第二百二十九話 邂逅
聖教区を一通り見て回ったノワールは再び大広場に戻ってきた。聖教区に存在する全ての教会と神殿を見て、その位置を確認してきたノワールは納得したような表情を浮かべながら持っている手帳を見ている。そこには細かい字でルギニアスの町の情報が書かれてあった。
手帳の内容を確認したノワールは静かに手帳をしまい、視線を大広場に向ける。大広場には出店が幾つかあり、その前には客である住民が集まっているが、その人数は数えるくらいしかいなかった。
「……皆、オウス司教から神の声を聞くために聖教区に行ったか、劇場区へお酒を飲みに行ったのかな」
ノワールは人気の少ない大広場を眺めながらそっと呟く。今の時間は大広場に人が集まる時間ではないので、住民が少ないのは分かるが、それでも少なすぎるのでは、と言えるくらいの人数だ。
大広場に人が集まる時間は主に朝市や出店が閉まる直前の夕方頃となっている。それ以外の時間、昼間などは散歩や出店で簡単な買い物をする人が来るだけで、人の数はとても少ない。そんな昼間の大広場も今日のような日は更に人が少なくなり、とても静かになってしまうのだ。
「さてと、聖教区も一通り見て回ったし、次は何処に行こうかな」
ノワールはチラチラと周囲を見回しながら次の目的地を考える。既に魔術区と聖教区は調べ終えているので、残りは三つとなっていた。
商業区はノワールたちの拠点がある場所なので、いつでも見て回る事ができるから優先して調べる必要はない。王城区は王城や貴族の住宅地があるため、用のない者が近づけば捕らえられてしまう可能性がある。となると、ノワールが次に向かう場所は一つしかなかった。
「次は劇場区へ行こう。あそこは酒場や劇場があるから、色んな情報が手に入るかも」
目的地が決まるとノワールは劇場区へと続く街道の方へ歩き出す。沢山の酒場と劇場がある場所だと聞いているので、ノワールはどんな場所なのか気になり、小さく笑っていた。
劇場区へ続く街道には無数の酒場があり、その前には大勢の住民の姿があった。その殆どが中年の男で、楽しそうに食事をしたり、酒を飲んだりしている。中には冒険者と思われる恰好をした者もおり、彼らも仲間たちと食事をしていた。
(やっぱり此処でお酒を飲んでたんだ)
ノワールは住民たちが聖教区と劇場区に集まっているという予想が当たったのを見て、歩きながら心の中で呟く。まだ夕方前だと言うのに街道では住民たちが楽しそうに騒いでいる。流石はルギニアスの町の中で最も賑やかな場所だ、とノワールは感じていた。
そんな住民たちが騒ぐ街道の中で少年姿のノワールが一人で歩く光景はそれなりに目立つのか、店先にいる住民たちの中にはノワールを不思議そうな顔で見ている者もいた。だが、ノワールはそんな視線を気にすることなく歩いていく。
賑やかな街道を歩いていくと、ノワールは一軒の劇場の前までやって来る。そこは劇場区にある劇場で最も大きな場所と言われているニルガーナス劇場だった。ノワールはルギニアスの町の舞姫と言われている女がいる劇場が視界に入ると、ゆっくりと立ち止まって劇場の方を向く。劇場の出入口と思われる扉は開いており、中から客と思われる住民が大勢出てくる。
「大勢の人が出てくる……劇が終わったのかな?」
楽しそうに笑って出てくる客をノワールはまばたきをしながら見ている。客の殆どが劇に満足した様子で、また見に来ようとか、次の劇はどんなのだろうと客同士で話していた。その楽しそうな表情を見てノワールはそんなに凄いのか、と興味のありそうな表情を浮かべながら客たちを見ている。
しばらくすると、出入口から客が出て来なくなり、ノワールはその場を移動しようとする。すると、劇場の中から一人の若い女が出てきた。その女は二十代前半ぐらいの美女で美しい白い肌を持ち、耳は人間と比べて長い。髪型は青紫のミディアムボブヘアーで少し高級そうな長袖、ミニスカートの恰好をしていた。
「あの人は……」
ノワールが劇場から出てきた美女を見て呟いた。美しい顔と長い耳、ノワールが劇場から出てきた美女が人間ではなく、エルフだとすぐに気づく。ただ、そのエルフ美女の耳は普通のエルフと比べると若干耳が短かった。
「普通のエルフよりも耳が短い、きっと彼女はハーフエルフなんだなぁ……そう言えば、モルドールさんが言ってた舞姫もハーフエルフらしいけど、もしかして……」
モルドールから教えてもらった舞姫のことを、目の前にいるハーフエルを見ながらが考える。すると、ノワールの近くにいた人間と亜人の若者グループがハーフエルフを見て満面の笑みを浮かべた。
「見て、あれユミンティアじゃない?」
「あっ、本当だ。本物のユミンティアよ!」
「マジかよ、あの舞姫ユミンティアかよぉ!?」
ハーフエルフを見ながらユミンティアと言う名を口にする若者たちは一斉にハーフエルフの下へ走り出す。どうやらハーフエルフの名前はユミンティアと言うらしい。ノワールは走っていく若者たちを見て少し驚いたような顔をする。
若者たちはユミンティアを囲みながら騒ぎ、ユミンティアも笑いながら周りにいる若者たちに挨拶をする。その光景をノワールはジッと見つめていた。
「やっぱり、あのハーフエルフの女性が劇場区の舞姫だったのか……」
ノワールは自分の予想が的中したことを知り、興味のありそうな目で若者たちに囲まれているユミンティアを見つめている。
「ユミンティアさん、次の舞台も頑張ってくださいね!」
「俺、明日舞台を見に行きますから!」
「すみません、握手してください!」
若者たちは興奮した様子でユミンティアに声を掛ける。彼らの様子から集まっている若者は全員、ユミンティアのファンのようだ。
「ありがとう、こんなに応援されると、アタイ嬉しいよ」
自分を応援する若者たちにユミンティアは笑顔で礼を言い、若者たちも笑顔を見せるユミンティアを見て嬉しそうな表情を浮かべた。
ユミンティアは劇場区で最も大きな劇場であるニルガーナス劇場の看板役者であるハーフエルフ。五年ほど前にルギニアスの町へやって来て劇場区で働き出し、その美しさと演技力の高さからあっという間に人気が出て、いつの間にか舞姫と呼ばれるようになった。噂では役者をやる前は冒険者をしていたらしい。
若者たちと笑いながら握手を交わすユミンティアの姿をノワールは離れた所から見つめいる。すると、ニルガーナス劇場の前を通りかかった中年の男や少し怖い外見をした亜人、腰が若干曲がった老人たちもユミンティアの姿を見て驚きの表情を浮かべ、次々と彼女に近づいて行く。若者以外からも高い人気を持つユミンティアにノワールはおおぉ、と少し驚きの反応を見せる。
「あんなに大勢の人から注目されているなんて、あの人、本当に凄い役者さんなんだなぁ……機会があったら、僕も一度劇を見てみよう」
ノワールは小さく笑いながらそう呟くと劇場区の奥へと歩いていく。いつまでもファンに囲まれるユミンティアを見てはいられないので、ノワールは気持ちを切り替えて劇場区の探索を再開した。
それからノワールは劇場区にある他の劇場や人気のある酒場などを見て回った。何処に行けばどんな情報を得られるのか、どんな人が出入りするのかなどをしっかりと確認し、劇場区の探索が終わると大広場へ戻るために来た道を戻って行く。
「随分静かな所に来ちゃったな……」
周りを見回しながらノワールは人気の少ない街道を歩いていく。そこは最初に通った街道とは違い、とても静かな細い街道で少し不気味さが感じられる。しかも日が傾き始めて薄暗くなっており、子供や若い女なら絶対に近づかないような雰囲気だった。
そんな不気味な街道をノワールは無表情で歩いている。レベル94で強大な力と精神力を持つノワールにとって、この程度は不気味に感じられないようだ。
「……おかしいなぁ、声が聞こえる方へ向かっていたはずなんだけど、道を間違えちゃったかな?」
しばらく歩いていると、ノワールは街道の真ん中で立ち止まり周囲を見回す。ノワールは知ってる道へ出られるよう、住民たちの賑わう声が聞こえる方角へ向かって歩いていた。しかし、どういう訳か知っている道には出られず、より人気の少ない場所へと来てしまったのだ。
ノワールは自分が迷子になってしまったことに気付き、後頭部を右手で掻きながら困り顔になる。このままだと日が沈んで暗くなってしまい、宿屋に戻る時間が遅くなってしまうとノワールは感じていた。
「……仕方がない。幸い誰もいないし、転移魔法を使って宿屋に戻ろう」
帰りが遅くなるとヴァレリアやモルドールが心配するので、ノワールは真っすぐ宿屋に戻るために転移魔法を使うことにする。これまでは目立たないように転移魔法は使わなかったが、この状況では仕方がないとノワールは判断した。
もう一度周囲に誰もいないのを確認すると、ノワールは転移魔法を発動させようとする。すると、街道の奥から微かに声が聞こえ、それを聞いたノワールは発動を止めて声の聞こえた方を向く。
「誰かいる? だとしたら此処では魔法は使えないな……仕方ない、別の場所で転移しよう」
ノワールは誰かに目撃されることを警戒し、別の場所へ移動しようとするが、再び声が聞こえ、ノワールは足を止めて振り返る。よく聞くと、声は一つではなく五つで、二つは若い女の声で、残りに三つは低い男の声だった。しかも、女の声は若干怯えているように聞こえる。
「こんな不気味な場所で女性の怯えたような声……まさか、これって」
声の聞こえる方角で何が起きているのか察したノワールは目を若干細くする。そして、この後自分はどうするべきなのかを考えた。
「……ちょっと覗いてみようかな」
考えた結果、ノワールは何が起きているのか確かめに行くことした。本来なら面倒ごとには関わるべきではないのだが、ルギニアスの町に来た初日に男たちに絡まれていた少年を助けようとしたので、今更見過ごそうとは思わないようだ。ノワールは声が聞こえる暗い街道へ静かに入って行く。
暗く、細い街道をしばらく進んで行くと、三人のガラの悪い男が二人の若い女を囲んでいる光景が目に入り、ノワールは近くにある小箱の陰に隠れる。
三人の男は全員目つきが悪く、ガッシリとした体をしており、腰にはナイフを佩している。男たちはノワールがルギニアスの町にやって来た日に見たガラの悪い男たちと同じ雰囲気をしており、男たちを見たノワールはまたチンピラか、と呆れた表情を浮かべた。
対して二人の女は、一人が人間の若い女で、もう一人は猫の耳と尻尾を生やした若い亜人の女だった。二人の内、人間の女は男たちを少し怯えた表情で見ており、亜人の方は少し強がっているような顔で男たちを睨んでいる。
「なあ、いいじゃねぇか。少し酒場で一緒に飲むだけなんだからよぉ」
「さ、さっきから言ってるじゃないですか。私たちは貴方たちとお酒を飲む気はありません!」
「そ、そうよ、いい加減に帰してよ!」
女たちは目の前にいる男の誘いを必死な様子で断り、それを見た男たちは楽しそうにゲラゲラと分かっている。強がっている女たちの姿が愉快に思えるのだろう。
ノワールは怯える女たちを見て笑う男たちの姿を見て小さく溜め息をつく。平気で他人を怖がらせたり、嫌がる人に物事を強要する男たちを哀れに思っていた。
「いいから来いって、悪いようにはしねぇよ」
男の一人が亜人の女の手を掴み、無理矢理何処かへ連れていこうとする。もう一人の女も別の男に腕を掴まれて連れて行かれそうになっており、それを見たノワールはそろそろ助けた方がいいと考え、男たちの方へ歩き出す。
「すみません」
ノワールが歩きながら男たちに声を掛けると、突然の声に驚いた男たちはフッと声の聞こえた方を向く。しかし、目の前にいたのは頭から角を生やした幼い少年一人だったので、男たちは安心して軽く息を吐いた。マルゼント王国は亜人と共存する国なので、ノワールの頭から角が生えているのを見ても、ただの亜人の子供だと思っているようだ。
「何だ、お前は?」
「此処はガキの来るところじゃねぇぞ」
「ああ、ママの所へ帰りな」
歩いてくるノワールを見ながら男たちは睨んだり、小馬鹿にするような顔で追い返そうとする。ノワールは男たちの言葉を何とも思っていないのか、無表情で近づいて行き、男たちの目の前で立ち止まった。
「嫌がっている女性を無理矢理連れていこうとするのは、男としてどうかと思いますよ?」
「ああぁ? 何だとコラ、ガキのくせに俺らに説教しようってのか?」
人間の女の腕を掴んでいた男はノワールの言葉にカチンと来たのか、腕を掴んでいた手を放し、顔をノワールに近づけて睨み付ける。ノワールは目の前の男の顔を無表情のまま見つめていた。
「お説教じゃありません。僕はただ思ったことを言っただけです。嫌がる女性を無理に連れていくのは男らしくない、とね」
「テメェ、調子に乗ってんじゃねぇぞ。これ以上ナメた口利いてると、ガキでも容赦しねぇぞ!」
男は険しい顔で怒鳴り散らし、他の男たちもノワールの態度が気に入らないのか、少し不機嫌そうな顔をしている。一方で女たちは男たちを挑発するノワールの姿を見て、あの子は大丈夫なのか、と言いたそうな不安そうな顔をしていた。
ノワールは自分を睨む男を見つめていると、目を閉じて深く溜め息をつく。そして、目を開けると呆れ顔で男を見ながら口を動かした。
「……力のない弱者ほど必要以上に相手を脅す、と聞きましたが、本当みたいですね」
呆れた口調で呟くノワールを見て目の前の男は額に血管を浮かべる。今のノワールの言葉は遠回しに男を弱いと言っており、男は言葉の意味を理解して一気に頭に血が上ったようだ。
「クソガキがぁっ! そんなに死にてぇのかぁ!」
男はノワールの顔に向かって勢いよくパンチを放ち、女たちは男に殴られそうになるノワールを見て目と口を大きく開く。
ノワールは迫ってくる男の拳を無言で見つめながら左手を動かし、男のパンチをいとも簡単に止めた。
「なっ!?」
左手でパンチを止めるノワールを見て男は驚きのあまり声を漏らす。他の男や女たちも小さな少年が片手でパンチを止めたのを見て、目を見開きながら驚いている。
ノワールは左手で男の拳を握ると、後ろに振り返りながら男を勢いよく投げ飛ばす。男は街道の端に積まれてある木箱に叩きつけられ、木箱は大きな音を立てながら粉々になった。投げ飛ばされた仲間を見て男たちはただ呆然としている。
「子供だからと言って侮らない方がいいですよ? この世界は何が起きても、どんな存在がいてもおかしくない世界なんですから」
木箱に叩きつけられて倒れる男を見つめながらノワールは呟く。投げ飛ばされた男は仰向けになりながらピクピクと震えており、ノワールは男が動けなくなっているのを確認すると女たちの方を向いた。
「此処は僕に任せて、貴女たちは逃げてください」
「え? え、え~っと……」
「さあ、早く」
ノワールから逃げるよう言われた女たちはどうすればよいのか分からずに一瞬戸惑いを見せる。だが、すぐに現状を再確認し、此処にいるのは危険だと感じた女たちは走ってその場から立ち去った。
「あっ、待てよ!」
「女どもなんて放っておけ! まずはこのガキを始末するのが先だ」
逃げる女たちを追いかけようとする男を仲間が呼び止め、ノワールを睨みながら腰のナイフを抜いた。呼び止められた男も、仲間を倒した子供をこのままにはしておけないと感じ、ナイフを抜いてノワールを睨み付けた。
ノワールは逃げようとしない男たちを見ながら無表情でまばたきをする。そんなノワールの顔を見た男たちは、ノワールが自分たちを馬鹿にしていると感じたのか、更に表情を険しくしてナイフを構えた。
「さっきはどんな手品を使ったが知らねぇが、俺ら二人を同時に相手しても、そんな余裕の態度でいられるのかよ!」
男たちはほぼ同時にノワールに向かって踏み込み、ナイフを勢いよく振って攻撃してくる。ノワールは正面から迫ってくる二本のナイフを表情を変えることなく見つめており、刃が数cm前まで近づくと、素早く両手を動かしてナイフを素手で止めた。
ノワールがナイフを素手で、しかも片手で一本ずつ止める姿を見た男たちは言葉を失う。優れた戦士でなければできないことを小さな子供がやって見せたのが信じられず、男たちは目を見開いたまま固まる。そんな男たちを見たノワールは軽くて首を捻り、ナイフの刀身を真ん中から折った。
折られたナイフを見て男たちは思わず後ろに下がってしまう。目の前にいる少年は自分たちよりも手が小さく、腕も細い。そんな少年がナイフを簡単に折ってしまったのだから、男たちもさすがに恐怖を感じたようだ。
「この程度で驚かないでください。僕の主なら指だけで簡単に折っちゃうんですから」
驚く男たちを見ながらノワールは持っている折れた刀身を床に落とし、男たちの方へゆっくりと歩きだす。無表情で近づいてくるノワールを見て、男たちは寒気を感じたのか、微量の汗を掻きながら更に後ろに下がる。目の前にいる少年は普通の子供ではない、男たちはそう直感した。
自分たちでは勝ち目が無いと感じた男たちは急いで逃げようとする。すると、男たちの後方、つまり女たちが逃げた方角から無数の足音が聞こえてきた。
「貴方たち、大人しくしなさい!」
若い女の声が聞こえ、男たちは振り返り、ノワールも声が聞こえた方を向く。三人から十数mほど離れたところには四元魔導士の一人であるモナと四人の兵士の姿があり、全員が目を鋭くしている。
「軍の奴らだ! しかもありゃあ、四元魔導士のモナだぞ!」
「ヤベェぞ、捕まったら牢獄行きだ。逃げるぞ!」
状況が悪いと感じた男たちはモナたちがいる方角とは正反対、つまりノワールの方へと走り出し逃走を図る。正体が分からないノワールに近づくのは危険だが、四元魔導士と兵士の方へ行くよりはマシだと男たちは考えていた。
走って来る男たちを見てノワールは若干目を鋭くし、両手を男たちに向けた。
「衝撃!」
ノワールが魔法を発動させると両手が薄っすらと白く光り、見えない衝撃波が男たちに向かって放たれる。衝撃波が命中すると、男たちは大きく後ろに飛ばされて背中から地面に叩きつけられ、そのまま意識を失う。
モナと兵士たちは突然吹き飛ばされた男たちを見て一瞬驚いたが、すぐに我に返り、倒れている男たちに駆け寄る。二人の兵士は仰向けに倒れる男二人を捕らえ、残りの二人は粉々になった木箱の中で倒れている男の下へ向かう。そして、モナは何事も無かったかのように立っているノワールに近づいた。
「貴方、大丈夫ですか?」
「ええ、僕は平気です」
心配するモナにノワールは普通に答え、モナはノワールの反応を見て意外そうな顔をする。幼い少年がガラの悪い男たちを相手に平然としているのだから、当然と言えば当然だ。
「それはそうと、どうして軍の人たちが此処に?」
ノワールは男たちを捕らえる兵士たちを見ながら小首を傾げる。今ノワールたちがいる場所は人気が少なく、目立つような場所ではない。そんな所に四元魔導士と兵士がやって来たことをノワールは不思議に思っていた。
「先程、劇場区の巡回をしている時に若い女性が二人、ガラの悪い男たちに絡まれたと言ってきたんです。それで、一人の少年が自分たちを逃がすために男たちのところに残ったので、助けてほしいと言われて駆け付けたんですよ」
「ああぁ、あの人たちですか……」
モナの言葉を聞いて、男たちと戦う前に逃がした女たちのことを思い出し、ノワールは納得の表情を浮かべる。別に助けを呼んできてほしいとは思っていなかったが、四元魔導士の一人であるモナと接触することができたので良しと思った。
「……それにしても、貴方のような子供が魔法を使えたとは、助けは必要なかったようですね?」
「あ、あははは……」
持っている羽扇を口元に持っていきながらモナは目を細くしてノワールを見つめ、ノワールは苦笑いを浮かべながら自分の頬を指で掻く。モナも四元魔導士の一人であるため、ノワールが男たちを吹き飛ばす光景を見て、彼が魔法を使ったのだと気付いていたようだ。
モナは苦笑いを浮かべているノワールをしばらく見つめると、目を閉じながら羽扇を下ろし、軽く息を吐く。そして、ゆっくりと目を開けてノワールを見つめると、ノワールもモナを見ながら苦笑いをやめた。
「とりあえず、何もなければそれでいいです。私はモナ・メルミュスト、マルゼント王国四元魔導士の一人です。貴方は?」
「ノワールと申します」
「ノワール君ですね。どうしてこのような状況になったのか、詳しくお話を聞かせていただけますか?」
「……分かりました」
事情聴取をしようとするモナを見てノワールは僅かに目つきを変える。ビフレスト王国の人間であることを隠してマルゼント王国にいるため、ノワールは身元がバレるようなことは言わないよう気を付けようと心の中で自分に言い聞かせた。
モナは早速ノワールに自分たちが来る前に何があったのかをノワールに尋ねようとする。すると、離れた所で男たちを拘束していた兵士の一人が男の手元を見て何かに気付き、目つきを鋭くした。
「モナ殿、ちょっとこれを見てください」
「ん?」
呼ばれたモナはノワールをその場で待たせて兵士の下へ向かい、兵士の隣まで来ると意識を失っている男の手元を見る。男の左手の甲には六本の曲がった角を生やし、五つの蜘蛛のような目とカミキリムシのような口を持つモンスターの顔の刺青が彫られてあり、それを見たモナは目を鋭くした。
「……やはり彼らの、ゼルデュランの瞳の一員だったのね」
(ゼルデュランの瞳?)
刺青を見ながらモナは小さな声を出し、それを聞いたノワールはモナの方を見ながら心の中で呟く。レベル94であるノワールは異世界では優れた身体能力と五感を持ている。そのため、ダークと同じように近くであれば他人の小声も普通に聞き取ることができるのだ。
モナはノワールに独り言を聞かれていることに気付くことなく、男の体中を見て他に何か身元を証明するような物が無いが調べる。しかし、結局刺青以外に目立つような物は何もなかった。
「……彼らを騎士団の詰め所に連れていき、仲間や隠れ家に関する情報を聞き出してください」
「分かりました」
「もし、何も吐かなかった場合は明日、尋問を担当する者を連れていき、改めて取り調べを行います」
「ハイ」
「これはゼルデュランの瞳の隠れ家を突き止める絶好のチャンスです。絶対に逃がしてはいけませんよ?」
真剣な表情を浮かべながら釘をさすモナを見て、兵士も真剣な表情で頷く。兵士は男を抱えて住民たちの声が聞こえる方へと歩いていき、他の兵士たちも残った二人を抱えて移動する。薄暗い街道にはノワールとモナの二人だけが残った。
兵士たちの姿が見えなくなると、モナはノワールの方へと歩いていく。その表情には先程までの鋭さは感じられなく、普通の少女としての表情に戻っていた。
「お待たせしました。では、早速詳しいお話を聞かせていただけますか?」
「分かりました」
ノワールが返事をすると、モナは自分たちが来るまでの間に何があったのかを尋ね、ノワールも質問に答えていく。ただ、マルゼント王国の情報を集めるために町を歩き回っていたとは言えないので、その辺は適当に誤魔化した。
それからしばらくしてモナの質問は終わった。ノワールは自分の身元や目的をモナに勘付かれることなく全ての質問に答えることでき、心の中でホッとする。
「ありがとうございました。もしかすると、また何かお聞きすることがあると思いますので、何処に住んでいるか教えてくださいますか?」
「商業区の銀蝶亭です」
「銀蝶亭? 宿屋に泊まっているのですね。もしかして、旅行ですか?」
「ええ、まあ……」
真実を言えないノワールは小さく苦笑いを浮かべ、そんなノワールを見てモナは不思議そうに小首を傾げる。
「そう言えば、辺りは既に暗くなっていますね……銀蝶亭まで送りましょう」
「あ、大丈夫です。一人で戻れますから……」
「いや、貴方のような子供が一人で暗い町を歩くのはさすがに……」
「本当に大丈夫です。もし、さっきの男たちのような人と会ったら、返り討ちにしますから」
微笑みながら一人で帰ると話すノワールを見て、モナは再び目を細くする。目の前の少年は自分よりも体の大きな男たちを一撃で気絶させることができるほどの魔法を使える。そのことを考えると、一人で帰ることになっても本当に問題無いかもしれない、とモナは感じていた。
「……分かりました。貴方がそう言うのなら」
「お気遣い、ありがとうございます」
「いいえ。では、私はこれで……」
簡単な挨拶をして、モナは兵士たちが向かった方角と同じ方角へと歩いていく。ノワールは笑いながら軽く手を振ってモナを見送り、モナが見えなくなると振っていた手を下ろして軽く溜め息をついた。
「やれやれ、また目立つ行動をしちゃったなぁ……まぁ、あれぐらいなら、ちょっと魔法の力が強いだけの子供って思われるだけで済むかな」
苦笑いを浮かべながらノワールは自身を納得させ、モナが歩いて行った方角とは正反対の方へ歩いて行き、目立たない細道へと入って行く。
「早く戻らないとヴァレリアさんとモルドールさんが心配しちゃうな。それにしても、ゼルデュランの瞳っていったい……」
モナが言っていたゼルデュランの瞳とは何なのか、ノワールは立ち止まって難しい顔をする。やはりこのルギニアスの町には何か秘密がある、そう考えながら拠点である宿屋へと転移した。