちはノワールたちの存在に気付いていないようだが、一応警戒しているのか声を小さくして会話をしていた。
「これで我々の情報が軍の連中にバレることも無いな」
「ハイ、奴らは口が堅い方ですが、拷問とかに掛けられると簡単に白状しそうな連中ですからね。喋る前に消せてよかったです」
「今度あの女に言っておく必要があるな、軍に捕まるような間抜けな部下はさっさと切り捨てろ、と」
ドルウォンは笑いながら自分の髭を左手でいじり、尾行されていた男も不敵な笑みを浮かべた。
「ところで、奴らを殺した連中はどうした?」
「既に変装に使っていた兵士の装備を処分し、全員劇場区の隠れ家に戻りました。朝早かったですから、誰にも目撃されてはいないはずです」
「フッ、そうか。しかし、ここまで派手に動いているのに未だに我々の情報を得れていないとは……やはり軍は馬鹿の集まりだな」
左手で髭をいじりながら右手で出腹をポンポンと軽く叩くドルウォンを見て、尾行されていた男は笑いながら頷く。
会話の内容から、詰め所に監禁されていた男たちを殺したのはドルウォンたちの仲間で、ノワールたちの予想どおり、マルゼント王国の兵士に変装して監禁されていた男たちを殺したらしい。そして、兵士に変装した仲間が詰め所から去った後はノワールたちが尾行していた男に詰め所を見張らせ、兵士たちの動きを監視させていたようだ。
「この調子なら、すぐに必要な金と物資、そして人材も集まると思います」
「ああ、もうすぐだ……我々ゼルデュランの瞳がこの町の全てを手に入れる時は」
ドルウォンは不敵な笑みを浮かべながら楽しそうに語り、男たちもそのとおりです、というような笑みを浮かべながらドルウォンを見ていた。
「……と、彼らは言っています」
「……間違いないのですか?」
「ハイ」
ゆっくりと目を開けながらノワールは頷き、モナは大きく目を見開きながらノワールを見ている。モルドールは無表情のまま、無言で二人の会話を聞いていた。
ノワールはドルウォンたちが話していた内容を聞くと、それを口に出してモナとモルドールに伝えていた。つまり、二人はノワールの口をからドルウォンたちの会話をそのまま聞いていたのだ。
先程のドルウォンの言葉で、彼や尾行していた男がゼルデュランの瞳のメンバーであることが明らかとなり、モナは驚きを隠せずにいた。マルゼント王国最大の商会であるマネンド商会の責任者が犯罪組織の一員であると知ったのだから無理もないことだ。
「尾行していた男がゼルデュランの瞳のメンバーであることは予想していたが、まさかドルウォンまでもがゼルデュランの瞳のメンバーだったとは……」
「僕も正直驚きました。ゼルデュランの瞳にはそれなりの権力を持つ人がいるかもしれないとは思っていましたが、まさかマネンド商会の元締めがメンバーだったとは思いませんでしたよ」
驚きながらドルウォンを見ているモナの隣で、ノワールが冷静に自分が感じていたことを口にする。
「……これは、私たちが思っていた以上に面倒なことになりそうですね。マネンド商会の責任者であるドルウォン殿がゼルデュランの瞳のメンバーということは、マネンド商会で働く者の中にもメンバーが紛れ込んでいる可能性があります」
落ち着きを取り戻したモナは驚きの表情を消し、真剣な顔をしながらゼルデュランの瞳が厄介な存在であることを再認識する。
ノワールとモルドールもゼルデュランの瞳が大きいだけの犯罪組織でないと知って目を若干鋭くした。しかし、二人は目を鋭くしても、焦りなどは一切感じていない。最強クラスの力を持つノワールとモルドールにはゼルデュランの瞳も、少し面倒くさい程度の存在でしかなかった。
「モナさん、この後はどうなさいますか?」
モルドールが小声でこの後どうするかをモナに尋ねる。モナはドルウォンたちがいる場所、彼らが出てきた建物を確認し、静かにノワールとモルドールの方を向いた。
「……もう少し彼らの様子を窺いながら尾行を続けます。上手くいけば、ゼルデュランの瞳のアジトまで案内してくれるかもしれませんから」
マネンド商会の責任者がゼルデュランの瞳のメンバーであることを掴み、更にアジトの場所を突き止めることができれば一気にゼルデュランの瞳を壊滅させることができるかもしれない。そう感じたモナはこのままドルウォンたちの監視と尾行を続けることを決めた。
ノワールとモルドールもゼルデュランの瞳のアジトの場所や、ドルウォン以外にどんな存在がゼルデュランの瞳のメンバーなのか気になるため、モナの尾行するという意見に反対しなかった。
モナはドルウォンたちの様子を窺うために一歩前に出て脇道の陰から顔を出そうとした。すると、モナの足が脇道の壁に立てかけてあった小さな木材がぶつかり、木材を倒して音を立ててしまう。
(しまった!)
うっかり音を立ててしまい、モナは目を見開いて驚く。ノワールとモルドールも木材が倒れたのを見て同じように目を見開いた。そして、木材が倒れた音は静かな街道には大きく響き、遠くにいたドルウォンたちの耳にも入る。
「誰だ!」
音を聞いて、短剣を持った男が音の聞こえた方を向いて叫ぶ。他の二人も険しい顔で音が聞こえた方を向き、尾行されていた男も咄嗟に腰に剣を握る。ドルウォンは男たちの反応を見て驚き、素早く男たちの後ろへ隠れた。
ノワールたちは男たちにバレないよう、動かずに気配を消そうとする。木材が倒れただけなので、ジッとしていれば風で倒れただけだと相手に思い込ませ、やり過ごすことができるかもしれない。だが、ドルウォンと一緒にいた男たちは誰かが隠れていると確信しており、音が聞こえた方を睨み続けていた。
「そこにいるのは分かってるんだ、出て来い!」
「来ないならこっちから行くぜ!」
剣を背負った男と鉤爪を装備した男が隠れている者たちに更に警告をする。他の男たちもジッと同じ方向を見て険しい顔をしており、ドルウォンは少し不安そうな表情を浮かべている。
ノワールたちは男たちが警告する中、動かずにジッとし続けていた。すると、男たちの方から一歩前に出るような足音が聞こえ、それを聞いたモナは男たちが近づいて来るのを感じ取る。
(このまま隠れていても、彼らは何時かこっちにやって来る。間合いを詰められては戦いになった時にこちらが圧倒的に不利になってしまう。それなら、男たちに近づかれる前に姿を見せて彼らの足を止めた方がいい……)
モナは男たちをこれ以上自分たちに近づけさせないようにするため、男たちの前に姿を見せることを決意する。
「お二人はそこに隠れていてください……姿を見せれば彼らは高い確率で襲い掛かってくるでしょう。私が彼らの相手をします」
「モナさん、お一人で彼らの戦うつもりですか?」
ノワールが真剣な表情で尋ねると、モナはノワールを見て小さく笑みを浮かべた。ノワールとモルドールはモナの笑顔を見て、間違いないと悟る。
「心配いりません、これでも四元魔導士の一人、あんな連中に負けるつもりはありませんよ」
モナの余裕の表情をノワールとモルドールは黙って見つめている。確かにモナはマルゼント王国でも指折りの実力を持っており、ゼルデュランの瞳の戦士ごときには負けないだろう。
しかし、戦場では何が起きるか分からない。今いる街道にも、まだ他にゼルデュランの瞳のメンバーが潜んでいる可能性がある。もし、戦いが始まってそのメンバーが奇襲を仕掛けてきたら、モナでも対応できない可能性があった。
「……僕たち一緒に行きます」
今の状況でモナを一人で戦わせるのは危ないと感じたノワールは自分とモルドールも同行すると口にする。モナは進んで男たちの前に出ると言い出したノワールを見て少し驚いた表情を浮かべた。
「モナさんの実力を疑っているわけではありませんが、他にも敵がこの辺りに隠れているかもしれません。もし戦闘になり、彼らが一斉に襲い掛かって来たら、いくらモナさんでも苦戦する可能性があります。そのような事態になった時に対応できるよう、僕たちも共に戦った方がいいと思いまして」
自分の身を心配して共闘してくれると語るノワールを見てモナは心の中で驚く。普通なら犯罪組織のメンバーと戦いになる可能性がある状況で、関係の無い者が自分から加勢するとは言わない。それなのに、目の前の少年は共に戦おうと言ってくれている、モナはノワールのように正義感を持つ少年がこの国にはいるのだと感服した。
「……分かりました、お願いします」
「ハイ」
ノワールは返事をしながら頷き、モナもノワールを見ながら小さな笑みを浮かべる。
幼い少年のノワールに共に戦ってください、と頼むなどあり得ないことだが、モナはノワールならゼルデュランの瞳のメンバーに余裕で勝てるかもしれないと感じていた。そして、この戦いでノワールが魔法使いとしてどれ程の実力を持っているかを確かめることができると思い、共闘を頼んだのだ。
二人のやりとりを見ていたモルドールも小さく笑っている。これ以上目立った行動は控えるべきだと思っていたが、ここまで来たのなら、もう細かいことは気にせずにやってしまおうと感じていた。
「早く出て来やがれ!」
再び男の声が聞こえ、モナは表情を鋭くして街道の方を見る。ノワールとモルドールも無表情で声が聞こえる方を向く。口調からして、男はなかなか出て来ないことにイライラしているようだ。
これ以上男たちを待たせると何をしでかすか分からない、そう感じたノワールたちは男たちが待つ街道へ出ていく。