第二百三十一話 予想外の事態
翌朝、まだ多くの住民が朝食を取っている頃、商業区ではいつものように多くの出店が開店の準備を進めていた。買い物をする住民たちも店の前に集まって店が始まるのを待っている。
銀蝶亭の前ではノワールとモルドールが並んで立っており、街道を歩く住民たちを眺めている。朝食を終えた二人は昨日と同じように街で情報収集をするために外に出ていた。ヴァレリアは新しい魔法薬の調合を続けるために自室に籠っている。
「相変わらずですね、商業区の街道は」
「ええ、朝早くにこれほどの住民が出歩いているのは商業区と大広場ぐらいでしょう」
住民たちの姿を眺めながらノワールとモルドールは呟く。モルドールは普段と変わらない様子だが、ノワールは朝早くでまだ本調子ではないのか、少し眠たそうな顔をしている。
街道の様子を見ていたノワールは目を閉じると両手で自分の頬をパンパンと二回叩いて気合を入れる。その効果があったのかノワールの顔は先程と違って普段のノワールと同じ表情になっていた。そんなノワールを横から見ていたモルドールは、まるで孫を見守る祖父のように小さな笑みを浮かべている。
「さて、それじゃあ今日も情報収集に行きましょう」
「ハイ。ノワール様、本日はどちらへ行かれるのですか?」
「そうですねぇ……劇場区はまだ全てを見ていませんから、もう一度劇場区に行ってみます」
「よろしいのですか? 昨日、ゼルデュランの瞳のメンバーと問題を起こしていますし、今日はやめておいた方が……」
また何か問題が起きるかもしれないと考えるモルドールはノワールに劇場区へ行かないことを勧める。ノワールは自分を心配してくれるモルドールを見上げると笑いながら口を開く。
「大丈夫だと思いますよ。いくらゼルデュランの瞳のメンバーと接触して返り討ちにしたといっても、下っ端を倒したくらいでゼルデュランの瞳に警戒されることは無いと思います」
「そうですか?」
「ハイ、それに昨日捕らえらえた男たちがどうなったかも少し気になりますしね」
余裕の笑みを浮かべるノワールを見たモルドールは、彼がそう言うのなら大丈夫なのだろうと感じ、それ以上ノワールを止めるようなことは何も言わなかった。
「僕は劇場区に行くとして、モルドールさんはどうしますか?」
「そうですね……私もノワール様とご一緒に劇場区へ行きましょう」
「えっ、モルドールさんもですか?」
別行動は取らずに自分に同行すると口にしたモルドールを見てノワールは意外そうな顔をする。
モルドールはダークが召喚したモンスターの中では頭のいい方で、これまで効率のいい行動を取ってきた。そんなモルドールが効率の悪い行動を取ることをノワールは意外に思っていたのだ。
「珍しいですね? いつものモルドールさんなら効率よく情報を集められるよう、別れて行動しようと仰るのに」
「ええ、私もゼルデュランの瞳のメンバーである男たちが今どうなっているのか気になっておりまして……それに、子供の姿をされてるノワール様だけでは何かと不便なこともあると思われます。私が同行した方がそのような時に対応しやすいかと」
「う~ん、確かに……」
ノワールはモルドールの話を聞いて一理あると感じ、腕を組みながら考え込む。
確かにノワールは強大な力を持っているとはいえ、見た目は普通の子供だ。町には子供一人では入れないような場所も幾つか存在しており、ノワールもその場所からはまだ情報を得ることはできていない。
透明化の魔法で潜入するという手もあるが、消費するMPが多く、透明化の魔法が使えるということを他の者に知られたくないので、ノワールは使おうとは思っていない。彼はできれだけ自然な形で情報を得ようと考えていた。
「……そうですね。それじゃあ、今回は同行をお願いします」
「ハイ、お任せください」
考えた末にノワールはモルドールに同行を頼み、モルドールはノワールに向かってゆっくりと頭を下げた。
二人は街道を歩いて大広場の方へと歩いて行く。途中で何人かの住民とすれ違い、その中にはノワールとモルドールの姿を見て小声で話をする者たちもいた。幼い少年と老人の姿をする二人を見て、孫と祖父が散歩していると思っているのだろう。二人はそんな視線を気にすることなく街道をゆっくりと歩いて行く。
街道を抜け、二人は大広場に出た。そこは商業区と同様、朝市の店が並んでおり、その周りには大勢の客が集まっている。既に出店は開いており、住民たちが食材や雑貨品などを買っている姿があった。
ノワールとモルドールはそんな買い物をする住民たちを眺めながら劇場区へと続く街道の方へ歩いて行く。すると、大勢の兵士が王城区へ続く街道から劇場区の方へ走っていく姿が見え、それを見たノワールは不思議そうな顔で兵士たちを見つめる。
「兵士の人たちが大勢、劇場区に入って行きますね」
「何かあったのでしょうか?」
劇場区へ向かう兵士たちの姿をノワールとモルドールは不思議そうに見ている。兵士たちは全員が緊迫したような表情を浮かべており、それを見た二人は穏やかな雰囲気ではないとすぐに悟った。
「……行ってみましょう」
「そうですね、我々も劇場区には行くつもりでしたし、丁度いいです」
何があったのかを確かめるため、ノワールとモルドールは兵士たちの後を追うように劇場区へと向かう。
劇場区の街道に入ると、ノワールとモルドールの視界にまだ開いていない酒場や数人の住民たちの姿が入る。劇場区の店は殆どが昼頃に開くので、午前中はまだどこの店も閉まっていて静かだった。そんな街道を見回しながら二人は劇場区の奥へと移動する。
しばらく歩いて、二人は少し広めの場所に出た。そこは一軒の大きめの建物があるだけの場所で、建物の周りには大勢の兵士の姿がある。広場の隅には住民たちが不安そうな顔で兵士たちを見ていた。
広場の雰囲気がおかしいことに気付いたノワールとモルドールは無言で広場を見回す。すると、ノワールは奥に見える大きな建物を見て目を若干鋭くした。
「……あの兵士たちが集まっている建物、あれはこの町の騎士団の詰め所ですね」
若干低めの声でノワールは呟き、それを聞いたモルドールも僅かに目を鋭くした。
兵士たちが集まっているのはマルゼント王国軍の騎士団で劇場区を担当としている騎士たちが使ている詰め所だ。ルギニアスの町には王城がある王城区を除いた四つの区に一つずつ騎士団の詰め所が建てられている。これは広いルギニアスの町を騎士団が効率よく管理、警備するためだ。
ノワールとモルドールが詰め所を見ていると、詰め所の中から一人の女と数人の魔法使いが出てくる。詰め所から出てきた女は昨日ノワールが出会った四元魔導士の紅一点、モナだった。
「あれは、モナさん?」
遠くからモナの姿を見たノワールは意外そうな顔をし、モルドールも詰め所から出てきたモナを見て同じような顔をする。
「四元魔導士が詰め所から出てきたということは、詰め所で何か大きな問題でも起きたのでしょうか?」
モルドールは顎に手を当てながらモナを見つめ、ノワールも真剣な表情を浮かべならが詰め所を見ている。
四元魔導士のモナが詰め所から出てきて真剣な表情を浮かべている。それを見たノワールは間違いなく軍にとって都合の悪いことが起きている感じた。
「……行ってみましょう」
そう言ってノワールは詰め所に向かって歩き出す。モルドールはノワールなら絶対に詰め所の様子を見に行くと思っていたのか、驚いたりせずに無言でノワールの後を追うように歩き出す。
詰め所の周りには槍を持った兵士たちが若干不安そうな顔をしながら周囲を見張っている。まるで、もうこれ以上問題は起きないでくれと心の中で祈っているように見えた。
一人の兵士が遠くを見ていると、十数mほど離れた所から近づいてくるノワールとモルドールの姿を確認する。真剣な表情で歩いてくる少年と、無表情で少年の後に続く老人、兵士は自分たちの方へ近づいてくる二人を見て思わず身構えた。
周りにいる他の兵士たちもノワールとモルドールに気付いた兵士を見て、彼の視線の先にいる二人に気付く。彼らも緊迫した雰囲気に包まれている詰め所に普通に近づいてくるノワールとモルドールを見て警戒心を強くする。二人は既に兵士たちの7mほど手前まで近づいていた。
「そこの二人、止まりなさい」
最初に二人を見つけた兵士が警告の声を発する。だが二人はすぐには止まらず、兵士たちの2m手前まで来てようやく立ち止まった。
兵士たちは立ち止まったノワールとモルドールを無言でジッと見つめていると、兵士の一人がゆっくりと二人に近づく。
「今この詰め所にはこれ以上近づくことはできない、立ち去りなさい」
「何か事件でもあったんですか?」
「君達には関係の無いことだ。さあ、早く行きなさい」
ノワールの質問に答えず、兵士はノワールとモルドールを追い返そうとする。だが、二人は兵士の言うことには従わず、黙って詰め所の様子を窺っていた。兵士たちは言うとおりにしない二人を見て若干表情を険しくし、力尽くで追い返そうかと考える。
詰め所の入口前ではモナが魔法使いたちに何かの指示を出しており、魔法使いたちは真剣な表情でモナの話を聞いている。そして、指示を受けた魔法使いたちは詰め所から離れた何処かへと移動した。
魔法使いたちが行くと、モナは疲れたのか軽く息を吐く。そんな時、遠くから兵士たちが騒いでいる声が聞こえ、モナは声のした方を見る。そして、兵士たちと会話をしているノワールの姿を見て、モナは目を大きく見開いた。
「あれは、ノワール君?」
モナは昨日出会った少年が再び自分の目の前に現れたことに驚きの声を漏らす。どうしてノワールが此処にいるのか疑問に思いながら、彼が兵士たちと何かもめている光景を見たモナは、何があったのかを確認するためにノワールたちの下へ向かう。
「ノワール君、どうして此処に?」
背後から聞こえてきたモナの声を聞き、兵士たちは一斉に振り返って近づいて来るモナの姿を目にする。ノワールとモルドールは歩いてくるモナの姿を見て、心の中で運がいいと感じていた。
「モナさん、昨日はどうも」
「まさか、また貴方に会えるとは思っていませんでした」
小さく笑いながら挨拶をするノワールを見ながらモナは意外そうな声を出す。再会の挨拶をする二人を見て、兵士たちは呆然としたような顔をしている。
「あの、モナ殿。この少年と知り合いなのですか?」
「ええ、知り合い、と言えばそうですね……」
兵士の質問にモナは少し困ったような顔で答える。ノワールとモナは昨日偶然出会っただけの関係なので、知り合いと言うには若干複雑な関係だった。
モナの答えを聞いて兵士たちは不思議そうな顔でモナとノワールを見ており、モナは兵士たちを見ながら苦笑いを浮かべ、ノワールは無表情でまばたきをしながら苦笑いを浮かべているモナを見ていた。
「それでノワール君、さっきも聞きましたが、どうして此処に?」
ノワールの方を向くと、モナは改めてノワールにこの場にいる理由を尋ねた。
「昨日と同じように劇場区を散歩をしに来ただけですよ」
「そうですか……後ろにいるご老人は?」
モナはノワールの後ろに控えているモルドールを見て尋ねると、ノワールはモルドールの方をチラッと見る。
「この人はモルドールさん、僕の魔法の師匠です」
「えっ! この人が?」
ノワールの口から出た言葉にモナは驚きの反応を見せる。周りの兵士たちは驚くモナの反応を見て思わず目を見開いた。
マルゼント王国で正体がバレないようにするため、ノワールたちはマルゼント王国でのお互いの関係を前もって決めておいた。ビフレスト王国ではノワールは主席魔導士となっているが、情報取集をする時はモルドールの弟子ということにしている。
モルドールが祖父でノワールが孫、という設定も考えられたが、ただの祖父と孫という設定では他人の前で魔法を使わなければならない状況になった時、魔法を使うことができなくなってしまう。だが、魔法使いの師弟という設定ならノワールとモルドールが魔法を使っても周囲から怪しまれることもないので、ノワールは師弟の設定にしたのだ。因みにヴァレリアはモルドールの弟子で、ノワールの姉弟子という設定になっている。
「モルドールと申します。昨日は弟子がお世話になったそうで……」
「い、いえ、そんなことは……」
軽く頭を下げて挨拶をするモルドールを見てモナは少し慌てた様子を見せる。ノワールはちゃんと役を演じてくれるモルドールを見て小さく笑った。
周りのいる兵士たちはノワールたちの会話の内容についていけていないのか、呆然と会話を眺めている。モナはそんな兵士たちを見て現状を思い出し、軽く咳をしてから兵士たちの方を向いた。
「私は少し彼らと話がありますので、皆さんは警備に戻ってください」
「はあ……分かりました」
モナの指示を受けた兵士たちは詰め所の方へと歩いて行き、兵士たちが去るのを見たモナは軽く息を吐いた。
幼くして魔法が使え、ゼルデュランの瞳のメンバーを簡単に倒したノワールが何者なのか、モナは調べようとしている。大事にならないよう密かに調べるつもりでいるため、できるだけノワールとの会話を関係の無い兵士たちに聞かれたくないと思い、兵士たちはさり気なく遠ざけたのだ。
兵士たちを見送るモナをノワールが不思議そうな顔で見ていると、モナはゆっくりとノワールたちの方を向いて小さく笑った。
「……ところで、何か事件でもあったんですか?」
ノワールはモナの後ろにある詰め所を覗きながら尋ねる。すると、モナは表情を変え、真剣な表情を浮かべて詰め所の方を見た。
「……ええ、ちょっとした事件が起きましてね」
「詰め所の中でですか?」
「ええ」
詰め所を見たまま頷くモナを見て、ノワールも若干目を鋭くした。モルドールも真剣な表情を浮かべてモナの方を見ている。
「いったい何があったのですか?」
モルドールは片手を顎に当てながらモナに尋ねる。すると、モナは詰め所を見つめたまま口を開いた。
「……それは一般人である貴方やノワール君に教えることはできません」
「……もしや、昨日ノワールを襲った男たちが死んだのですか?」
「!」
モルドールの言葉にモナは目を大きく見開きながら彼の方を向く。
「ど、どうしてそれを!?」
「やっぱりそうだったのですね」
モナの反応を見たモルドールが呟き、それを聞いたモナは思わず口を閉じる。モナはモルドールが自分に鎌をかけていたことに気付き、驚きと悔しさが混ざったような目でモルドールを見つめた。
モルドールは昨日ノワールから聞いた出来事と騎士団の詰め所に兵士が集まっていることから、ノワールを襲った男たちが詰め所に監禁され、その男たちの身に何かあったのだと想像していた。だが、確証がなかったため、モナに鎌をかけて確かめたのだ。そして、モナは見事にモルドールの作戦に引っかかった。
「モナさん、本当なんですか?」
ノワールはモナを見ながらモルドールの言ったことが本当なのか尋ねる。モナは俯きながらしばらく黙り込むが、やがて顔を上げゆっくりと頷いた。
「……ええ、そのとおりです。昨日捕らえた男たちが死にました」
モナはモルドールの言ったことを素直に認めた。既にモルドールの作戦に引っかかって秘密を話してしまったため、隠しても意味が無いと思ったのだ。あと、ノワールは昨日男たちに襲われたため、聞く権利があると考えて話すことにしたのだろう。
「今朝、男たちから話を聞くために尋問官たちを連れて詰め所に向かったんです。ですが、詰め所に着くと兵士たちから監禁していた男たちが死んだ聞かされ、何かが起きたのかを今調べているんです」
詰め所の方を見ながらモナは何が起きたのかを説明し、ノワールとモルドールも兵士たちが集まる詰め所を見つめる。
「死んだ、と仰いましたが、自殺したんですか?」
「いいえ、そうならないように兵士たちはこまめに男たちを見張っていました……ですが、今朝朝食を与え、その後に牢の様子を見に行った時、男たちは死んでいました。どうやら誰かが朝食に毒を仕込んでいたようです」
「毒殺、ですか……」
ノワールは男たちの死因を聞くと、顎に手を当てながら呟く。詰め所を見ていたモナは悔しそうな顔で俯いた。
監視は完璧と言える状態であったため、モナは絶対に大丈夫だという自信があったのだ。しかし、男たちは完璧な監視の中で殺されてしまったため、モナはとても悔しく思っていた。
俯きながら黙り込むモナをノワールはジッと見ており、彼の後ろではモルドールが詰め所を見つめたまま難しい顔をしている。ノワールとモルドールも誰が詰め所の中にいる男たちを殺したのか考えていた。
「……モナさん、詰め所に怪しい者がやって来たり、詰め所の周りをウロウロしていたといったことはありませんでしたか?」
「いいえ、兵士たちからはその様な報告は受けていません。劇場区を巡回していた兵士たちも同じです」
「そうですか……」
モナの答えを聞いたモルドールは静かに呟く。怪しい者は誰も詰め所に来ておらず、周囲にも見当たらなかった。それなのに捕らえられていた男たちは何者かに殺されたということから、モルドールは一つの答えに辿り着く。
「……もしかすると、男たちを殺したのは軍に所属する方かもしれませんね」
「はっ?」
モルドールの口から出てきた言葉にモナは思わず声を漏らす。ノワールは驚くことなく、無表情でモルドールを見ていた。
「軍の中に男たちを殺したものがいると仰るのですか?」
「そう考えると納得がいきます。警備が完璧な詰め所で捕らえていた男たちが殺された、しかも怪しい者は一人も見かけていない。となると、男たちを殺したのは兵士や騎士たちに怪しまれずに詰め所に近づき、入ることができる存在、つまり同じ軍に所属する兵士か騎士ということになります」
「……それは絶対にあり得ません」
モナはモルドールの推理を聞くと絶対にないと否定する。
モルドールの言うとおり、同じ軍に所属している者であれば詰め所にいる兵士たちから怪しまれること無く、男たちのいる牢へ行き、殺すことが可能だ。軍師であるモナもそれぐらいは分かっている。しかし、彼女にはモルドールの出した答えは違うと断言できる理由があった。
「……実は、殺された男たちはある犯罪組織のメンバーなんです。軍はその組織を壊滅させるために今日まで彼らの情報やアジトの手掛かりを探していました」
「ゼルデュランの瞳、ですね」
「!?」
軍や冒険者しか知らない組織の名を口にするモルドールにモナは目を大きく見開きながら驚きの表情を浮かべる。だが、すぐに落ち着きを取り戻し、真剣な表情を浮かべてモルドールを見た。
「どうして貴方がその名前を?」
「僕が教えたんです」
今まで黙っていたノワールがモルドールの代わりに質問に答え、モナとモルドールは視線をノワールに向ける。
「ノワール君が?」
「ハイ、昨日モナさんが男たちを見ながら呟いているのを聞いたんです」
(あの時に? そんな、あの時は近くにいる兵士にも聞こえないくらい小さな声で呟いたのに……)
自分の呟きが離れていたノワールに聞かれていたことにモナは心の中で驚く。どうやって自分の声を聞き取ったのか、モナは気になっていたが、今はそんなことよりも軍の中に犯人がいるという問題の方が重要だった。
「オホンッ……話を戻しましょう。先程もお話ししたように、軍はゼルデュランの瞳の手掛かりを長い間、探していました。そして、ようやく組織のメンバーである男たちを捕らえ、組織やアジトの情報を手に入れるチャンスを得たんです。それなのに、軍の者が手掛かりとなる男たちを殺すはずがないじゃないですか」
「確かに、情報を得られるのに男たちを殺すなどあり得ません……貴女のお仲間なら、ね」
若干目を鋭くしながら、モルドールは言葉の最後の部分だけ僅かに声に力を入れて言った。モナはモルドールの言いたいことが理解できないのか、僅かに目を細くする。
「? それはいったいどういう……ッ!」
モナは何かに気付き、目を見開きながらフッと顔を上げる。それを見たノワールとモルドールは目を鋭くして彼女を見た。
「貴女のお仲間、つまり本物の兵士や騎士なら絶対に男たちを殺したりはしないでしょう。ですが、偽物なら男たちを平気で殺せるはずです。例えば、男たちが生きてると困る存在……」
「それは?」
「ゼルデュランの瞳ですよ。仲間が軍に捕まって何か情報を喋ったりすれば、自分たちの立場が危うくなるかもしれませんからね」
「……ゼルデュランの瞳のメンバーが兵士、もしくは騎士に成りすまして詰め所に近づき、仲間を殺したと?」
「その可能性は高いと思います……」
ゼルデュランの瞳のメンバーが兵士か騎士に変装し、口封じのために仲間である男たちを殺した。そう聞かされたモナは再び驚きの表情を浮かべるが、すぐに険しい表情を浮かべる。
捕まった仲間を助けようとせず、自分たちの身を守るために仲間の命を奪うゼルデュランの瞳にモナは強い怒りを感じていた。そして、怒りを感じるのと同時に一つの大きな問題に気づく。
(兵士か騎士に成りすましたということは、彼らは軍の装備をしていたと言うこと。しかし、軍の装備は軍の関係者しか手に入れることができない……つまり、軍の中にゼルデュランの瞳のメンバーがいるということになる!)
モナはこれまで手に入れた情報から、自分の仲間の中にゼルデュランの瞳のメンバーが潜入している可能性があると考え、微量の汗を流した。
もし、ゼルデュランの瞳のメンバーが軍に潜入しているのなら、装備を手に入れることは勿論、兵士たちの動きを知ることもできる。そうなれば、軍の動きはゼルデュランの瞳に筒抜けになってしまうということだ。
(もしそうなら、これまで私たちがゼルデュランの瞳の情報を何も手に入れられなかったのも納得がいく。潜入している者がゼルデュランの瞳に軍の動きやどこまで情報を得ているのかを知らせていたのだから……)
今までゼルデュランの瞳の情報を何も得られなかった理由に気付き、モナは俯きながら悔しそうな顔で拳を握る。だがそれ以上に、マルゼント王国の軍師でありながら、今日までそのことに気付かず、仲間の中にスパイがいるかもしれないと、考えもしなかった自分を情けなく思っていた。
ノワールとモルドールは黙って歯を噛みしめるモナを見つめている。この時、二人も軍にゼルデュランの瞳のメンバーが潜入しており、軍の情報を仲間に流している可能性が高いと考えていた。
「ノワール様、軍の中にはゼルデュランの瞳のメンバーが潜入していると思われます。しかも、その者は軍でもかなりの地位を持っているはずです」
モルドールはモナに注意しながら彼女には聞こえないくらい小さな声でノワールに語り掛ける。ノワールも声を掛けてきたモルドールをチラッと確認すると、視線をモナに向けたまま口を動かす。
「僕もそう思います。でないと詰め所に男たちが捕らえられていることや、軍がどう動いているかなどの情報を得ることはできませんから」
「ええ、そして男たちを殺したのは、その情報を流した者と同じように軍に潜入しているゼルデュランの瞳の下っ端、もしくは外部から接触した仲間でしょう」
「……ゼルデュランの瞳は僕らが思っている以上に面倒な存在みたいですね」
敵対している軍にまでスパイを送り込んでいるゼルデュランの瞳の行動力と情報収集能力にノワールとモルドールは表情を鋭くする。二人はこれまで以上に外での行動に注意した方がいいと感じていた。
モナは未だに俯きながら悔しそうな顔をしており、ノワールとモルドールはそんなモナを黙って見ている。すると、モルドールが何かに気付き、視線だけを動かして左を見た。
ノワールたちがいる位置から200mほど離れた位置にある木の陰からこちらを覗いている人間の男の姿があり、男はジッとノワールたちを見ていた。モルドールは他の住民と明らかに雰囲気が違う男を見て目を細くする。
「……ノワール様」
「ええ、気付いてます」
モルドールと同じようにノワールも視線だけを動かして左を見ている。ノワールはコソコソと隠れながら自分たちを見ている男が詰め所の一件に何か関わっているに違いないと感じていた。